★私と同じ月を見上げて★

「失礼します」


 深々と頭を下げてから、私は『60Pプロダクション』の社長室に足を踏み入れた。


 私の視界の隅を、紫色の髪が舞う。



 そう。らんむを模したウィッグをかぶり、らんむと同じゴシック調の服に身を包んで。

 野々花ののはな来夢らいむは、紫ノ宮しのみやらんむは、私は。


 今――この場に立っている。



「申し訳ありません。無理を言って、時間を作っていただいて」

「大丈夫よ。紫ノ宮さんにとっても、『カマガミ』の件は無関係ではないものね」



 社長室のデスクに坐しているのは、六条ろくじょう社長ではなく――真伽まとぎケイさんだ。


「真伽さんと二人で話したい」……鉢川はちかわさんから、そう六条社長に伝えてもらったけれど、まさか社長室を貸してくださるとは思いもしなかった。



「それで、用事って何かしら?」


 真伽さんが着席したまま、穏やかな声色で尋ねてくる。



「――鉢川さんから聞きました。真伽さんが明日、生配信の場に立ち、今回の件の説明を行うと」


「ええ。第二回『八人のアリス』お披露目イベントを間近に控えた現状、早急な対応が必要だもの」


「対応が必要なことは理解しています。しかし、どうして真伽さんが?」


「……変なことを聞くのね。紫ノ宮さん」



 私の言葉を受けて、真伽さんが苦笑する。



「わたしの役職は、専務取締役兼アクター養成部長。演者の進退に関わることは、わたしに責任があるのよ。だからこの場は、代表取締役の麗香れいかじゃなく、わたしが――」


「母親としての責任ではなく、ですか?」



 真伽さんの話を遮って。

 私は――少し強い語調で、そう告げた。


 真伽さんは目を大きく見開いて、言葉を呑み込む。



「自分のすべてを捨てる覚悟を持ち、人生すべてを懸けて『純白のアリス』として輝き、そして――後進を育てるため、『60Pプロダクション』の経営陣に参加した。そんな真伽ケイさんの姿に……私はずっと、憧れていました」


「……何が言いたいの? 紫ノ宮さんは」



 真伽さんが、少し強い語調でそう返してきた。


 憧れの人のそんな様子に、少しだけ胸が痛む。


 だけど、この程度では――野々花来夢は、揺るがない。



 そして私は、どうしても真伽さんに投げかけたかった言葉を、口にした。



「その強い情熱を。熱い想いを。遊一ゆういちに向けてあげられなかったことを……後悔しては、いないんですか?」



 ――特大級のブーメランだなと、自嘲したくなる。


『芝居』に全力で向き合うために、私はかつて、遊一のことを傷つけた。


 そしてそれは、遊一を置き去りにして『真伽ケイ』としての道を選んでしまった……真伽さんも同じだ。



『夢』のために私たちは、大切な人を傷つけた。

 その罪は決して消えない。傷つけた事実は、なかったことにはできない。


 けれど――贖罪は、できるはずだから。



「私はこれからも、『夢』のために全力を注ぎます。けれど、大切なものだけは……もう手放さない。遊一がこれ以上、悲しい思いをしないで済むように。ゆうなの輝きが、決して曇ることのないように。私にできることは、すべてやり通してみせる。もう二度と――後悔しないために」



 黙って私の言葉を聞いていた真伽さんが、俯いたまま笑った。



「…………ひょっとして、わざわざそれを言うために、ここに来たの?」


「ええ。私の新しい信念を、敬愛する真伽さんにお伝えしたかった。そして、貴方の考えをお聞きしたかったんです――遊一の、たった一人の母親である、貴方に」



 私は真伽さんを見据えたまま、はっきりとそう告げる。

 それに対して、真伽さんは……天を仰いで、呟くように言った。



「――今回の件を受けて、色々と情報は共有しているわ。和泉いずみさん――綿苗わたなえ結花ゆうかさんは、遊一の婚約者で。来夢さん、あなたは……遊一の昔の友達なんですってね?」


「……ええ。そんなところです」


「ありがとうね。こんなに遊一のことを、大事に想ってくれて」



 さらりと、そう言葉にすると。

 真伽さんは、まるで妖精のように、可憐に微笑んだ。



「――あの頃のわたしは。笑顔を届ける力を後進に伝えたいなんて、遠い『夢』を追い掛けていた。『夢』を叶えるために、がむしゃらだった。そして、いつの間にか……近くにある一番大切なものが、見えなくなっていたの」



 自嘲するように。

 あるいは、懺悔のように。


 真伽さんは言葉を紡ぎながら――ゆっくりと、社長席から立ち上がった。



「あなたの言葉を借りるのなら……後悔、しているのでしょうね。笑顔を届ける夢を見て、大切な人たちを泣かせてしまった、愚かな生き方を」



 だからこそ、と。


 真伽さんは力強く、言葉を句切ってから。


 私に背を向けて言った。



「わたしは明日の配信に、すべてを賭すつもりよ。もう二度と――大切な誰かに、傷ついてほしくないから」




 ――誰かを笑顔にするためには。みんなに『夢』を与えるためには。


 自分のすべてを捨ててでも、努力を続けるしかない。


 そう言い聞かせて、紫ノ宮らんむは――野々花来夢は、月のように孤独に輝いてきた。



 けれど、和泉ゆうなは――綿苗結花は。


 誰かを笑顔にして。みんなに『夢』を与えて。それでも、何ひとつ捨てないで。


 さながら、すべてを照らす輝きを持つ太陽のように……笑顔で前に進み続けてきた。



 …………真伽ケイもきっと、月の人だったんだと思う。



 誰もいない場所まで飛翔して、誰よりも強い輝きを放っていたけれど。


 ひとつの『夢』以外は、掴み損なってしまった――不器用な人。




 真伽さんの生き方を、否定するつもりはない。私も同じ、月の人なのだから。


 だけど私は、知ってしまったから。太陽のような生き方も、あるってことを。



 だから…………。

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