第7話 補講の開始
6月に入って、アダムたちは村役場にある教室に呼び出された。
ザクト神殿から教師としてやって来たのは、ユミルという神官で、王立学園出身の俊英という話だった。年齢は25歳で、王都の国教神殿に10年務めた後、今年ザクト神殿の神官長補佐として赴任して来たと言う。
「おはようございます。私が君たちに補講を行うユミルです。よろしくお願いします」
ユミルはアダムたちに丁寧に話してくれる。
略礼装ということで、黒っぽい修道士然とした衣装は、装飾もないあっさりとした服装で、親しみが持てた。田舎者のアダムたちは、どんな偉い先生が来るのかと少し恐れていたので、とても安心した。
「セト村の守り手の息子ドムトルだ、先生」
ドムトルが自己紹介した。
「ドムトルだ、じゃなくて、ドムトルです、だろう。田舎者みたいで恥ずかしいよ」
ジョシューがすかさず口を出した。
ユミルは笑いながら手を上げて、そうだねと言った。
「これから言葉使いは大切だから、しっかりと覚えてください」
アダムたちが一通り名乗りを上げると、ユミルは少し自己紹介をした。
「私は王都の国教神殿が運営している孤児院の出身です。本当は市民権もない浮浪層の出身でしたが、主教さまに拾われて救われました。おかげで市民権を得て王立学園にも通いましたが、貴族社会になかなか馴染めずに苦労しました。今回は同じ平民としてこれからの準備をお助けします。あくまで自分のこととして勉強に取り組んでください」
「先生も王立学園に行ったというのは、やっぱり神さまのご加護をたくさん受けてらしたのですか?」とアンが聞いた。
ユミルは少し間をおいてアダムたちを見た。
「そうですね、いつもは人に言わないのですが、私はエレメンタル神のご加護を五柱の神さまから頂いています。それでもアンさんのように、太陽神と月の女神のご加護も頂くのは本当に稀有けうなことなのです。普通の人は逆に恐れてしまいますから、これからはあまり口に出さないようにした方が良いでしょう。周りの皆さんも気を付けるようにしてください」
「じゃあ先生、太陽神や月の女神のご加護を受ける人も少ないのですか?」
ドムトルがアダムの方を見ながら聞いた。自分との違いが気になるのだろう。
「太陽神や月の女神のご加護を個別に受ける人もいますが、やはり非常に少ないでしょう。王都の国教神殿には、月の女神のご加護を受けられた巫女長さまがいらっしゃいます。私は太陽神のご加護を受けておられる方を存じませんが、過去にはいらしたと思います」
ユミルは穏やかに笑いながら答えてくれた。
補講で習う座学は、国語、算数、魔法学、王国の歴史と地理で、学園の授業の予習だという。週の前半3日が講習で後半は自習になる。先生は講習日はセト村に泊まるが、後半は神殿に戻って仕事をすると言う。
ザクトはセト村から馬車で約半日くらいの距離があった。ユミルは馬に乗って通うことになる。王都とヨルムント間には定期馬車便があるが、セト村にはそのような物は通っていないからだ。
ユミルが全員に巾着袋に入った教材を配ってくれた。袋を開けると、中に麻紙とペンとインク壺、それに書字板と黒鉛筆が入っていた。
書字板というのは、ホワイトボードのようなもので、アダムは最初陶板かと思ったが、軽いので木の板に白磁の塗料を塗ってあるらしいと分かった。それに黒鉛を芯にして、針金を巻き付けたような黒鉛筆(?)だった。
麻紙は子供が書き散らすには高価なので、清書用で、もっぱら字の練習は書字板を使うらしかった。
「これはザクト神殿からの下賜かし品ですが、高価なので粗末にしないように。王立学園でも使いますからね」
「おお!?」
麻紙やペンは自分たちの家でも見慣れているが、書字板というのは見たことがないのだろう。ドムトルは早速先生の話も聞かずにイタズラ書きを始めて、アンに注意された。
こうやってアダムたちの補講は始まった。
国語の授業は基本文字の書き方と発音から始まり、身の回りの言葉を覚えさせる。神話を中心にした教本があって、それが読めるようになれば、入学前の準備としては十分だと言う。
アダムとアンの家には既に物語絵本があって、メルテルが読み聞かせをしてくれていた。これは平民としては随分教育熱心なようで、王都でも上流階級でないと普通は持っていないらしかった。
算数は数字の基本概念と簡単な四則演算を練習する。距離を測ったり、物の数として使う「数かず」を、数字として認識して計算することを学ぶ。大学まで卒業して来たアダムには、当たり前すぎてかえって新鮮な感じがした。
度量衡で、この世界の距離の単位ランは人間の歩数をベースに作られており、マイル(1000歩)と考え方が変わらないらしい。きっと実数値では少し違って来るだろうが、生活する上では変わらないだろう。基本は人間の生活や感覚をベースに作られていることが分かってアダムは面白いと思った。
アダムはマイルよりメートルの方が馴染みがあるが、確かメートルは、後世になって万国共通の単位として、地球の大きさをベースに計算して、後から作られた単位だったはずだと納得した。
同じように日本人としては、家の間取りを思い浮かべる時に、メートルより間けんの方が分かりやすいのも同じ関係だなとアダムは思う。
それでも、やはり算数は難しいのか、ドムトルは判然としないようだった。
ジョシューは家の商売柄か、引き算だけではなくて、簡単な掛け算や割り算もできるようだった。ジョシューが得意そうな顔をすると、途端にドムトルの表情が冷たくなってアダムは面白かった。
アンは非常に利発な性格で、手順を追って学習を進めて行くと、大抵のことは飲み込んでしまう。困っていればアダムも教えようと考えていたが、この程度では全然心配はいらなかった。
アダムが何を聞いても理解している様子を見て、ユミルは最初驚いていたが、もっぱら理解できないドムトルのおかげで、深く考える暇もなく、算数の授業は進んで行った。
魔法学というのは「万物の理を理解してその根本に作用することを目的とする」と言うことだった。でも今回の補講の内容そのものは、地球で言う理科のようなものだとアダムは思った。
身の回りの動物・植物・魔物の話や、天候や太陽・月の話、季節の話など、地球の小学校の理科と変わらない気がした。
違うのは、全てに魔素が満ちているという考え方だ。
この世界の考えでは、万物は元素によって出来ているが、エレメンタル神である五柱の神さまが創造したことによって、元素は5つの属性を帯びている。すなわち万物は、火・水・木・金・土の属性を持つと教える。
魔法はその元素を構成する魔素を理解して、神の言葉(神文)を呪文として唱えることで効果を得るという。
だから神のご加護を得ている属性については、その魔法効果が顕著に現れるのだと説明するのだ。アダムはなるほどと思った。
後でアダムがメルテルに聞いた話を加えて理解したことは、元素は更に小さな原子で出来ているが、その原子そのものを電荷のように支える素子として魔素が存在する。だから全てが魔素によって支えられていて、その魔素の結び付きに干渉することで魔法は効果を出す。
それはつまり、神が万物を創造した際に、後から創造物に干渉するツールとして組み込んだ「プログラム」のようなものだ、と考えれば分かりやすい。だから魔法の呪文はプログラム言語だと考えればいい。
ユミルの話では、呪文の元になる神文は、神の眷族が伝えたと言われているそうだ。七柱の神をまつる神殿に残る聖書(古文書)を中心に研究伝承されて来ているが、未だに発見されていない「失われた聖書」もあると言う。
その話を聞いて、ドムトルが将来騎士団に入るのが良いのか、冒険者になって遺跡を探索するのが良いのかと悩みだした。
「なあ、ジョシュー。俺ってどっちに向いていると思う?」
アダムとアンは勉強する前から悩みだしたドムトルに笑ってしまった。とらぬ狸の皮算用ってやつだ。ユミルも笑っていた。
王国の地理と歴史の時間になって、ユミルは大きな羊皮紙を出して来た。それは世界地図だった。
「これはエンドラシル帝国が作った世界地図を写したものです」
広げられた地図を見ると、三つの大陸が、大きな三つの葉が逆三角形に並んだように描かれてあった。
「西の大陸がブリアント、東の大陸がアイサ、南の大陸をカリフトと言います」
ユミル先生は順番に指して教えてくれる。
中心付近を見ると、三つの大陸に囲まれるように海が描いてあって、それがエンドラシル海と記されていた。その海に西側のブリアント大陸から突き出た半島があり、半島の中央に帝都オームと記されている。
「エンドラシル帝国はその帝都オームを中心に、海を囲むように三つの大陸にまたがって領土を保有しています」
ユミルが地図に書かれた境界線を指でなぞって見せる。その領土は広大で、我々が世界の中心だと主張していた。
そりゃ、描くなら自分の国を中心に描くはずだとアダムも納得する。
「このエンドラシル海を囲んで、色々な古代文明が覇権を争って来ました。現在はこのエンドラシル帝国が世界の中心の覇権を握っているのです」
「すげぇな、、、」とジョシューが呟いた。
「出来たのはどのくらい昔のことですか? ユミル先生」とアンが聞いた。
「建国は千年くらい昔ですが、実権を握った勢力が正統を主張しているだけで、実は中身は違って来ているとも言われています」
その詳しい歴史は学園の上級生で習うと言う。
「このブリアント大陸の、この部分、、が我々オーロレアン王国です」
ユミルがやはり地図上で指してくれた。
エンドラシル帝国の帝都オームの半島を足とすると、西のブリアント大陸は東向きに、エンドロール海の上に体育座りをした感じで、オーロレアン王国は腰のあたりにあたるようだ。
「そして、その上部、背中から上に神聖ラウム帝国があります」
ユミルが示した国も広大な領土があった。
「さらに大陸の北方は蛮族が支配する地域で、東のアイサ大陸とも広く接していますが、その辺りは良く分かりません」
文明の限界があるらしい。だいたい、この地図そのものが縮尺もいい加減なもので、どこまで正確かも分からないのだ。
「神聖ラウム帝国は、わが国やエンドラシル帝国のような中央集権国家ではありません。大小雑多な諸侯による連邦国家の様相を呈しています。歴代皇帝は有力な諸侯の互選で選ばれるようです」
ここまで来ると、他の子供たちにはもう理解不能になって来た。ユミルもそれは良く分かっているのだろう。上級生からの学習範囲だと思われる。
「ユミル先生、エンドラシル帝国や神聖ラウム帝国と王国の関係は良いのですか?」
アダムは当然気になるので先生に話を振ってみる。
「エンドラシル帝国は建国から一貫して領土拡大に熱心で、周辺国とは絶えず争って来ました。オーロレアン王国は建国時にも帝国の干渉を受けましたが、一番大きな戦いは王国暦123年の聖戦と言われています。その後も緊張が続いて来ました。不戦協定を結んだのが王国暦678年ですから、まだ100年位しか経ちません」
一方で、神聖ラウム帝国の帝室と王室は姻戚関係にあると言う。
「ソルタス皇太子殿下は今年10歳になられましたが、成人される時は、神聖ラウム帝国から妃を迎えるのではないかと言われています。ただ、エンドラシル帝国からも、不戦協定を結んでから100周年になるので、そろそろ姻戚関係を持たないかと打診が来ているとの噂もあります」
そこでアダムたちが気を付けないといけないことがあるとユミルは言う。
「国の方針を決定するのは、王室を含めて貴族の専権事項です。平民がむやみに口を出して良い話ではありません。王立学園では慎重に対応してください」と言う。
「それは、何を気を付ければいいのでしょう? 平民が口を出せないのなら、何も言いませんよ!?」
アンは話の流れが読めないと言った。
「来年の王立学園には、プレゼ第一皇女がご入学されます。みなさんはそのご学友に選ばれる可能性があります」とユミルが言った。
つまり、ソルタス皇太子が現在10歳で、プレゼ皇女が5歳と、同じ王立学園に在学する時に、貴族の子弟もそれぞれ思惑をもって近づいてくる。(アンが)ご学友に選ばれることになれば、平民でありながら知らない内に巻き込まれる危険がある。王室の慣例を考えると、それぞれ婚姻が決まってもいい年齢だからこそ余計に気をつけろと、言ってくれているのだとアダムは理解した。立場上許される範囲を超えて忠告してくれていると思う。
「ユミル先生、貴族は二つの帝国との関係を巡っても対立があるのですか?」
アダムはこの際突っ込んで聞いてみる。ユミルはどうやらアダムに絞って話した方が分かりが早いと分かっているようだ。
「二つの帝国はそれぞれ国情も違うのでしょうが、王国はその前では弱いでしょう。神聖ラウム帝国は昔から姻戚関係もあり、既得権を持った貴族層が支持しています。しかし、一方の帝国はエンドルシル海の海運と冨を握っていて圧倒的な力を持っています。どちらの思惑が強いのかは、実際に綱引きをしてみなければ分からないでしよう。私には十分注意をしてくださいと言うしかありません」
ユミルはアダムの目をしっかりと見て言った。
「アンは俺が守りますから」とアダムも正面から答えた。
「分かっています」
「先生、俺もアンを守ります!」
ドムトルも何を思ってか真面目な声で言った。
「分かっています」
ユミルはドムトルにもそう答えた。
気持ちを切り替えて、ユミルは他の大陸についても話を続けた。でも実態は良く分からないという。
東のアイサ大陸は一番大きいが、エンドラシル帝国の領地より先は、大半が未踏の地だと言う。交易商人によって遠く商品は流れてくるが、実態は良く分からない。黄金の島国もあると言う(どこかで聞いた話だ)。
また南のカリフト大陸も、エンドラシル海を含む帝国領域以外は、広大な砂漠か広がり、オアシスを拠点とする蛮族が跋扈しているという。
しかし、だからこそ夢があるのだと、ユミルは言った。
「最新の情報ですが、エンドロール海の更にずっと先に、新大陸が発見されたそうです。その大陸には黄金の仮面を被った王が治める帝国があると聞きました」
ユミルはアダムたちの顔を見渡して、にっこり笑った。
「新大陸か、、、」
「おお、黄金の仮面!? 見たいぜ!」
アダムたちはそれぞれ慨嘆の声を上げる。
「みなさんが大きくなって、エンドラシル帝国の帝都オームへ赴いた時は、ぜひ最新の情報を持って帰って来てください。新世界への夢が広がりますよね」
ユミルは神官にならなければ、冒険者になったのだろうか? 国教神殿の孤児院を出て、学校にも行かせてもらったら、卒業したから「ハイさようなら」とはいかないよな、とアダムも思う。
アダムは何か一気に血がわき肉躍る気分になった気がして、ドムトルを見ると、ドムトルも同じ気持ちのようで、上気した顔をしている。
ジョシューもどうかとアダムは見てみるが、残念ながら、未踏の大地へ交易に飛び出そうという気概にはならないようだった。
「アダムも冒険者になるのだったら、珍しいものをいっぱい持って帰って来いよ。俺が全部買い取ってやるからな」と言った。
アダムたちの補講はこんな感じで続いたのだった。
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