第18話 灰色の空に、愛の矢を 2/2

「で……でるちゃんだと……? 本物なのか、遊一ゆういち……?」


「偽物だった方が怖いだろ……分かったから、口を閉じろってマサ。エサ待ちする鯉みたいな顔になってるから」



 俺とマサが二人でひそひそ話していると、掘田ほったでるは「よっこらせ」なんて言いながら、オフィスチェアに腰掛けた。



「くるみん、なんか死にそうな顔してんじゃん」


「ただでさえ胃が痛いところに、あんたまで乱入してきたからね……っ! もぉぉ、次から次へと……頭が沸騰しちゃいそうよ本当に!!」


「まーまー。わたしのことは気にしないでって。ゆうなちゃんを心配して駆けつけた、優しい先輩ってだけだからさ」



 おどけたようにそう言う掘田でるの表情は、番組に出演してるときと変わらない、からっとした笑顔だった。


 そんな掘田でるとは対照的に――結花ゆうかは泣きそうな顔のまま、俯いている。



「なんて顔してんのさ、ゆうなちゃん」


「……掘田さん、ごめんなさい。私のスキャンダルのせいで、いっぱい迷惑を掛けちゃって。『ゆらゆら★革命 with ゆー』だって、結成したばっかりなのに……」


「んー、そうねぇ……迷惑だったら、ラジオで何度も掛けられてきたんだけど? 反省するんなら、そっちにしてくんないかなぁ? もちろん、らんむと一緒に」



 ごもっともだった。


 なんたって掘田でるといえば、『和泉いずみゆうながご迷惑をお掛けした声優ランキング』があったとしたら、トップに躍り出るような声優だからな。



「おい、見たか遊一!? 『アリラジ』伝家の宝刀、掘田でるのツッコミだぞ!? 俺たちは今、偉大なる文化を目の当たりにしている!」


 マサ、うるさい。


 そんな騒々しさの塊みたいなマサの方を見ると、掘田さんはニコッと笑った。


「あ、ひょっとしてファンの人? 喜んでもらえて嬉しいでーす。どーもー」


「あ……いや! 申し訳ないっす、でるちゃん!! けど、俺の推しは――らんむ様以外ありえないんです!! 大変失礼だとは思いますけど、これだけは譲れないっす!!」


「マジで大変失礼だね、君!? たとえそうだとしても、せめてこの場は社交辞令とか、なかったかなぁ!? びっくりするほど傷ついたわ!」


「ごめんなさい掘田さん、私のお友達が!! 倉井くらいくん、馬鹿なのかな!? 私の立場も考えてよ!? 掘田さんに見えざる圧力を掛けられて、私が声優活動できなくなっちゃうとか……そういうこともあるかもしれないじゃんよ!!」


「うん、ゆうなちゃんはもっと失礼だね? 誰が見えない圧力を掛けて後輩声優を潰す、闇の声優だってのよ!!」



 えーっと……すみません、掘田さん。

 うちの天然な許嫁と、頭のネジが抜けがちな悪友が、大変な無礼を働きまして。


 なんて――いたたまれない気持ちになっていると。


 掘田さんは俺の方に顔を向けて、微笑み掛けてくれた。ふわっとした優しい顔で。



「……ま、冗談はこれくらいにして。初めましてだね、『弟』くん? お噂はかねがね、ゆうなちゃんから伺ってたけど。あ、それとも――『恋する死神』さんって呼んだ方が、いいのかな?」



 きっと、気を遣ってくれてるんだろう。

 掘田さんは冗談めかしつつ、『弟』で『恋する死神』な俺に話し掛けてくる。


 そんな掘田さんのことを、まっすぐ見つめ返して。

 俺は呼吸を整えつつ応えた。



「初めまして、掘田さん。佐方さかた遊一です。和泉ゆうなが、よくラジオで話題にしてきた……『弟』で。昔からファンレターを送り続けてきた、ゆうなちゃんの一番のファン――『恋する死神』で。それから、和泉ゆうなの彼氏――いえ。婚約者、です」



 最後の事実だけ、告げるべきなのか、少し悩んだけど。

 包み隠さず伝えることに決めた。


 だって彼女は、掘田でる――和泉ゆうなが所属するユニット『ゆらゆら★革命 with ゆー』の一人で。和泉ゆうなにとって、大切な先輩の一人だ。


 そんな相手に対して、結花だったら絶対……本当のことを伝えたいって。

 そう思うに違いないから。



「ん。了解したよ、『弟』くん。これ以上の後出し情報はなさそうな感じってことで、おっけー? あるんなら先に言っといてね? 心臓に悪いからさ」



 ドキドキしながら、反応を窺っていた俺に対して。

 掘田さんは信じられないくらい、あっけらかんと言ってのけた。


 あまりにもあっさりとした掘田さんの態度に、俺と結花は思わず顔を見合わせる。



「え、えっと……驚かない、んですか? 私がラジオで喋ってた『弟』って、実は弟じゃなかったんですよ?」


「いや、それは普通に最初から分かってたからね!? まさかバレてないと思ってたの、ゆうなちゃん!? すごいな、本物の天然ちゃんは……いやね? さすがに婚約者だとまでは思ってなかったよ? 昨日、らんむから聞くまではさ」



 思いがけず飛び出してきたその名前に、俺は驚かずにはいられなかった。


 和泉ゆうなの先輩声優で。

 かつて俺の黒歴史の象徴だった、中学時代の同級生。



 紫ノ宮しのみやらんむ――野々花ののはな来夢らいむ



「えっと、掘田さん。らんむ……ちゃんは、どんな話を?」


「『カマガミ』の動画の顛末を教えてもらっただけだよ。『弟』くんが、ゆうなちゃんの婚約者で。らんむと『弟』くんは、昔の知り合いで。たまたま二人で話してたら『カマガミ』が盗撮した上に、歪んだ情報をネットに上げるって言い出したから――ゆうなちゃんが、全部ぶちまけたんだって。そんくらい」



 そんくらい……っていうには、情報過多な気もするけど。まぁ事実でしかないから、仕方ない。



「……掘田さん。俺からも謝らせてください。掘田さんにも、他の声優さんにも、事務所の皆さんにも。迷惑を掛けてしまって、申し訳――」


「待て待て、『弟』くん! さっきも、ゆうなちゃんに言ったでしょ? 謝ってもらうとしたら、ラジオでの暴走だって。今回の件は、あくまでも『カマガミ』って奴に迷惑を掛けられただけだもの。ゆうなちゃんや『弟』くんが謝るのは、意味が分かんない」



 頭を下げようとした俺の肩をぐいっと押して、おじぎを強制キャンセルすると。

 掘田さんはニカッと笑って、言ったんだ。



「いーい? わたしたち声優はさ、みんなに幸せを届けるのが仕事だよ。そのために、キャラクターに命を吹き込むし、歌ったりラジオで喋ったり、イベントに出たりもするわけよ。それを見たファンの人たちが喜んでくれたら、そりゃあもう嬉しいさ。だけどね、どうしたって――わたしたち声優は、人間なんだよ」



 掘田さんの言ってることは、至極当然のことのはずなんだけど。

 なぜだか、ぐっと――胸に刺さるものがあった。



「そう、人間だから。当たり前に日常を生きて、当たり前に笑ったり泣いたりして、そして当たり前に――誰かを好きになるんだよ。二.五次元なんて言ってもらえるのも、ありがたいんだけどさ? 舞台を降りたら、どう頑張ったって……わたしたちは三次元を生きるしかない。だから――めっちゃ優しくして! とまでは言わないけどさ。せめて、人間扱いくらいはしてほしいって、思うじゃん? ねぇ、ゆうなちゃん?」


「…………掘田、さん」



 うまく言葉が出てこないのか、結花は口を開いたまま、その場に立ち尽くしている。


 そんな結花の後ろから――。



「――当たり前のことを言いますね、でるちゃん。けど、そんな当たり前が分かんねぇ馬鹿が、こんな騒ぎ起こしてんだもんな。ったく……愚かすぎだぜ」



 俺の悪友にして『アリステ』ユーザー――マサが、熱血キャラみたいな顔で言った。


 それに続くように、二原にはらさんや、那由なゆ勇海いさみも。



「倉井、いーこと言った! そーだよ……ゆうちゃんだって、来夢だって、他の声優さんだって。ファンのために頑張る姿も、普通の日々を送ってる姿も、どっちもあって。それを、どっちが本当で、どっちが嘘とか……ガチでくだんないっての!!」


「つーか、そもそもスキャンダルって何? オフの時間を勝手に暴いて、大騒ぎして……なんなの? いつから日本は盗撮が合法になったの? 歩くストーカー、きも」


「ストーカーは大体、歩くでしょ……まぁ、那由ちゃんの言うとおりかな。アイドルとか声優とか――いわゆる芸能人だったら、隠し撮りしても悪口を言ってもOKなんて考えは……やっぱり違うよね」



『60Pプロダクション』の会議室の空気が、一気に熱を帯びていく。


 そんな中、掘田さんは――柔和な笑みのまま、俺のことを見据えて。


 でるちゃんのように柔らかな声色で、言ったんだ。



「……ま。わたしの本音としちゃあ、さっき言ったとおりなんだけどさ。そうは言っても、心ない言葉を吐く人だっている。残念ながらね。だからさ、『弟』くん――ゆうなちゃんのことを、ちゃんと護ってあげて?」



 その言葉に、俺は迷うことなく――首を縦に振った。

 それを見た掘田さんは、少し照れたように頬を掻くと、鉢川はちかわさんの方に顔を向けた。



「ほらね? ただの優しい先輩だったでしょ、くるみん」

「……そうね。でるのおかげで、胃の痛みが治まってきた気がするわよ」


 掘田さんと鉢川さんが、目を合わせて笑いあう。



「なんか考えてたら、余計『カマガミ』にムカついてきたなぁ!! よぉし、こうなったら……徹底的に戦おうぜぇぇぇぇ!!」


「や。うちらはただの、ギャラリーだかんね? ちょい落ち着きなっての、倉井」



 なんか無駄に騒いでるマサと、それを遠巻きに見てる二原さんと、那由&勇海。


 だけど四人の表情は、みんな穏やかに微笑んでいて。


 これこそが、結花が結んできた笑顔なんだって――心の底からそう思ったんだ。



「随分と騒々しいものだな」



 そんなときだった。

 ガチャッと会議室のドアを開けて、二人の重役が入ってきたのは。



 一人は六条ろくじょう麗香れいか。この事務所、『60Pプロダクション』の代表取締役だ。


 そして、もう一人は。


 専務取締役兼アクター養成部長を務める、この事務所の実質的なナンバー2。



 そう――真伽まとぎケイだった。

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