第34話 優しさの資質


 いい人なんだろうな。

 夕方の住宅街、学校帰りの学生や、買い物帰りの主婦がチラチラちとこちらを見ている。

 夕焼けの光に照らされ彼の顔がいっそう真っ赤に染まっていた。

 慣れてないんだなこういう事にって……そう思った。

 でも、それでも……一生懸命に自分の気持ちを告白してくれた彼……。

 多分いい人なんだろう……私の勘がそう言っている。

 

 でも……。

 

 私が断りのセリフ口にしようとしたその時、体育会の反応なのか? 彼はさらに自己アピールを叩き込んできた。


「お、俺、優しいって……よく言われます。それに大切にする……暴力とか絶対に振らない、あ、俺ちゃんと付き合った事ないけど、桜でその辺は慣れてるから……だから」

 

「……あははは、そんなの当たり前だよ!」

 彼のセリフを聞いて思わず食い気味にそう言ってしまった。


「え?」

 きょとんとした顔をする悟君……まあ、優しくするって言えば女の子はキュンとしちゃう……って普通の子ならそう思うだろうな。


「そんなの当たり前の事……ううん、ごめんね、なんか嫌な言い方だったね、そんなの当たり前の事だって私はそう育って来たから」

 そう……当たり前の事、でもそんな当たり前の事をしっかりと当たり前にしてくれた……。

 小さい頃はお兄ちゃんに迷惑ばかりかけてきた……言う事だって聞かなかったし、イタズラや、わがままだって……でも怒られる事はあっても叩かれた事は一度だって無かった。

 そして、ずっと私を見続けてくれた。いつも、ずっと……。


「つ、付き合ってくれたら、俺、絶対に優しくします……だから」

 私の言ってる意味がわからなかったのか? もう一度そう言ってくる。


「……ふふふ」


「俺……なんかおかしい事言いました?」

 むっとした顔になる。まあ、なるよね……。


「ううん──ごめんね……じゃあさ、付き合ったらサッカー辞めてくれる?」


「え?」


「私が……ずっと一緒にいたいからって言ったら、学校辞めてくれる?」


「そ! それは……」


「ふふふ、ごめんね……無理な事言っちゃって……あのね……私ね……好きな人がいるんだ」


「え?」


「その人はね、私にその人の全部をくれる人なの、全てを……人生全てをかけてくれる人なの、それにね、凄く、すっごーーーく優しいんだ……だからごめんね」

 私がそう言うと、悟君は少し考えてそして必死の形相に変わった。


「それって……俺じゃ、勝てないって事ですか? そいつには勝てないって……そういう事ですか?!」


「うん!」

 私は笑顔ではっきり言った。多分これが残酷な事だってわかっている。勝手な事だってわかってる。


「そんな……俺だって優しく……するし……」

 

 多分これは、私が好きだから言ってるんじゃない……これは私の好きな人、お兄ちゃんに負けるのが嫌だから言ってるんだ……。

 

 だから私は彼に、とどめを刺す。初めて会ったばかりでここまで言うのは少し可哀想な気もするけど……でも、お兄ちゃんは……私の好きな人は凄いって……自分に言い聞かせる為に……私は、はっきりと言って彼を楽にしてあげる事にした。


「あーー、もうさ……それから違うんだよね」


「──そ、それから?」


「優しくするって、もうそこから違うの……」


「違うって……違うって、どう違うんですか?!」


「……さっきも言ったけどそんなの当たり前だって事、わざわざ言う必要のない事なの……でも多分そう言ってもわからないと思うから、ちょっとだけ具体的に言うとね……今ちょっと一緒に歩いていたでしょ?」


「……それが」


「あのね……何で私に歩幅を合わせて歩いてくれなかったの? 何で危険な道路側を歩いてくれなかったの? 信号で待ってる時も車を注意して無かったし、横断歩道を渡る時、左折してくる車から私を守っていなかった。そして、前を歩いている時、何で一度も振り向いてくれなかったの? あと、どうして貴方から話しかけてくれなかったの?」


「……え? あ……」


「他にもあるけどね、だから言ったでしょ? 私の好きな人はそういう人なの、それを当たり前にしてくれる人なの、私はそれが当たり前になっちゃってるの……だから……もうその人じゃなきゃ……もう私はその人じゃなきゃ……他の人じゃ駄目なんだ……」


「……そ、そんな……」


 子供の頃あっちこっちに走り回っていた。そんな私をずっと優しく見守ってくれた。

 ずっと私を見守ってくれていた……それが当たり前だって思ってた。

 

 お兄ちゃんが出張でいなくなって、家からいなくなって初めてわかった。

 悟君と一緒に歩いて、初めてわかった。


 それは特別だったって事が。


「だから……ごめんね……」


「……いえ……俺も……なんかすみません」

 ううん……嫌な女の子だよね私……自分で言っててなんだこいつって、だから私こそごめんね。

 そう心の中で呟いた。


「ううん……でもさ、悟君本気じゃ無かったでしょ?」


「え?」


「本気で私と付き合うつもり無かったでしょ?」


「そんな事ないっす、俺は本気で!」


「悟君、桜ちゃんの事好きでしょ?」


「……は? まさか、なに言ってるんすか?」


「えーーー本当に? 当て付けで私に会いたいって言ったんじゃない?」


「いやいや、本当にないっす、全然、そんな気……ないっす、あいつとは昔っから一緒で、一緒に風呂にも入った仲なくらいで、多分今一緒に風呂に入ってもドキドキしないっすから!」


「ふーーーーん、じゃあ最近も見たんだ? 悟君やらしい」

 冗談めかしてそう言う。


「きょ、興味ないっす……本当に、向こうも同じって思ってるっす」


「そうかなあ?」


「そうに決まってるっす、古い付き合いだからわかるっす!」

 自信満々にそう言う悟君……なんかもう、言えば言うほどボロが出ちゃって……だってさ……。


「あはははは、悟君顔真っ赤、意識してるのバレバレ、わかりやすいよねえ」


「えええええええ!」


「まあ、その気になったら言ってよね、相談にも乗るし、協力してあげるから」


「あ、はい……いやいやないっすから!」


「まあ、頑張って、じゃあ……私はここで良いから、今日はありがとう、楽しかった」


「あ、はい……」


「あとね、桜ちゃんには内緒に出来る?」


「え? あ、はい」


「お風呂に一緒になんて、そんな事くらいどうってこと無いよ、私はね、私の好きな人にオムツ交換して貰ったんだから」


「……お、おむ……って、えええ!」


「うわ、顔がさらに真っ赤に、エッチ! そうじゃなくて、それでも好きって事、だから桜ちゃんだってひょとしてかもよ、じゃあね~~」

 私は最後に悟君の顔を見て、そしてその場を後にした。

 悟君は一瞬驚いた表情になり、そしてその後何か考えるように空を見上げていた。


 多分その時の悟君の頭の中には、私はもういなかったのだろう。

 桜ちゃんの事で一杯になっていたんだろうって、そう思った。


 そして私はこれで完全に理解した。

 もう私にはお兄ちゃんしかいないって事を……これから先、あれほど私の事を愛してくれる人はいないって事を。

 だから私は決めた……お兄ちゃんに告白する事に、もし何度断られても、ずっとずっと告白し続ける……そしてずっと好きで居続ける事に。


 私はそう心に決めた。


 もしお兄ちゃんが他の人を好きになっても……ずっとずっと思い続けるって……今はっきりと……そう心に誓った。

 

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