第15話 月巫女さま

 アダムはザクト神殿に戻って来ると、アランに体を鍛える場所があるか聞いた。


「神殿衛士の訓練場があるから、そこを使えば良いよ。人目が気になるなら、アダムたちの宿舎と城壁の間を東の方に少し行くと、木立があるからその辺りかな」

「これから始まる剣術講習も、その衛士の訓練場でするの?」


 ドムトルが聞いた。


「いや、そっちは、領主館の剣術練習場だよ。ガストリュー子爵の三男のビクトール様も参加するし、今回の剣術講師には貴族騎士が来ていると聞いたよ」

「貴族騎士ですか?」


 アンも少し心配になったようだ。


「アンちゃんは、その間は音楽と裁縫の実習だよ。同じように領主館で習うと聞いたよ」


 アダムたちはそれぞれ不安な表情になった。アランが笑って手を振った。


「心配しなくても良いよ。当日はユミルさまがみんなを引率して案内してくれるから」


 アランは他人事だからなのか、本当に度胸が良いからか、全然心配しなくても良いよと言う。


「どこが!」とアダムたち全員が異議を唱えた。

「アンちゃんは特別なんだから、考えても仕方が無いよ」


 アランの話は最後はみんなそれで片付けてしまうようだ。


 アランが他に知っていることを聞くと、補講は午前は8時から11時まで、午後は1時から4時までの予定であること。補講を一緒に受けるのは三男のビクトールだが、丁度良いので、アンの音楽と裁縫の講師は母親で領主の第二夫人のソフィーになったこと。ソフィーは竪琴の名手としてザクトでは有名で、領主の饗宴では良く演奏すること。その講習には予習を兼ねて、長女のテレジアも参加すること。テレジアはアダムたちの1つ下だと言うことだった。


「剣術と魔法の講師は誰なのか、アランは知らないの」


 ドムトルがみんなを代表して聞くが、アランは知らなかった。


「じゃぁ今日はこのくらいにしようか。夕食まではまだ時間があるけど、アダムたちはどうする?」


 アダムはアンとドムトルを見てから言った。


「月巫女様を訪ねてみようかと思っているんだけど」

「そうだな、俺もエルフに会ったことが無いから、是非会ってみたいな」

「わたしもお会いしたいです。でも、ドムトルは失礼なことをしないでね」


 アンに言われて、ドムトルは心外だという顔をした。


「そうだね、それが良いね」


 アランは、菜園は中庭の東南だからと言って、政務室へ戻って行った。


 アダムたちは中庭の池に出る道を通って、中庭の中央まで来てから、東南の方向を目指した。中庭にはテーマ毎に区切られて立木もあって、一目で見渡せる訳ではない。中には景観を計算して高低差を付けた小山もあった。アダムは管理をしている庭師は大変だと思った。


 防風林ではないが、ひと際高い木立に囲まれて小屋があって、そこが菜園の区画らしかった。

 きっと三間くらいしかないだろう小さな小屋を前にして、アダムたちがおとなおうか迷っていると、扉が開いて若い巫女が出て来た。


「ご用ですか」と言って、こちらの返事を待って立ち止まった。

「セト村から補講を受けに来た学生ですが、月巫女様にお会いしたくて」

「みなさんの事はお伺いしています。月巫女様にお聞きして参りますので、少しお待ちください」


 アダムの答えに巫女はまた小屋の中に入って行った。

 しばらくして、どうぞと出て来た。


「月巫女様のお世話をしているマリアです。お茶の用意をしますから、みなさんは中へお入りください。月巫女様は入って直ぐの居間にいらっしゃいます」


 マリアは入れ違いに出て来て、入るように勧めた。自分はお湯でも取りに行くのだろう、木立の向こうへ行ってしまった。


「失礼します、、」


 アダムを先頭に、小屋に入って行くと、月巫女は本当に直ぐの部屋にいた。食卓にも使うのだろう、木のテーブルの正面に座っている。


 この部屋が一番大きい部屋で、それでも12畳位しかなかった。奥に寝室と侍女の控え室があるのだろう。侍女は通いなのかも知れなかった。アダムは本当に三間しかないのに驚いた。なにせ月巫女はこの神殿で本当に偉い三人の中の一人なのだ。アダムはあまりに質素な生活に驚いた。


 アンもドムトルも月巫女を前にして、どうすれば良いのか分からなくて困っている。


「良くいらっしゃいましたね。こちらへお座りなさい」


 月巫女はアダムたちに向かいの席を勧めてくれた。正面にアダムが座り、左にアン、右にドムトルが座った。月巫女の向こうに、畑に向かって大きく開く扉とベランダがあるのが見えた。


 月巫女は本当に小柄で、アンと変わらない位の身長に見えた。姿形だけ見れば幼女のようだった。紫色の緩やかな胴衣を着て、胸元に黄色に輝く魔石の首飾りが見えた。淡い赤味がかった金色の瞳が小さな顔の中で生き生きと輝いている。髪の毛はアンと同じ銀色の短髪だったが、聞いていた通り、エルフ特有の尖った長い耳が覗いていた。若い頃は絶世の美少女だったに違いない。つるんと整った小顔が印象的だった。今は猫の置物のようにちょこんと座って、おばあちゃま然として微笑んでいる。


「いらっしゃい。お待ちしていました、アン。アダムもドムトルもいらっしゃい」


 おお、これがエルフなんだと、アダムは凝視してしまう。瞳がくりくりっと動いて表情が緩んだ。笑っているのだろう。小さな顔は年齢不詳で、やっぱり人間離れした不可思議な種族だと思った。


「私たちのことはご存じなのですか?」


 アダムがおずおずと聞くと、小さく頷いてくれた。


「ユミルから聞きましたよ。きっと遊びに来るだろうとね。今マリアがお茶を入れてくれるから、そうしたら、私の手作りの焼き菓子をご馳走しましょう」

「月巫女様はエルフだと聞きました。エルフって、王国には他にもいらっしゃるのですか?」


 ドムトルが素直に疑問を聞く。


「そうね。皆さんが会う機会は少ないでしょうね。王都の学園には教師もいるから、それでも皆さんはエルフを見る機会が多い人間でしょう。ドムトルはエルフの私を見てどう思いましたか」


 逆に質問されてドムトルがどぎまぎするのがアダムにも分かった。


「すっごく綺麗な人だなって思いました。月巫女様はもう何歳におなりなんですか?」


 ドムトルはあくまで直球に質問する。月巫女はそうねと頷く。


「ずいぶん時間が通り過ぎて行きましたよ」

「ずいぶん?」

「ええ、どっても」


 月巫女は笑いながら、試すように言った。


「エルフの時間の感じ方は人間とは少し違うのです。私たちはあわてません。人とエルフは同じ空間に生きていても、生きている時間が違うのです。生きている時間が違うと、住む世界も違うと言えるかも知れませんね」


 アダムは社会人になってから写真にはまったことがあった。スローシャッターという技法がある。例えば渋谷の交差点で三脚を立てて写真を撮る。普通に撮ると交差点を渡るいっぱいの通行人が写る。しかしシャッタースピードを30秒から遅くして行くと、通行人が消えて人の居ない交差点が撮れるのだ。月巫女は時間の観念が違えば見える世界は違うと言うのだ。そもそも同じ感覚で見える人はいないと。


 月巫女がアダムを見ている。アダムの考えの流れが分かるのだろうか、アダムは月巫女を見返した。


「そうね。だから、人の言う歳を数えても、もう仕方が無い歳になりましたよ」

「でも、色々な人との出会いもおありでしょう」とアンが聞いた。

「ええ、生きる時間は違っても、出会いや運命は交差します。こうやって生涯の果てでも、皆さんととちゃんとお会いできましたもの」

「月巫女様、私もお会いできて嬉しいです」


 ドムトルも不思議な会話で参加する。


「遅くなりました」


 マリアがお湯を入れたポッドを持って戻って来た。奥の部屋へ入って茶器を用意してくれる。部屋に戻って来る時には、パウンドケーキのような焼き菓子を一緒に盆に乗せて運んで来た。


「これはね、ナッツが砕いて入っているのよ。少しお酒も入っているけど、今日はいいでしょう。マリア、ドムトルには多めに配って上げて」


 月巫女がマリアに声を掛けると、マリアは分かりましたと頷いて見せた。

 ハーブティーと甘い焼き菓子の香りがして、ドムトルだけでなく、みんなの気持ちも華やいだ感じになった。


「菜園では何を作っておられるのですか」とアンが聞いた。

「主にハーブや薬効のある野菜を作っています。神殿の薬師も協力してくれています。マリアも神殿薬師の一人ですよ」


 月巫女が言うと、月巫女の隣りに座ったマリアが教えてくれる。


「月巫女様の魔力のおかげで、他の菜園よりも育ちや効能が良いのですよ」

「あの私の母さまも薬師で癒し手なんです」

「聞いていますよ、アン、メルテルも優秀な癒し手だと。ザクトでも名前が知れています」


 マリアがメルテルを褒めてくれてアンは嬉しそうに笑った。


「ところで、月巫女様、お会いしたら聞こうと考えていたのですが、よろしいでしょうか」

「いいですよ、アダム。私が分かることでしたらお答えします」


 アダムは月巫女に会ったら、ご加護の違いについて聞こうと考えていた。


「太陽神や月の女神のご加護と、他のエレメンタル神である五柱の神さまのご加護とは、何が違うのですか」


 月巫女は穏やかに微笑みながら皆を見回して話し出した。


「ご加護の違いを言う前に、神と人の交わりを知らなければなりません。


 神は大地を創造し、大地を生命で満たしました。最初、神はその子供たちと一緒に暮らしました。神は人を守り、人を育てました。一方人も神に似せて創られました。人は創造し、感情を持ち、人を愛しました。そして神を愛しました。そこで神の眷族が生まれたのです。次第に時間が過ぎるにつれて、神は人との交わりを断ちましたが、神の眷族は長く人と暮らしました。子孫が生まれ血は継承されました。交配し長い時間の中で、神の因子が濃くなり薄くなりながら人の中に流れています」


 アダムは転生者として覚醒する際に神から聞いた話だが、共通の認識としても理解されているのだろう。


「血の濃さは測れませんが、神のご加護がその因子の濃さを表していると考えられています。広く喧伝されている訳ではありませんが、貴族は普通2柱以上のご加護を受けて生まれてきます。それは神との近さの点で、貴族の尊厳の根本でもあるのです。当然魔力の点でも優位であると言えるでしょう。但し魔法の技術そのものは、師について学習しなければ習得できません」

「でも、王立学園で学習できるのであれば、貴族は平民に比べ優位ですよね」

「貴族はその分義務もあるのです。神に近いことを言う以上、高潔でなければいけません。但し機会を与えられても学習しない者がいるように、義務が果たせない者はどの世界にもいるのですよ、アダム」


 月巫女は話を続けましょうと続けた。


「万物が5つの属性で作られていることから、五柱の属性は容易に配しされ易い因子なのです。それに比べると、純血を守った女神の因子は容易に配されないのはお分かりでしょう。でも全ての神も創造神デイテによって創生されたのです。その因子が組み合わされ繋がれて行く不思議は人の時間では理解できないものです」

「太陽神ソルは人を誘惑する神だと聞いています。逆に五柱の神よりも因子が配されているのはないですか」


 アダムは質問しながら、頭の中で転生者として覚醒した時の他の神の意識を想い出してしまった。あの時他の神は、太陽神ソルのような者がいるから眷族は生まれたと言ったのだ。月巫女もにっこり笑った。


「そうですね、ただ太陽神ソルはデイテが最初に創生した神なので、特別なのだと思います。なぜなら、私を含めて月の女神のご加護を受けた者は、私の後任である国教神殿の巫女長以外にも、数名知っていますが、太陽神のご加護を受けている者は七柱の全てのご加護を受けている者を除いては知りません」


「それは私以外に七柱のご加護を受けた方をご存じなのですか!?」とアンが口を挟んだ。


「わたしが本当に小さい時に、お一人だけですが、お会いしたことがあります。今では記憶も無くなるほど遠い昔のお話ですが、あなたの様に、小さくて可愛い女性でしたよ、アン」

「それは、どなたですか。お名前は何とおっしゃるのでしょう」

「アン、すいませんが国家機密として口止めされています。今ここでは言えません」


 月巫女は変わらず穏やかに笑っている。そりゃ長く長く生きていれば、言えないこともいっぱいあるのだろうとアダムも納得する。自分が転生者として覚醒したことも、神から聞いたことも言えないのだから。


「月巫女様、それでは光魔法について教えてくれませんか」


 アダムは光魔法についても、他の魔法と何が違うのか、どう学習すればよいのか疑問に思っていた。


「代々の国教神殿の巫女長はご神託を受けます。これは国政に関わる人間であれば、神殿関係者でなくとも知っています。これは代々巫女長が引き継ぐ光魔法なのです。ですから、巫女長は月の女神のご加護を受けた者でなければならないのです。残念ですが、太陽神のご加護による光魔法というものを私は知りません。ユミルから習ったと思いますが、魔法は実際に目の前で指導を受けないと、感得できないのです。たとえ聖書(神文)を見てもその概念を認識して理解できなければ読めないのです」


「どうすれば良いのでしょう」


「私に言えるのは、神の導きが必ずあると言うことです。それまでは自分の身を修める努力を続けるのです。アダム、あなたはアンとは違う意味で使命を持っているはずです。運命を信じてください。ドムトルも同じです。今日私とお会いできましたが、これは私の長い人生の出会いの1つです。あなたもそのパズルの一片なのですよ」


 月巫女からはそれ以上の話は聴けなかった。

 アダムたちはお菓子のお礼を言って戻ることにした。


「アン、今度はお一人で遊びにいらっしゃい。男の子たちはこれから剣術の練習で大変ですから」

「はい、また参ります」とアンは答えた。


 小屋を出るとずいぶん日も傾いていた。

 アダムたちは見送りで戸口まで出て来た月巫女とマリアに挨拶をして宿舎の方へ歩いて行った。


 セト村ならもうすぐ小麦の刈り取りの時期になる。木立の影が濃くなって、アダムは村の並木を想い出した。

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