第12話 ザクト神殿到着
ザクト神殿の正門の前に立つと、アダムは目の前の荘厳な社殿を見上げた。
「すげえ、なぁ」とドムトルも同じように見上げている。
主殿の屋根と左右の塔が午後の空に高く伸びて、アダムがこの世界で見た中で、間違いなく一番高くて大きな建造物だ。30mはあった。地球でも10階建ての高さはあるだろう。広場周辺の建物が3階から5階建てなので、ずいぶん高く感じた。アンも黙って見上げるばかりだ。
午後の強い光の中から、暗く大きく落ちた建物の影に立つと、気温も少し冷たく感じられた。
アダムは自分たちの身の上を思うと、アンも自分もドムトルも、今朝のセト村からずいぶん遠くへ来たものだと感動した。建築の仕様も付属する装飾も手が込んでいて、この世界の文明の高さは本物だと思った。
「行こうか、みんな」
アダムは人の流れに従って、正面の入口へ向かった。
正面の真ん中には、ひときわ大きな門扉があった。今は大きく開け広げられて人々が出入りしている。また建物の左右にも普通に大きな扉があった。こちらは今は閉じられている。夜間になって主扉が閉められると、この扉が通用口になるのかも知れなかった。
正面の入口の扉から入ると、小ホールになっていて、内陣に入る前の控え室になっているようだった。向かって左手にある政務室の前を通って先に進むと、内陣へ入る通路口があり、両脇に衛士が控えていた。
政務室の受付の巫女に来意を告げると、ユミル神官長補佐から話は聞いていると言った。
「良くいらっしゃいましたね。まず宿舎へ案内してから、ユミルを呼ぶように言われています。係を呼びますから、しばらくお待ちくださいね」
「あの、この者たちを連れて来た家族の者なんですが、わたしもいた方が良いですよね」
ブルートが遠慮がちに聞いた。
「あの、お父様も帰りの駅馬車は明日じゃないのですか?」
巫女は、それに、少しご心配でしょうという顔をした。
「ええ、馬車は明日ですが、知り合いの所で泊まるつもりで頼んであるので、、、」
後ろめたそうに笑いながらブルートが答えた。めったにセト村からは出てこれないので、今日は羽を伸ばして、久しぶりに友人と飲み明かしたいのだろう。それには明日の出立も早いので、時間が惜しいのかも知れなかった。
「親父、いい機会だからって、飲みすぎたらだめだぞ」
ドムトルに見透かされて、すかさず言われていた。
「なに、アダムもアンちゃんもしっかりしているし、ここまで来ればユミル先生もいるからな、、」
「あの、私共はどちらでも結構ですよ」
巫女が笑って答えた。
「じゃ、みんな。気をつけてな、いいか」
ブルートは最後に真面目な顔でそう言うと、帰って行った。
「しょうがないよなぁ。親父は」
ドムトルもあきらめ顔だ。アンが横でフフッと笑っていた。
「お待たせしました」
若い神官見習がやって来てアダムたちを宿舎に案内する。
アダムたちは後について行って、まず内陣に入った。そこから奥に大拝殿が見え、その手前を左に折れた。曲がる前に入口から見ると、拝殿の最奥に主祭壇があった。
曲がった先は一旦主殿の建物から出て、回廊式に3階建ての建物が続いていた。建物は敷地に沿って、主殿や中庭を囲む形で何棟も建っていて、回廊は大きくロ型に繋がっている。ずいぶん遠くまで歩いたような気がしたが、アダムたちが生活する予定の宿舎は一番奥の棟だった。そこはもう街を取り囲んでいる石壁のすぐ内側に当たるらしかった。
案内をしてくれる神官見習いは、回廊を歩きながら色々指して教えてくれるが、とても覚えきれなかった。神殿には主殿の他にも宗教施設があるが、それだけではなく、神殿を管理する政務棟や職員宿舎、学校や孤児院、食堂や倉庫などが幾つも建っていると教えてくれた。
「だって、この神殿はザクトの本当の意味で中心だからね。この神殿がなければ、ザクトの町は成り立たないんだから」
神官見習いの声は誇らしげに聞こえた。
アダムたちの部屋は3階の南向きで、学生寮のような小さな個室が与えられた。備え付けの寝台と机と衣裳棚があって、窓から本当に高い石壁が見えた。
「すぐにユミル神官がいらっしゃるから、荷物を片付けながら待っていてください」
神官見習いはそう言うと戻って行った。
ドムトルがすぐに自分の荷物を部屋に放り込んで、アダムの部屋にやって来た。
「なあ、全然自分が歩いてきた道がわからないよ。なんか俺お腹すいた」
アダムたちは駅馬車の中で昼食として持参してきた軽食を食べたが、確かに駅馬車に揺られて来たせいか、アダムもなんだがお腹が空いてきた。
「すぐにユミル先生がくるだろうから、それからだな。補講が始まるまで何日かあるから、明日からザクトの町を見学に行こう」
メルテルのおかげでザクトへ早く来ることに成ったが、おかげで町の探検ができると、アダムは明日からが楽しみで仕方がない。
「ああ、俺は冒険者ギルドって見てみたいな」
「ガンドルフさんに会えるかもしれないね」
アダムは10歳になれば冒険者登録ができるので、ザクトの冒険者ギルドに登録するつもりだった。アダムも一度様子は覗いてみたいと思っていた。
「あと俺は武器屋にも行ってみたいよ」とドムトルが言った。
今回の補講でアダムとドムトルは剣術を習うことになっている。アンは音楽と刺繍を習うことに成っていた。しかし、アダムとドムトルは練習用の剣も防具も持っていないので、早く自分用の道具が欲しかったのだ。補講中は道具は貸してもらえることに成っていたが、どうせ王立学園に行くときは自前で用意する必要がある。ユミル先生からは、程度も色々なので、一度補講で習い出してから決めた方が良いと言われていたのだ。
「早く実習したいな」
アダムは武器や防具を選ぶのも待ち遠しかった。
「ユミル先生がいらっしゃいましたよ」
アンがユミルをアダムの部屋に連れて来た。
「みんな、よく来たね。お昼は済ませて来たのかい? ちょっと仕事が忙しくて、私はまだ食べてないんだよ。一緒にどうかな」
「やったー、ご一緒します。俺、お腹が空いて来ていたんです」
ドムトルが歓声を上げる。アダムもいやは無かった。
「駅馬車に揺られてきたら、ずいぶんお腹が空きました。アンも食べるだろ?」
アダムが大きな声で答えると、アンは少し顔を赤らめて頷いた。
ユミルの案内でもう一度回廊を戻っていく。中庭を通ってショートカットする方が早いらしいが、神殿内は土で汚れないように、原則は回廊を使うのだと言った。
「でもね、中庭は庭園だけじゃなくて、他の施設もあるから、時間がある時に回ってくださいね」
中庭には、庭園に隠れて小さな祠のような小祭壇もあると言う。そして思い出したように、
「それとね、神殿の菜園の傍に小屋があってね、月巫女さまがいらっしゃるから、一度訪ねてみてください。きっとお菓子をごちそうしてくださいますよ」と言った。
「月巫女さまですか。それはどのようなお方なんですか?」
アンがユミルに聞いた。
「月巫女さまは随分前に引退された巫女様でね、国教神殿の巫女長さまと同じで月の女神のご加護を受けられていたはずだよ。何か参考になるお話が聞けるかもしれないよ」
「是非お伺いします」とアンが答えた。
「俺も行きます」
ドムトルも目を輝かして言った。お菓子と言う言葉に即反応したようだ。
アダムも、やはりエレメンタル神である五柱の神さまと違うご加護がどのような性格を有しているのか興味があった。アダムは優先度の高い予定として心ん留めて置くことにした。
食堂は主殿に近い棟にあった。中庭に面してカフェテラス席もあって、アダムたちは見晴らしの良い席を選んで座った。神殿は24時間対応の施設なので、交代で勤務する者のために、夜中も空いている部分があるらしかった。
ユミルが注文するのを見ながら、アダムたちも食事をとった。
「先生、母さまから神殿長へご挨拶するように言われているのですが、どうすればいいですか?」
アダムは気になっていたので最初に聞いた。
「補講は10月1日から始まるから、その時にご挨拶すれば良いよ」
「それと、少し早く来たのですが、ここの費用も王国が負担してくださるのですか」
早く来た分余分な費用を掛けさせるようで、アダムは気になっていた。
「ここの費用は、ザクトを管理しているザクト神殿が負担しているから、気にしないで良いよ。でもそれも結局はみんなの税金から払われるのだけれどね」
ザクト神殿は傘下の地区の宗教税から歳費を受けていた。その他、地元の商人や貴族の寄進や参詣者の喜捨も広く受け付けている。自己所有の荘園の収入もあった。
ユミルは神殿の大まかな仕組みを教えてくれる。
「市民権のある市民は神殿に登録される。死亡した時も神殿に届けるのが義務だよね。市民の戸籍管理は神殿が担っているんだよ。だからこれは神殿の重要な仕事なんだ」
だから洗礼式に神官を派遣して、村や都市から報告された内容を確認し、優秀な人材がいれば国教神殿に集約して、王国全体で活用する仕組みが出来上がっているのだ。アダムたちの教育もその仕事の一環なのだと言う。アダムは日本のお寺の檀家帳のようなものかと思った。たしか江戸時代には檀家帳も戸籍帳に使われていたはずだ。
「それじゃ俺たち、補講までは自由時間ですか?」
ドムトルが期待を込めてユミルを見た。
「補講の前に何か準備をしておく物はありますか?」とアダムも聞いた。
「いや、良いんじゃないか。でも、案内人は付けた方が良いね。ザクトも広いからね」
ユミルは少し考えた後で、
「神官見習いのアランがいいね。アランに言っておくよ」と言った。
「アランって?」とドムトルが聞いた。
「今日君たちを宿舎へ連れて行った神官見習だよ。アランはザクト神殿の孤児院の出身で、私の従者なんだ。彼ならザクトの隅から隅まで良く知っているし、気が置けないから、君たちも気が楽だろうしね」
ユミルは朝食が済んだら、政務室の受付で呼び出せばいいからと言った。
「それじゃ、また補講でね」
ユミルは食事を終えると、仕事があるからと戻って行った。
アダムたちも今日は大人しく、拝殿を見学してから宿舎へ戻ることにした。
回廊のどこから見ても、主殿はひと際高く見えるので、アダムたちも迷うことは無かった。回廊から主殿の内陣に入って拝殿の入口まで戻ると、参詣の人の後ろに並んだ。
「祭壇も七柱の神さまも大きいわね」
アンが言うが、セト村には小神殿もないので、七柱の神像も洗礼式の祭壇で見たくらいだ。
拝殿の正面は舞台のように高くなっていて、祭礼の時はそこで神官がお祈りを上げるのだろう。祭壇は更にその最奥にあった。
祭壇の中央に一段高く、太陽神と月の女神像があった。太陽神ソルは杖を持って立ち、大きく天を仰ぎ見ている。月の女神ルーナはその傍らに座って竪琴を弾いている。その左右に五柱の神像が思い思いのポーズで並んでいた。火の神プレゼは女神ながら剣と盾を持ち、右手の剣を高く上げている。土の神ソイは書物を手に持ち、今にも傍らの者に議論をしようと口を開いている。木の女神メーテルは右手を腰にやって地面を見やり、作物の出来を確認している。垂らした左手にはブレスレットがあった。水の神ワーテルは磁石を持って立ち、右手を目の上にかざしながら、遠くを望み微笑んでいる。風の女神ティンベルは両手を上げて顔を空に向け風を読んでいる。腰に結ばれた布が風に大きく流れている。
例月の祭礼の日や毎日の礼拝の時間には、祭祀の神官が神事を執り行うと言う。通常は参詣客が思い思いにお祈りを上げている。
別途受付で有料の祈願やお祝い事も受けているようだ。見ていると時折、祭壇の左右の袖の階段から、正装した神官が信者を従えて上がって行って、特定の神像の前で祈願をしているのが見えた。きっとそれがそれなのだろうとアダムは思った。そこは日本の神社と変わらないと思った。
アダムたちは列の前に出ると、他の参詣客を見習い、祭壇の前で片膝をつき、右手を胸に添え、首を垂れ、お祈りした。
「火の女神プレゼよ、俺を一番強い男にしてください」
ドムトルは声をだしてお祈りしている。
アダムは口に出すと、何やら思いが逃げて行くようで、昔から声には出さない。しかし「言霊ことだま」は信じているので、本当はドムトルのように口に出して祈願した方が良いのかも知れないとも思う。
アンもアダムを習って黙って祈っていた。
アダムは思いっきり生きたいと願った。この世界に転生して新しい人生を生きる機会を得た。もしかしたらやるべき使命も得たのかも知れなかった。それをしっかり生きて確かめたいと願った。やっぱりこれは、他の二人には聞かせられない。
「俺だけ口に出すのは恥ずかしいだろう。アダムは何をお願いしたんだよ」
ドムトルがアダムに聞いてきた。むきになっているのがドムトルらしいとアンが微笑む。
「いや、昔から言霊と言って、口に出した方が本当は想いは通じるらしいぞ」
アダムの返事が意外だったのだろう、ドムトルは、
「おう、そうだろうとも」と言った。
その後は予定通り、アダムたちは大人しく部屋に戻った。
こうしてアダムたちの初めての旅は終わったのだった。
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