第11話 セト村の補講終了、ザクトへ

 セト村での補講も終わりに近づき、アダムたちは何か慌しい想いにとらわれ出した。ユミルからは、順調に進んでいると言われるが、どうしても不安になってしまうのだ。


 アダムが8月から始めた自主練は、体力作りとしては一定の成果を出していた。この世界のアダムの肉体は非常に頑健で敏捷だ。もちろん大人の体力とは比べるべくもないが、学生時代に叩き込んだ身体の裁きを、アダムの身体は忠実に再現しようとする。大野康祐としては中年となり、歳を経るままに鈍らせてきた動きが、若い肉体で再現される快感をアダムは強く感じた。


 そして魔素ウサギ狩りで、この世界の生き物が持つ魔力(生命力)のぶつかり合いを、身近で感じることで、アダムは魔力を身体全体で捉まえることが出来る様になった気がした。これは、アンもドムトルも同じだった。


 9月25日は、セト村最後の補講の日だった。

 アダムはユミルに感謝の気持ちを伝えた。


「ユミル先生、ありがとうございました」

「アダム君たちとは、またすぐにザクトで会うからね。心配しないでザクトへ来て下さい」


 ユミルはアダムに軽く手を上げて答えてくれ、ジョシューへ向かっては、


「君が進学するのは来春だから、ゆっくり進路を決めてください」と言った。

「ジョシューはどうする?」とドムトルが聞いた。

「来年になったら、俺はヨルムントの商業学校へ行くよ。やっぱりみんなが王都へ行くのに、負けちゃいられないもんな」


 ジョシューもセト村で補講に参加して、他の村の子供たちとは、学力でも向学心でも随分違って来たようだった。経済的にも本当に恵まれているのだろう。 

 アダムたちは、またなと言って、教室で別れた。 


 メルテルとの別れは何とも簡単な物だった。

 補講から帰って来ると、アダムたちのザクト行きの荷物はもう荷造りされていて、夕食を食べて寝たら、明朝にはザクとへ出発だと言う。


「少し早く行って、泊まる所を確認して、必要な物があれば買い物もするでしょう」


 メルテルは手回しが良いので、ドムトルの家とも話はできていると言った。


「わかりました、母さま」


 アンは初めて家から遠く離れることもあって、もっとしんみりした別れを想像していて、拍子抜けしたようだった。


「明日は、街道口で待ち合わせだよ。ザクトまではドムトルの親父さんが送ってくれるからね」

「はい、母さん」とアダムも答えた。


 どうせ3ヶ月で戻って来て、次に王都へ出発する4月まではまた一緒に生活することになる。本当の別れはその時なのだからと、アダムは考えた


 それからは、みんなで夕飯の準備をしながらも、明日初めて乗ることになる駅馬車の事や、これから生活することになる初めての市街のことで、アダムの頭は早くも一杯になっていた。


 翌朝、メルテルに送られて、アダムたちは街道口へ歩いて行った。

 ドムトルと親父さんのブルートがもう来ていた。


「ドムトル、ブルートおじさん、おはよう」


 アダムとアンは二人に挨拶をした。

 遅れてメルテルがやって来て、話に加わった。


「ブルートさん、今日は二人をザクトまでよろしくお願いします」

「ああ、いつも息子が勉強でお世話になってるからね。こんな時にお役にたたないとな」


 そしてアダムとアンに向かっても、ブルートは気さくに挨拶を返してくれた。


「来年からの王都でも、ドムトルをよろしく頼むよ、アンちゃん、アダム」


 今日は駅馬車ということもあり、腰に剣を帯びてはいるが、鎧はつけていない。革のぴったりした上着で、がっしりした体つきがそのまま出ていた。


 駅馬車といっても、セト村の前に駅があるわけではない。村へ入る街道口に大きい板のパネルが置いてあって、それを街道の右側へ押し出す。駅馬車は右側通行で走ってくるので、それを駅馬車の方で分かって止まってくれる。定期便なので大体来る時間は決まっているが、逃すと大変なので早くから待っていることになる。セト村からザクトまでは王都側へ40Kmぐらいで、途中の遅れを考えても半日くらいだと言われた。


「おお、来た。来たぞ! 早いな」


 ドムトルもアダムも興奮気味だ。

 4頭立てで走って来る姿を見てアダムは感動した。日頃は村の遅い荷馬車くらいしか見ていないので、精悍なフォルムに感動する。横腹が張り出して予想以上に大きい。客車内は大人3人席が3列あった。天板に荷台があり荷物を載せて網と紐で抑える。御者台の下に書類置きがあって、王国の飛脚便が入っていると言う。


 街道の右肩に駅馬車を寄せて止めると、御者は降りて来て、荷物を上げるのを手伝ってくれる。運賃は降車する駅で払う。


 今日は護衛の冒険者が一人、御者の横に座っていた。客車の後ろに座席付きのデッキ状の台がせり出していて、重要便を運ぶ時はそこにも護衛が一人付くらしかった。


 今日は乗客が少なくて、アダムたちはゆったりと座ることが出来た。乗客が多い時は、女性客や子供は男性客の膝の上に座るのだと言う。人見知りのアンだったら泣いてしまうだろう。


 アダムとアンは客車の窓からメルテルに手を振った。


「行ってきます」

「気を付けてね、二人とも」


 メルテルも手を振ってくれ、改めてブルートにも頷いて見せた。

 御者が掛け声を出して、駅馬車は走り出した。


 ヨルムント・王都間の街道は、主要街道の一つとして整備されていて、荒れた道ではないが、車輪の音や馬具の立てる騒音は、アダムには慣れるまで思った以上にうるさく感じられた。でもスピードに乗った時の風を切る爽快感は素晴らしい。


 駅馬車は普通、正式な駅にしか停まらない。その時に馬を変え、郵便物を受け渡し、乗客は乗り降りして運賃の精算を行う。セト村の最寄り駅はザクトだった。


 途中、アダムたちと同じように三人の商人が乗って来たが、アダムたちは予定通り、お昼過ぎにはザクトへ到着した。


 ザクトの市街に近づくにつれて、森が途切れ、畑となり、自由農家がぽつぽつ見えて来る。


「もうすぐですよ」


 途中で乗って来た商人の一人が教えてくれる。彼はヨルムントに本店がある商社のザクト支店長だと言う。彼の商社では穀物から雑貨まで手広く取扱っていて、今日は近くの村へ商談に出た帰りだと言った。


「ザクトの商人でヘラーと言います。七柱の巫女様のご一行ですね。ザクトではよろしくお願いします」


 ヘラーの言葉に、他の乗客も気が付いたように、改めて目を向けて来た。


「七柱のご加護の噂は、ザクトでも広まっているのかね」


 ブルートが聞くと、ザクト神殿の神官が洗礼式から戻って来て、凄い噂になったと言った。


「こんなに小さい方なんですね」


 ブルートが王都へ一緒に行く子供の父親だと自己紹介した。


「おお、そうでしたね、聞きましたよ。何でも、王立学園へ入学するご準備をザクト神殿でされるそうですね」


 ヘラーは、何かお手伝いできることがあれば、是非お申しつけ下さいと頭を下げた。

 次第に市街が見えてくるが、それは外周にできた貧民街で、本当の市街は西門を入った先にあると言う。


 貧民街に入った途端に、野菜の腐ったような、鼻に付く匂いがして来た。路地には粗末な衣装を着た子供たちが、駅馬車が通過するのを見ている。通りには商店や食堂も見えるが、なぜか貧しさが染みついているように感じられた。


 アダムたちのセト村が、自由農家のコミュニティとして、本当に豊かなのだと改めて痛感した。


「どうしても、門の外は生活臭が鼻につきますな。なに、門へ入ってしまえば大丈夫ですよ、お嬢さん」


 アンを見てヘラーが声を掛けた。

 アダムたちはみんな、これまで見たことが無い都市に憧れていたが、現実を見せられた気分だった。ブルートは前に来たことがあるので、そんなものだという顔をしていた。


 正式に西門を抜けて市街に入った。門には警備の歩哨が立っていたが、駅馬車はそのまま止まらずに通過出来た。その先は綺麗な石畳の街路が東西に延びている。駅馬車はそのまま進んで行き、中央広場に入った右側に降車場があった。


「広場を挟んで北側が市庁で、南側が神殿ですよ。それでは、私はここでお別れしますね」


 ヘラーは胸に手を当てて挨拶をすると、先に降車場の支払い窓口へ歩いて行った。

 アダムたちも御者から荷物を降ろしてもらい、それぞれ手に持って後に続いた。


「お金は預かっているからね」


 ブルートが窓口で代金を支払ってくれた。

 アダムたちは側に立って、思い思いに中央広場を見ていた。


 広場は、真ん中に大きな噴水があるロータリーになっていて、そこからまた東門へ抜ける車道が伸びている。石畳の車道には等間隔に並木が植えられていて、もう少しすれば黄葉して美しくなるだろう。


 南側正面に神殿があった。階段状にゆるやかに上がって正門があって、左右に塔を従えた大きな主殿が聳えている。午後の光が神殿の長い影を広場に落して、歴史のある荘厳さを感じさせた。


 北側には市庁と領主の屋敷が見えた。その他、広場を囲む形で商店や商業ギルドが立ち、開けた場所には小さな市や屋台も出ていた。


 広場には色々な人がいた。食料品や日用品を買う人、服飾品を冷やかして楽しんでいる人、家族や友人と屋台で食事を楽しんでいる人、さらには、用事ありげに足早に通り過ぎる人も多かった。服装もバラバラだ。


「すげぇな、、、、」


 ドムトルは村の祭りの時のような人出に驚いている。

 アダムも東京の喧騒を知ってはいるが、のどかなセト村とのギャップは大きい。


「でも、浮浪児はいませんね」とアンが呟いた。


 正門を入る前の貧民街のことを考えているのだろう。貧民街で嗅いだような匂いも感じられない。


「市民権のない浮浪者は門番が入れないんだ」


 降車場の手続きを終えて、ブルートが教えてくれる。

 ザクトはザクト神殿の門前町として発達した。神殿の周囲には神官だけでなく、そこで働く職人や労務者の宿舎も出来た。その消費を目当てにまた人が集まって来て、街は東西に広がっていった。市街の周囲は長方形に高い壁で囲われて、ザクトは城塞都市となった。


 そして最後に、市民権のない浮浪層が門の外に貧民街を作った。だから門番は浮浪者を入れないようにしていて、通行札を持った労務者しか通さないそうだ。


「おい、俺らが一緒に勉強する貴族の子弟って、ガスト、、何とかって、言わなかったっけ」

「ああ、ザクト領主のガストリュー子爵だよ。ドムトル」

「こんなでかい町のご領主様なんだな。偉いんだな」


 アダムとドムトルの掛け合いにブルートが教えてくれる。


「ザクト神殿は国王から土地の所有と自治権を許されているんだ。郊外には荘園も所有している。だから権威も財力も十分で、町の商人も、職人も、農民も、神殿長の方が偉いと思っている。ご領主は大変らしいぞ」


 門外の浮浪者も神殿の施しでやっと生活ができているらしい。ザクトでは神殿の権威が絶対で、領主も神殿に配慮しなければ、政まつりごとは出来ないと言った。


「まず、神殿へ挨拶に行くぞ」


 ブルートに声を掛けられて、みんなは神殿の方へ歩き出した。


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