第23話 君と巡り逢えて、俺の人生は変わったんだ 1/2

 真伽まとぎケイ……ではなく。

 新戸あらと京子でもなく。


 俺と那由なゆの母親――佐方さかた京子きょうこに向かって。


 俺は話しはじめた。



 ――綿苗わたなえ結花ゆうかと出逢ったあの日から。

 楽しいことしかなかった、今日までのことを。



「最初のきっかけは、親父だったんだよ」


 右隣にいる結花の手を握ったまま。

 左隣の那由に目配せしてから……俺は母さんに笑い掛ける。



「親父の奴、俺と結花の結婚話を決めてきたって、ある日突然言い出したんだぜ? 勝手に決めて、ろくに説明もせず……信じらんないだろ?」

「……結婚話を決めてきた? 勝手に? どういうこと?」



 だよね。分かる分かる。


 俺だって最初、「何言ってんだこいつ」ってなったもんな。

 なんなら事情をすべて理解した今でも、ふざけた親父だって思ってるくらいだし。



「わけも分かんないまま、俺と結花はひとまず、顔合わせをすることになったんだけどさ。マジでびっくりしたよ。だって、親が勝手に決めてきた許嫁が……同じクラスの女子だったんだから」



 ――高二の始業式の日。


 初めて見た綿苗結花の印象は、たとえるならば、空気のような存在だった。



 眼鏡を掛けて、ポニーテールに髪を結って。

 表情に乏しく、人と関わることもあまりなく、ひっそりと自分の席に座ってる。


 クラスの隅にいる地味な女子――それが結花の第一印象だった。



 ――そんな地味な結花が、実は俺の許嫁だって分かってすぐに。


 俺と結花は、お互い緊張しながらも、二人で喋ってみたんだよな。



 そしたら、趣味が近いなとか、意外と波長が合うなとか、そういうのが分かって。

 気が付いたら、お互いに打ち解けてきて。


 それで結花が……ニコッと、楽しそうに笑ったんだよ。


 学校のときとは違う、無邪気で屈託のない――可愛いしかない笑顔で。



「……あ。しかも親父の奴、結花が俺の推しの声優をやってるってことも、最初から知ってたんだぜ? 知ってて隠してたんだから、とんだペテン師だよな」


「絶対ろくな死に方しないよね。市中引き回し五十周とか、それくらいの極刑に処されればいいのに。マジで」



 俺のぼやきに続けて、援護射撃をしてくる那由。

 それを聞いた母さんは……くすっと、少しだけ笑ったような気がした。



『ラブアイドルドリーム! アリスステージ☆』で活躍する、俺の永遠の推し――アリスアイドル・ゆうなちゃん。


 その中の人である和泉いずみゆうなが、実は結花だっていう事実を、俺は初対面の日に知ったんだけど。


 結花もまた、和泉ゆうなの古参のファン『恋する死神』が……実は俺だっていう事実を、そのときに知った。


 そんな衝撃の展開を迎えて、結花は――。



「ふつつか者ではありますが……『和泉ゆうな』こと綿苗結花は、今日からお嫁さん頑張ります。なのでどうか、よろしくお願いしますっ!!」



 ――やたらハイテンションになった。



 親同士の決めた結婚なんてね……とか言いあってたはずなのに、高速で手のひらを返しちゃって。


 結花ってば、『恋する死神』への過大評価がすぎるんだよな。まったく。



「こんな感じで、紆余曲折あったけど。俺と結花は、二人で暮らすようになったんだ」


「そ。父さんの仕事の都合で、あたしと父さんはもともと海外暮らしだったから。で、多感な時期の男女が、婚約早々、二人だけの密室でギシギシ暮らすに至ったわけ」



 俺は無言で、那由の頭にゴンッと拳を落とした。

 那由は「ぐぉぉぉ……」とか呻きながら、その場にしゃがみ込む。


 ったく、すぐ調子に乗るなお前は……今、結構シリアスな場面なんだからな?



「那由の戯れ言は置いといて……高二の男女が、婚約した上に同棲中とか、さすがに学校では公言できないだろ? 声優活動も同じで、炎上のリスクが高いって思ったから。俺たちの関係は言わないまま――」


「――そういうことだったのね。和泉さんの『弟』さん、和泉さんと『恋する死神』さんの馴れ初め。ようやく、『カマガミ』の件の背景が理解できたわ」



 母さんは穏やかな声でそう言うと。

 結花に向かって――恭しく頭を下げた。



「和泉さん、ごめんなさい。今回のスキャンダルの件……もとを正せば、佐方家が多大な迷惑を掛けていたのね」


「い、いえいえ、そんな!! 頭を上げてください! 真伽さんに謝られるようなことなんて、何も――」


「いいえ。理由ならあるわ。だって私は――かつて、佐方家の人間だったんだから」



 ――――かつて。


 その言葉が、やけに鋭く胸に刺さる。



 けれど俺は、グッと堪えて――結花との想い出を語り続けた。




 和泉ゆうな初出演のイベント。運悪く重なったボランティア。


 校外学習で見た夜空。夏祭り。二人で眺めた線香花火。


 夏休み。コミケ。結花が過去を振り切った、最高の文化祭。


 努力が実り、『ゆらゆら★革命』が結成されて。インストアライブの沖縄公演は、修学旅行と重なって大変だったっけ。


 冬には、北海道にも行った。忘れられない、ホワイトアフタークリスマスもあった。


 新年を迎えてから、初めてお義父とうさんとお義母かあさんにお会いした。そして、自分なりの精一杯で……未来の『夫』としての覚悟を伝えた。


 それから、バレンタインデー。

 第二回『八人のアリス』人気投票。

 今回の『カマガミ』の騒動。


 ――――色々あった。


 本当に色々ありすぎて。想い出が溢れすぎて。

 そして、どんなときも……結花がそばで笑っていてくれて。



 好きだ。


 結花が好きだ。


 愛しくて、愛しくて――仕方ないんだ。



「うにゃぅぅ……ば、ばかぁ……さすがに恥ずかしすぎるじゃんよぉ、ゆうくんってばぁぁ……好き。私も、大好き。遊くん愛してる……遊くん、遊くん……」



 俺の手をギューッと握り返しながら、結花が俯きがちに呟く。

 その姿が愛おしすぎて――俺は反対の手で、その頭をそっと撫でた。



「こんな感じで……割と幸せな毎日ではあるよ。だけどさ、母さん。俺の心の中には、どうやら――『寂しい子ども』の俺ってのが、いるらしいんだ」


「……『寂しい子ども』?」



 分かんないよな。俺も結花に聞くまでは、考えたこともなかった。


 だけど――それが今、一番伝えたいことなんだ。



「正直……母さんのことなんて、忘れたつもりだった。けど、結花に言われて、やっと気付いたんだよ。俺はただ、平気なふりをしてただけで……ずっと寂しかったんだって。なんでいなくなるんだよって、ムカついてたんだって! 帰ってきてほしいって……願ってたんだって!!」



 ――遊くんはねぇ……いっつも頑張り屋さん。


 ――私の前では、泣いていいんだよ? 甘えたって、いいんだよ?


 ――だって……どんなあなたも、愛おしいんだもの。



 結花の声が、頭の中でリフレインする。

 同時に俺の頬を、涙が一筋つたっていく。


 親父と母さんが離婚したあと、ずっと無意識に抑えつけていた感情。

 心の奥底に沈めて、氷漬けにしてしまった想い。


 そんな凍った心を――太陽のような結花の温もりが、溶かしてくれたから。



 だからもう、寂しくないふりは……やめたんだ。



「あたしだって、同じ気持ちだし!!」


 俺に触発されたように、那由が叫んだ。



 ギュッと噛み締めた唇。

 その口元を、涙の雨が濡らしていく。



「母さんには、マジでムカついてっけど! とりま、父さんと兄さんとあたしで、母さんにマジふざけんなって話をして! 母さんの全額奢りで、回らない寿司でも食べて!! そしたら……終わりでいいから。だから、帰ってきなよ。帰って、きてよ……」



 最後の方は、泣きじゃくる声と混じって、うまく聞き取ることができなかった。



「なーゆちゃんっ」


 そんな那由の名前を呼んで。


 結花は俺の手を離すと、那由のことを正面から――ギュッと抱き締めた。



「頑張ったねぇ、那由ちゃん……ちゃんと自分の気持ち、伝えられたね。偉いね?」



 優しくて、穏やかな。

 天使にも似た結花の笑顔。


 そんな結花のことを見ていたら。

 なんだか俺まで抱き締められてるような――不思議な気持ちになる。



「……言いたいことは分かったわ。けれど……ひとまず今日のところは、これくらいにしましょう」



 ――だけど。

 母さんは極めて事務的な口調で、そう言い放った。



「事務所の中で、個人情報を話すべきじゃないわ。『カマガミ』の件があったばかりだもの。万一また不測の事態が起これば、今度こそ和泉さんの進退が危ぶまれる。リスク管理は、慎重に慎重を重ねるべきよ」



 そんな言葉ひとつで、話を区切って。


 俺たちから目を逸らそうとする母さんに。


 俺は一瞬、怯みそうになって…………。



「――――逃げるな、真伽ケイ!!」



 そのときだった。

 後ろで傍観していたはずの来夢が、母さんを一喝したのは。


 そして来夢は、強い語調で続ける。



「夢や信念を言い訳にして、弱い自分を隠すな!! 貴方は真伽ケイ。見る者すべてに感動や幸せを届けてきた、すばらしい人よ。だけど! 今は真伽ケイとしてじゃなく……向き合うべきことが、あるでしょう!? 分かっているはずよ――佐方京子!!」


「……まったく、紫ノ宮の言うとおりだな」



 来夢が言い終わるのを待っていたように。

 その後ろから、ゆらりと現れたのは――六条ろくじょう社長だった。



鉢川はちかわ掘田ほったと協力して、人払いは済ませたよ。エントランスはしばし、先ほどの配信の後処理に使うので、裏口を利用してくれ――そのように伝達してある。まぁ、もとより今日は日曜日。片手で足る程度しか、事務所に人はいなかったがな」



 当たり前のような調子でそう言うと、六条社長はじっと母さんを見つめる。



「プライバシーのことなら大丈夫だ。安心して続けてくれ、京子」


麗香れいか……どういうつもり?」


「……そうだな。敢えて表現するなら、贖罪だな。わたしの夢に巻き込んで、君や君の家族を傷つけてしまった……そんな過去の罪滅ぼしだ」



 六条社長が話している間に、廊下の向こうから勇海いさみが出てくる。

 続いて、二原にはらさんとマサが。さらには鉢川さんと掘田さんも、姿を見せて。


 気付けば『60Pプロダクション』のエントランスには――さっきまで会議室に控えていた全員が、集結していた。



「……あなたらしくないわね、麗香」


「そうだな。本当に、わたしらしくない。だが、いずれにしても……わたしにできることは、ここまでだ。この先は、君たち家族で――ケリをつける問題だからね」


「ですね。ということで、お義母かあさん? 家族揃っての話し合い、第二ラウンド! ……と、いきましょうか?」



 母さんと六条社長の間に漂う、重たい空気を吹き飛ばすように。

 ご機嫌なテンションで切り出したのは……勇海だった。


 それから勇海は、俺たちの方を見てキザっぽく笑うと。

 ゆっくりと――自身のスマホを、こちらに向けた。



「…………え?」



 勇海のスマホ画面を目にして。

 俺も那由も母さんも、同時に驚きの声を上げた。


 いや、だって。無理もないだろ?


 勇海のスマホ画面に映っていたのが――。



 ――――うちの親父だったんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る