第45話 家出


「ホテルでの責任で結婚……」

 そう言われ……なんとなく誤解されている事を悟った俺が、少し呆れながら星空さんにそう言った刹那、『ガシャガシャ』っとリビングの外、扉の向こうからガラスが割れる音が、そして直ぐに『ドンドンドン』と誰かがその場から慌てて走り去る音が聞こえてくる。


 いや、誰かって一人しかいないから……。

 

 多分今の話を聞かれた? 


 俺は慌てて扉を開け、廊下に出ると玄関前でチラリと俺を見る雪、視力2.0の俺の目は一瞬だったが雪の表情を確実に的確に捉えていた。

 

 雪は……絶望とも思える表情でチラリと俺を見ていた……そして目からは大粒の涙が溢れていた。


「違う! ま、待って!」俺は雪に向かってそう叫ぶも、直ぐに『バタン』と少し乱暴に扉が閉まる音が聞こえた。


 雪は俺の制止に全く止まる事なく家を出ていってしまう。


 雪のあの表情……あの涙、そして俺への思い……その三つが俺の中で合わさる。

 しまった! ヤバい、完全に誤解された。


 急いで追いかけなくては……と、足を踏み出した瞬間、『パリン』と渇いた音がした。

 そしてその瞬間、激しい痛みが俺を襲った。


「い、いってええええ……」

 そう……俺は、雪が持って来て廊下に落として割れたコップを思い切り踏みつけてしまっていた。


 でも今はそれどころじゃない……追いかけなくては……俺は片足を引き摺りながらも恐らく足の裏に刺さっているであろうガラスを抜かずに廊下を急いで歩き雪の後を追った。

 しかし……あまりの痛みに玄関の手前で立ち止まってしまう。


「くっそう……」

 行かなくては……あんな表情の雪をほっておけない……俺は痛みを堪え玄関迄一歩一歩踏み出す。


 雪の為なら足の一本や二本どうって事は無い、命だってくれてやる。

 そう思い、靴を履こうとしたその時

「きゃああああああ!」と、後ろから俺を追いかけて来た星空さんの悲鳴が聞こえた。


「え?」

 それを聞いた俺はその声で一瞬冷静になり星空さんが青ざめた表情で見ている自分の足元を確認した。


 すると俺の靴下の片方の色が、まるで寝ぼけて左右履き違えた様に、みるみると白と赤になっていく。


 いや、こんな派手な赤い靴下なんて持って無いよ……なんて現実逃避をしてみるも、痛みでそんな余裕は無い。


 しかも一瞬で赤く染まった靴下のその周りからみるみると、どす黒い液体が溜まって行く。

 恐らく刺さったまま歩いたので傷が深くなってしまったのだろう……。


「動かないで! 今救急車を!」

 星空さんはそう言って慌ててスマホをポケットから取り出し恐らく救急車を呼んでいる。


 でもそんな場合じゃない、雪が出ていってしまった。

 急いで追いかけなくては……その一心で制止する星空さんを振り切り激痛に耐えつつ靴も履かずに外に出た。


 しかし家の前に出て辺りを見回すも、既に雪の姿はどこにも無い。

 家の前の道を右に行ったか左に行ったか見当も付かない……でも追いかけなくては……。

 そう思い……俺は足を引き摺りながらまるで夢遊病者の様にフラフラと歩き出す。


「だ、駄目!」

 追ってきた星空さんは後ろから俺に抱きついて来る。


「は、離せ! 行かないと! 雪が!」


「だ、駄目!」

 俺は羽交い締めで押さえてつけてくる星空さんを振り切ろうとするも、すでに片足の感覚が無く、そのまま道に倒れ込んでてしまった。


 俺の背中にしがみつく星空さん、もう振り切れない……もう立ち上がれ無いと悟った俺はそのまま空を見上げた。


 もう直ぐ夕方、そんな時間に出ていった雪……でも幸いな事に日はまだ高い。

 ジリジリとした日差しは俺を焦がす様に照りつけている……だけど、俺には暑さも寒さも感じない……。

 これが出血のせいなのか? それとも雪が出ていってしまい、不安に駆られているせいなのかは……わからない。

 すでに足の痛みはなかった……それどころか、足先の感覚もなかった。


 遠くから救急車の音が聞こえてくる。


「くっそう……何が……命よりもだ……」

 こんな事ぐらいで動けないとか……所詮俺は口だけ……か……。


 雪……雪……雪……、俺の頭の中は雪で一杯になっていた。


 俺の雪……愛する雪……どこに行ったんだよ……「ゆきいいいいぃぃ誤解だよおおお……」

 

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