第二章 4
「人・・・ ではないんですね・・・・」
悟は微かな声でつぶやいた。
カウンセラーはそのつぶやきに気が付かないのか、悟に質問を続けた。
「原因が分かればそれを取り除くことで通常の状態に復帰できると思うのですが、その原因を特定することがひと作業でして。」
悟はこれからどうなるのか、不安がこみ上げてきたことから、うまくしゃべることができなくなっていた。
「思考パターンセンサーによると、今年の春からあなたの思考パターンが揺らぎ始めていますが、その時期に何か原因となる出来事が有ったのではないでしょうか。覚えていませんか。」
「今年の春ですか・・・。そういえば、以前勤めていた会社の上司が病気で亡くなりました。まだ、50代前半だったのに・・・。これからって時ですよね。」
「その時は、どのように感じましたか?」
カウンセラーはストレートに切り込んでくる。
「どのようにって・・・。とてもお世話になった方なので寂しい思いをしましたね。穏やかでいつもにこにこしてました。堅実な仕事ぶりで派手な成功はないけれど着実に昇格する人でした。部下のこともよく見ていて仕事に詰まっているとさりげなく相談に乗ってくれるいい上司でした。私にとっての管理職のイメージはあの方でしたね。」
「それほど良い方だったなら、さぞかし気落ちなさったんじゃないですか?普段からお付き合いはあったんですか?」
「プライベートの付き合いはあまりなかったのでショックというほどでもなかったと思うんですが・・・。でも知り合いが居なくなるのは寂しいですね。やっぱり。」
「知人のお葬式などに出て、将来に不安を覚えるということは有りそうなんですが、下河原さんはいかがでした?」
「彼の死を将来と結びつけることはなかったと思います。ただ、私も35になりますのでそろそろBランクを意識することは有ります。Bランクになったら彼のやっていたようなことをするんだろうなとは漠然と考えました。不安というわけではないと思うけど・・・。」
悟は一生懸命その時の感情を思い出している。半年以上前のことなので記憶の底に沈みかけた感情を思い出すのには苦労していた。
「きっかけはその件のようですね。ただ、今まで日常を過ごす中で少しずつ蓄積してきた思いがあって、それが形を変えながら浮上してきているように感じます。」
「あなたのいうことはなんとなく分かります。この感情、思考はふとしたことでじわっと浮き上がってくる感じですね。」
そこまで聞くと、カウンセラーは時計をみて、悟に告げた。
「今回はここまでにしましょうか。じっくり考えましょう。幸い今のところ危険なレベルまでは到達していないので、通常の生活には大きな支障がないと思います。これから毎週足を運んでいただきたいのですがいかがでしょう。もちろん、職場には秘密で対応させていただきますので、ご安心下さい。」
「はい、ありがとうございます。それで、今度は何時伺えばよろしいでしょうか。」
「来週の木曜日、午後1時でお願いします。今日の続きから始めましょう。今のところ特に薬は必要ないと思いますので今日はこのままお帰りいただいて結構です。」
悟が勤労監査所を出ると、あたりはすっかり暮れていた。夕食を自宅近くのレストランで終え、帰宅した悟は今日のカウンセリングについて考えてみた。
こんな心の動きまでわかるんだ。最初から分かってこのカウンセリングが設定されていたんだな。
それにしても、原因を取り除くことなんてできるんだろうか。いろいろな思いが重なってこの状況になっているのなら、大きく環境を変えるしかないんじゃないか。
今日感じた違和感。勤労省の考え方。労働者階級制の主たる目的が労働力の再分配、流動性の確保という点から考えると具合の悪くなった労働者は速やかに治療され生産性を回復するべきとある考えも分かるが、ああまであからさまに言われてはいい気がしないものだ。
カウンセラーとしてはどうなんだろう。もう少しじっくりと俺の心の動きを解き解してくれたっていいじゃないか。
悟は言いようのない怒りを感じてリビングをうろうろと歩き回っている。真剣に考え事をしているときの癖だ。
労働者は労働力を提供する存在? 確かに。
でも生きている人間だ。 間違いない。
数百年前になされたような議論が頭の中で渦巻く。
人として・・・
生きてるってことはどういうことだ・・・
働くってなんだ・・・
答えはない。
個人それぞれの感じるままに振る舞ってよい。となっているはずだ。
このような疑問が沸き起こってくることこそナンセンスだ。
やはり、俺はどこかまずいところに入り込んでしまったらしい。
来週からのカウンセリングで何とかなるのだろうか。
こんなことを考えてるとまた思考パターンセンサーで勤労省に知られてしまう。
あぁ・・・
ソファに座って頭を抱えてしまった悟は数分間そのままでじっとしていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がりバスルームへと向かった。
とにかく、明日はRuriに会わなきゃならない。あまり落ち込んだところは見せられない。彼女の方がよっぽど深刻な状況なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます