第三章 6
「おいしい。本当に料理ができるのね。サンドイッチって言うからハムとチーズを挟むくらいかと思ったら、ちゃんと卵サラダを作ってタマゴサンドやベーコンを炒めてベーコンレタスサンドまで作るなんて、すごいわね。」
ダイニングテーブルで悟と向き合いサンドイッチを頬張りながらRuriが言った。
「さっきも言ったけど、一人暮らしが長いんでこのくらいは訳ないよ。」
コーヒーを飲みながら悟が応えた。
「それでも男の人にしては上手なんじゃない?こんなに短い時間でできるなんて手際もいいし。」
「そうかな。他の人と比べたことがないんでよくわからないよ。それより、これからどうしよう。Ruriの治療をすること明日お母さんに話さなきゃならないね。仕事が終わってからなんだから夕方かな、何時頃行ったらいい?」
「私は明日もオフだけど出かける用事はないの。母は少し用事があると言っていたけど、夕方には帰ってくると言っていたわ。」
「それなら7時にしようか。仕事の具合によっては遅れるかもしれないけど、その時には連絡するよ。」
「わかった。悟さんが来ることを母に話しておくね。」
「さっきも言ったけど詳しい話は僕からしたいので、よろしくね。」
「二人の関係を私から話すのも少し照れくさいのでお願いね。」
「今日はこれからどうする?まだ夕方だけど。」
「そうね。今日は遅くなるとは言っていないんで少し早めに帰らなくちゃ。」
「じゃあ、駅まで送って行くよ。もう少ししたら家を出て近くの公園を通って一緒に駅に向かおうか。」
「うん。もっと一緒にいたいもんね。」
サンドイッチを食べ終えると二人は悟の部屋を出て公園へ向かった。
公園では子供達が広場の中で元気に走りまわっている。二人は広場の横の道を手を繋いでゆっくりと歩いた。
「この辺、子供が多いのね。」
「そうだね、近くに小学校が二つと幼稚園が三つ、保育園が二つあるんだ。」
「にぎやかでいいわね。私のところは郊外の住宅街なのでもっと静かなの。」
「Ruriの家は一戸建て?」
「ええ。父の実家なの。最近建て替えたんでだいぶ狭くなっちゃったけど、余ってる部屋もあるから泊まってもいいよ。」
「いやいや、次の日も仕事だし、お母さんもいるからそれはまずいでしょ。」
「そうか、あなたは会社勤めだものね。簡単にはいかないね。」
二人はお互いのことを話しながら公園を抜け繁華街に近づいた。道行く人は夕方の買い物に出かける主婦や学校帰りの学生の姿もちらほら見かける。
そんな人並みに溶け込んだ二人は側から見ても初々しい恋人たちのように見える。
「もうすぐ駅だけど、どうする?もうちょっと一緒にいたい気もするけど。」
「私ももう少しお話がしたいな。」
Ruriが悟の顔を覗き込んで言った。
「駅の向こう側に落ち着いて話せる喫茶店があるんで、ちょっと寄って行こうか?」
「うん。1時間くらいならいいよ。」
駅の高架をくぐった先にあるクリーニング店の隣にある小さな喫茶店は老夫婦が経営している。香ばしいコーヒーの香りが漂いクラシック音楽がかかっている。
「感じのいい店ね。悟さんって喫茶店の趣味がいいわ。」
「気に入った?良かった。」
二人用のテーブル席に向かい合って座り、カフェオレとココアを注文した二人は、明日のことを話し始めた。
「お母さんへの説明大丈夫かな?やっぱり私が説明した方がいいんじゃない?」
「病気のことだけならそれでもいいけど。こう言うことは男の僕から説明しなきゃね。」
「悟さんって案外古風なのね。昔っからそうなの?」
「小さい時から落ち着いてるとはよく言われたけど。そんなに老けて見られたことはないよ。」
「でも、なんかおじさんくさい。」
「まあ、もう35だからおじさんだけどね。」
「そっか。おじさんだね。で、そのおじさんはどうして今の仕事を選んだの?」
運ばれてきたココアを口に含みながらRuriが悟に問いかけた。
「アーティストと違って一般的な労働者の場合には、就学年限の節目で進学か就職かを選択するんだ。高校までは大体進学を選択するのでRuriは気づかなかったかもしれないけれど、中学を卒業した段階で就職を選択する人も若干だけどいるんだ。」
「そういえば、中学卒業の時と高校卒業の時にそんな進路選択があったような気がする。私は、アーティストになるって決めてたから他のことには興味が無かったので忘れてたわ。」
「普通の人は大学まで進学を選んで、大学卒業の時点で就職を希望することになるんだ。その時でも明確にこれという職業を選択できる人間は少なくて、適性試験をいくつか受けて自分に合っている職業を選択することになる。僕の場合は電子回路の設計に適性があったのでそのまま電子機器メーカーに就職することになり、成績もそこそこだったので大手メーカーに就職できたと言うことさ。」
「今の仕事にあまり思い入れはないの?」
「10年以上やっている仕事だからね、それなりに愛着はあるよ。でも、これが自分の全てだと思うとなんか違うなと。」
「思っちゃうんだ。」
「そう、思っちゃうんだよ。」
「それって個人的な問題じゃないの?仕事も仕事以外の生き甲斐も持って人生楽しんでいる人はたくさんいるんじゃない?」
「そうだね。そういう人はたくさんいると思うけど、僕みたいに仕事にも趣味にも今一つ打ち込めていない人もいると思うよ。何というかこの流れにすっと乗っていけばそれほど生きるのに苦労はしないけど、一度後ろを振り返ってしまうと自分で生きてきたという実感を感じ難い世の中なんじゃないかと思うんだ。」
「立ち止まって振り返るとキツイよね。私はまだこの仕事は初めて3年くらいだけど、それでもたまに今までを思い返して鬱になる時あるよ。」
「自分の意思を持って選んだようなアーティストでもそんな感じになることがあるんだ。」
「仕事となると責任もあるからね。好き勝手に曲を作って歌っていた時とは違うわ。締め切りもあるし、クオリティの要求も厳しくなるし、こんな曲で大丈夫?ってものでも世に出さなきゃいけなくなったり、いろいろよ。」
「いろいろだね。どんな世界でも仕事は大変だと言うことか。僕も甘えたこと言ってちゃダメなんだな。」
「うまく言えないけど悟さんのは甘えとはちょっと違うと思う。もっと深いところでの悩みなんじゃない?ハッキリとした原因がないところが不安なところよね。」
「そうなんだ、何ともわからないモヤモヤ感がどんどん広がっていく。知らない間に心が真っ黒になっている。Ruriに会う前はそんな感じだった。」
「私が悟さんの心の支えになったの?うれしいわ。」
「そう。Ruriのおかげだよ。君のことを考えると心が暖かくなる。君のために何かをすることが僕を前向きにさせてくれるんだ。だから、明日も僕に任せてよ。」
「うん。頼りにしてるわ。お母さんに説明するの私がしなくっちゃって思っていたけど、気が重かったの。悟さんが説明してくれるって言ってくれて本当に助かった。」
「うん。そう言ってくれると僕もうれしいよ。」
「あっ。もうこんな時間。そろそろ帰らないと。」
「そうか、つい話し込んじゃったね。じゃあ、明日。」
二人は喫茶店を出ると連れ立って改札口へ向かい、明日の確認をして別れた。
…明日は忙しくなるな。…
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