第一章 3
その後2日間、悟はRuriのことが気になりながらも休暇の終盤を過ごしていた。
もともと自殺するための休暇だったので、あの日以降の予定は立てていなかったのだが、ケンダシティは観光施設が豊富にあるために退屈はしなかった。
美術館、博物館、森林公園とゆったりとした時間を過ごすスポットを転々として今回の旅行のけじめを付けようと考えていた。
ひとまず自殺は思いとどまったが、彼の置かれている状況は何も変わっていない。このまま仕事に戻ると同じ状態に陥る可能性が非常に高いために、旅行から帰った際にカウンセリングを受ける必要があるようだ。
勤労省の年に一度の定期診断も迫っている。現在の自分の評価は昨年とほとんど変わらないだろうが、昇級のポイントを確認できるだろう。
2日目現代アートの美術館からホテルに戻ると、メッセージが届いていた。高原と名乗る女性からで、お礼に伺いたいのでお電話下さいとのことだった。
悟が連絡を取り2時間後、高原親娘がホテルにやってきた。夕食に時間には少し早かったので最上階のラウンジでお茶を飲みながらということになった。
観光シーズンを少し外れていることもあってラウンジを利用する宿泊客は少ないようで、数組のビジネスマンらしき一行がなにやら商談をしているようだった。
最上階からの眺めは壮観で、悟は暇になるとラウンジに来て目の前に広がる太平洋や、背後に迫る山系などを眺めては物思いに耽っていた。
悟は、高原親娘が見つけやすいように入り口近くに陣取った。親娘は時間通りに姿を現した。
「先日はありがとうございました。おかげさまでRuriも出歩けるまでに回復しました。」
「わざわざ、すみません。この席ではせっかくの眺望が見られませんので海側の席に移動しましょう。」
二人を促して海側のお気に入りの席に移動した悟は話の口火を切った。
「本当に、ご足労いただいて申し訳ないです。倒れている方を見つけて通報しただけですので、そんなに大したことではないですから。」
「いいえ、あの場所はそんなに人通りの多いところではないので、下河原さんが見つけて下さらなかったらRuriはどうなったことかと思うと、ゾッとしますわ。この娘は持病があるものですから、早く病院に運んでいただけたので大事に至らなかったと思います。」
「そうですか、あんな状態だったんで私も焦ってしまってとにかく救急車と思ったのが良かったんですね。Ruriさん、もうだいぶ良いのですか。」
「ええ、おかげさまで。状態は安定してます。しばらくは大丈夫みたいです。」
「このラウンジどう。あの時、高いところから水平線が見たかったって言ってたでしょ。」
「ええ、いい眺めね。でも、私のイメージとはちょっと違うかな。」
「あなた、そんなことのために黙ってあんなところに一人で行ったの。なんで、今まで理由を言わなかったの。」
「あっ。ごめん内緒だったの。」
「いいの。なんだか説明するのが面倒で言ってなかっただけだから。みんなにはちょっと散歩って言ってあったの。」
そう言って、Ruriは海の方を遠い目で眺め始めた。
「まったく、体のことも考えなさい。一言言付けるとか、私が帰ってくるまで待つとかすればこんなことにはならなかったのに。もう。」
Ruriは母親の言葉を聞き流して、窓外に見入っている。
「すいません。よけいなこと言っちゃったかな。あの時病室で話してくれたんで、てっきりお母さんにも話してると思って・・・。」
悟はなんだか気まずい思いに捕らわれて、訳の分からない言い訳をしだした。
「下川原さんのせいではないですよ。この娘が何も言わないんで。とにかくおかげさまで動けるようになりました。ありがとうございます。」
「いえ。ところで、Ruriさんはアーティストだそうですね。アルバムも出されているとか・・・。」
「はい、ファンの方も少しずつ付いていただいてます。まだ、大きなところではできないんですが、時々小さなライブハウスでライブもやらせていただいてます。これ、良かったらどうぞ。」
母親はハンドバッグからCDを取り出して悟に渡した。
「すみません。なんか催促したみたいになっちゃって。地元に帰ったらショップで探してみようと思ってたんですけど。旅行先じゃ聴く手段がないもんで。」
「せっかくの休暇中にあまりおじゃましちゃだめじゃない。お母さん。」
窓の外に見入っていたRuriが口を挟んだ。
「そうね、そろそろおいとましましょうか。あの、失礼かもしれませんが、これは今回お手を煩わせてしまったお礼です。ほんのわずかですがお納め下さい。」
母親は無地の茶封筒を悟の方に差し出した。
「いや、そんなつもりで助けたわけではないので、お気遣いなく。」
悟は辞退したがどうしてもと進める母親の押しに負けて受け取ることになった。
「そこまで、おっしゃるならいただきます。ご連絡先も教えていただけますか。」
「事務所の連絡先をお教えいたしますね。小さな事務所ですけどRuriの名前を出せば連絡が取れるようになってますので。」
母親は名刺を悟に差し出した。
「ありがとうございます。そういえば私も名詞をお渡ししていませんでしたね。」
悟も母親に名刺を渡した。大手メーカーの名刺を見た母親は
「良い会社にお勤めですね。C1というともうすぐ管理職ですね。大変な時期でご苦労様です。」
「いえ、全然です。管理職というのもどうかなって思うんで。」
「そうですか。では、何かございましたならご連絡下さい。」
そう言ってRuri親娘は立ち上がった。
悟もレシートにサインをして立ち上がり、三人連れだってラウンジを出た。
エレベータに向かう途中、Ruriが悟の手を素早く握ってきた。一瞬の後悟の手には一片の紙切れが残されていた。
高原親娘を見送った後、その紙を開くと携帯の電話番号が書かれていた。Ruriの電話番号だ。
どういうことだ。
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