第34話 ザクト領主の狩猟会 荒れ熊の乱入(前編)

 今日の狩猟場は広大な広さを誇り、追跡猟は事前に周到に準備されていた。狩猟はお客さまをもてなすイベントとして貴族の人気のスポーツだった。獲物を攻める猟犬たちを追いながら野山を走り回るが、所々に中継ポイントのような休憩場も用意されており、飲み物や軽食も供されていた。


 アダムたちも休憩ポイントへ入って昼食を摂ることにした。下馬して従者に手綱を渡すと、アダムたちは用意された天幕の中へ入った。

 そこには既に領主とプレゼ皇女のグループが来ていた。


 テーブルには軽食というには贅沢な料理が並べられ、客は思い思いに木皿に取り分けてもらって食べている。アダムたちが入って行くと、一斉にみんなの目が注がれた。


「ウサギのローストがあるぜ」

「ドムトル、卑しくしないでね」


 アダムたちはそそくさと食料とワインを調達すると、隅の方のテーブルに持ち寄って固まって食べることにした。

 アントニオとネイアスがガストリュー子爵たちのテーブルへ近寄って、雑談に興じるのが見えた。


「アントニオ、イノシシを狩ったらしいわね」


 アステリア・ガーメントがアントニオに話しかける。


「見事な刺突だったらしいね」とガストリュー子爵も声を掛けた。

「ありがとうございます、子爵。良いタイミングで狩猟ポイントに着けました」


 アントニオはにこやかに答えた。そして、プレゼ皇女に挨拶をすると、アラン・ゾイターク伯爵へも黙礼をした。


「プレゼ皇女さま、ご無沙汰しております」 

「アントニオ、アンたちはどんな感じかね」


 アラン・ゾイターク伯爵がテーブル越しに聞いて来た。


「あら、アンもアダムも中々なものですわよ」


 アステリアが話に割り込んで来る。


「まだまだ身体が出来ていないが、反応が良い。この間も神殿の森番と一緒に密猟者を捕らえたという話だ」とアントニオが答えた。


 そうそうと、ガストリュー子爵がアントニオの話を補足して、アダムやドムトル、ビクトールの活躍で密猟者が捕まった話をした。

 プレゼ皇女が興味深そうに黙ってその話を聞いていた。


「アダム、俺たちの活躍を話しているぜ。恰好良かったよな、俺」

「ドムトル、お前は犬を持っていただけだろう。クロスボウを撃った俺や、投石帯で活躍したのはアダムだろ」

「ビクトール、お前は俺の演技がなければ、最初の賊が捕まらなかったことが悔しいんだろう」

「ば、馬鹿な事を言うな」とビクトールが食物を詰まらせた。

「アダム、これからどうするの」とアンが聞いた。

「食事がすんだら、アカシカの追跡猟も終盤に入るんじゃないか」


 今は追い子がアカシカを追い回して疲れさせている所だ。これから最後の狩猟ポイントに向かって一気に追い込むことになる。最後はイノシシを狩ったように、狩り手が手を下すことになると思うが、その名誉を担うのが誰になるのか、アダムも分からなかった。


「騎士団長がどのくらい強いのか見てみたいものだぜ」


 ドムトルが目を輝かせて言った。

 その時突然、天幕の外でホルンの音が猛々しく鳴り響いた。何か異変が起こったのか、あちこちでホルンが呼び交わすように鳴っている。


「どうした、報告しろ」


 ガストリュー子爵が大声で怒鳴った。

 外から天幕へ走り込んで来た狩人が狩猟長へ報告をする。狩猟長が立ち上がってガストリュー子爵の側へやって来た。


「アカシカを追っているところに荒れ熊が乱入したようです。今、状況を調べさせているので、ここを動かないでください。むやみに出ると危険です」


 休憩場の周りには柵も設置され、衛士も守っている。乱入した荒れ熊がむやみに突進してくると、狩猟場に出ていると危険だ。


「天幕の外へ出て様子を見る」


 ガストリュー子爵が席を立ち、プレゼ皇女がそれに続いた。アラン・ゾイターク伯爵、アントニオ、ネイアス、アステリアもその後を追う。遠巻きに周りを衛士が固めた。

 アダムたちも慌てて外へ出た。


「みんな、固まっていよう」


 アダムはアントニオやネイアスの指示に直ぐに動けるように、近くに集まっているように仲間に言った。

 休憩場は情報を集める狩人や衛士で緊迫していた。


 アダムは神の目とリンクした。 ”Oculi Dei”と呪文を唱える。神の目は狩猟場の上空を滑空していた。全体を俯瞰して猟犬の群れを探る。


 森の混乱は直ぐに見えた。群がる猟犬をものともせず、悠然と歩いて来る荒れ熊が見えた。その向こうには、何匹もの猟犬が蹴散らされて、倒れ込んでいる姿があった。最初の接触で勇んで立ち向かた猟犬が居たのだろう。それにしてもその大きさが異常だった。アダムは目の錯覚かと思って神の目に上空を旋回させて確認した。しかしその場所はアダムたちが今いる休憩場に意外に近い。時間に猶予は無かった。


 アダムはビクトールを呼び、ガストリュー子爵に話に行かせる。神の目の話はビクトールを通じて子爵には話がしてあった。

 ガストリュー子爵は、急遽テーブルを出して、地図を広げさせた。


「アダム、直接説明してくれ。狩猟長、アダムの能力は極秘だから口外しないように」


 ガストリュー子爵がアダムを呼び、側近以外を遠ざけて話を進める。プレゼ皇女とアラン・ゾイターク伯爵、アントニオ、ネイアス、アステリアはその周囲に集まって来た。当然アンとドムトル、ビクトールも近くに寄って話に参加した。


「荒れ熊はこのポイントにいます。ここから入って来て猟犬と争ったようです。死傷した猟犬が散乱しています。今こちらに向かっていますが、大きさが異常です。5mはあると思います。狙っている獲物がいるのか、ここの食物が目的なのか分かりませんが、こっちに真直ぐに向かっています」


 アダムが地図で荒れ熊が近づいて来ている事を説明した。


「お前は何でそんなことが分かるのだ?」


 プレゼ皇女が初めて口をきいた。意外と落ちついた声だった。女性特有の少し高い声だが、緊張や恐怖よりも面白いと興じているのが分かった。


「アダムは光魔法で鷹と視界をリンクできるのです」とビクトールが答えた。

「今はその話の真偽を確認している場合ではなさそうだ。この休憩場で迎え撃つ方がよいのか、逃げた方が良いのか、判断は?」


 アラン・ゾイターク伯爵が狩猟長へ向かって考えを聞いた。


「5mの大きさが本当ならば脅威は計りしれません。熊は山野を時速60kmで走ることが出来ます。この荒れ熊ならそれ以上でしょう。荒れ熊の狙いが分からないままむやみに動いては、偶然にも手薄なところに突入される危険があります。狩人も衛士も十分にいるので、休憩場の手前で当たって見て、危ないようであれば、足止めをしている間に逃れて頂くのが良いと思います」

「よし、そうしよう。戦列を整えてくれ」


 狩猟長の話にガストリュー子爵が即答する。


「アントニオ、ネイアス、支援してくれ、頼む。衛士だけでは心許ない」

「承知しました」

「私も魔法で支援しますわ」とアステリアが言った。

「ありがとう、お願いする」


 ガストリュー子爵は返答しながら、プレゼ皇女とアラン・ゾイターク伯爵を見て言った。


「プレゼ皇女、この荒れ熊は危険です。伯爵とタイミングを計ってお逃げください。伯爵、皇女をお願いします」

「馬鹿を言うな、ガストリュー子爵。こんな面白いものを見逃せるか。アラン、お前も荒れ熊狩りを手伝ってやれ」


 プレゼ皇女は目を輝かせて笑って言うと、アダムに向かって命じた。


「アダムとその仲間に命じる。わらわを守るのはお前たちだ」


 プレゼ皇女はもっと早くからアダムたちに関わりたかったのだろう、これは返っていい機会だと考えているのがアダムにも分かった。

 アダムがガストリュー子爵とアントニオの方を見た。


「アダム、頼む。ビクトールと力を合わして働くように。アンとドムトルも頼むぞ」


 ガストリュー子爵が言った。アントニオもアダムに頷いて見せた。


「面白い。アントニオ、剣を並べて戦うのは久しぶりだな」


 アラン・ゾイターク伯爵が笑って言った。


「この姫様が戦い乙女と言われているのが分かったぜ」


 ドムトルがビクトールに囁いた。

 アンは首から下げた黄色い魔石を握り締める。ガンドルフの負傷した姿を想い出して慄然とした。ただでさえ危険な荒れ熊が5mもある化け物だと言うのだ、緊張せずにはいられなかった。


「よし、準備に入れ」


 ガストリュー子爵が大声で命じた。

 休憩場の入口に立つと、進んで来る荒れ熊を見下ろすように坂道になっている。両脇の柵に衛士が手槍を構えて備えて立った。少し後方から狩人が弓を構えて並ぶ。


 入口の開けたところで、アラン・ゾイターク伯爵とアントニオが並んで立った。二人の獲物は大型の両手剣だ。もしもに備えて従者に持たせていたようだった。

 その後ろにネイアスとアステリアが備えて立つ。


 ガストリュー子爵とプレゼ皇女が少し離れて立っていた。その斜め後方にアダムたちが立ち、更にそれを遠巻きにして衛士が固めている。

 アダムは神の目の視野を共有していた。


「もう直ぐ、荒れ熊の姿が見えます」


 アダムが声を上げた。途端に猟犬の鳴き声が近くなって、悲鳴のように聞こえて来た。現場が騒然とする。荒れ熊が現れたのだった。

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