第17話 灰色の空に、愛の矢を 1/2

 陽の光の強い、日曜日。

『60Pプロダクション』の近くにある公園。


 その入り口あたりで――俺は待ち合わせをしていた。



「はあぁぁぁぁ…………」


 そこにやって来たのは、スーツ姿の鉢川はちかわさん。

 身だしなみは整ってるんだけど……なんていうか、目が死んでる。



「えっと……顔色悪いですけど。ひょっとして、二日酔いとか?」

「小粋なジョークをありがとう、遊一ゆういちくん。ぶっ飛ばすわよ?」



 なんか睨まれた。

 空気を和らげようとしただけなのに。


 と――そんなやり取りをしていたら。



「お、久留実くるみさんだ。どーも、お久しぶりでーす!」


「久留実さん、ご無沙汰してます。相変わらず、誰もが見惚れるほどの美しさですね?」


「へぇ、この人が結花ゆうかちゃんのマネージャーなんだ……どうも。『恋する死神』の妹、佐方さかた那由なゆです」


「すっげぇ! 声優事務所のマネージャーとか、ガチの業界関係者じゃねーか!! 興奮してきた、興奮してきたぞぉ遊一!!」



 二原にはらさん、勇海いさみ、那由、マサが――公園の中からぞろぞろと、こちらへ向かって歩いてきた。


 思い掛けない人数に驚いたのか、鉢川さんは目を丸くする。



「な……なんでみんな、ここにいるの!?」


「うちらが、ゆうちゃんにお願いしたんすよ。事務所に入れてもらうんは無理でも……せめて、ちゃんと送り出したげたかったから。とりま、事務所の近くまではお見送りに付き合わせてほしいってね!」



 二原さんがニカッと笑って、そんな説明をする。

 同意するみたいに、勇海もこくこくと頷いている。



「わあああ! トイレに行ってたら、遅れちゃいました!! 久留実さん、おはようございますっ!!」



 そこへ、一足遅れでやって来た――今日の主役こと、綿苗わたなえ結花は。

 鉢川さんにぺこりとお辞儀をして、言ったんだ。



「色々とご迷惑お掛けしますが……今日はどうぞ! よろしくお願いしますっ!!」



 ――――そう。


 今日は他でもない、『60Pプロダクション』が生配信を行う日だ。


 配信開始時刻は、十三時の予定。

 配信の主な内容は、『カマガミ』の動画の件について。

 配信に使うブースは、事務所ビル内にあるものを使うと聞いている。



 そして、配信に出演するのは――。



「ゆうな、おは……はぁぁぁぁぁ。今日はよろしく……はぁぁぁぁぁぁ……」


「ため息すごっ!? 大丈夫ですか久留実さん?」


「大丈夫なわけないでしょーが! うぅ……お腹痛い……」



 大きな声でツッコんだかと思うと、鉢川さんは背中を丸めて縮こまる。



「ファンへの説明を、真伽まとぎさんじゃなく、自分が出演してやりたいだなんて――正気の沙汰とは思えない提案を、担当声優からされたのよ? そりゃあ胃も痛くなるわ……」


「すみませんね、うちの結花が……」



 ――生配信に自ら出演したい。

 そんな素っ頓狂な提案を、結花は昨晩、電話で鉢川さんに告げた。


 当たり前だけど、鉢川さんはめっちゃくちゃ反対した。


 とはいえ、こういうときの結花が簡単に折れるわけもなく。


 最終的には……ひとまず鉢川さんから、六条ろくじょう社長に伝えるだけ伝えてみるって形に落ち着いた。



 それに対する六条社長の回答が――「直接、話をしようか」というものだったので。


 俺たちはこうして、『60Pプロダクション』に赴くことになったわけだ。



「まーまー。久留実さん、逆に考えましょーよ? この無茶苦茶さこそが、結ちゃんの可愛さじゃんよ♪ って!」



 二原さんがけらけら笑いながら、言ってのけた。

 そんな二原さんにつられたように……鉢川さんも、ふっと笑みを零す。



「……逆に考えなくっても、そんなの分かってるわよ。マネージャーとしては、死ぬほど胃が痛いけど。鉢川久留実としては、応援したいって思ってるもの。無理を通して、道理も不幸も吹っ飛ばしちゃいそうな――ゆうなの、笑顔の力を」


「なんだ。いい人じゃん、マネージャーさん。久留実ちゃんだったっけ、兄さん?」


「毎度毎度、年上をちゃん付けすんなよ、お前は……」



 それから俺たちは。

 公園から『60Pプロダクション』のビルの前まで、全員で移動した。



「……え、本当ですか!? はい……はい、分かりました」


 ちょうどビルの前に到着するあたりで、鉢川さんが電話を終えた。

 そして、ゆっくりと俺たちの方に顔を向けて、なんとも言えない表情で告げる。



桃乃もものちゃんたち……どうやらまだ、帰らなくっても大丈夫みたいよ」



          ◆



 鉢川さんに案内されるがまま、やってきたのは――『60Pプロダクション』の会議室だった。


 かなり大人数での会議を想定した部屋なんだろう。俺たち七人が入っても、まだまだ余裕がある。



「うぉぉぉぉ、すげぇぇぇ……俺は今、らんむ様の吸ってる空気と、同じ空気を吸ってるのか……!!」



 開口一番、マサが極まったことを言い放った。

 すげぇなこいつ。色んな意味で。



「……発想がやばすぎね? クラマサはなんなの? アイドルの霞を食って生きる化け仙人なの?」


「ってか、倉井くらいさぁ……うちら、らんむちゃんが実は来夢らいむだったって、知っちゃったわけじゃん? なのに、よくそんなテンションで盛り上がれんね?」


「ああ。あのときは正直、メンタルがおかしくなりそうだったぜ。けどな……それはそれ、これはこれ! らんむ様は――らんむ様なんだよ、いつまでもな!!」



 ……ごめん。どういう理屈か、まったく咀嚼できなかったけど。

 推しの声優の正体がどうであろうと、らんむちゃんを愛し続けるんだって覚悟だけは伝わってきたぜ。


 やっぱすげぇよ、マサは。



「――生配信が終わるまでは、この部屋を自由に使っていいそうよ。ここ以外は、他の声優がいる場合もあるから、くれぐれも立ち入らないようにね」



 俺たちに釘を刺してくる鉢川さん。

 そんな鉢川さんのそばには、綿苗姉妹が並んで座っていた。



「……結花。やけにニコニコしているね?」


「んー? いつもどおりだと思うよー?」


「まぁ、いつもどおりではあるんだけど……不安はないの? もうすぐ生配信がはじまるっていうのに」



 言葉を選んではいるけど、いつもの心配性を滲ませてる勇海。

 そんな妹の姿に、結花は「ふふっ」と笑いを零した。


 そして、勇海の頬に――そっと手を当てる。



「心配してくれてありがとう、勇海。そりゃあ、不安がないって言ったら嘘になるよ? でもね。不安なんかより、もっとたくさんの勇気を――みんなが分けてくれたから。だから私は、だいじょーぶっ!」


「結花……」



「――おー、思った以上に賑やかだね。それじゃあ、わたしもちょっと、お邪魔させてもらうよ」



 そのときだった。

 会議室のドアを開けて――一人の小柄な女性が入ってきたのは。



 三つ編みのおさげ、くりくりっとした大きな瞳。


 一見すると中学生くらいかな? と思っちゃうような風貌だけど……この人は確か、俺より年上だったはずだ。


 オフショルダーのTシャツに、赤いレザースカート。首や手につけた、おしゃれなブレスレットやネックレス。

 どちらかというとロックな、そのコーデは――確かに似合ってはいるんだけど。


 童顔な見た目とのギャップのせいか、なんだかアンバランスな可愛さを漂わせている。



 そんな彼女を見て……結花は驚きの声を上げた。



「ほ、掘田ほったさん!? なんでこんなところに!?」

「こんなところも何も、わたしの事務所でしょーが。ってゆーか……素の見た目のゆうなちゃんと話すのって、なんか変な感じだねぇ」


 冗談めかしたように、そう言うと。

 和泉ゆうなと紫ノ宮らんむの先輩声優――掘田でるは、いたずらな笑みを浮かべた。

「初めましての人ばっかだよね? どーも、声優の掘田でるでーす」

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