五年前の事件
バルブロの左足が吹き飛び、左目の視力がほとんど失われた五年前のその日は、よく晴れて空が高く見える、秋の一日だった。
その日、処刑台はいつも通りに、中央広場の中心、青いタイルの上に設置された。処刑が始まる一時間前になると、台の周りには円を描くようにポールが立てられ、見物人たちがその外側に続々と集まってくる。
公開処刑の日、中央広場はお祭り騒ぎになる。いくつもの露店が出、各地から大道芸人がやってきてパフォーマンスを披露する。大人から子供までがこの日を祭日として楽しむのだ。
それでも、処刑の時ばかりは打って変わって静かになり、人々はその成り行きを、固唾を飲んで見守る。ムルジャン人にとってその日はお祭りであると同時に、神聖な儀式の日でもある。
連続強盗と殺人の罪で死刑を課せられた男が、警察官と共に処刑台の階段を上る。バルブロは一足先に処刑台の上に立ち、固く拘束された死刑囚が半ば引きずられるようにして近づいてくるのを、覆面に空いた小さな穴から眺めていた。
死刑囚の名前はなんといったか、五年経った今はもう失念してしまい、改めて調べる気持ちにもならない。ただこのとき、(多くの死刑囚はなぜ怯えるのだろうか)と考えていたことを、バルブロは覚えている。
ここに上ってくる囚人の多くは、複数の殺人を犯したものだ。幾度かの裁判を経て、ムルジャン司法に「罪状が極めて重大、かつ更生の見込みなし」と判断された上でやってくる。
彼らは死に親しむことはないのだろうか、とバルブロはよく考えた。
(なぜ死刑囚はあんなに辛そうな顔をするんだろう。彼らが何度も他人に与えてきた死は、彼らにとっては近しいものにはならなかったのだろうか? かくいう俺も何人もの首を斬ってきたが、自分が死ぬことは未だに怖ろしい。俺たちは何度も死に接していながら、なぜ未だにそれを怖れるのか? まだ自らの死を経験したことがないから? それが生き物の本能だから? 俺はいつか死ぬとき、どんなことを思うのだろうか?)
覆面の下では、何を考えていても他人にはわからないということを、バルブロは知っている。
やがて処刑台の上に囚人が固定され、警察官が壇上を降りる。バルブロは重い刀を取り上げる。ゴーエン家は七世紀にわたって首斬り役人を拝命してきたが、その家系の中でも自分の腕はかなりいい方だ、と彼は自負している。斬り損ねたことは一度もない。刀を振り下ろした次の瞬間には、何もかも終わっている。
いつも一瞬で終わるバルブロの処刑を、人々は「優しい」という。
手袋をとり、刀の柄を両手で握る。革を巻いただけの地味で素朴な柄は、処刑のない日も毎日鍛錬のために握っているだけあって、手にしっくりと馴染んで体の一部のようになる。
突然の轟音と共に処刑台が吹き飛んだのは、その一瞬のちのことだった。
ムルジャンで制度としての公開処刑が始まって千年以上、斬首に切り替わってからおよそ七百年。処刑台が死刑囚と首斬り役人ごと爆破される事件が起こったのは、これが史上初めてのことだった。これまで誰も、そのような犯罪を企てたことがなかったのだ。したがって警備は薄く、爆弾をしかけようと思えば、誰にでもやってやれないことはなかった。
バルブロが次に目を覚ましたときには、病院のベッドの上だった。様々な機器が周囲を取り囲み、固定された腕に点滴の針が刺さっていた。身動きがとれない中、彼は妙に静かな気持ちで(目がえらくぼやけるな)と思った。
その次の日、彼は自分の左足の膝から下が吹き飛んだことと、自分が首を斬り損ねた死刑囚が爆発で死んだことを知った。
多くの目撃者の下で大事件の被害者となったバルブロの個人情報を、完全に隠しておくことは難しかった。彼が事件の後に肝心の役目を引退し、加えてゴーエン家には他に首斬り役人がいなかったことも、機密条件を緩ませた。
こうしてバルブロ・ゴーエンは、ムルジャン史上たったひとりの「特定可能な首斬り役人」になったのだ。
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