第79話 エンドラシル帝国大使 アリー・ハサン伯爵との会談

 エンドラシル大使館の執務室で、アリー・ハサン伯爵は来客を待つ間に部下と打ち合わせをしていた。今日はオーロレアン王国の王国騎士団長であるアラン・ゾイターク伯爵とザクト領主のクロード・ガストリュー子爵が来ることになっていた。


「リン、倉庫から出た荷箱の行先はまだ分からないのか」

「申し訳ありません。光真教の神殿から出た荷馬車が運び込まれたのを確認して突入したのですが、獣人の傭兵に邪魔されました。桟橋に船があったのも予想外でした」

「下っ端は吐かなかったか」

「残念ながら、肝心なことは知らないで動いていたようです。ガイというのが命令していたようですが、逃げられました。騒ぎを嗅ぎつけた官憲が来そうだったので、証拠になりそうなものは全て処分しています」

「分かった。引き続き頼む」


 片膝をつき、姿勢を低くして報告していたリンが顔を上げてアリー・ハサン伯爵を見上げた。


「後ひとつご報告が」

「む、何だ」

「クラウディオ13世陛下の寵臣として有名な、解放奴隷のグルクスが救世主教に改宗した話はご存じですか」

「知らぬな。しかし、それが本当なら面白い。光真教の奴らが慌てているだろう。奴は皇帝の剣。確か何年か前に同じ解放奴隷の女と結婚したと聞いたが」

「はい。剣闘士奴隷だったグルクスは、前回の皇太子戦にクラウディオ皇太子の剣として勇名を馳せました。その働きから解放奴隷となりましたが、その後皇帝の寵愛を受けた女奴隷を下げ渡されました。その女奴隷が元々救世主教を信仰していたようです」

「ほう、それで?」

「その女奴隷には連れ子がいたようで、その子が洗礼を受けるに当たって、自分も救世主教に改宗したと聞きました」


 しかし、クラウディオ13世は非常に思慮深い皇帝だ。連れ子を持つ女奴隷を寵愛するだろうか。そしてグルクスに下げ渡す? アリー・ハサン伯爵は釈然としない物を感じた。


「連れ子? まさか皇帝の落とし種ではないよな」

「どうなんでしょうか。公式には違うとされています」


 リンは女剣士奴隷として仲間が救世主教に改宗する者が多いことが気になっていた。今救世主教はエンドラシル帝国の奴隷の間で爆発的に広がって来ていた。グルクスはその象徴のように喧伝されていた。


「皇帝の後ろに控えているだけに見えるが、グルクスは皇帝に強い影響力を持っている。最近目に余る光真教を押さえる上では大きな影響があるかも知れんな」

「はい、実は救世主教の信者からは、その子は神の子と呼ばれ、いずれ光真教の闇の御子を倒すと信じられているそうです」

「ほう」


 その時、執事が来客を告げた。


「アラン・ゾイターク伯爵とクロード・ガストリュー子爵がいらっしゃいました」

「お通ししてくれ」


 執事に案内されて2人が入って来ると、アリー・ハサン伯爵は立ち上がって向かいに立つ。挨拶を交わして応接に案内した。アリー・ハサン伯爵の向かいに座ったアラン・ゾイターク伯爵が、後ろに控えて立つリンを見た。


「良くいらっしゃいました、アラン・ゾイターク伯爵、クロード・ガストリュー子爵。今日はオルセーヌ公のお使いと聞きましたが、どのようなお話でしょうか。実は私の方でもオルセーヌ公にご相談がありまして、ちょうど良かった」

「アリー・ハサン伯爵、ご無沙汰しています。あなたの後ろに控えているのが、今王都で話題の剣舞を行う剣士ですか。随分身体が小さいのですね」

「はは、彼女は私の故郷である第8公国伝説のアサシン部族のリンです。リン、ご挨拶なさい」


 控えていたリンが、その場に跪き頭を下げた。


「リンと申します。よろしくお願いします」

「ほう、あの有名なアサシン部族の出身ですか」


 クロード・ガストリュー子爵が声を上げた。エンドラシル帝国が征服した時に一番抵抗した部族だった。そのせいで、一族郎党全員が奴隷に落とされ苦難の道を歩んだと聞く。


「私はアリー・ハサン伯爵に拾われて助かりました。今は誠心誠意お仕えしております」

「私が生殺与奪の権を持っておりますよ。なかなか便利な者で、手放せませんが。リン以外の者で良ければ、お譲りできますよ」


 アリー・ハサン伯爵はクロード・ガストリュー子爵に向かって笑って言った。


「むっ、興味はありますが、貧乏領主ですからな。ご遠慮しておきます」

「ガストリュー子爵、今のアダムの練習相手にちょうど良いかも知れん」

「アラン・ゾイターク伯爵、ご評価ありがとうございます。実はもうリンには是非七柱の聖女の方々にご協力するよう言い付けております。我が帝国との融和の象徴になるでしょう。かつてエンドラシル帝国最大の強敵と呼ばれておりますからな、七柱の聖女は。はは、」


 アラン・ゾイターク伯爵がアリー・ハサン伯爵を改めて見た。自分からあからさまに七柱の聖女への関心を話すとは考えていなかった。しかしむしろ話が早いかも知れない。


「実は、クロード・ガストリュー子爵と連れ立って来たのは、その関係の話です」

「なるほど、既にジャック・ブルゼ准男爵には謝りましたが、少し言い方が悪かったようです。先程も言いましたが、七柱の聖女と言うとエンドラシル帝国との戦いの象徴として、貴国の国民の口にのぼりますが、それはもう過去の話です。これを機会に融和の象徴にしたいのです。実はクラウディオ13世陛下からは、更に話が来ておりまして、これを機会に交換留学生を派遣したいと申して来ております」


 グランド宰相の方では神聖ラウム帝国との文化交流の一環として、交換留学の話が進んでいる。エンドラシル帝国としてもその動きを見過ごす気は無いと言う事らしい。アラン・ゾイターク伯爵はクロード・ガストリュー子爵を振り返ってから言葉を継いだ。


「なるほど、既にこれまでオルセーヌ公の方へはクラウディオ13世陛下から、王室との婚儀の話が来ていると聞いていますが、その前にお互いを良く知ろうと言うことですか」

「はい、いづれはソルタス皇太子やプレゼ皇女にも、帝都オームにお迎えして、帝国学園で学ぶ傍ら帝室とも親交を育んで頂ければ、その様なお話の機会もあろうかと考えておられるようです」


 エンドラシル帝国の狙いとしては、ソルタス皇太子はいずれ国王に即位すると考えれば正室を入れたい。それがだめなら、帝国の皇太子にプレゼ皇女を妃として迎える。最低でも帝室の縁戚をソルタス皇太子の第2夫人に嫁がせることだろうか。


 いずれにしても、ソルタス皇太子もプレゼ皇女もまだ幼いので、交換留学生を送って親交を深め、抵抗感を失くさせようと考えていると思われた。


「なるほど、お話は伺いました。オルセーヌ公には間違いなくお話しておきます。では、こちらの懸案もご相談しましょう」

「えっ、リンの事ではないのですか」


 とぼけているのか、アリー・ハサン伯爵は大げさに身振りで答えた。後ろに控えたリンは表情を消して控えている。


「実は今日ガストリュー子爵を伴って参ったのは、リン殿の話とは別の話です。ガストリュー子爵家のご子息やアンたちが王立学園へ入学するに当たって、今回王都オーロンに上京しました。その際に、お聞き及びかと思いますが、ケイルアンでゴブリンを退治し、その後直ぐに、ソンフロンドの峠道で盗賊団を討伐しました」

「おお、その話はお聞きしました。さすが七柱の聖女と世間では大変な評判だそうですね」

「ここからは、私がお話しましょう」


 それまでアラン・ゾイターク伯爵に話を任していたクロード・ガストリュー子爵が口を開いた。アリー・ハサン伯爵が彼に顔を向けた。


「実は2つの事件は別々のものと思われていましたが、背後に居る者がどうやら関係しているようなのです。既にご挨拶を済ませていると思いますが、アンとアダムたちをザクト滞在中から狙っていた者たちが居まして、ソンフロンドの盗賊討伐の際には一緒に襲ってきました。その時アダムが返り討ちにしたのですが、その内の一人が仲間を殺して逃亡しました。暗殺ギルドのメンバーと言われていますが、ガイと言います」


 ガイの名前が出た時にアリー・ハサン伯爵の目が動いたのをアラン・ゾイターク伯爵は見逃さなかった。明らかに知っていると思われた。


「現在、パリス・ヒュウ警務総監が中心になって、王都の不審者をあらためていたところ、先日王都の工業地区の倉庫で騒乱が有った際に、貧民街に逃げ込む姿を確認しています」


 アリー・ハサン伯爵は無言で聞いていた。


「実は、その倉庫で騒乱が起こる前に、そのガイがエンドラシル帝国の大使館から荷馬車で倉庫へ乘り入れたのを目撃した者がおりました。目撃した者が言うには、倉庫の騒乱はそちらのリン殿たちがそのガイたちに切り込んで起こったと言うのです」


 ここまで話を聞いていて、リンも自分が何か話すべきか、アリー・ハサン伯爵の方を見る。アリー・ハサン伯爵もこれ以上黙っていては不味いと話出した。


「これは、身内の恥を言わねばなりませんな。実は大使館に不審な者が居るのをリンが見付けまして、追いかけて取り押さえようとしたようなのです。残念ながら取り逃がしてしまいました」

「実はその倉庫から運び込まれた荷箱を追って、現在王都の下水道を捜索しています」

「なんと、その場所が分かったのですか」


 思わずアリー・ハサン伯爵が声を上げた。リンも黙って立っているが、意識を集中しているのが分かった。アラン・ゾイターク伯爵はその真意を計るべく、2人を注視していた。


「アリー・ハサン伯爵、下水道で運び込まれた物は遅かれ早かれ見つかるでしょう。我々は重大な懸念を持って捜索しています。その時は、ご自身が関与をしておられなくても、エンドラシル帝国大使館の関与が疑われるでしょう。オルセーヌ公はそれを懸念されております。このまま手をこまねいておられると、ご存じの通り、政府の中の分権派が黙っていないでしょう」


 クロード・ガストリュー子爵は言葉を止めてアリー・ハサン伯爵を見た。


「ご心配を頂きありがとうございます。ごもっともなお話ですな。その荷箱の中身は何だとお思いですか」

「我々はケイルアンのゴブリンの洞窟で見つかった、闇の苗床と言う魔法陣に残されていた、ゴブリンの母体にされた女性では無いかと考えております。ケイルアンでは56匹ものゴブリンを産み出したと思われます」


 クロード・ガストリュー子爵が詳しく説明した女性の遺体の飛散な状況に、部屋の中にいる全員が眉をひそめて嫌悪感を表していた。特にリンは身体を震わせて顔色も蒼白く動揺しているのは明らかだった。その様子を見たアラン・ゾイターク伯爵とアリー・ハサン伯爵の目が合った。


「ご存じの通り、現在エンドラシル帝国は次回の皇太子戦に備えて、帝国及び各公国が動きを増しています。色々な思惑が興り、色々な勢力が主導権を取ろうと動いています。一部の危険分子のために両国の友好関係にヒビが入ってはなりません。それはクラウディオ13世陛下のお考えも同じだと確信をしています。仰って頂ければ、我々に出来ることで有れば協力を惜しみません」

「ありがとうございます。そう言って頂ければこうやって参った甲斐もあると言うものです。エンドラシル帝国大使館の内部の事を我々が差配することはできませんからね」


 治外法権があるから、大使館内の粛清はエンドラシル帝国内部でして欲しいと言っているのを、アリー・ハサン伯爵も良く理解していた。他国の王都で騒乱を起こしたとなると、帝国の体面は大きく傷つくだろう。知らぬ存ぜぬでは済まない段階に来ている。


「それでははっきり言いましょう。アリー・ハサン伯爵、エンドラシル大使館の光真教の神殿にいる闇の司祭が関係している事をこちらは承知しています。物的証拠は出せませんが、確実な目撃証言を得ています。捕らえて処分するか、本国に送還するかはお任せしますが、このまま王都に残っているようであれば、こちらで処分させて頂きます」


 アラン・ゾイターク伯爵の言葉にアリー・ハサン伯爵は瞑目して思案した。


「それは、本当に確実な情報でしょうか。我々も疑いを持っていないあ訳ではありませんが、確実に処分するには、それなりの証拠が必要です。光真教は帝国の国教の1つでもありますからな、、、、、、。それはもしや、七柱の聖女の予言ですか?」

「何故、そのようなことを」

「貴国でエンドラシル帝国との聖戦と呼ぶ戦については、帝国側にも記録があるのです。帝国側の記録では18万もの軍勢で城壁を囲みながら、悉く作戦の裏をかかれ撤退を余儀なくされた理由として、七柱の聖女の予言が伝わっています。信じない者も多いのですが、そうでもなければ負けるはずはなかったと言われているのです」

「ほほう。そんな話があるのですか」


 アダムは少しづつ特別な力を発揮し始めているが、アンはまだ普通の優秀な学生にしか見えない。やなり七柱の聖女としては、隠された力があるのかも知れない。クロード・ガストリュー子爵は不思議な力を信じるアリー・ハサン伯爵の話を興味深く聞いた。


「その証言を信じる信じないはお任せする。ただ、このまま下水道の捜索で、ゴブリンの巣が多数発見されて、その原因が闇の苗床であると判明したら、オルセーヌ公がいかに努力しようが、エンドラシル帝国との信頼は取り戻せないでしょう。具体的な証拠がでるようであれば、こちらにも真っ先にお知らせする。今の段階ではグランド宰相にも話は行ってないが、その時は遅いかも知れぬとご了解くだされ」

「分かりました。オルセーヌ公のご配慮は良く分かりました。クラウディオ13世陛下へ急ぎご相談し対応します。それまでは、こちらで拘束して押さえておきます。オルセーヌ公へよろしくお伝えください」


 アリー・ハサン伯爵は2人を送り出すとすぐさま、リンたちを光真教の神殿に送り、闇の司祭を拘束させようとした。しかし拘束で来たのは闇の司祭の配下の者だけだった。リンが尋問に当たったが証拠は処分されていた。リンたちが倉庫に切り込んだとの情報が入った段階で、姿を消していたのだった。


 アリー・ハサン伯爵は顛末をアラン・ゾイターク伯爵に連絡して、今後も協力して捜索に当たる旨を伝えた。そして帝都へ連絡用の鳥を飛ばすと同時に、急使を皇帝へ送ったのだった。

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