第25話 補講の日々④

「今日は風の盾を覚えます」


 アステリアの机の上には大きな水を張ったタライとゴム手袋のようなものが置かれていた。


「やっと、俺の出番だぜ。将来の騎士団の英雄ドムトルだ」


 アステリアが笑いながらゴム手袋のような物を手に取って、息を吹き込んで膨らました。むくむくとゴム風船のような袋が出来た。膜が薄く広がって斑な模様が見えた。


「これはみんなが食べる腸詰に使う羊の腸で作った袋です。今私が息を吹き込んだので膨らんでいます。これをタライの水の中に漬けてみます。これを見て分かることを言って見て、ビクトール」

「何かふにゃふにゃしています。水に漬けると浮くようです」


「風魔法は以前話した通り、気体の特性に関わる魔法体系です。気体は普通は目に見えませんが、これに入れてみると一定の容積があることが分かります。一定の重さがあるのも分かります。それは水に漬けると浮くからです。人間もそうですが、水に入ると体は浮きます。それは身体の方が水より軽いからです。だから同じように、気体は大変軽い事が分かります。他に分かることは、アン」

「はい、固体は形が変わりませんが、水は容器によって形を変えます。気体はもっと自由で、袋のようなものが無いと拡散して捕まえておけません」

「そうね、羊の腸のような袋や瓶をひっくり返して水に浮べるように、容器に入れないと気体は拡散して捕まえて置けません。霧のように、水分を多く含んだ空気は重たくて、分離することは可能ですが、捕まえることは中々困難です。では、どうすれば盾になりますか、ドムトル」

「アステリア先生、俺だけ質問を変えるのはずるいぞ。ビクトールじゃなくて俺から最初に答えさせてくれよ。えーと、きっと、羊の腸のような盾を前に置くと、剣をぼよよーんと弾く盾になると思います」


 アステリアはドムトルに笑って見せた。


「いえいえ、ドムトルは外さないわ。期待通りの答えでしたよ。アダムはどう思いますか」

「羊の腸のような柔らかいものでも捉えられるということは、希薄であっても存在するのであれば、その事由に動き回る気体の特性に働きかけて固定するのでしょうか」

「アダムの答えがほぼ正解です。魔素で型を作って固めるという感覚です。注意点はまず、固定する領域を認識することが必要です。希薄で拡散する気体側から固定して広げて行くのは困難なので、まず領域をしっかりと認識してから働き掛けることで理力が働きます」


 アステリアは左手を前に出して、「風の盾」”Ventus clypeus” と唱えた。手の平を中心に直径1mくらいの黄色い空気の層(円盤)が出現した。触って見ろと言うので、アダムたちは寄って行って触ってみた。


 厚さが5cm位の層は薄く黄色く光を帯びているように見えた。硬いという感覚ではなく、そこから先に指が進まない領域があるという感触だった。


「これは剣も通さないのですか」とアンが聞いた。

「この領域をどの位の大きさと厚みで固定できるかは術者の能力次第ね。攻撃する側の攻撃力との相対関係もあるわね。それでも全ての攻撃を絶対的に止めれる訳ではない事は忘れてはだめよ」


 アステリアは注意を要するのは、盾(円盤)を持っている訳ではないことだと言った。その場に張り付ける感覚で、術者の動きに合わせて動く訳ではない。領域を動かすには、変数を設定して変えて行かなければならないが、より高度の魔法能力が必要になると言った。

「本物の盾のように振り回せれば便利なのにな」とドムトルが言う。

「風の盾の魔道具があるわよ。それなら魔道具から固定された領域に風の盾が出現するので、術者が領域指定する必要がない分便利だわね。でも普通の盾のように盾攻撃は出来ないけどね」

「うー、使えねぇ。何かもっと便利な魔法ないのかなぁ」

「ドムトル、あるわけないだろ」とアダムも呆れた声を上げた。


 アステリアは全員に小型盾を持たせて、まずその盾の領域を認識するように指示した。


「どんな形でも良いから、自分が認識できる領域をまず作ること。円形でも良いし、正方形でも、どんな形でも良いのよ。空間認識については、魔道具の玉を飛ばす訓練で練習して来たわ。後は自分の起点になる所を探って認識できれば、広げられるはず。最初は小さい領域でも認識できると分かったら、その領域を固定する型として大気(気体)を固定する。呪文は「風の盾」”Ventus clypeus” よ。やってみて」


 アダムは左手に盾を持ち、盾の領域を認識できないかやって見る。魔素を探ってみる。自分の魔力で干渉してみる。同じくらいの円盤を認識して、手の先に張り付いているように感じてみる。盾を置いて、盾があった所に円盤を思念する。呪文を唱える、”Ventus clypeus” 。何も顕現しなかった。確信が足りない気がした。


 アンは隣の机に座ってアダムを見ていた。アンは月巫女から渡された魔道具で風の盾を出したことがある。あの時は魔石がアンの身体を包むような風の盾を出してくれた。あの後、自分の宿舎に帰って何度も練習してみた。自分だけではなくて、自分の座っている椅子や机を範囲に入れて魔法を発動させてみたりした。あの感触は覚えている。領域の認識を変えれば風の盾を出せる気がした。”Ventus clypeus” 。アンの左手の先に風の盾の円盤が顕現した。アンは出せると分かっていた。


「ちくしょー、アンは特別だぜ」


 ドムトルが叫び声をあげるの聞いて、アダムもそう思った。アンの現象認識への親和力は特別だ。


 この世界では全てに魔素が充満しており、その魔素の流れや塊りを魔力として認識できる、それを判然と理解できれば、そこに顕現するのだ。アダムは自分の手の先に円盤を思念する。大きい小さいはこの際関係ない、そこにあることを理解する。自分の理解した領域を固定する。”Ventus clypeus” アダムの左手の先に薄く黄色く輝く円盤があった。


「アンの次はアダムね。出来たら、何回も繰り返して、あまり思考を割かないでも出せるように練習して。強度を強くする工夫はその後ね」


 アステリアはビクトールとドムトルの前で何回も風の盾を出し、角度を変えて見せたり、触らせたり、叩かせてみたりさせて、感覚的に理解させようとした。呪文と顕現すべき現象の認識が一致すれば、その現象の原理が分からなくても顕現するはずなのだ。


「今日の魔法の補講はこれで終わります。次回も風の盾を訓練します」


 アステリアはそれぞれ課題も持って取り組むようにと言って帰って行った。


 アントニオが馬に乗って先頭を走っていた。続いてアン、アダム、ビクトール、ドムトル、テレジアと続く。ネイアスがその横を並走して、5人の走りに声を掛けていた。殿しんがりにソフィーも乗馬姿で参加していた。ここは領主の馬場だった。


 来月に領主主催の狩猟会が開催されることになってから、アダムたちの乗馬訓練が始まった。元々セト村でも馬は日常に使っているので、遊びで乗せてもらったことがあった。ビクトールとテレジアは貴族の教養として小さい頃から少しづつ経験していたので、アダムたちより上手だった。


「ドムトル、姿勢を伸ばして、力むと馬が疲れやすくなるぞ」


 ネイアスがドムトルに注意した。乗馬は力を抜いてバランスを保つのが難しい。馬は敏感に乗り手の感触を感じとる。無駄な動きや力みが馬の負担を増やすのだ。


 常歩なみあし、速歩はやあし、駈歩かけあしと馬は四つ足動物なので、足の動きが違って来る。体勢を保ちつつ馬の動きに合わせて乘り手も重心を調整し、手綱や鐙の動きで馬に指示するには慣れが必要だ。


 アントニオはいつも余裕があって楽しそうだ。乗馬を楽しんでいて馬もそれが分かっていてリラックスしている。馬を自分の身体の一部のように自由気ままに操っていた。


「それじゃ、次は駆歩で馬場を一周するぞ」


 アントニオが右手を上げて、みんなに声を掛けた。一斉に駆歩に入る。


「ドムトル、前傾姿勢になってるぞ。それじゃ身体が上下にはねるぞ。手綱も引っ張り過ぎるな」


 ネイアスに注意されるが、ドムトルは余裕がないので、バランスを取るので精一杯だった。勢い馬を挟む足が強く締められ、手綱が上がって馬の口を痛めそうだ。


 アダムは地球時代に乗馬の経験があった。ドムトルも運動神経は悪くないが、経験のある無しは大きい。アダムは助かったなと思う。それにしても、ビクトールとテレジアはさすがだ。全然不安がない。ソフィーも所作が自然で違和感がない。商人ながら裕福な家で、教育熱心だったに違いない。


 アントニオの合図で馬を止めて降りた。すかさず従者が馬の手綱を取ってくれる。


「アン、良い感じよ。もう狩猟会も大丈夫じゃないかしら」


 ソフィーがアンに声を掛けた。


「馬に乗るのは楽しいです。瞳も大きくて可愛いくて」


 アンは馬が自分を優しく乗せてくれるので安心だと言った。


「アン姉さま、今度馬に乗ってピクニックに行きましょうよ」


 テレジアも屈託なく笑った。


「アンの馬が良いんじゃねぇ。俺の馬は跳ねてばかりだぜ」

「馬鹿、お前が馬を虐めてるんだぞ、あんな無理して乗っているから馬が跳ねるんだろ」


 ネイアスに突っ込まれてドムトルは首を竦めた。


「そうだな、女性陣の方がリラックスしていて楽しそうだもんな」


 アントニオもそう感じているのだろう。


「ドムトルと一緒にして欲しく無いよな、アダム」

「こら、ビクトール、俺だけへたっぴぃにするな」


 確かに自分たちの方がおっかなびっくりに乗っているとアダムも思った。まだまだ慣れが必要だ。


 ザクト領主主催の狩猟会は赤鹿の追跡猟だと聞いた。アダムたちが以前魔素ウサギ狩りに行った狩猟場ではなくて、シカやイノシシを追う大型狩り用の狩猟場で実施される。


 追跡猟は獲物を決めて何十頭もの猟犬たちに追わせて、それを馬で回りながら見物する。疲れた獲物を猟犬に殺させたり、最後を領主たち貴族が剣や弓矢で仕留めるのだと言う。


「今日の乗馬訓練はこれで終了かな。アンたちは馬車で帰るように。俺とネイアスはこのまま馬で帰る」


 アントニオはもう一度ひらりと馬に跨またがり、アダムたちに手を振って合図をすると、颯爽と去って行った。


 アダムたちは立ち止ったまま見送った後、ソフィーの馬車に乗せて貰って、神殿へと帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る