第35話 ザクト領主の狩猟会 荒れ熊の乱入(後編)
休憩場の入口付近では荒れ熊の登場を待って緊張が高まっていた。
「アステリアとネイアスは突進して来たら、風の盾で止めてくれ。逃げるようだったら、アステリアは火壁で退路を押さえてくれ」
アラン・ゾイターク伯爵は荒れ熊の動く範囲を制約して戦う考えのようだ。両手剣を大きく素振りして、上から切り下げる感触を確かめている。アントニオはその横で黙って気持ちを昂らせていた。見ていると、2人の気力が充実して闘気がオーラのように周囲を圧して来る。
「来た、来たぞ」と前方の狩人が声を上げた。
荒れ熊が悠然と現れた。そのままゆっくり歩いて来る。周囲を猟犬が群がっているが、全く荒れ熊は意に介していない。
熊は疾走すれば60kmを超えるスピードで突進する。犬係は危険を顧みず、猟犬の後ろからついて来ていた。休憩場が近くなり最後の攻撃を猟犬に指示した。犬笛を吹いて奮起させる。勇気ある猟犬が背後から迫るが、振り向きざまの横なぎに一蹴される。飛ばされた犬が地面に叩きつけられて悲鳴を上げた。
狩人の矢が一斉に放たれる。放物線を描いて矢が集団となって飛んで行く。顔を守って上げた荒れ熊の腕や、胸、腹に矢は殺到するが、分厚くこわい毛に覆われた毛皮は全く傷つけることが出来なかった。
「凄げぇ、ありゃ怪物だな。剣でも切れるのか?」とドムトルが驚嘆した。
アダムは神の目の意識に危険信号を感じて、意識を向けた。神の目は自分を見詰める視線を感じていた。それも複数の目が。
「何かおかしい、注意しろ、みんな」
神の目を急上昇させて、視野を広くしようとした。アダムは神の目を追って群がって来る黒い集団を視野に見た。5羽のカラスが神の目を追って来ていた。
神の目の意識に強い自信と不遜、そして闘士が沸き上がる。5羽のカラスくらいでどうすると言う意識が起こり、神の目は攻撃に転じた。
「カラスが神の目を襲ってきた」
アダムの言葉に、ドムトルやアンが空を見上げる。神の目に群がるカラスが見えた。
「アダム、あそこよ」
「大丈夫だ、自信満々だってさ」
神の目が力強い爪をカラスの頭に叩きつけた。しばらくは時間が掛かるが、神の目に不安は無かった。アダムは暫く意識から神の目を外した。
「荒れ熊が来るぞ、みんな」とビクトールが警告の声を上げた。
荒れ熊が休憩場の方を見て立ち上がる。
「何だよ、あれは、凄い大きさだ。化け物だ」
「衛士の槍は通じるのか」
周りから焦った声が上がる。無理もないとアダムも思った。狩人の矢は軽鎧であれば貫通するくらいの威力があるのだ。それが全然通じないのだから。接近して槍を突くのには相当な勇気がいるだろう。
だが、今日はプレゼ皇女も臨席しているのだ。衛士の意気はそんな強大な敵にも戦意を失ってはいなかった。
「突撃!」
通路を上がって来た荒れ熊の左右から衛士が隊列を組んで手槍でぶつかって行く。ザシザシと音がするような刺突が衛士たちによって繰り返された。何本かが荒れ熊の毛皮を貫通したのか、荒れ熊が苦痛の声を上げる。だが次の一瞬、横なぎにふるい落とされて、衛士隊は蹴散らされた。無事な衛士が仲間を連れて後ろに下がる。荒れ熊が態勢と整えるように身じろぎをした。
一時の空白時間のような間があった。
「アステリア、風の盾の用意。突進が来る」
アントニオが叫ぶと同時に荒れ熊が突進して来た。アラン・ゾイターク伯爵とアントニオが正対する。
「風の盾 "Ventus clypeus"」
アステリアとネイアスが左手を前に風の盾を出現させる。荒れ熊がサンドバックに飛ぶ込むように風の盾にぶつかって来た。
足の止まった荒れ熊の左側頭にアントニオの斬撃が飛ぶ。荒れ熊は左手の横なぎで叩き落した。すかさずアラン・ゾイターク伯爵の上段からの斬撃がその左手を狙って打ち下ろされた。骨を断つ嫌な音がして、荒れ熊の左手が割れて血が溢れ出した。荒れ熊が絶叫した。攻撃の要の手が割られては、左手が使えない。荒れ熊は大きく立ち上がって、右手を撃ち降ろして来る。アラン・ゾイターク伯爵はすかさず、後ろに飛んだ。
荒れ熊が後ずさり、振り返えろうとする。
「アステリア、火壁で退路を押さえろ」
アラン・ゾイターク伯爵が怒鳴るように命じた。
「オーン。火の神プレゼよ、熱き火の壁を我が前に、燃えよ、燃えよ、熱き瀑布を
Orn.Preze Deus igne comburet igni antrorsum murus conburite incendere calidum cataracta」
アステリアは両手を広げて大きく前に振る。荒れ熊の背後にオレンジ色の薄く輝く壁が出現した。空気が揺らぎ一気に熱が上昇して陽炎が立つ。
火魔法は純粋な熱(物質の持つ一つのエネルギーの形態)へ変換する変換点を創り出す。それに触れると熱に変換され周りは燃焼し出す。その壁が出現した。
荒れ熊は突然出現した火壁に背中を接して絶叫した。剛毛が熱に縮み上がる。毛皮に穴が開き脂肪が沸騰して穴が開いた。荒れ熊は痛みに転げ回る。柵をなぎ倒して暴れ回った。毛が焼ける臭いが辺りに充満する。
アラン・ゾイターク伯爵とアントニオが荒れ熊を挟むように立った。荒れ熊はうずくまり傷の痛みに耐えていた。
「よし、正念場だ。アントニオ行くぞ」
アラン・ゾイターク伯爵が叫んだその時、遠方からオレンジ色の火球が飛翔して来た。見ると休憩場の入口の向こうに立つ賊の姿があった。2人は仮面を着けて顔を隠し、1人は剣を構えて前に立ち、もう1人がその後ろから火玉の魔法を次々に飛ばして来る。近づかずに遠間から荒れ熊討伐の邪魔をして、混乱を広げる狙いのようだった。
「魔法は私が対処するわ。風の盾 "Ventus clypeus"」
アステリアが風の盾を空中に出現させて援護する。次々と飛来する火玉を伯爵とアントニオの頭上で止めるが、周辺に落ちる火玉はカバー出来ない。荒れ熊と戦う二人の周囲にこぼれた火球が落ち、周りを固めている衛士が混乱する。周りは乾燥した木々や落ち葉も多く、あちこちで火災を起こしてそれに拍車をかけた。賊の魔法使いの狙いは図に当たったと言えるだろう。
アンとビクトールが子爵とプレゼ皇女の前に立ち、もしもに備えて魔法の準備をする。
その時アダムに神の目の警告が届いた。視野を同調すると、カラスの群れを潰した神の目が、旋回しながら地上を見る。
地上では、アラン・ゾイターク伯爵とアントニオが荒れ熊を押さえ、前方から火玉を撃って来る賊にはアステリアが対抗している。そこに更に後方から迫る新たな賊の一団が見えた。
「ネイアス、新たな賊が後方から来ます」
アダムが警告の声を上げる。アダムの声に、ガストリュー子爵とプレゼ皇女が振り返った。
アラン・ゾイターク伯爵とアントニオは荒れ熊に対応して動けない。
「ネイアス、そっちは任せた」とアントニオが命じた。
後方の衛士が呼応して動く。
仮面をした賊は3人だった。2人は獣人で毛深い手にロングソードを握りしめ、衛士に切り込んで来た。もう1人がレイピアを構えて、アダムたちの前に出て来た。ネイアスがその前に立った。
「レイだ。こいつはレイだぜ」
ドムトルが叫んだ。
「ドムトル、ビクトールは獣人の相手して、衛士を支援してくれ。アンは前後に注意して、子爵とプレゼ皇女を風の盾で守ってくれ」
アダムの指示でドムトルとビクトールが獣人に向かって行く。
アンは右手で魔石を握り、左手は前に風の盾に備えた。首飾りの風の盾は出来れば使いたくなかったが、周辺の状況は予断を許さない。
アダムは神の目を共有して俯瞰する。アラン・ゾイターク伯爵とアントニオは時間さえあれば荒れ熊を討伐できるだろう。しかし早く終わらせて後方の敵を一蹴しなければ、後方の守りが弱い。何よりも遠方からの魔法攻撃が邪魔だった。アステリアが受け身の防御に回り、戦力に寄与していない。
アダムは投石帯を用意して敵の魔法使いを狙う。
「弓矢を前方の魔法使いに集中して!」
アダムの声に応じて狩人が魔法使いを狙って弓を射った。賊の一人が魔法使いを守って前にでた。
アダムが投石帯を力強く振る。いつも以上に何回も振った後に弾を飛ばした。クロノスから貰った陶器製の弾が放物線を描いて飛んで行く。紡錘形の弾が回転しながら空気を切り裂いて行った。
アダムは1回、2回、3回と飛ばした。
「危ねぇ」
獣人の賊が魔法使いに向かって飛んで来た弾をバックラーで叩き落そうとした。弾が盾に命中して賊の左手ごと粉砕した。賊が手を押さえてうずくまった。そこに衛士たちが駆け寄って行く。
「ちぇっ、ここまでかしら」
女魔法使いは襲撃の結果を確認する役だったのだろう。捕まっては元も子もない。負傷した仲間を引っ張るようにして逃げて行った。
「おいおい、マジかよ」
レイは焦っていた。ネイアスの剣は鋭くて容赦がなかった。冒険者仲間で威張っていても所詮自己流の剣でしかない。正統に騎士団で揉まれて来たネイアスとは技量が違う。奇襲や暗殺では我流の特異性が生かせたのだが、正面からやり合っては分が悪い。早々と撤退を決めた魔法使いが恨めしい。
「これだから根性の無い魔法使いは嫌いなんだ。こっちも撤退だ」
レイは懐から袋を取り出すと、ネイアスに向かってそれをぶちまけた。大量の粉が辺りに飛散した。レイは口と鼻を押さえて後退する。
ネイアスが目を押さえて跪いた。
「ネイアス兄さま!」とビクトールが絶叫した。
「俺に近寄るな、毒だぞ」
レイは叫びながら、後は一目散に逃げだした。
残る2人の賊はレイを追おうとしたが、衛士に足を払われて捕まってしまった。
ビクトールがネイアスに駆け寄る。アダムたちも集まってネイアスを取り囲んだ。
「大丈夫だ。あの野郎、唐辛子の粉末を顔にぶち撒きやがった」
ビクトールに支えられながら、ネイアスは立ち上がったが、まだ両目を押さえて動けなかった。
前方では荒れ熊との戦いが終幕を迎えようとしていた。
背中を焼かれ、左手を使えなくなった荒れ熊の動きが鈍くなっていた。前後に挟まれ、2人の騎士の大剣を身に受け続け、さすがの荒れ熊も足が止まってしまう。
「よし、今度こそ最後だ。アステリア、風の盾で止めてくれ」
だが、もう荒れ熊は突進できなかった。
アラン・ゾイターク伯爵とアントニオが息を合わせて、前後に切り込んだ。アントニオの刺突が左胸を狙う。鈍い音を立てて傷つけるが深くは刺さらない。荒れ熊が上体を起こした時、今度は伯爵が後ろから荒れ熊の左足首を斬撃した。荒れ熊はバランスを崩して横倒しになった。それでも痛めた両手を振りながら抵抗する。しかしもう逃げることは出来なくなった。
アントニオが衛士から槍を借りて狙いすました。一呼吸置いてから繰り出された槍は、見事に荒れ熊の左胸に突き刺さった。ついに荒れ熊は痙攣して力が尽きたのだった。
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