いけにえの儀式[後編]
エーシルは最後に7年間すごした部屋を
彼は白いコートを抱えもって、エーシルの肩にかけた。
「必要なかろう」と、フロジが目を細める。
「今朝は寒さが厳しいので、あの地につくまでは……」
「炎の巫女は寒さを感じない。が、まあ、よかろう」
袖に腕をとおさずコートをはおったまま、彼女は城の入り口まで歩く。その後ろを人々がつき従う。
外への扉が開いた。
11歳で囚われてから7年。はじめて城の外へ歩みでた。
一面に白い粉が積もった大地。彼女が歩くのに合わせて、赤い絨毯が従者によって敷かれ馬車までの道を示す。
エーシルは裸足でその道をあゆむ。
彼女が乗る馬車には宰相フロジと警護の男が同乗した。フロジが杖で御者に合図すると、馬車の車輪が回転した。
その後を儀式に参列する貴人たちの車列が続いた。
「見なくてもよかろう」と、大臣が車窓の白いカーテンを閉めた。
「それにカーテンは閉じたほうが暖かいものだ」
フロジは臭い息を吐きながら式服の前を開けた。この男は、とエーシルは考える。七年のうちに老け、さらに臭くなった。この息がかかるたびに吐き気をもよおすが、表情にはあらわさない。
「両手を前に」
エーシルが手を差し出すと、「コートを脱いでからだ」と、彼が命じた。
コートを脱ぎ両手を差し出す。フロジが
「これをつけよ、アルゴンのメダルだ」
「はい」
フロジが黒い宝石箱からとりだしたメダルは青白磁色の水晶で、通称アルゴンのメダルと呼ばれている。青白い不思議な輝きを持つそれを、彼はおごそかにエーシルの首もとにつける。その手が乳房の間にしばらくとどまり、下方におりる。
胸の谷間で重く垂れ下がったメダルは、ヒヤっとした特殊な感覚を与える。これは一族から奪われた秘宝。肌にふれると彼女の五感が頂点まで鋭さをまし、フロジの手の感覚に吐息が漏れそうになる。エーシルは口のなかで、ぐっと舌をかんだ。
城から森へと馬車は疾走していく。
森を抜けると、御者がたづなを引いた。それを合図に馬車が止まった。普段はおとなしい馬が興奮して前足をあげ、御者が「どうどう」と声をかけて
エーシルは馬車を降りた。白く覆われた大地の先には、どんよりした雲が重くのしかかっている。
彼女は決意し前方を見つめた。
数メートル先は崖で、さらにその先には深い谷底がある。崖の切っ先に一本の柱が立っていた。
「行け」
ともに乗ってきた警護の男がエーシルの鎖を引く。鎖がジャラジャラと音を立て、その音に促されて彼女は柱まで歩いた。
谷底から常に吹き上げてくる風が顔をうつ。薄手のローブが舞い上がり、太ももに巻きついておさまる。
鎖が柱につながれた。それを待っていたかのように突風が吹き、赤く豊かな髪を空へと舞い上げた。まるで手荒く
ホーンの高らかな音が聞こえる。
「はじめよ」
人柱の横に
空気は乾燥しており、木枠に閉じ込められたワラは薪に燃え移り大きな火柱をあげた。エーシルの薄いローブが風に舞い、感覚が鋭敏になった素肌に風と炎が突きささる。
神官が大声をあげて炎のドラゴンを呼んだ。
「永遠なる炎のドラゴンよ。この炎の巫女を捧げる。巫女をほおばれよ! 我らの願いを聞き届けたまえ!」
参列した人々がその声に唱和する。
「炎の巫女をほおばれ!」
「救いを!」
「救いを!」
(は……や……く……。私を)
エーシルは長い間、苦痛と
地下牢での喉の
『お許しください、お許しください』
何度、訴えたことだろう。しかし、許されることは決してなかった。感情が
今、それが終わりを告げる。
エーシルは感じた。
そう、今朝からそれを感じていたのだ。18歳になった時、彼女は完全なる炎の巫女になった。身体から精神の糸が伸び、なにかの気配とつながろうとしている。
炎の巫女にしか感じ得ない特殊な
あれは、そこに、いる……。
人々は詠唱している。
「炎の巫女を
「われらに救いを!」
彼女は両足を踏んばると声をあげた。
すべての感情を抱えて腹の底から声を吐き出した!!
「ドォ・ラァ・ゴォーーーン!」
崖下から吹きすさぶ風を支配して、エーシルは声の限りに呼んだ。叫んだ。何度も何度も叫んだ。喉を潰すほどの声で、血へどを飛ばしながら叫んだ!
「ドォ・ラァ・ゴォーーーン!!」
来る‼︎
崖の向こう側から新たな風が吹き、天をゆるがす羽ばたき音が聞こえた。
『ワシヲ、ヨンダカ! 炎ノ巫女』
頭が割れそうな声が響く。
「望みがある」
『ノゾミヲ』
「復讐を、やつらを殺せ! さすれば、エーシルはあなたのモノ!」
『ヨカロウ、成立シタ』
「な、なにを言っている!」
背後で見物していたフロジが慌てた。
「ちがう! あれは白銀のドラゴンだ。炎のドラゴンじゃない。あの女を殺せ! 急げ!」
警護隊はフロジの命令に、
白い息は一瞬で彼らを氷の彫像に変えた。
容赦なく白銀のドラゴンは襲う。
フロジは背後から白い息を受け、その太った体を硬直させ、
馬は恐怖にいななき、前足をあげたまま凍った。人々は逃げ惑い、転び、その姿のまま永遠の氷に閉じ込められた。しばらくして、周囲は沈黙し叫び声が消えた。
『炎ノ巫女ヨ。ケイヤクハ成立シタ』
「私を抱け、ドラゴンよ」
白銀のドラゴンは彼女のやわらかい身体を口に
恐ろしい痛みとともに意識が消え、そして、平和が訪れた。エーシルの唇は苦痛にゆがみ、薄く口角があがっていた。
🌋 🌋 🌋
私が、この実姉の存在を知ったのは、ずっと後のことだった。
姉エーシルは繊細で壊れやすい女だったのか、あるいは、復讐心に燃えた恐ろしい女だったのか。おそらく、そのどちらでもあっただろう。善と悪はつねにひとつの心に存在して矛盾することはない。それが人間というものだ。
私は異世界から日本に隠されたことで、17歳になるまで幸せに成長できた。その幸運を多くの人びとと同じように、いとも簡単に手に入る当然のものだと錯覚して生きていた。
(つづく)
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