第50話 ケイルアンのゴブリン退治(中編)
◇ ◇ ◇
母は目覚めていた。子供である自分が世話をすることで、兄弟を生んでくれる。既にもう50人を超える兄弟を生んでくれた母はもう寿命を迎えようとしていた。これが最後の奉仕になるかも知れなかった。一族の兄である自分は食事を与え、体を清潔に拭ってやり、排泄物の世話もしている。そして種を与え、出産の世話をするのだ。
彼には気がかりがあった、武器を取りに行った兄弟のひとりが帰ってこないのだ。しばらくして戻って来ないようなら、弟の何人かを捜索に出さねばならない。
暗い暗い意識の中を女は生きていた。神に身体を捧げると決めてからずいぶん経つように思える。光真教の闇の司祭から名指しされた時の高揚感を覚えている。光真教の孤児院で育てられた恩を返すのだ。
光真教は闇の神が世界を作り替えるお手伝いをするためにある。司祭になるためには、真実を見極めるために自分の眼を潰し、この世に充満する嘘と欺瞞を見ない様にして、神の真実しか見ないことを誓わなければならない。自分は司祭にはなれないと分かっていたが、大事な役割があると告げられた。
目隠しをされ、最後の苗床の儀式を受けた時の苦痛は耐えがたいものだったが、闇の神が私の苦痛を取ってくださった。それ以降は、何も見えず、何も聞こえず、手足と言う肉体の束縛から解放されて、ふわふわした浮遊感と多幸感に包まれて、子供たちに世話をされる日々を送っている。私は闇の神を助けて戦う戦士を生み出す母となったのだ。優しい子供たちに世話をされて、食事を与えられ、毎日の儀式に備える。快楽と苦痛の儀式。私は母なのだ。
兄としての最後の奉仕を行った。母から56番目の兄弟を取り上げたのだ。母は目が見えない。両手両足を断たれていて、自分では生活することができない。我々の子孫を残すために最後の力を使い果たして横たわっている。彼女はゴブリンの母なのだ。
◇ ◇ ◇
鉄の団結はガクトを先頭に、慎重に索敵しながら進んでいた。村を出て渓流を渡ると直ぐにイノシシ牧場の柵が見えた。気配を探るが、特に不穏な気配は無かった。牧場の母屋へ寄り、ゴブリン退治が終わるまで村へ避難するように話した。
次いで街道側に戻る形で別荘を目指した。
アダムの話の通り、別荘は襲撃を受けていた。厩の死体は、やはり普通の村人では無く、盗賊団の一味のようだった。母屋に入って中を探ると、盗賊団とのやり取りの手紙が見つかった。ここで山岳地帯に入る隊商や旅人を探り、後から襲う獲物を物色していたようだった。
「なかなか、捕まらないはずだな。良く出来ている」
「ガクトさん、ここに仲間内の合図が記してありますよ」
ジャクソンが母屋の机から紙束を持ち出して来て、ガクトに見せた。そこには、盗賊団の息の掛かった宿の表に出す、合図の符丁が記してあった。残念ながら宿の名前は書いて無いので分からないが、これからは泊まる宿に合図の符丁が出ていないか確認する必要があるだろう。
「やっぱり、積み荷は盗賊団に送る武器だったようだな」
スミスが荷馬車の御者台から積み荷の中身を書き出した書類を見つけて来た。片手剣や軽鎧、弓や矢が運ばれていたようだ。
「よし、ここはもうこれまでだな。合流地点へ急ごう」
ガクトの指示で鉄の団結は移動を開始した。
***
「ゴブリンの偵察が3匹来る」
イシュタルのアニエスが戻って来て報告する。待ち合わせ場所で待機していた衛士隊とイシュタルの本体は、ピエールの指示で分かれて茂みに隠れた。取り逃がさないように、奥まで来させてから押さえ、大声を出させないように素早く始末することにした。
何も知らずに近づいて来た中央のゴブリンにアニエスが背後から弓を射た。それを合図に左右の藪からケーナとアンリが飛び出して残りのゴブリンを倒した。ケーナにロングメイスで殴られたゴブリンは頭から血と脳漿をまき散らして倒れた。アンリはロングソードで肩口から切り下した。3匹とも即死だった。
「やったぞ」
「危なげなかったな」
ビクトールとドムトルが顔を見合わせて言った。
殺した3匹のゴブリンは真新しい軽鎧をまとい、片手剣を所持していた。
「やっぱり、これは奪った武器のようですね」
アダムが言うとピエールとケーナが頷いて見せた。
「死体を林に隠せ、このままは不味い」
ピエールの指示で衛士隊が死体を林の中に隠した。
明るくなって来たので、アダムは神の目を飛ばす。 ”Oculi Dei” 視界をリンクして辺りを俯瞰する。洞窟方面へ先行させ、後続の偵察隊がいないか確認した。次いで村営のイノシシ牧場方面の様子を見る。急ぎ足でこちらに向かって来る鉄の団結達が見えた。
「鉄の団結が来ます」
アダムが報告して5分くらいしてガクトたちが待ち合わせ場所にやって来た。
「お待たせ。やっぱり別荘はやられていたよ」
ガクトはイノシシ牧場はまだ無事だったこと。留守番の人間にしばらく村へ避難させたこと。やはり別荘は襲われていたこと。死んだ男たちは盗賊団の手先だったこと。ここで山岳地帯に入る隊商を物色して襲わせていたこと。獲物を示す合図の符丁を見つけたことを話した。
「合図の符丁を見つけたのは、これからの旅を考えると、助かったな。来ると分かれば心づもりもできると言うものだからね」
ピエールの言う通りだとアダムも思う。旅の危険はこれからが本番なのだ。
「敵の偵察隊は来ないようです。急ぎましょう」
アダムが言って部隊は移動を再開した。
渓流沿いの道を15分くらい進むと、洞窟の入口が見える所にやって来た。入口には見張りのゴブリンが4匹立っていた。近づき過ぎて気が付かれないように、見張りを残して、少し引いた所に集まった。
「ケーナ、イシュタルは崖の上に回ってくれ。気づかれない様に注意してくれ」
「分かった。守り手の人、先導を頼む」
ケーナを先頭にイシュタルのメンバーが正面の入口を迂回して崖の頂上を目指して動き出した。
「こっちは、柵の用意をしよう。みんな準備をしてくれ」
ピエールの指示で、衛士隊が持って来た丸太を縄で組んで繫ぎ、簡易の車止めのような柵を幾つも作って準備をした。これを見張りを倒した後に入口の周りに並べて、足止めに使うのだ。
燻り出し用に杉の木の生木の枝を、途中の林で切り取って持って来ていた。これをイシュタルのグループにも渡してあった。
アダムは神の目を飛ばして、イシュタルの状況を確認する。しかし、もう少しかかりそうだった。
「よし、開始となった時の手順を決めておこう。まず、合図で弓隊が4匹を倒す。誰がどいつを狙うか分担を決めて置いてくれ。ガクトとルネは入口の近くまで寄って行って隠れていて、同時に走りだして討ち漏らしを始末してくれ。
その後、全員で入口周りに柵を配置する。
次に、イシュタルへ合図をして、穴から燻すために杉の木の生木の枝を燃やして落とす。同時に入口でも同様に燻す。こちらは衛士隊で入口に杉の木の枝を積み上げるので、アダムたちで燃やしてくれ。
後は全員で、柵の後ろに立ち、出て来たゴブリンを始末する。手槍を持っている者は手槍を使ってくれ。
アダム、イシュタルが崖の上に出たら教えてくれ、それを合図に開始する」
***
ケーナたちは村の守り手の先導で、道から森に入り、迂回する形で山の傾斜を登り始めていた。ゴブリンたちが崖の穴の所に見張りを出していれば障害になると心配していたが、ゴブリンたちはそこまで用心はしていなかった。
草や藪を掻き分けながら登って行くと、洞窟の入口から200mも離れていない山の斜面に別の洞窟の入口となる穴が開いていた。穴には木て出来た足場が作られていて、下から梯子で登って来られるようになっていた。
ケーナの指示でアニエスが合図の火矢を飛ばした。火矢は煙を出しながら大きく放物線を描いて飛んで行った。ケーナが見上げていると、魔素鷹の神の目が上空を大きく飛んでいた。
***
「ケーナさんから、合図の火矢がありました。崖の上の穴にいます」
アダムが報告した。
「ガクト、ルネ、2人が位置についたら、決行の合図をする。弓隊も準備」
ガクトとルネが動き出した。ガクトは道から一旦渓流に降りて、渓流沿いに隠れて進み、また道に上がって洞窟の穴の向こう側に出て合図を待つつもりだ。ルネは林に入って、洞窟の右側に近づいて行く。ピエールは洞窟の入口が見えるところに出て、2人の配置を待った。
ジャクソンとビクトール、衛士隊の2人の弓兵がピエールに続いて、入口の4匹のゴブリンを狙える位置に移動した。
洞窟前の道は幅は5mも無いので、道の左右に分かれて林に入り、そろそろと近づいていった。後のメンバーは合図とともに洞窟へ走り出すつもりだ。
アダムは上空から神の目を通じてみんなの動きを見ていた。洞窟の入口の前は道から多少引っ込んでいるが、それ程広く開いてはいない。ガクトとルネが洞窟の入口近くに左右かあら近づいて行くのが見えた。
ピエールが、ガクトとルネの配置を確認し、振り返って弓班を見た。
「撃て!!」
ピエールの合図に4本の矢が見張りのゴブリンに向かって飛んで行った。同時にガクトとルネが入口に殺到する。矢は4本ともゴブリンに突き刺さったが、倒れたのは2匹で、残りの2匹は矢を受けても立っていた。
矢を受けたゴブリンは、最初は訳が分からず痛みに呆然立っていたが、突如叫び声を上げて洞窟の中に逃げ込もうとした。しかしガクトとルネがそれを許さなかった。入口に駆け付けた2人が追いかけるように切りつけて倒した。
アダムたちも同時に走り出していた。洞窟の入口にたどり着いた時には決着がついた後だったが、全員で入口を取り囲んで、中から応援が出てこないか身構えて待った。しかし洞窟の中には表の騒ぎは伝わら無かったようで、中の動きは無い。
「よし、準備しろ」
数人の見張りを残して、用意した柵を取りに戻った。洞窟の入口の周りにぐるりと並べて準備する。杉の木の生木の枝を入口に積み上げた。
「配置について、イシュタルへ合図の準備」
ビクトールが火矢を用意してピエールの合図を待つ。
洞窟の入口を挟んで、ガクトとルネが出口寄りに立った。正面にピエールが立ち、残りの剣士5人がその間を埋めて立った。その後ろから弓隊が狙う。アダムとドムトルは備えとしてピエールの後方に着いた。
「火矢の合図を送れ。こっちの杉の木にも火を点けてくれ。来るぞ」
ビクトールが火矢を上げた。火矢は煙を引きながら空に上がって行く。
アダムが入口の奥に積み上げられた杉の木の生木の枝に火玉を放った。
「オーン。火の神プレゼよ、熱き火の玉をかの敵に与えたまえ。”Orn.Dabit deus ignis ardentis Plese augue ut hosti.”」
アダムの左手からオレンジ色の光球が放たれ、杉の枝に当たった。パチパチと音を立てて火を放つが、火玉に直接当たった部分は高温で燃えようとするが、周りは生木なので白い煙を出して、洞窟の入口は白い煙で一杯になって行った。でもそこから、しばらく煙が奥に入って行くのに時間が掛かって、直ぐに奥からの反応は無かった。
しばらくして、洞窟の奥で叫び声が起こって、入口に走って来る音が聞こえた。数匹のゴブリンが慌てて飛び出して来た。しかし弓を撃ち込まれて悲鳴を上げてまた逃げ込んで行った。
そこから、またしばらく小康状態が続いた。中の騒ぎは聞こえるが、用心して動けないのだ。
「来るときは一気にくるぞ。気を付けろ。備えるんだ」
ガクトの声が飛んだ。
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