第46話 ばかあぁ


「うっ、ひっく、う、うええええん、お、おにい、おにいじゃんの……ばかああああああ」

 聞いてしまった……つい立ち聞きしてしまった。

 何かあるって……星空さんの思い詰めた表情から、何かあるって……そう思ったから……。

 告白でもするのか? そう思った。


 でもお兄ちゃんは断る筈……だから少し可哀想かなって……そう思って二人きりにしてあげた。


 でも……まさか……お兄ちゃんが……星空さんに……そんな事するなんて……。


 信じられない……信じられなかった。でもお兄ちゃんは……直ぐに否定しなかった……。

 部屋に入った事は……事実と言わんばかりに……。


 ガラガラと崩れていくお兄ちゃんへの信用、信頼……そして今までの思い出が頭の中で走馬灯の様に駆け巡る。


「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」

 足に力が入らない……もう立ってられない……涙で前が見えない。


 私はフラフラと夕暮れの誰も居ない公園に入り崩れ落ちる様にベンチに腰を下ろし両手で顔を覆って泣いた。


 いつかこんな日が来るかも知れない、漠然とそんな事は考えていた。

 そして私が成人するまでは……そんな日は来ないとも思っていた。



 でも違った……お兄ちゃんは……私のお父さんでもなければ、お兄ちゃんでさえも無い……無かった。


 勿論恋人でも……。


 どういう経緯かは知らない……お酒が入っていたのかも知れない、お兄ちゃんも健康な成人男性……あんなにも可愛い人が近くにいて魔が差したのかも知れない……どっちが誘ったのか……ううん……そそんな事はどうでもいい……。


 ただ一つだけわかっている事は……お兄ちゃんはそんな無責任な事はしないって事。


 そしてそう思った瞬間……そう考えた瞬間……私とお兄ちゃんの関係が、今までの事が、これまでの人生が私の中でガラガラと音を立てて崩れていった。


 そう……お兄ちゃんは……義務だったんじゃないかって……。

 無責任に私を放り投げる事が出来なかったから……だから今まで……その思いだけで私を育てたんじゃないかって……。

 私の為に……ではなく……自分の為に……。


「ふ、ふぐ、ううううう……ふええええええん」

 最初から私の事なんて……なんとも思っていなかったのでは?

 ……私が高校生になって、その義務感も薄れた……だから……。

 そんな事に気が付かず、彼女でも作ったらなんて言って……お兄ちゃんをけしかけてしまった私にも責任がある……。

 星空さんは……何も悪くない……そしてお兄ちゃんも……そんな事をした責任は必ず取る人。

 

 だから私の責任……全部私のせい。

 

「私……本当に……要らない子になっちゃった……一人になっちゃった」

 ポロポロと涙が溢れる……生まれて初めての失恋。

 私が今まで散々してきた事の、男子を振ってきた事の報い?

 皆こんな気持ちだったんだろうか? ごめんね……。


「どうしよう……もう家には帰れない……」

 あの家には戻れない……少なくとも今は戻りたくない。

 お兄ちゃんと星空さんがイチャイチャしている所なんて見たくもない。


 何も持たないで出てきてしまった……お財布もスマホも何も……。

 不安が寂しさが私を襲う……。


 これから……どうしよう……どうすれば。



「……さん? 雪さん!?」

 そんな恐怖に包まれたその時、頭上から唐突に名前を呼ばれ私はゆっくりと顔を上げると……そこには……短髪の少し残念な……イケメン男子が立っていた。


「……さ、悟君?」


「ど、どうしたんですか?! な泣いて、誰かに何かされたんですか?!」

 少し残念なイケメンの悟君は、ジャージ姿で短い髪、額から大量の汗を流しながら心配そうにベンチに座る私を見下ろす。

 この暑い中走っていたの? 確か名門のサッカー部だったよね? やっぱり陰で努力してるんだ……。

 

「う、ううん……違うの……大丈夫……」

 それにしても……みっともない姿を見られてしまったと……私は慌てて袖で涙を拭った。

 でも……彼から声をかけられ、知っている人が身近にいるという安心感からさっきまで流れ続けていた涙がピタリと止まった。


「何かあったんですか? その俺でよかったら」

 思った通り優しい人なんだなって私はそう思った……だからつい甘えてしまったのだろうか? 何も考えずに言ってしまった。聞いてしまった。


「……振られるって辛いよね? どうすれば立ち直れるんだろうね」


「…………それを俺に聞きますか?」

 そのなんとも言えない苦虫を潰した様な顔を見て、私は失礼にも思わず笑ってしまった。


「ふふ、ふふふ」


「今度は笑いますかそうですか……」


「ふふふ、ごめんね」

 

「いえ……じゃあ、そのお詫びに何があったか聞かせて貰いますから」

 悟君は少々強引に、私が座っている横に腰を掛けた。

 少し近いと感じたのか? 悟君が一度座った場所から少し離れて座り直す。

 その行動が少し寂しくて、そして少しホッとした。

 

 そして……ふわりと漂う汗の匂いに私は一瞬ドキッとしてしまう。

 男の人の汗の匂いに……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る