第16話 ザクトでの補講開始

 アダムたちのザクトでの補講の日になった。


 アダムたちは朝食を終えた後、ユミルの案内で神殿長へ挨拶に行った。

 神殿長の政務室は主殿の隣りの政務棟の1階にあった。アダムたちが神殿長室に向かう途中に、ユミルから話を聞いたところによると、神殿長は王国南西部のギュイ辺境伯の三男で、名前をラングル・ギュイと言う。貴族は長子相続が原則なので、次男は長男の急な死去に備えて外へ出さないが、三男は早くから外へ出す。それで神殿長は王立学園卒業後に、親からの強い勧めで神学校へ進学し聖職者となった。


 神殿と言っても七柱の神々を祀る国教は現世利益も認める教義であり、政治や富の権威とは無縁ではない。アランが言うところの神殿貴族エリートであり、ザクト神殿は地方神殿としては有力拠点だ。


「よく来たね、アン。これからしっかり勉強して王立学園の入学に備えてください。この地区を管轄するザクト神殿の神殿長として、七柱の聖女を全面的に支援するから」


 ラングル神殿長はにこやかに挨拶に答えてくれたが、明らかに目はアンだけを見ていた。

 神殿長はでっぷりと太った40男で、ゆったりとした紫色の胴衣の上から、襟元にびっしりと刺繍の入った豪華なマントを羽織っていた。手には銀色の錫杖を持ち、指には大きな魔石の指輪を何個も着けていた。


「アダムもドムトルも、アンを助けて頑張ってください」


 声のした方を見ると、神殿長の後ろに控えて立っていたのはジャン神官長らしかった。アダムたちはまだ挨拶をしていなかったが、名前だけはアランから聞いて知っていた。こちらは逆に非常に痩せた男で、50代半ばに見えた。雰囲気からも叩き上げの平民神官だとアダムは思った。


「これから領主館へ三人を連れて行きます。ガストリュー子爵にご挨拶した後で、王都から来られた講師をご紹介頂き、初日の講習を始める予定です」


 ユミルが神殿長へ報告をする。


「ご存じですか? 剣術講師はセルメンデス伯爵のご子息らしいですよ、神殿長」


 ジャン神官長が横から口を挟んだ。


「ほう、セルメンデス家は確か分権派だったな。王権派のガストリュー子爵も受けざる得なかったのかね」

「ガストリュー子爵家は王権派で有名ですが、次男のネイアス・ガストリューが騎士団でセルメンデスの従者になったそうです。次男は分権派に取り込まれたという噂です」


 ジャン神官長がラングル神殿長へ耳打ちをした。

 ユミルは終始無言で、この二人の遣り取りを無視して立っていた。アダムは、また知りたい話ができたなと思った。


「それでは行って参ります。アダムたち、行くよ」


 ユミルは三人を促して神殿長室を出た。


 アダムたちがユミルに連れられて神殿の入口がら出ると、神殿の右手の通用口から馬車が出て来た。三人が驚いていると、ユミルが御者に合図をして扉を開けさせ、アンをエスコートして乗り込んだ。アダムとドムトルが慌てて乗り込むと馬車は動き出した。


「貴族の館に行く時は、正式には馬車で行くんだ。広場の南と北で距離も離れてはいないけどね」


 ユミルが苦笑しながら言った。


「あの、これから毎日ですか?」

「そうだね。王立学園に通う時も宿舎が同じ敷地でなければ、普通は徒歩で通わない。アダムたちが割り当てられる学生寮の場所次第だよ。私の時は同じ敷地だったがね」


 アダムたちは、それなら早く言ってよと思ったが、ユミルが言うには、貴族の生活とは色々違いがあるので、その都度覚えて行く他ない。前もって全てを教えるのは無理だし、状況に応じて臨機応変に対処する術を覚える必要があると言った。


 馬車は他の馬車との流れに従ったり、通行人をやり過ごしたりと、なかなか思い通りに走らない。この距離ならやっぱり歩いた方が早かったとアダムは思う。


 門扉の所で御者が衛士に声を掛け、入場門を開けさせた。そのまま奥の車止めまで走らせて、やっと馬車から降りることが出来た。領主館へは既に神殿から先触れが出ていたので、入口には執事が出迎えていた。


「いらっしゃいませ、ユミル様」

「ありがとう、ベン。案内をお願いします」


 ベンと呼ばれた執事は、胸に手を当て敬意を表すると、黙って先導して歩き出す。

 ユミルがアンをエスコートして先頭を歩き、その後をアダムとドムトルがついて行った。

 アダムたちが連れて行かれたのは、ザクト領主の執務室のようだった。


 アダムが見ていると、奥の執務机からザクト領主と思しき人物が席を立ち、応接の方へ出て来た。若々しく精悍な感じで、にこやかに笑っている顔には好感が持てた。応接のソファーには既に若い男女の貴族が座って待っていた。その背後に若い士官が一人立っている。全員が入って来たアダムたちを見た。


「良くきましたね、アン。後の二人がアダムとドムトルかな。これからよろしく頼むよ、私がザクト領主のクロード・ガストリューだ。ユミル神官、ご苦労様です」


 ガストリュー子爵はユミルとアンの前に立つと、全員に声を掛けた。子爵がソファーの二人を見ると、二人も立ち上がって前に出て来た。


「紹介するよ、こちらが今回剣術を指導してくれるアントニオ・セルメンデス君、そちらが魔法を指導してくれるアステリア・ガーメントさんだ。二人はそれぞれ、王国騎士団と宮廷魔術師団の優秀な若手団員で将来を嘱望されている。今回は王国宰相グランド公もなみなみならない強いご関心をお持ちのようだ」


 そうですと言って、アントニオ・セルメンデスが話を引き取った。


「アントニオ・セルメンデスだ。王国騎士団の隊長をしている。今回は宰相から騎士団に依頼があって私が派遣されて来た。アダム、ドムトル、君たちはアンの盾になれるように、厳しく鍛えるつもりだからしっかりと付いてくるように。それと、今回の講習ではガストリュー子爵の次男で騎士団で私の従者をしている、ネイアス・ガストリューが君たちの世話をしてくれる。彼の話も良く聞くように」


 アントニオ・セれメンデスの後ろに立っていた若い士官は、ガストリュー子爵の次男で今はアントニオの従者をしているらしい。アダムたちが黙礼をすると、よろしくと胸に手を当てて挨拶を返してくれた。


「私がみなさんに魔法を指導する、アステリア・ガーメントです。宮廷魔術師団でも若手の指導と研究を担当しています。太陽神と月の女神のご加護を受けている方と研究できるのは得難い機会だと考えています。三人ともよろしくね」


「ちょっと座ろうか、みんな。ベン、ビクトールとソフイーを呼んで来てくれないか」


 ガストリュー子爵が正面のソファーに座ると、アントニオとアステリアがサイドソファーに座った。ユミル、アン、アダム、ドムトルと並んで子爵の正面に座る。ネイアスはやはりアントニオの後ろに控えて立った。全員が席に着くのを待って、メイドがお茶の用意を始める。


「ユミルはアントニオと王立学園では同級生だったわよね」


 アステリアが言うと、アントニオは目に見えていやな顔をする。


「五柱の神のご加護を受けた平民の秀才と違って、俺は武術以外には取り柄が無い平凡な貴族だからね」


 アダムたちにも初めて聞く話だ。


「ユミルはあの頃、有名だったのよ、みんな」

「そうなんですか」とアンは隣に座ったユミルを見上げた。

「国教神殿で忘れられていた清浄魔法を古典の文献から考案したの。それを学園の文化祭で発表して有名になったのよ」

「アステリアさん、そのくらいにして下さい。先輩の研究を引継いただけですから。それに今日の主役はこの三人なので」


 しつこいアステリアに困ったユミルが、押さえた調子で言った。


「ほう、そんな事があったのかね。ラングル神殿長は良い部下を得たのだね」


 ガストリュー子爵もユミルを見直したようだ。


「いらっしゃいました」


 その時、執事のベンが声を掛けた。

 ガストリュー子爵の第二夫人のソフィーと三男のビクトールが部屋に入って来た。


「遅くなりました。妻のソフィーです。これが息子のビクトールです、みなさん宜しくお願いします」

「ビクトールです。よろしく」

「アン、ソフィーが行儀作法と音楽、裁縫を教えることになる。特にソフィーは竪琴の名手でね、宮廷に出しても恥ずかしくない演者だよ。それと、これが私の三男のビクトールだ。これから一緒に勉強するから仲良くしてやってくれ」


 ガストリュー子爵が二人をみんなに紹介する。アダムたちはその都度挨拶を返した。


「今日の予定はどうするのかい」と子爵がユミルを見た。

「今日は午前中はアステリアさんに魔法の実習を、午後はアントニオさんから剣術の実習をお願いしています」

「お昼の食事は、私がご用意するつもりですわ。講師の方はどうされますか?」


 ソフィーが声を掛けると、アステリアがご一緒しますと答えた。


「それじゃ、アントニオ君はネイアスと一緒に私と食事を摂ろう。もう少し話をしたいからね」


 子爵がアントニオを見ると、アントニオがはいと頷いた。


「では、講習はこちらの部屋でご用意しています」と執事のベンが案内に立つ。アダムたちはユミルに従い、その後を追った。ビクトールもアステリアについて歩いて行った。


 講習に使う部屋は、普段プレイルームに使う部屋で、中庭に面して明るい光の良く入る部屋だった。


「それじゃ、私は一旦神殿に戻ります。後はアステリアさんの言う事を良く聞いてください」

「あら、残念ね。またお会いしましょうね」


 ユミルはアダムたちに頑張ってと言うと、アステリアに挨拶をして戻って行った。


 アダムたちはアステリアの指示に従い席に着く。ビクトールとアン、アダムとドムトルがペアになり小テーブルに座った。机の上には金属でできた球体の魔道具が、それぞれの席の前に置かれていた。


「皆さんは基本的な魔力認識ができると聞いています。次ぎに理力で魔力を扱う練習をしていると聞いています。今日はそこから復習しましょう」


 アステリアはそう言うと、机の上に置かれた魔道具を手に取った。金属で出来た球体の道具は、よく見ると、中の交差状に組合わせた金属の躯体を、細い金属管で球形に巻いてあるように見えた。


「これは自分の魔力を通すことで、自由に操ることができる魔道具の玉です。これで自分の魔力を操る感覚を養います。まずは百聞は一見に如かずです。わたしがやって見せますので、よく見ていてください」


 アステリアは両手で机の上に置いた金属玉に手をかざすと、魔力を注ぎ始めた。すると、魔道具が薄く黄色に光り始めた。そのまま魔力を注いでいると、ふっと玉が浮き上がった。玉はすうーっとそのまま上昇し、アステリアの頭一つ上に止まると、しばらくそこに止まっていたが、アステリアの操作に従って、上空で円を描く様に回って見せた。アステリアはこんな感じと、目線で言いながら、今度はその円周運動に高低差を付け始めた。


「面白いでしょう? こうやって自分の魔力で自由に動かせます。じゃあ、順番にやってみましょう」


 アステリアは金属の玉をゆっくりと机の上に戻すと、ビクトールとアンの机の前に立った。


「ビクトール、やってみて。まず魔力を魔道具に注いで持ち上がるかやってみて」

「はい」


 ビクトールはアステリアがやったように、両手を開いて魔道具の上に手をかざした。魔力を注ぎ始めると淡い黄色の光を放ち始めた。力を籠めているのは手の動きで分かるのだが、金属の玉はビクともしない。ビクトールは一度力を抜くと、もう一度魔力を注ぎ始めた。今度も黄色い光を帯びて金属の玉が淡く輝いで見えた。でも動かない。ビクトールの手に力が入りピクピクと動くのだが、玉は動かなかった。


「はい、一旦やめましょう。魔力が注がれているのは分かるわね?」

「はい、自分の魔力が入っていくのは分かります。でも、そこからどう働きかけていいのか分りません」


 ビクトールは素直で真面目な性格なのだろう。


「じゃ、次はアンがやって見て」

「はい。アステリア先生」


 アンが魔道具の上に手をかざすと、途端に金属の玉が淡く黄色い光を放ち始める。アンが思案するように金属の玉を見つめる。すると、ふっと金属の玉が浮き上がった。だが今度は止まらない。すうーっと上に上がって行くが勢いあまって止められない感じで、天井にぶつかろうとする。アンが慌てて力を抜くと、今度は落ちて来た金属の玉を空中に留められなくなってしまう。机にぶつかる所をアステリアが手で受け止めてくれた。


「アン、どうでした?」

「はい、魔力を注ぐと、飽和するところがあって、それから魔力を籠めるとピンと栓が抜ける感じで跳ね上がりました。でも、その飽和点に留めようとしても、振り切れてしまって、止められなくなりました」

「アンは、この魔道具の魔力量が認識出来ているけれど、まだ微調整が出来ないようですね。アンは人より魔力の量が多いから、それを上手く調整できる技術を学ばないと、暴走して返って周りに迷惑をかける危険があります。でも順調に出来ています」


 おっかなびっくりの結果になったが、基本は出来ていると言われてアンはほっと安心したようだ。


「では、次はアダムです」

「はい」


 アダムは魔道具に両手をかざすと魔力を注ぎ始めた。アンの様子を見ていたせいで、返って慎重になったようだ。魔道具が淡い黄色に光り出すのに時間が掛かった。でも、すうーっと注ぎつづけると、アンが言うように飽和点に達したことが分かった。そこから単純に魔力を詰める感じなのかと、少し感触を探るように感覚を伸ばすと、魔道具の中に魔力を循環させるような機関があるのが分かった。注いだ魔力を循環させるように回しながら魔力を籠めていくと、金属の玉の重力抵抗の重さが認識できる気がした。その途端に魔道具そのものを掴め捕れたような感覚があった。あとはゆるゆると持ち上げればよかった。金属の玉はゆっくり持ち上がり、空中に留めることができた。


「アダムは要領がいいのね。アンの動きを見ていて、自分で調整したのね。はい、一旦終了して」


 アダムはゆっくりと金属の玉を机の上に戻す。


「今度はドムトルね。どうぞやって」

「お、おう」


 ドムトルが眉間にしわを寄せて、かざした両手に力を籠める。金属の玉が淡い黄色い光を発し始める。ドムトルも慎重に探っているようだ。慎重になり過ぎているのかと、アダムが見ていると、やっぱり調整が上手くいかないようで、手がプルプルし始めた。でも、最後にむっと力を籠める感があって、玉が持ち上がった。しかしドムトルがどうだとアダムを見た途端、金属の玉はポトンと机の上に落ちた。


「ち、ちくしょう。今度は分かったからな、ちゃんと行くぞ」

「ドムトル、今はそこまでよ」


 アステリアに止められて、ドムトルは仕方なく止めた。


「はい、みんな優秀ですね。先にやった人の結果を見て工夫するから、次にビクトールがやれば、今度は空中に持ち上がるようになるでしょう。王立学園の入学基準としては、この魔道具がある程度思い通りに動かせるようになれば合格です。今回の補講の最低限の目標でした。私は先が楽しみになりました。それでは、昼食の時間まで各自練習して下さい。質問があれば私はここにいますから」


 ビクトールが金属の玉を空中に持ち上げることができるようになるのは、直ぐのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る