第三話 嫌なもの

 暗い。目を覚まして最初に抱いた感想であった。自分は地獄にでも来たのだろうか。視覚から得られる情報が一切ないため、手で辺りを探る。

 何かの破片に、湿った土、このふわふわしたものは何かの葉?だろうか。こんもりと積みあがっている。そして、何か柔らかいもの……頬っぺたか。

 少女の存在を意識すると、小さな寝息を立てているのがわかる。あまりべたべた触って眠りの邪魔をするのは悪い。壱織いっしょくはすぐに手を離した。

 しかし、これでは今どういう状況か聞けない。少女の目覚めを待つか、自力で探るか。壱織が選んだのは後者であった。

 壱織は体を起こそうとするが、上半身が上がりきる前に額に直撃した何か硬いものによって阻まれる。


「っ……」


 つーんとした痛みが頭にきた。再び倒れ、静かに悶絶する。そうしている内に、うっすらとではあるが、どこからか光が差し込んできた。

 それにより、壱織は自身の置かれている状況が把握出来る。

 瓦礫の山の下。そこに出来た小さな空洞の中にいるようだ。隣には少女と草の積まれた小さな山。草の山がある意味はよくわからないが、気を失った自分を少女が運んでくれたことはわかる。あのままでいればまたバケモノに襲われる可能性があったのだ。今、直接伝えることは出来ないため心の中で感謝を述べておく。それと同時に湧き上がってくる罪悪感。自分は――結局そうはしなかったものの――少女を見捨てる、ましてや囮にするという選択肢を持ってしまったのだ。そのことを少女に告げてどうする、といったものでもないため、感謝と同じく謝罪を心の中で述べるだけにする。


 辺りを探っていると大人一人が何とか抜けれそうな穴を発見し、地を這うようにして壱織は瓦礫の下から抜け出した。

 立ち上がるとと体と脚に痛みが走ったが、それも一瞬。昨日と比べると大分良くなっている。

 伸びをした壱織の頬を冷たい風が撫でる。まだ薄暗い、夜明けの時間帯だ。

 あれからずっと寝ていたのかと壱織は衝撃を受けるが、すぐに思考を切り替える。失った時間を取り戻すことなど出来ない。これからどうするかだ。

 もしかしたら妹が戻ってきているかもと一瞬考えたが、倒れているバイクが一台しかないことにより、それは否定される。やはり山を下りることは確定事項だ。

 壱織はそこまで考え、辺りの警戒をしていなかったことに気付く。

 急いで辺りを見渡すが、そこには何もいない。再度見渡し、木々の間までも一つ一つ確認し、結果が同じであることに胸をなでおろす。それと同時に自身を責めた。たった一度バケモノを撃退したからといって調子に乗るなと。あのトカゲが一匹だとは限らない。いや、一匹でない可能性の方が高い。更にはトカゲとヤギ、バケモノはたった二種だけなのかという疑問は拭いきれずにいる。もっと凶暴な、それこそドラゴンのようなものがいてもおかしくない。

 瓦礫の下に戻った方がいいだろうか。そんなことを考え、自分が出てきたところへ目を向けると、そこには身をかがめて瓦礫の山から出てくる少女の姿があった。

 それを見ると同時に、瓦礫の山から生える一本の道の存在に気付く。人を引きずった跡だ。


「わざわざ運んでくれたんだろ? ありがとうな。あー、えっと、嬢……ちゃん」


 気絶する前に名前を聞いたような気もするが、記憶が曖昧で思い出すことができない。


「嬢ちゃんじゃない。ノア。嬢ちゃんって呼ばれるの嫌い」

「お、おお、そうか。わかった。ノアちゃんだな」


 一晩寝て元気になったのか、昨日の印象とは全く違う、少女のハキハキとした態度に壱織は少し押されてしまう。


「ちゃんもいらない」

「わ、わかった。ノアだな」


 子供扱いが嫌な年頃なのか、それとも少しは心を許すという姿勢なのか――前者だろうが――少し気迫のこもった声で抗議する少女――ノアに壱織は首を縦に振る。


「ところで服が草まみれなんだが、これは一体……」


 先程から気になっていたことを一つ尋ねる。

 スーツやシャツにへばりつくボロボロになった幾つもの草。かなり力を入れてこすり付けたようで、簡単に剥がすことは出来ない。スーツはわかりにくいが、シャツはかなりの面積が緑に染まっている。血の色と混ざりあった変な緑だ。


 壱織の質問にノアは嬉しそうにして「ヨムギ!」と元気よく答えた。


「よむぎ?」


 初めての単語に壱織は困惑する。

 よぎならば聞いたことはあるが、よぎなんてものは聞いたことが無い。

 あまりピンと来ていない壱織を見て、ノアは再び瓦礫の中へと戻っていった。しかし、すぐに戻ってきた。両手いっぱいの草を持って。

 それでもまだ頭にはてなを浮かべている状態の壱織にルアは半分程度の草を渡し、実演して見せる。

 ノアは自身の服に草をこするが、あまりピンとこない。

 壱織のそんな様子に痺れを切らしたノアが答えを言う。


「においけし!」

「ああ! なるほど」


 これのおかげで血に飢えたバケモノに襲われることなく夜を安全に越せたのだろう。

 納得する壱織にノアはどこか期待を含んだ目線を送っている。


「ありがとう、助かった。それにしても、よくこんなの知ってるな」

「図鑑いっぱい読んでたから! これがヨムギで、こっちがササイ」

「なるほど?」


 壱織が発した発言はノアの期待に沿えたらしく、喜んで草を分けながら説明しだす。こちらからしたら、どこがどう違うのか全く分からないが、嬉しそうにしているのでよしとする。


「それでヨムギが――」


 説明を続けようとするノアの言葉を壱織は遮る。


「あー、その話はめっちゃ気になるんだが、歩きながらでいいか? 早く山を降りないと、またあのバケモノに襲われたらたまんねえからな」

「わかった!」


 ノアは話に夢中でバケモノのことを忘れていたのか、はっとした様子を見せる。

 その後の元気な返事を聞いた壱織は、ノアと共に歩き始めた。



 ♢



 アスファルトで鋪装された道。その中央を行く二つの影。

 ノアが話している横で、壱織は耳に神経を集中させている。話を聞くため、もあるが、なによりバケモノの接近を許さないためだ。


「――なんだよ」

「なるほど」


 一応、ちゃんと聞いていたつもりだが、それを聞いても何が違うのかよくわからない。どちらとも初めてみた形をしているが二つの見た目はほぼ変わらない。ただの草と草だ。強いて言うならば、触ったときに気持ち硬めなのがよむぎか。

 説明を終えたノアはもうこの草に関しては満足したのか道端に投げ捨てた。それを見て壱織も持っていた草を捨てる。


 発生する沈黙。壱織はずっと聞きたかったことを聞こうとするが、こちらを見ながらもじもじした様子を見せるノアがいるので先にそちらを聞こうと決めた。


「どうした?」


 そう問いかけると、ノアはこちらを指さしながら「……名前」と小さく一言。それにより壱織は自分が名乗っていないことに気づいた。


「ああ、そういえばまだ名前教えてなかったな。俺は志木野しきの壱織いっしょくっていうんだ」

「しきの?」


 ノアは聞き返す。


「ああ、志すに木と野で志木野」


 そう説明しながら指で空に字を書く。まだ小学校二、三年ほどであろう少女には難しい内容であったということには言った後で気づいた。


「……でも、俺はあまり苗字が好きでないんでな、呼ぶときは壱織の方で呼んでくれ」

「わかった。いっしょく」

「おう」


 ただ名前を聞くのにそんなにもじもじすることないだろ、という感想を抱くが、だから何だというのだ。小学生女児の考えていることなどわかるはずがない。

 ともあれやっとこちらに会話のターンが来た。これで質問できる。


「次は俺が質問する番だな。ノアは昨日のバケモノのこと知ってるか?」

「アザヘビだよ」


 一度死にかけたからか、その声音に先程のような興奮はない。その静かな声は壱織の予感が的中したことを告げるだけだ。やはりこいつはバケモノのことを知っている。


「あざへび? トカゲじゃないのか……」

「ほとんど同じだよ。名前はヘビだけど。冬眠中だったけど地震のせいで起きちゃって怒ってたみたい」

「それで襲われた訳か……」


 もし次会ったら怒ってないといいんだけどな、なんてことを考えるが、それは期待できそうにない。背中をぶっ刺したのだ。許してなどくれぬだろう。

 それよりもノアの話にあった地震という言葉。やはり地震とバケモノは無関係ではなかった。であれば、あれは地底から来たバケモノで、こいつは地底人か? そんなオカルト的発想が湧き上がってくる。

 ノアはどこから来たのか。壱織は次の質問に移ろうとするが、ノアの話は続いていた。


「アザヘビは目が悪い代わりに鼻がいいからヨムギとササイで血の臭いを消したんだよ。いっしょく臭かったから。本当はシアの実が良かったんだけど、近くに無かったからヨムギにしたんだよ。アザヘビはハイノコ系統のモンスターだけど本当は臆病で、自分より大きいのは襲わないんだよ! 普段は隠れて獲物が来たら食べるんだけど、昨日はお腹が空いてたんだと思う!」

「お、おお……」


 話すにつれて興奮を抑えられなくなっていき、最後に至っては目を輝かせながら力説してくるノアに壱織は少したじろいでしまう。同時に、昨日死にかけたにも関わらず、よくそんな嬉しそうに話せるなとは思ったが、口には出さない。

 それよりも――


「モンスター、か……」


 ノアの口から出てきた中で唯一知っている単語を壱織は呟く。本やゲームの中でしか聞いたことのない単語だ。


「そのモンスター、あざへび?だったけか。そいつとヤギのやつ以外にもモンスターっているのか?」


 その質問にノアはぽかんとした表情を浮かべる。何を当たり前のことを言っているのだこいつは、とでも言いたげである。


「ヤギ? ガーラドンのこと? でっかいやつ? それと他にもって……モンスターはいっぱいいるよ? タジンアリとか、カラシンとか、私が一番好きなのはアシカガで――」

「おーけー、わかった、わかった……そうだよな、いっぱいいるよな……」


 知らない単語の羅列に頭がパンクしそうになった壱織は、再び熱を帯び始めてきたノアを止める。そして同時に肩を落とした。薄々気付いていたことだ。今更そこまで絶望したりはしないが、それでもやはりくるものがある。

 何も知らずに『モンスターのいる世界』なんてものを想像したならば、夢があるな、なんて感想を抱くだろうが、現実は只々非情。一歩間違えれば腹の中。尾に叩かれたくらいで死にかける始末。バケモノ――モンスターの通り道にいただけでぺしゃんこにされてしまう。夢なんて生ぬるいものじゃない。地獄だ。

 妹の安否に一層の不安を抱いている壱織にノアが不思議そうに尋ねる。


「いっしょくはどこから来たの?」


 あまりの無知さに驚いて気になったらしい。


「どこからって……元々さっきの瓦礫のとこに住んでたんだが……俺の方こそ聞きたいんだが、ノアはどこから来たんだ?」

「わからない。戦争に巻き込まれちゃだめだから隠れてたんだけど、気付いたら周りが森になってて……」

「それで彷徨ってたら俺を見つけたと。なるほどな……」


 さっぱりわからん。考えても仕方がないので、別の世界から人とモンスターがワープしてきた、そう勝手に結論づける。

 そんなことを考えているとノアから質問が飛んできた。


「これからどこ行くの?」

「とりあえず山下りて、それから街の警察に……いや、警察は……」


 眉間に皺を寄せ、唸りながら考えたところで、どうするかなどその時になってみないと分からない。だが、最悪の事態を予想しておくべきだろう。街中にモンスターが溢れている。そんな最悪の予想を。

 であれば向かうべきは——


「……学校だな」

「がっこう?」

「俺の妹が通ってる高校だ。とりあえずはそこに向かう。警察は……モンスターがいっぱいいるんだったらあてにはできねえな。まあ街がどうゆう状況かわかんねえからどうなるかは状況次第なんだが、妹の安否だけは確認したい。ノアはそれでいいか?」


「うん」と答えるノアだが、その顔にはやはり不安がある。

 ノアからすれば昨日まで戦争?をしていたと思ったら、急に知らない土地に飛ばされ、モンスターから逃げながら知らない人と知らないとこへ向かうのだ。小学生女児には荷が重すぎる。


「モンスターに関しては俺は全く知らないからな。頼りにしてるぜ、ノア」


 暗い表情のノアを何とか元気付けようと放った言葉だが、効果てきめんだったようだ。「うん!」という元気な返事と共にノアの表情は明るさを取り戻す。


「それでノアは……」


 この際だ。いろいろ聞いておくか、と壱織が質問をしようとした時だ。壱織の声をどこかから聞こえてきた咆哮が遮る。地震発生直後に聞いたものと同じだ。

 二人の足は反射的に止まった。


「マ……ルム……」


 横から聞こえる小さな呟きに気を向ける余裕はない。耳を澄ませ、音の発生源との距離を測る。

 昨日のトカゲか? いや、咆哮をしそうな感じではなかった。だとしたら他の――少し考え、思考を止める。そうだ、何が起こってもおかしくないんだと。

 問題なのは距離。聞こえた咆哮はここからかなりの距離があるように感じられた。少なくとも間近ではない。しかし、確実なことは一つある。


「急いだ方がいいな」


 少し足のスピードを速めたほうがいい。壱織の意識はその程度であった。しかし——


「……早くここから逃げなきゃ」


 ―—その一言で壱織の考えは改めさせられる。震えた声、青ざめた顔。どれほどの恐怖がそこにあるのか嫌でも分かる。

 昨日トカゲが出たこの森を歩いていても何も言わなかったノアがこの態度だ。少なくとも昨日のモンスターよりかはやばいのだろう。何がやばいかは不明だが。


「聞きたいことはいっぱいあるが、かなり急いだ方がいいみたいだな」


 そう言いながら壱織はしゃがみ込む。


「ほれ」


 ノアは何を求められているのかわからない様子でポカンとしている。


「おんぶ。嫌なら昨日みたいに脇で抱えることになるが?」


 昨日のがそれほど嫌だったのか、ノアは急いだ様子で壱織の背につかまる。その手は少し震えていた。


「行けるか?」


 ノアは背を掴む手に力を入れ、首を縦に振る。

 そして、壱織はノアを背に走り出した。



 ♢



「ここら辺でいいだろ……」


 山の出口に差し掛かったところで、ノアを下ろした壱織は息を切らしながら腕をまくる。ジャケットは腕にかけている。

 三月上旬のまだ少し寒さが残る時期とはいえ、子供を抱えて二十分も走り続けるのはかなりの運動量だ。体が熱くてしょうがない。


「……ってえなぁ」


 ビリビリと足に走った痛みから壱織は顔を歪ませる。

 それほど無理な動きをした覚えはないが、なんせ革靴だ。やはりどこかやってしまっているのか。折れているということはさすがにないと思いたい。内心そう呟く壱織の顔をノアは心配そうに見ている。


「大丈夫、大丈夫」


 その心配を払拭すべく壱織は笑顔を浮かべた。

 しかし、その顔も長くは続かない。どこかから漂ってくる臭い。意識しなければ分からないほどのものだが、この臭いは知っている。昨日も嗅いだ生臭い臭いだ。


「行くか」


 ノアに言うと共に自分に言い聞かせながら壱織は一歩踏み出した。


 ある程度栄えている街までは三駅の位置にある小さな町。いつもならばウォーキングや犬の散歩をしている人を一人、二人は見かけるはずなのだが、そこには誰もいない。あるのは血跡の残るアスファルトと倒壊した建物。それは何かが通った跡のように道を作っていた。そして所々に転がる人間の死骸らしきもの。それはあまりにもグロテスクな光景であった。

 壱織は横目でちらちらとノアの様子を伺う。

 このぐらいの歳の子には刺激が強すぎる光景だ。普通であれば泣き叫んでいてもおかしくない。だが、ノアは黙ったままだった。顔には不安や恐怖、不快感が浮かんでいるが、それだけ。小学生にしては冷静過ぎる。むしろ壱織の方が動揺を隠し切れずにいた。昔の記憶と重なった気がして。

 街まで行けば大丈夫だ。壱織が抱いていたわずかな希望はこの光景によって破綻させられる。しかし、それであっても向かわなければならない。妹の――残されたたった一人の家族の生死もわからず死ぬことは自身が許さない。


 壱織は何とかして心を落ち着かせると、辺りへの警戒をよりいっそう強めながら、建物がぽつぽつと見られる道を歩いていく。


 山を下りてから数十分。やっと聞こえてきた人の声。それは悲鳴であった。

 集落中に響き渡る甲高い女性の悲鳴。距離は近い。

 そして、それが聞こえて数秒、目の前の十字路を走り過ぎていく女性が見えた。

 一瞬のことではあったが、確かにその女性と目が合った。自身の結末を悟った目だ。


 壱織はすぐにノアの口を押さえ、建物の陰に隠れると、自身の息を限界まで殺す。

 直後に聞こえてくる低い犬のようなうめき声と足音。女性の方へと一直線に向かっている。音から察するに最低でも三匹。多くて五匹といったところだろう。


「いや、いや"あぁぁあああ"あ"」


 悲痛に歪んだ、女性の最期の抵抗ともとれる悲鳴が静かな町に木霊こだまする。続けてべちゃべちゃという生々しい血肉の音も。女性は最期までうめくような声を上げていたが、すぐに途絶えた。そして次に聞こえるのは咀嚼そしゃく音。

 壱織は、それをただじっと聞いていた。


 音が止んで十分程度様子を伺っていた壱織だったが、そろそろいいだろうとノアの手を引き陰からゆっくり身を出す。

 辺りに何もいないことを確認すると、十字路の方へと歩いていく。息を最小限に抑え、少しの音も聞き逃さぬよう集中しながら。

 出来れば通りたくはないが、ここを通らないとなると大幅に迂回しなければいけない。それを考えるとこの選択は間違っていない筈だ。

 十字路に近づくにつれ心臓の鼓動が大きくなっていくのが分かる。差し掛かったところで二人の足は自然と止まり、そして目にする。上顎より下が食い荒らされ、原形を留めていない死体。

 壱織は自身の心臓が縮こまるのを感じる。音の情報から予想はついていたが、改めて見ると何ともむごいものだ。それが顔見知りとなれば尚更にその惨さを強く感じる。いつも行く小さな八百屋でよくおまけをしてくれる女性。親の介護のため、実家に戻ってきたと言っていた彼女の光のない瞳には強い無念が宿っているように思えた。


 あの時こっちに来ないで助かった。そんな思いが自身の中で湧き上がってくるのがわかる。知人であろうと所詮は他人。だが、そこにはそんな考えをしてしまう自分を嫌悪する自分もいた。


「……行くぞ」


 壱織はそれから目を背けるように吐き捨て、再び歩き出そうとすると、横から何かを感じた。そのを表す言葉を壱織は持ち合わせていなかった。気配、殺気、と表せばいいのだろうか。いや、何か違う気がする。ノアと初めて遭遇した時に感じたものと同じ。誰かに肩を叩かれ、それに身体が勝手に反応してしまう様な感覚だ。

 その感覚に従い横へと視線を移すと、そこには死体をじっと見つめるノアの姿。さすがにきついものがあったのだろう。繋いでいる手に力が入るのがわかる。


「大丈夫か?」

「うん」

「そうか……」


 泣きも叫びもせず、ただじっと死体を見つめるのノアの姿に壱織は、まだよわい七、八ほどであろう少女がこれであっていいのか、と強い疑問を抱く。同時に、この少女はどのような経験をしてきたのだろうか、という疑問も。しかし、それを口にできるわけもなく、ノアの手を引き足速にその場を去っていった。


 こうして二人の旅路は最悪のスタートを切る。


 ああ、本当に嫌なものを見た。

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