第六章 2
次の日、Ruriは悟の職場へ出かけていき、悟の上司と面会をした。
悟の上司は年齢は40を少し過ぎたくらいの野本という女性で、階級はB3、ラフなパンツスーツをさらりと着こなす人当たりの良さそうな人だった。
「今日は突然の訪問にもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます。」
「いえ、下河原さんは先週急に休職を願い出て、私たちもどうしたのかと思っていたのです。休職の場合には労働環境に問題のある場合も考えられるので、労働省への届出義務もあり、あまり好ましいことではないのですが、急な病気の療養のために必要ということと今までの勤務評価も高いことから診断書は後からでも良いということになり、月曜日から半年間の休職が認められました。」
「先週ですか…。」
悟さんは、治療の日までに全て準備を進めていたんだ。
Ruriの心に寂しさが込み上げてきた。
「で、どこで治療するとか言ってませんでしたか?」
「タカクニ大学の附属病院に入院する予定だと届けられました。」
「そうですか。それじゃあ届出の時にはまだいなくなるつもりじゃ無かったのかな。」
「それは分かりかねますが、少なくとも届出についてはそういう記載だったということです。」
あの時、私が悟さんの話に耳を貸していたなら、しばらくは一緒にいられたのかな?
Ruriは後悔の念に駆られて俯向き、瞳には涙が滲んできた。
「あら、そんなに下河原さんのことが心配なの。きっと、大丈夫よ。治ったら帰って来るって言ってたんでしょ?休職も半年間だし、もう、泣かないの。」
「えっ。あたし、泣いてました?」
「泣いてるじゃない。ほら。」
野本はポケットからハンカチを取り出し、Ruriに渡した。
Ruriはハンカチを受け取るとそっと涙を拭った。
「ありがとうございます。ハンカチは洗って返しますね。それで、悟さんが行きそうなところに心当たりはありますか?」
「ごめんなさい。下河原さんとはそれほど親しかったわけじゃないの。それなら、同僚の加山さんに聞いてみるといいわ。加山さんは比較的下河原さんと仲が良かったように思うわ。ちょっと待ってて、今日は出社しているはずだから呼んできてあげる。」
そう言って野本は応接室を出て行き、数分後悟より少し若い男を連れて戻ってきた。
「高原さん。彼が下河原さんの同僚の加山さんです。」
「初めまして、高原です。お仕事中すみません。」
「初めまして。下河原さんと一緒に仕事をしています加山と言います。いえ、私も下河原さんのことが心配なので、来ていただいてうれしいです。」
「加山さんは下河原さんとはどのくらいのお付き合いなんですか?」
「私がこの部署に配属になってからですから、もう7年になります。この部署での仕事のやり方がわからなくて困っていると親切に教えてくれました。落ち込んでいると食事に誘ってくれたり、案外面倒見はいいんです。」
「そうなんですか。悟さんとはまだ知り合って間もないので、お仕事についてそんなに詳しく話して貰ってないんです。加山さんは悟さんといっしょのプロジェクトだったんですか?」
「一緒に設計したこともたくさんあります。先日完了した仕事も下河原さんがリーダーで一緒にやらせていただきました。下河原さんがリーダーだと段取りがうまいんでやりやすいんですよ。」
「そうなんですか、意外です。あんまりコミュニケーションが上手い方じゃないように見えたので。」
「コミュニケーションというよりも、問題になりそうなことを事前に潰しておくというか、想定と解決策を考えてくれているんで問題が起きても大きくならないうちに次へ進めるんです。」
「悟さん。頼りにされてるみたいですね。それで、加山さんは今回の休暇のことは事前に聞いていたんですか?」
「えぇ。先週届を出した時に簡単な事情は聞きました。仕事のこともあるので話してくれたんだと思います。」
「治療だという話はしていたんですか?」
「どんな病気かは詳しく教えてくれなかったんですけど、少し長くなるとは言っていました。」
「実は、治療予定の病院からいなくなってしまったんですけど、悟さんならどこへ行くと思いますか?何か思い当たることはありませんか?」
「思い当たることですか。下河原さんあまり旅行とかはしない人だったから分かりませんね。ご実家がコンモンにあると言っていたので、そちらに聞かれた方が良いかもしれません。確か弟さんとご両親がいらっしゃると言っていました。」
「ありがとうございます。ご実家の住所はお分かりになりますか?」
「いえ、私も詳しくは聞いていないので…。野本さんは分かりますか?」
加山は横で二人の会話を聞いている野本の方を振り向き尋ねた。
「私も知りません。あとで人事に聞いて分かったらお知らせします。連絡先は事務所でよろしいですか?」
「はい。事務所と自宅は兼用していますのでそれで大丈夫です。念のために私の携帯番号もお教えしますね。」
そう言って、Ruriは名刺の裏に携帯電話の番号を書き込むと野本に渡した。
「本日はお時間をいただきありがとうございました。少し悟さんのことを知ることができて嬉しかったです。」
「いえ、私もRuriさんにお会いできて光栄です。実は私も貴方の歌が好きでよく聞いてるんです。」
「そうなんですか。悟さんは会うまでは私の歌のこと知らなかったみたいですけど、野本さんは私の歌をどこでお聞きになったんですか?」
「喫茶店で「希望」が流れていたんです。その時私少し疲れていて、「希望」のメロディと歌詞が心に沁みて…。それで、ネットで調べてRuriさんの歌だと知りました。」
「うれしい。私はメディアにあまり露出していないので、知っていてくれる人がいるとうれしいわ。今度ライブをやる時には連絡しますね。」
「若い人ばかりでしょう?私なんかが行っていいのかしら。」
「大丈夫ですよ。私のライブには年配の方も結構いらしてますから。」
「それならお願いしようかな。下河原さんが大変な時に悪い気もするけど。」
「それとこれとは別です。でも、しばらくはライブはできないと思います。」
「そうよね。早く下河原さんが見つかるといいわね。実家、分かったら連絡するわね。」
「よろしくお願いします。加山さんも悟さんのこと教えていただいてありがとうございます。」
「いえ。僕も心配してましたので事情がわかってよかったです。もし、下河原さんから連絡があったらお知らせしますね。」
「よろしくお願いします。」
Ruriはそう言って立ち上がると、二人に会釈をして会社を後にした。
まだ何にも手がかりがないな。悟さんの実家に何か連絡しているといいけど。あとで悟さんのマンションにも寄ってみよう。合鍵をもらっておいてよかった。
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