第24話 神殿図書館とヤーノ教授

 アダムたちは魔法学の補講が自習となったので神殿図書館に来ていた。ビクトールも今日は逆に神殿に来て、一緒に勉強することになった。


 神殿の図書館は市民であれば自由に入ることが出来た。ザクト神殿の神学校の隣りに併設されていて、3階にはヤーノ教授の研究室もあった。


 4人はまず1階の司書の所で入館登録をした。前もってユミルから話を通して貰っていたので、直ぐに手続きが出来た。今後閲覧室に入るにはここで入館記録を付ける必要がある。


「これが登録票か。ぺらぺらで失くしそうだ」

「ドムトル、本当に失くさないでね」


 アンがすかさず注意する。


「ドムトルってすぐ物を無くす方なの?」

「こら、ビクトール、お前貴族だからって威張らない良い奴だと思ったけど、調子に乗るなよな」

「ドムトルの話はどうでもいいけど、それより、俺はビクトールに聞こうと思っていた事があるんだけど、いいかい」

「何だい、アダム」

「ちょっと、聞きにくいのだけど、ビクトールってネイアスに遠慮があるのかい?」


 ビクトールはグッと詰まった感じで口ごもった。


「そんなこと無いよ。何を言うんだ、アダム」

「なんか、補講の時も、ネイアスってビクトールに厳しいよな。まあ、俺たちにも暖かいって訳じゃないけど、でもビクトールには厳しいというより、憎々し気に感じるぞ」

「あの、わたしの音楽の補講でも、フランソワもテレジアもすごく親身で優しいのよ。同じ母子でもネイアスだけちょっと違うのかもとは思ったかな。長男のパリスってどんな感じなの」

「パリス兄さんは良く話を聞いてくれるよ。ネイアス兄さんはぼくに期待してくれていて、厳しく育ててくれているんだ」

「おまえ、誤魔化してるな。ちゃんと言えよ。俺たち仲間だろ!」

「ドムトルの言う通りだ。仲間が苛められていたら、俺ら全員の問題だ。ユミル先生も言っていたけど、これから俺たちはずっと一緒にやって行くことになるんだぞ」


 ビクトールは少し黙ってみんなを見た。言ってしまおうか迷っているのだろう。


「ネイアス兄さんはいつも自身満々で、ぼくにも優しかったんだ。でも今年の洗礼式で、ぼくは3つの神のご加護を受けたんだ。ネイアス兄さんはいつも自分の方が上だと思っていたのに、出来の悪い弟の方がご加護の数が多いのが我慢できないのだと思う。でも本当は優しい人なんだよ」

「なんだよ。俺と同じ2つじゃネイアスは不満なのかよ」とドムトルが怒りの声を上げる。

「お母さまもご加護は1つだったから、その子供のぼくに負けるとは思っていなかったんだと思う」


 この世界は魔力の強さが一番重要なのだ。特に貴族の矜持が許せないのかもしれなかった。アダムはアントニオがユミルの事を言う時も「5つもご加護をもらった平民」と話していたことを想い出した。


「とにかく、これはぼくとネイアス兄さまの間の問題だ。君たちは黙って見ていてくれよ」


 ビクトールはこれは家族の問題だから、いずれ自分が何とかすると言った。


「俺たちはみんな、ビクトールを仲間だと思っている。何かできる事があったら言ってくれ」

「そうだぞ、アダムの言う通りだ。俺はご加護が2つでも十分負けない。いずれ騎士団の英雄になる男だからな」

「ドムトルの話をしているんじゃないでしょう。もうあなたったら」


 ビクトールはアダムたちに素直に礼を言った。アダムは素直なビクトールの態度に好感を持った。でも、そこが物足りないところだとも思う。アダムは何とか応援してやりたいと思った。


 図書館の閲覧室は1階と2階に分かれていて、それぞれに閲覧用の机が本棚の間にあった。中には鎖に繋がれた高級な書籍もあった。そういう本は扉も装飾がされて、一点ものの美術品のようだった。


 神学校の生徒らしい者や一般の市民もちらほらいたが、あまり利用されている施設には見えなかった。


 アダムたちは思い思いに自分の興味がある本が無いか探して見た。アダムは魔物の本を探して、魔素鷹の記述を探したが、載っている本は無かった。


「この辺りが、魔法学の基礎講座の本が並んでいるわ」


 アンに呼ばれて魔法学の本棚を見る。アンが「木魔法の基礎」を借りることにした。ドムトルが「火魔法の基礎」を、ビクトールが「水魔法の基礎」を借りた。アダムは「風魔法の基礎」を借りることにした。


 アステリアの講義では、各属性魔法の体系から基本的な事象を選んで学習している。ドムトルとビクトールを見ていると、各自のご加護によって得手不得手があるので、やはりご加護と属性魔法には親和性があるらしい。アステリアは火と水と風の属性持ちで、この三属性については上級魔法まで使えるらしい。


 アダムは地球で大学まで卒業し、社会人経験もある。事象を理解する上でその知識は絶大だ。アステリアの課題の意味も理解出来ており、着実にこなして来た。それに比べてアンは、事象の理解とは別次元の親和性を見せる。アンなら書籍だけでも魔法を習得できるのではないかと、アダムは考えていた。


「なあ、攻撃魔法の本とか、防御魔法の本とか、簡単に書いた本は無いのかな。火魔法にしても色々な現象の勉強をしないと先に進めないのは面倒だし、俺はそこが良く分からないんだ」

「要点だけを書いた本もあるんじゃないか? ドムトル、ここは神殿の図書館だから、実利中心の蔵書だからね。でも、要点だけだったら、理解できないから、結局読んでも魔法が発動しないんじゃないかな」

「ばばばーんと、攻撃魔法をガンガン撃って見せてくれれば、できるようにならないのかな」

「無理に決まってるでしょう、ドムトル、あなたアステリア先生の話聞いているの」

「でも、これだったら、剣術を一生懸命やった方が早く強くなりそうだよ」


 ビクトールもドムトルと同じように感じているようだ。


「宮廷魔術師になるにしても、学園を卒業してから、入団して初めて攻撃魔法や防御魔法を習うらしいぞ。俺たちは基本知識が全く足りないのさ」


 アダムはみんなに慌てても出来ない物は出来ないと言った。魔法も剣術も経験を積み重ねる他ない。


「それにしても基礎体力は必要だぞ。ビクトールは自主練をしているか?」

「アダムも俺も、毎朝自主練しているんだ」とドムトルが言った。

「そうか、それでアダムたちは体力があるんだな」


 ビクトールも負けていられない、執事に相談するかと言った。


 アダムたちは本の貸出し手続きを済ませた後で、ヤーノ教授の研究室を訪れることにした。


「ここまで来たら、ヤーノ教授に挨拶しておきましょうよ」

「ああ、ヤーノ教授の研究室は3階らしいよ。アン、いってみよう」


 ヤーノ教授の研究室は意匠の凝った扉にプレートが付いていた。アダムが代表して扉を叩くと、奥からどうぞと返事があった。


「セト村から補講に来たアダムです。今日は仲間と一緒にお話を伺いに参りました」


 扉を開けてアダムが声を掛けると、ヤーノ教授は自分の机の上から顔を上げて、やあと言った。


「ユミルから聞いているよ。中の応接に座ってくれ」

「ビクトール・ガストリューです。今日はアダムたちと一緒にお伺いしました」とビクトールが挨拶する。

「ああ、子爵家の三男かね。聞いているよ、今回は一緒に勉強しているんだってね。ヤーノです、よろしく」


 ヤーノ教授は机の席から離れて、応接のソファーに来て座った。


 アダムたちは部屋の中を色々物色するように見回した。本棚や飾り棚に囲まれた部屋は雑多な物で溢れかえっていた。特に遺跡から発掘されたと思しき出土品が集められた一隅が気になった。

 ヤーノ教授はみんなの視線を追って、気が付いたように言った。


「ここに置いてあるのが、前回トランスヴァール遺跡の発掘調査で出土したものだ。国教神殿にいた頃のユミルも参加してくれた時のものだよ」

「ユミル先生からご一緒されたことがあると聞いています」とアンが答えた。


 ヤーノ教授は神学考古学の権威で、神の眷族を祀ったトランスヴァール遺跡の発掘調査で有名だった。トランスヴァールはオーロレアン王国中西部の遺跡で、トランスヴァールの地名の由来はヴァール川を越えた場所という意味だった。盲目の聖騎士オーディンを祀った神殿とされている。盲目の聖騎士オーディンは神の眷族とされていて、彼を助けた「神の目」という鷹を従えていた。彼が建国した太古の王国オーディンの子孫がオーロレアン王国の建国王とされている。


「ユミルから聞いたかも知れないが、オーディンは不遇の時代にトランスヴァール公国に身を寄せていたとされていてね、オーディン建国後にその記念に神殿が建立されたとされているんだ。私はそこで発掘された叙事詩「オーディンと麗し姫」を現代語訳しているところなんだよ」

「それは建国秘話か何かですか」とアンが聞いた。

「聖騎士オーディンが若い頃の恋物語だよ」


 ヤーノ教授によると、オーディンは神の眷族が建国した古王国の王弟の次男だった。ところが長兄が戦死したことから悲劇が始まる。彼には妾腹の兄がいたが、その兄は相続権を持っていなかった。長男の戦死で悲嘆に暮れた正室が病死して妾が正室になった後、継母に嫌われて毒を盛られる。オーディンは従者の機転で川に流されて一命をとりとめるが、毒のせいで失明してしまう。

 トランスヴァール公国の岸に漂着したところを散歩に出ていた公爵令嬢に救われる。彼女の懸命な看病で一命を取り留めたオーディンは、盲目ながら魔素を読み常人と変わらぬ剣技を見せて、姫の騎士になった。やがて姫は王の目に止まり、王宮に召される事になった。姫を王宮まで護衛したのがオーディンだった。

 オーディンに気が付いた継母の計略で眠り薬を飲まされた二人は同衾を疑われる。姫は幽閉され、オーディンは投獄される。

 時あたかも外国からの攻撃で王都が陥落しようとした時、オーディンは混乱に乗じて脱獄して国王を救う。罪を許されたオーディンが褒美として姫の自由を願う。救われた姫がオーディンにキスをすると、盲目だったオーディンの目が見えるようになる奇跡が起こる。

 叙事詩はここで終わるが、その後オーディンは救国の聖騎士として認められ、陰謀を巡らした継母一派を一掃して王の甥として認められる。その後で新王国オーディンを建国することになる。


「ヤーノ教授、神の目という鷹は、どのような鷹だったのですか」とアダムが聞いた。

「盲目の聖騎士オーディンの目の代わりをしたと言われている。オーディンは魔素を見て戦ったと言われているが、頭上から神の目が戦場を俯瞰して戦いを導いたと言われているんだ」

「それは、ハヤブサだったのですか?」

「神の目オークリィデイ神文で”Oculi Dei”と言われたらしい。白い鷹だったと言われているが、良く分からないな。みんなにこれを上げよう。これはトランスヴァールの土産品の鷹笛だよ。神の目伝説があるから大人気なんだ。発掘調査のお土産に買っておいたんだ」


 ヤーノ教授は全員に滑空する鷹の姿を模した木彫りの鷹笛を配ってくれた。笛の後ろに”Oculi Dei”と彫られていた。


 ドムトルが早速笛を口にして吹いてみる。かすれたブレスのような音がした。


「ありゃ、鳴らないよ先生」


 ヤーノ教授は笑って答えてくれた。


「これは人間の音域では聞こえない音なんだ。同じような犬笛があるのを知らないかい」

「動物は聞こえるのですか? 鳥も?」

「アダム、我が家には犬がいるが、犬は聞こえるらしいよ。私は鳥で試したことがないから分からないな」


 ここでアンとビクトールも笛を吹いてみる。横にいれば分かるが、少し離れていると吹いている事は分からないだろう。


 アダムはジョゼフの所で幼鳥を持ち上げた時、瞳が合ってお互いを見合い、鷹の目を通じて自分の顔を見たような不思議な感覚があった。アダムはもしかしてと思って、鷹笛を握ると魔力を流しながら”Oculi Dei”と念じた。


 ギュンと意識が飛んで行く感じがあって、目の前に止まり木に止まったフクロウが見えた。顔を振るとジョゼフの鳥小屋だと分かった。「ギューイ、ギューイ」と鳴き声が聞こえた気がした。アダムは幼鳥を持ち上げながら魔力を流した時に自分と鷹が同調したのだと理解した。笛の音と呪文が発動条件なのか? アダムは今、鷹の視線で見ている。


「アダム? 聞こえてる?」


 横に座っているアンに小突かれて、アダムの意識が戻った。ヤーノ教授やみんなが自分を見ていた。


「えっ、ごめんごめん、ちょっと考え事をしていたよ」

「笛を吹きながら急に黙り込むから、びっくりしちゃった」


 アダムはアンの話を適当に聞き流しながら、今の現象について必死で考えていた。これはまだみんなに言わない方が良さそうだ。もう少し理解できるようになってから話そうと決めた。


「叙事詩の現代語訳はいつ頃発表されるのですか」とアンが聞いた。

「ああ、今王都の研究仲間が遺跡の壁画の研究をしているんだが、それが纏まったら一緒に発表することになっている。ユミルの学生時代の恩師で、ワルテル教授と言うんだ」

「俺ら知っているよ、ヤーノ教授。俺らの洗礼式に来ていたもの」


 ドムトルの話にヤーノ教授は知っているよと答えた。あの時もワルテル教授と会って研究の打合せをしていたと言った。

 アダムは都合よくワルテル教授に繋がった話に、何か偶然ではないものを感じた。


「王立学園に行ったら、その壁画の話も聞いてみます」とアダムが言った。

「そうだね。面白いと思うよ。私も共同研究の発表で来春には王立学園に行くことになるから、向こうでも会えると思うよ。王都に行ったら国教神殿の地下霊廟へ案内してあげるよ。あそこにはオーディン関連の御物が幾つか残っているんだ」

「是非お願いしますわ。私も国教神殿の巫女長様にお会いしたいんです」

「分かった。今日はみんな来てくれて楽しかったよ。またおいでなさい」


 アダムたちはヤーノ教授にお礼を言って研究室を後にした。

 アダムは早く休みが来て神殿の森に行きたいと思った。鷹の幼鳥の名前も決めた。

 アダムは早く「神の目」に会いたいと思った。

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