第22話 補講の日々③

 アンの音楽の補講は、まず楽器を演奏する上で知っておきたい音楽の知識を座学として学習し、後半に楽器の演奏を習うという形式で進んでいた。


 今日は音楽の歴史として、祭りや踊りで民衆の歓びを表現した音楽について事例を使って講義を受けた。それがさらに洗練されて、現在の神殿奉納舞や宮廷舞踏会等へと進化して来た。どちらかと言うと竪琴は原初的な楽器で、唄や賛歌、奉納舞や宮廷での叙事詩朗読の伴奏楽器として発達して来た。それとは違ってリュートという楽器があって、こちらは舞踊のリズミカルな音楽に適していて、祭りや舞踊、宮廷舞踏会等で主役の楽器と発達して来たと言う。


「機会があればリュートを得意な友人を呼んで、みんなにも違いを聴いてもらうつもりです」とソフィーが言った。

「ああ、王都に行ったら宮廷舞踏会に是非行ってみたいです、ソフィー」


 テレジアが顔を上気させて言った。


「テレジアはおませさんね。王立学園を卒業する時は、エスコート役を選ぶのが大変でしょうね」

「だってソフィー、社交界へのデビューですもの。みんなから羨ましがられる殿方を見付けなくては」

「王立学園では舞踏会もあるのですか」とアンが不安そうに聞いた。

「アンお姉さまなら大丈夫ですわよ。引く手あまたでしょうね。お母さまもおっしゃってよ」


 テレジアは不安よりも期待でいっぱいらしい。


 ガストリュー子爵が第一夫人になったフランソワを見初めたのもその時だったらしい。残念ながらフランソワの親は娘が知らない異性にエスコートされるのは許せないと言うので、兄にエスコートさせたと言う。


「仮面舞踏会も関心がありますの」とテレジアは言う。身分を越えた恋にも憧れているらしい。

「はいはい、それじゃ、竪琴の練習しましょう。楽器を用意して」


 テレジアの話がどんどん脱線しそうなので、ソフィーが補講に戻した。

 アンとテレジアは練習用の竪琴を用意する。


 それはリュラーという竪琴で、中が中空になった共鳴箱から二本の腕が立ち上がって、その上を横木で連結されていた。丸く膨らんで伸びた腕も中空構造になっている。共鳴箱の根元に取り付けた横木がフリッジしていて、上の横木から張られた弦の振動を共鳴箱に伝える仕組みになっていた。弦は10本あって、左ひざの上に立てて抱えるように持ち、右手の指で高音部を、左手で低音部を弾く。


「調音して、みんな」


 ソフィーから教わったように調弦するのだが、これが中々時間がかかる。毎回練習するのに、アンには調弦する時間の方が弾いている時間より長いように思える。基本の音をソフィーの音に合わせて調整した。


 その後「豊穣の女神メーテルに捧げる祝い唄」を三人で合奏したり、それぞれバートを分けて演奏したりと練習をした。


「アンもテレジアも上手に演奏できるようになって来ましたね。最後はカミラたちに歌ってもらいましょう」


 ソフイーがアンたちを褒めてくれる。カミラはソフィーの侍女でいつも楽器演奏の際には介添えしてくれる。ソフィーの二人の侍女が歌って参加すると、プレイルームは一気に豊かで華やかな雰囲気に包まれた。


「テレジアお嬢様、お申しつけ通りのご用意ができました」


 執事のベンがテレジアに声を掛けた。


「おお、ありがとう、ベン。ソフィー、休憩しましょうよ」

「そうね。すこし休憩しましょうか」


 ソフィーも一段落したので、休憩しようと言った。


「お母さまのご実家からエンドラシル東部のトゥールチャで流行っているコーヒーを頂いたんです。それに少し面白い趣向があるの」


 ベンがテーブルワゴンを押した侍女を連れて入ってきた。


 取っ手付きの深鍋にコーヒーが沸かされていて、香ばしいコーヒーの香りがプレイルームに一気に広がった。この取っ手付きの深鍋はトゥールチャ・コーヒー専用の器具で、そこに細かく挽いたコービー豆と水と砂糖を入れて煮だす。ドロドロに溶かしたものを濾さないままカップに入れて、その上澄みを飲んでいく。トロッとした舌触りと甘さが舌を焼くような熱さと相まって美味しいのだと言う。


「今日は、一緒に送られて来た、スミレの砂糖漬けと一緒に頂きましょう」


 侍女がコーヒーカップと一緒に砂糖菓子が入った小皿をみんなに配膳した。


「あら、素敵じゃない。フランソワにお礼を言わなくちゃね、アン」

「スミレの砂糖漬けって、とても美しいです。これは食べられるのですか?」

「アンお姉さま、このスミレの花の砂糖漬けは、お爺さまの領地の特産品なのよ」


 テレジアは自慢げに一つつまんで見せた。


「あの、熱いからゆっくり飲んで下さいね。残ったコーヒー滓でコーヒー占いをしますから、全部飲んだらだめですよ」

「テレジア、コーヒー占いって、何を占うつもり?」

「決まっていますわ」とテレジアはニッコリ笑った。

「トゥールチャ・コーヒーって、なんて甘くて美味しいのかしら。それにスミレの砂糖漬けも口の中にスミレの香りが残って、それでもコーヒーの香りとは喧嘩しないで、なんとも異国情緒を感じます」


 アンはこんな甘くて美味しい物を飲んだことがなかった。アダムやメルテルにも飲ませてやりたいと思った。


「アン、トゥールチャの諺に『コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならない。』というのがあるのよ」とソフィーが教えてくれる。

「それで、これからどうすれば良いの、テレジア」


 ソフイーが飲み終わったカップをテレジアに見せる。


「カップの上に、ソーサーの皿を引っくり返して載せます。そして願いごとをしながら、引っくり返します。カップの飲み滓から水分が落ちて行って、少し乾くまで置いておきます」


 テレジアは自分のカップにソーサーの皿を載せて、しばらく顔の前で祈った後、引っくり返してテーブルの上に置いた。

 ソフィーとアンも同じようにして、カップをテーブルに置いた。


「そろそろかしら」


 テレジアは飲み滓から水分が落ちて、後に残った飲み滓の形から占うのだと言った。

 三人がコーヒーカップを引っくり返して、底やふちに残った形を見てみる。


「まず、底の形が丸く残っている時は、今日は一日良い日で、願い事もかなう。底の形が半月の場合は、周りの人に合わせて静かにしているとOK、一日は平安に終わる。底の形が三ヶ月の場合は、一日が後手にまわり悔しい思いをするでしょう。底の形が新月(何ものこっていない)の場合は、今日は一日最悪の日です。願いも叶いません。って、嘘。私は今日は最悪の日ですって。願い事も叶わないなんて、ベン、あなた、コーヒーの淹れ方を間違えたんじゃない?」


「また、テレジアったら、こんなの単なる遊びですよ」

「ソフィー、そうですけれど、悔しいですわ。後、他にふちとかに残っている形で特徴があるものがあれば言ってください」


 テレジアが実家から仕入れた情報では、カップのふちや底の形で特徴的なものがあれば、その形でも占う。カップの取っ手に近い方が、自分にとって身近な出来事になる。カップの下の方が過去に関わることで、上の方が将来の出来事になる。その痕の判読の良し悪しが占い師の腕だと言う。


「何かろうそくのような模様が見える気がします」


 アンがテレジアに報告した。テレジアは手元のメモを見ながら答えた。


「それは、友人が助けようとしてくれている証だそうです。アンお姉さまにはアダムが付いていますもの。当然ですね」

「私は、底の形だけだわ。半月だから、今日は平安な一日ね。よかったわ」


 ソフィーは他に痕が残っていないで、むしろ安心したようだった。


「私は新月ですって、お爺さまにはトゥールチャ・コーヒーは美味しかったけれど、占いは全然だったと言いますわ」

「まあ、テレジア、お爺さまに悪いわよ。また明日やって御覧なさい、きっと面白い形が出るわよ」

「そうですわよね。今度は面白い形が出るまで何回か試してみましょうかしら。ベン、宜しくお願いしますね」

「承知致しました」


 アンの1つ下の女友達は中々負けん気が強いらしい。アンはドムトルを想い出した。自分の都合が良いように考えられるのは、羨ましい性格だと思った。


 アンの音楽の補講は、こんな感じで脱線するので中々進まないのだった。

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