第19話 ザクト神殿の夜に

 ユミルが来てアダムたち三人は神殿へ戻ることになった。

 アダムとアン、ドムトルはガストリュー子爵と夫人たち、テレジアに挨拶をして領主館を出た。

 アダムたちは馬車に乗り込むと早速ユミルに一日の報告をした。


「ユミル先生、王都での宿舎のことですが、子爵夫人から話がありました」


 アンが相談すると、ユミルもさっき話を聞いたらしい。


「フランソワからアンには侍女を付けないといけないから、学生寮じゃ不十分だと言われたよ」

「えー、俺たちはどうするの?」


 ドムトルは学生寮の方が気楽だと意見を述べた。


「きっと、フランソワは次の年のテレジアの事が心配なのさ」


 アダムの意見にユミルも賛同する。


「まあ、七柱の聖女を学生寮に放り込んで、自分の子供だけ大事にしているように見えるのは、他の貴族の手前恰好がつかないだろうね。フランソワの実家も有力貴族だからね」

「ユミル先生、それってジャン神官長が王権派と分権派の事を話していた事と関係あるんですか?」

「アダムは良く覚えていたね。まず貴族の派閥争いには色々あるけれど、その前に貴族たちは優秀な人材を確保しておきたいんだ。その上で、自分の派閥の貴族の力が上がれば、派閥の地位も上がるから、他人事ではいられない人も出て来るのさ」

「アンに冷たくしていると、口出ししたり、取り込もうとする貴族が出て来る?」

「そうだね。今は地元の貴族だから口出し難いが、王国のために私に任せて欲しいと言う貴族は出て来るだろうね」

「うぇー、面倒くさい」とドムトルがため息をつく。

「ガストリュー子爵は王権派だと言ってましたね」


 アダムはドムトルを無視して話を続ける。


「前王は全ての国民に公平な国王に権力を集中して、自ら政治をしようとした。これを親政と言うのだが、一方では国王個人の能力に依存するのではなく、元老院や能力のある諸侯が政治に参加する仕組みを作って国王を支える体制が望ましいと主張する勢力もあった」


「なるほど、つまり国王に権力を集中しようという考え方の貴族が王権派で、能力のある諸侯にも政治に参加させようと言うのが分権派なのですね」


「建前はどちらの言い分ももっともなんだが、貴族はそれぞれ自分の思惑があるからね。私から言わせれば、どちらが王国にとって良いのかではなく、どちらが自分に都合がいいかで集まっているだけだよ」


 ユミルの話では、親政を敷こうとした前王が崩御し、ルナテール王女が即位したが、分権派の前王弟、グランド公爵が宰相になり国政の実権を握っている。今は前王を無くして勢力を落とした王権派が盛りかえしを図っていると言う。


 そこで、エンドラシル帝国と新たな姻戚関係を築くことで、王家の地位を高めようと考えているのが王権派で、既得権を守り、国家体制が諸侯の連邦に近い神聖ラウム帝国との関係を重視しているのが分権派という構図になるのだろう。


 アダムは少しづつこの世界の成り立ちが分かって来た。地球の21世紀を生きて来たアダムにとって、貴族社会は非常に不公平で古臭い。しかし、この世界の王族はいずれも神の眷族の子孫だと言う。それは魔力の強さでもある。平民が主導権を握るためには、もっと市場経済が発達して魔力が金で買えるようになるか、世代を重ねて血が薄まって、貴族も平民も変わらなくなる必要があるだろう。当面はどうしようもない。


「それで、私はどうなるのでしょう? 侍女にかしずかれるなんて、想像もつかないです」


 アンが泣き言を言ったが、ユミルの返事はアンをがっかりさせた。


「アンは色々な経験をしなければいけないよ。人を使うことも覚えないといけないし、自分で自分の始末もつけられるようにもならないといけない。一通り経験して、良い相談役を得るのも重要だと思うよ」

「はい」とアンは答えたが、声の調子は上がらない。

「ユミル先生の言う通りだ、アン。俺たちは貴族の常識を知らないから、気安く相談できる人ができたら、それも良いかも知れないと思うよ」とアダムが言うので、最後はアンもしぶしぶ納得したようだ。


 ユミルは、どちらにしても、もうしばらくはこのままだ。入学準備が進んだらもっとはっきりするから、あまり考えても仕方がないと言った。


 神殿に戻って来ると、アダムとドムトルは神殿衛士の訓練場で復習することにした。アダムもドムトルも手に入れたばかりの剣や防具を試したくて仕方が無い。


「二人とも、あまり初日から張り切りすぎないようにね」


 ユミルは無理をしないようにと言って政務室へ戻って行った。

 明日は三人だけで馬車に乗って行くことになる。

 アンも初めて聴いた竪琴の音が忘れらなかったが、まだ楽器は触らせてもらえなかった。練習用の楽器は今注文しているところだと言う。


「それじゃ、私は月巫女様のところへ行ってきます」

「あー、ずるいぞ。俺たちのお菓子も貰って来てくれよ」

「マリアさんにもよろしくね」


 アンはドムトルにはいはいと言って別れた。アダムとドムトルは武具を抱えて、いそいそと歩いて行った。


 アンが中庭に入り月巫女の小屋へ掛かる頃には、西日が強く射して来て、立木や小屋の影が長く菜園にかかっていた。

 アンが小屋の戸口を叩くとマリアが出て来て、直ぐに入れてくれた。


「アン、いらっしゃい」


 アンが入って行くと、月巫女は前と同じ場所に、同じようにちょこんと座っていた。


「月巫女様、今お茶をご用意しますね」


 マリアが奥の部屋へ入って行く。ドムトルに言われていたが、さすがにアンは自分からお菓子を催促することはできなかった。でもさすがマリアと言うか、出て来た時にはドムトルたちへの土産の包みも用意されていた。


「今度は一人でおいでと言って頂いたので来ました。アダムとドムトルは新しい武具に夢中なんです」

「まあ、男の子は人より強くなりたいと思うものだから、大目に見てあげないとね」


 アンは今日の補講の様子を話した。ベランダから見た剣士訓練の様子も話すが、アントニオが何人も剣士を昏倒させた話をすると、マリアも目を丸くして驚いていた。

 月巫女は意外に平気で、あらそんなことがあったのねと笑っている。


「月巫女さま、私はそろそろ失礼します。アンはゆっくりしてくださいね」


 マリアは後片付けをして帰る時間なのだろう。


「マリア、今日もありがとう。また明日よろしくね」

「マリアさん、ドムトルたちのお土産もご用意くださってありがとうございます」


 マリアは失礼しますと言って帰って行った。


 いつの間にか外は暗くなっていた。それでも月が出ているのか、窓の外は意外に明るい。中庭には所々に灯りがあるので、回廊への道には迷わないが、今夜は月明りでも十分かも知れなかった。


 アンの話も熱がこもって来た。毎日、新しい経験があって充実しているのだ。


「それと音楽の講習はすごく楽しかったです。木の女神メーテルへ捧げる唄を例に、合唱したり、和音でハーモニーさせたり、伴奏をつけて竪琴で演奏してみたり、色々聴き比べをさせて貰って、感動しました。音楽は宇宙の調和を表現していると教えてもらって、本当にそうだと思いました」


 アンがソフィーの演奏を聴いて、テレジアと感動してつい拍手してしまったことを話すのを月巫女も楽しそうに聞いていた。


「そう、そんなに感動したのなら、エルフの里で年に1回開催される月夜の演奏会を聞かせてあげたいわ。それは幻想的で、素晴らしいのよ」

「是非聴きたいです。それはどのような演奏会なのですか」

「エルフの創生神話に出て来る、神の眷族エルフィーネに捧げる祝祭なの。エルフの里では、一年に一度、地球に一番近づいた時の満月をエルフィーネの月と呼んで、その満月の夜に開催するの」


 月巫女も話に興が乗ったのか、木で出来た笛を取り出して来た。


「これはコカリナと言って、木で出来た縦笛なのよ。上面に4つ、裏面に2つ指孔があるのを、このように、両手で縦に持って、指で押さえて吹くのよ。満月の夜に優しい音色が里の樹々を吹き渡って行くのよ」


 月巫女の小さな顔の瞳が、くりくりっと動いて表情が緩んだ。


「ちょっと、吹いてみようかしら」

「ええ、是非」とアンも目を輝かせた。


 それは素朴な音色だった。これが何十人ものエルフで合奏されるのだ。音楽の補講で聴いたように、重層的にパートを分けて演奏されたら、きっと幻想的で荘厳な曲に聞こえるのだろうと想像できた。


「素晴らしかったです。私が竪琴を覚えたら、一緒に演奏させて下さい」

「まあ、うれしいわ。楽しいでしょうね」

「月巫女さま、私、ザクトに出て来るのも、これから王都に行くのも、不安で仕方が無かったのですが、何か、楽しいことも一杯あるように思えて来ました。ありがとうございます」

「アンにはアダムやドムトルにユミルやたくさんの味方がいるのです。私も応援していますよ」


 月巫女は自分の首から黄色い魔石のネックレスを外すと、アンに手渡した。


「アン、これを着けてご覧なさい。あなたに上げましょう」

「これは何ですか」

「これは私が子供の頃に、ある方から預かったものです。そして何時か、渡すべき人に渡すようにと言われたのです。今がその時だと思います。握ってごらんなさい」


 アンは月巫女に言われたように、渡されたネックレスを身に着け、魔石を手に握ってみた。魔道具を持った時のように自分の魔力が吸われるのが分かった。魔石が黄色く輝いた。


「そして呪文を唱えるの。Ventus clypeus 。言ってごらんなさい」

「Ventus clypeus!」


 アンが呪文を唱えると、魔石の光がふっと膨らんで、アンの身体を包み込んだ。アンが月巫女を見ると、月巫女は頷いて微笑んだ。


「それでいいの。風の盾と言う意味よ。あなたの近くにいる人なら、思念で範囲を指定すれば、その人も盾の中に入ります。もしもの守りとして渡しておきます」


「あの月巫女様はこれを渡して大丈夫なのですか」

「随分長い間私を守ってくれました。でも年寄りの私が使う機会はもうないでしょう」

「これを渡された方と言うのは、もしかして、、、」

「そうよ。私が子供の頃にお会いした、七柱のご加護を受けられた御方です。きっとあなたに渡す運命だったのです。これは月の涙と呼ばれています」

「はい」


 アンは月巫女に本当に貰って良いのか聞いたが、月巫女はアンの手を小さく叩いてそうよと言った。


「今日はもうお戻りなさい」

「月巫女さま、今日は本当にありがとうございました」


 アンは名残惜しそうに立ち上がると、戸口を開けて外へ出た。


 アンが月明りを頼りに回廊に向かって歩み去ると、月巫女の小屋と菜園の辺りは不思議と暗さを増し、薄暗い幕がかかったように見えた。虫の音も風音もしなくなった。


 アンが居なくなった部屋で、月巫女は再びコカリナを吹き始めた。しかし小屋の周りに幕が降りたようで、笛の音は周りに響かない。


 菜園の方の窓から黒い影が床にコロンと落ちて来た。それは大きな猫だった。もしくは猫のような大きな獣だった。コカリナの音色に合わせてそろりそろりと月巫女に近づいて来た。月巫女の前に転がって手足を縮めている。聞き耳を立てて、音を聞き入っている。


 月巫女が吹くのをやめて手を伸ばした。月巫女はその獣の黒々とした頭を優しく撫でた。黒い獣は気持ちよさそうに身じろぎをした。


「ずっと見ていたの?」


 月巫女が振り向いて、菜園側の窓を見ると、暗闇に開いた窓枠の辺りに白いピエロの顔だけが浮かんでいた。暗がりに身体は見えなかった。


「ふふ、見たよ。見たよ。月の涙を渡したな。いいのか。危ないぞ。危ないぞ」

「闇の眷族、お前が来ているのでしょう。出ておいで」

「いいのか、いいのか」

「眼よ、お前ごとき、怖くはないわ。つまらない覗き魔よ」

「むっ、無礼な年寄りめ。見ていたぞ」


 突然声の調子が変わった。牛追い祭りの夜と同じだった。黒い獣がビクッと動いた。

 身じろぎする手元の獣を押さえて、月巫女は撫で続ける。


「若いぞ、あいつはまだ若い」

「それがどうしたの。お前の準備もまだ出来ていないに違いない。そうでなければ、直接やって来るだろうさ」

「はは、その通りさ。もう少しお待ち頂こうぞ」


 またピエロの表情がふざけた笑いを含み、声の調子が戻った。


「ラーマ、来い」


 転がっていた黒い獣が、のそりと立ち上がった。窓へ向かって4つ足で歩いて行く。歩きながら、何度も振り替えって月巫女を見た。そして、ひょいと窓枠に飛び乘ると、黒い獣は声も発せずに外へ飛び去った。


 ピエロの顔は既に消えていた。闇の濃度が薄くなって、月の光が窓から入るようになった。

 何もなかったように、月巫女は前と同じ姿勢でちょこんと座っている。


 そう、何も変わったことは無かったかのように。

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