第2話 羊の毛刈りの日

 洗礼式のあった翌日もよく晴れた日だった。

 今日は村で放牧している羊の毛刈りの日だ。

 村のあちらこちらに点在する休耕地を、一年かけて転々と移動させられて来た羊たちが、今日は一斉に中央の広場に集められて来ていた。それを一頭づつ引き出して来て、大人たちの手によって毛刈りがされる。一年に一度の毛刈りを前にして、羊たちは丸まると太って見えた。


「おお、いるいる」

「これ気持ちいいんだよな」


 柵越しに手を出して羊の毛の感触を確かめているのはドムトルだった。いつも一緒のジョシューは恐る恐る手をだしている。

 村の子供たちは柵を囲むように鈴なりになって、中で作業する大人たちを見学していた。いづれはみんなもお手伝いをすることになるのだ。

 羊の毛刈りは村の総出の行事だった。昼過ぎから始めて夕方までの一仕事だ。


「アダム、私も触りたい」

「うん、柵の間からならいいよ」


 アダムもアンを連れて遊びに来ていた。昨日の洗礼式でアンは有名人になっていて、二人が柵に近づくと、間を開けて前に出してくれた。

 羊の毛はホコリに汚れていて、毛の塊で指に少し引っかかるところもあるが、春の陽光を吸って手に優しい温かさがあった。


「気持ちいいね」とアンがアダムを見上げてはしゃぎ声を上げた。

「アン、俺が触り易いように羊を押さえてやるよ」


 頼まれもしないのにドムトルは近くに寄ってきて、アンの周りの人垣を掻き分けると、柵越しに羊の体を押さえにかかる。羊が煩わしそうに身じろぎするのもお構いなしだ。


「羊が嫌がってるだろう。かえって危ないぞ」


 アダムが言ってもドムトルは平気だった。


「いいんだよ。俺たちは仲間だからな。親父に言われたんだ、学校に行ったらアンをお前が守るんだぞってね」


 真顔で胸を張るドムトルに周りの子供たちもドン引きしている。


「俺も王都に行きたいよな。父ちゃんに言ったら、おまえはヨルムントの商業学校の方が良いって言うんだぜ、いやんなっちゃう」


 ジョシューだけはドムトルの話に乗って憤慨して見せた。

 村に一軒しかない雑貨屋の息子は甘やかされているらしい。村の学校に通うのが普通で、ヨルムントと言えば大都市だ。簡単に行かせられる話ではなかった。


「よいしょっ!」


 大きな掛け声をかけて牧童の兄ちゃんが羊を横倒しにした。頭に袋を被せるように目隠しをして、抱えるように横倒しにすると、脇で羊を押さえながら、右手で毛刈り用のナイフを器用に使って毛を刈り始めた。検分するように壮年の小父さんが斜め後方から控えて見ている。羊が暴れたら対処するのだろう。見るからにがっしりした腕を組んで立っていた。

 柵の中の数か所で分かれて作業が進んで行く。数人一組で作業が分担されているようだ。

 手際の良い作業はじっと見ていても飽きないものだ。村の子供たちは片時一心に見入っていた。


「俺も早くやりたいよなぁ。ええ?」


 横でドムトルが無意識に呟くのが聞こえた。 

 それでも羊の毛刈りの作業はなかなか終わらない。

 村の農地は秋蒔きの小麦畑と春蒔きの大麦畑や雑穀畑、休耕地(放牧地)の三つに分けられ、村の役員の指導で順番に作付けされる。休耕地で放牧することで羊や牛の糞尿が肥料になるのだ。だから休耕地といっても結構広い。そこで放牧される牛と羊も結構な頭数になった。馬は自家用の分を少数飼っているが、村によっては馬専門に育てている有名産地もあるらしかった。


「そろそろ、どこかへ行こうぜ。飽いてきちゃった、、、」


 ドムトルは二時間くらいが集中の限界らしかった。


「なあ、アダム。お前たち将来何になるんだ? アンは中央神殿の偉い巫女様になるのかな?」

「俺は王都の大商人になるんだよー」とすかさずジョシューが話に割り込んだ。

「いいよ、お前は。分かったから。でもアダムは孤児だし、継ぐ家もないだろう? だって、ドワーフってすごい長生きで、まだまだ死なないだろう?」


 ドムトルがまたすごくいい加減な話をしてきた。アンがムッとして前へ出た。


「わたしは、母さまと同じ癒し手になるのです」と言い切った。

「えー、親父が言っていたぞ。アンは聖女さまだって。大昔のエンドラシル帝国との聖戦でも、やっぱり七柱の聖女が大活躍したらしいぞ。だから王国が放っておくわけないって、、。お前は守り手の息子なんだから、聖女の守り手になれって言われたんだ」

「へー、そんな伝説があるんだ。それなら、専属商人も必要かな、、、」


 ジョシューが訳の分からない合いの手を入れる。


「おれは冒険者になると決めている。早く一人立ちして母さんを安心させたい。アンが必要とするなら、いつでも横にいてやれるように強くなるんだ」


 アダムは静かに言った。メルテルの所には、彼女の癒し手としての名声を聞いて、近隣の村や街からも怪我をした冒険者がやって来る。アダムは日頃その様子を見ていて、覇気があって独立心旺盛な冒険者に憧れていた。有名になれば近隣からも依頼を受けて、等級も上がれば収入も大きくなる。何よりも狭い村から出て、国中を剣一つで回れるのだ。

 アンはあまり兄のそんな話を聞いたことが無かったのだろう。真剣に見上げていた。


「それじゃ、私はアダムの癒し手になります」

「それじゃ、俺たちは冒険者仲間だな。俺が隊長だ」とドムトルが言った。

「じゃ、俺は素材の買取商人だな。武器や防具を売ってやってもいいぜ」


 アダムは何でそうなると思ったが、適当に放っておいた。自分は真剣なんだと思った。

 しばらくして、ジョシューが近くにヒヨドリの巣があることを言い出した。


「ヒナがうまれるのは5月過ぎだろう。去年は成人式の頃だったはずだ」

「そんなこと良く覚えているな、アダム。確かめに行こうぜ」


 ドムトルは当然のように先頭に立って歩きだした。


「こっち、こっち」とジョシューが街道に向かう並木道の一本を指さした。


 それは桐の木で、隣の木と枝を絡ませるように立っていた。まだ葉が大きくなっておらず、下からも枝分かれした幹が上の方までよく見えた。

 最初の枝に取り付くのに苦労しそうだが、その後は容易に登れそうだった。二階くらいの高さの枝に巣のような塊が見えた。


「あれ、あれ、」とジョシューが見上げて言った。

「どれ」と言ってドムトルが幹に取り付くが、最初の枝に手が届かない。何回かジャンプしながら手を伸ばしたが、何枚か葉をちぎっただけだった。


 今度はアダムの番だった。アダムは両手で幹に抱き着くと、両膝で幹を強く挟んで固定した。そして少し身体を伸ばして手を伸ばすと、身体を引っ張り上げながら膝をずらして少しづつ上に引き上げていった。まだ若い木で幹は太くなかったのが幸いした。

 最初の枝に手が届くと後は簡単だった。巣がある所は枝が何本か拠りあって股になっていて、藁やらごみが絡まった塊りがあった。とても今使われているようには見えない。


「もう使ってないみだいだぞ。からっぽだし、ごみみたいだ。もっておりる?」


 アダムが上から声を掛けると、みんなは一気に興味を無くしたみたいだった。


「だめー、また親鳥が来るかもしれないから、残しておいてあげてー! もう危ないから下りてきてください」


 アンが見上げて大声を出した。アダムが心配で気が気でないようだ。

 その時ジョシューが素っ頓狂とんきょうな声を上げた。


「こっちの枝を引っ張たら、上の枝が降りて来るんじゃないか?」


 アダムが登った木の一本隣りの木から垂れていた枝の葉を思いっきりつかんで引っ張って見せた。ジョシューが引く枝がしない、それ程太くなかったその木の幹も、少し反って角度をつけた。


「危ないからよせよ」


 ドムトルが言ったので、ジョシューが一気に枝を放した。すると大きく反動でその木の幹が揺れた。バサバサと大きな音がした。あっと見上げると、枝から足を外したアダムが落ちてきて、地面に叩きつけられるのが見えた。それは一瞬のことで、みんなは身動きもできず、声も出なかった。


「アダム!」

「兄さま!」


 背中から落ちたように、アダムは仰向けで倒れている。完全に意識を失い、うめき声も上げていなかった。


「頭を打っているかもしれないから動かしてはいけません」


 駆け寄ったドムトルが助け起そうと手を出すのを止めて、アンがアダムの様子を見る。


「助けを、メルテルを呼んで来て!」


 アンの叫びに、俺がとジョシューが村に駆けて行った。


「呼んでくる、、、俺のせいじゃないよな、、、」


 メルテルが戸板を持った男たちを引き連れてやって来たが、アンには随分時間が掛かったような気がして、気が気ではなかった。

 メルテルは素早く男たちに指示をすると、アダムを戸板に寝かして様子を見た。気づかわし気に一通り診察すると、そのまま静かに自分の施術院へ運ばせた。おろおろと寄って来るジョシューを叱り飛ばして、近づけないようにした。


「大丈夫だから、しっかりしなさい。みんな邪魔だから、離れていて」


 それでもみんなは、戸板を運ぶ男たちのまわりを心配そうにうろうろした。

 施術院に運んでベットに寝かしたが、アダムは中々目を覚まさなかった。


 アダムはそのまま三日近くも目を覚まさなかった。


 

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