第10話 あの日の涙を、海に還せば 2/2

 来訪と同時に騒ぎを起こした勇海いさみを、二人掛かりでお説教してから。

 俺たち三人は、ダイニングテーブルについてコーヒーを飲んでいた。


 隣に座った結花ゆうかは、ぷっくりと頬を膨らませて、勇海を睨んでる。


 一方の勇海は、俺の正面に座ったまま、相変わらずの爽やかスマイルを崩さない。



「はぁ……それで? 勇海はなんで、急にうちに来たんだよ?」


 尋ねてはみたものの、正直なところ、予想はついてる。



 男装コスプレイヤーとして名を馳せつつ、地元では執事喫茶のキャストとしての人気も高い勇海。


 なんでも、男子顔負けのイケメンっぷりと、歯の浮くようなキザなセリフを平然と吐くスタイルが、結構な人数の女性ファンにウケてるんだとか。


 そういうファンを相手に、チャラついた日々を送っているせいなのか……勇海は結花に対しても、やたらと気取った接し方をしがち。


 しかも、端々で結花を子ども扱いする言動を取ってるもんだから、いつもいつも結花に叱られまくってる。



 だけど――本当は。


 勇海は誰よりも、姉である結花のことを愛していて。過保護すぎるほどに、結花を心配してる奴なんだよな。



 だからきっと、このタイミングでうちに来たってことは……『カマガミ』の件を知って、いてもたってもいられなくなったからなんだろう。



「どうして急に来たのか、ですか。そうですね、強いて理由を挙げるなら――結花が泣いていないか心配になったから、かな?」


「あー! また子ども扱いしたー!!」



 そうやって子どもみたいに声を荒らげる結花を見て、勇海はくすっと笑う。



「仕方ないじゃない。昔の結花が、泣き虫だったんだもの。だから僕は、そんな結花を護るナイトになろうって――心に誓ったんだから」



 相変わらず、気取ったセリフ回しをする勇海。


 だけど、その瞳はいつもと違って。


 少しだけ潤んでるような、そんな気がした。



「ねぇ、ゆうにいさん?」


 勇海がふいに、俺の方へと視線を向ける。

 その表情は、いつになく真剣なもの。



「僕はずっと、結花のことを護りたかった。傷つくかもしれないことには、近づけたくなかったし。僕が代わりになれることなら、すべて引き受けてもかまわないと思っていました。だって僕は、もう……見たくなかったから。中学生の頃みたいに、笑顔をなくしてしまった――あんな結花の姿は」



 ――――中二の夏頃。

 結花はクラスの女子から嫌がらせを受けて、家に引き籠もるようになった。


 そして勇海は、そんな結花を間近で見て……姉を護れるくらい強い自分になろうって誓って、『イケメン男子』として歩み出すようになったんだ。



「勇海のことだ。上京してきたのも、『カマガミ』の件を知って、気が気じゃなくなったからなんだろ?」


「……あんなの観て、落ち着いていられるわけないでしょう?」


「勇海……」



 さっきまで唇を尖らせていた結花が、今度は心配そうに勇海を見ている。


 そんな結花を一瞥してから、勇海はすっと席を立ち。

 俺の隣まで――ゆっくりと歩み寄ってきた。



「遊にいさん、覚えてますか? なんでも手を貸すだけが、『夫婦』じゃない――文化祭のとき、遊にいさんが僕に言った言葉です」

「ああ。覚えてるよ」



 ――文化祭。もう半年近く前なんだな。



 あの頃の結花は、学校ではまだまだ、「お堅い綿苗わたなえさん」のままだった。


 だけど結花は、そんな自分を変えたいって、そう決意して。


 クラスの出し物だったコスプレ喫茶で、メイドとしての接客に挑んだ。


 クラスのみんなと一緒に、楽しい文化祭にしようって、頑張ったんだ。



 途中、思わぬハプニングもあったけど。


 それでも結花は、俺の手を借りることなく――最後まで自分の力で、メイド役の仕事をやり抜いたんだ。



「自分が学校で頑張ってる姿を、勇海に見せたい――そんな結花の決心を、台無しにしたくなかったからな。だから、あのとき俺は……『夫』として、見守る選択をした」


「これからも、そうするつもりですか? 今回の暴露系MeTuberみたいに、極悪非道な奴が現れて、結花を毒牙に掛けるかもしれないのに?」



 勇海が強い語調で切り返してくる。

 その声は僅かに、震えていたけれど。



「……答えてください、遊にいさん」



 そんな勇海を見つめたまま。

 俺はゆっくりと立ち上がり、質問に答える。



「……いや。結花がもしも、自分だけじゃどうにもできないような、そんな苦境に立たされたときには。俺は全力で、結花のために身体を張るよ。だって……結花が傷ついたり悲しんだりする姿は、見たくないからな」



 ふっと席を見ると、結花が窺うようにこっちを見ていた。

 そんな愛しい許嫁の姿に、なんだか心が温かくなる。



「だけど……結花がもしも、自分の力で頑張ろうって、そんな気持ちでいるときは。きっと俺は――また見守るだろうなって思う」

「……どうしてですか?」



 勇海なら、きっと――聞くまでもなく、答えは分かってるだろうに。

 分かってても、俺の口から聞きたいとか、多分そういう感じのことなんだろうな。


 どこまでも過保護な義妹だよ。まったく。


 そして、どこまでも――優しい妹だね、結花。



「俺は結花の、『夫』だから。悲しませたくないのと同じくらい、結花がやりたいことに全力で挑む姿も、見ていたいんだよ。無邪気で甘えんぼうで、だけど頑張り屋で一生懸命で、そんな結花の全部を――世界で一番、愛してるから」


「……んにゃぁ……っ!!」



 席についたまま、結花がなんか、猫みたいな声を漏らした。


 口をわなわな震わせながら、頬をトマトみたいに真っ赤にさせながら。


 そして、一方の勇海は……満足そうに笑い声を上げた。



「あははっ! さすがですね、遊にいさん。さすが……結花が好きになるだけの人です」


 そして勇海は、結花にぺこりと頭を下げる。



「結花。照れくさくて、最初にからかうような言い方をしちゃって、ごめんね。結花はとっくに……自分の足で立ってる。もう、中学の頃の結花じゃない。分かっていたんだ。だからね――僕は今日、結花にエールを送りに来たんだよ」


「エール? どういうこと、勇海?」



 きょとんとした顔の結花を、愛おしそうに見つめながら。

 勇海は優しく、微笑んだ。



「……もう、くだらない悪意なんかに負けないで。何があろうと、僕はいつまでも、結花の味方だから。もしも手助けが必要になったら、いつだって駆けつけるから。だから、ね……もう泣かないで? 笑顔の素敵な、僕のお姉ちゃん」



 いつも素直じゃない義妹が、まっすぐに吐き出した想い。

 そんな気持ちを聴いた結花は、勇海の手をそっと握る。


 そして結花は、勇海に手を引かれて――ゆっくりと立ち上がった。



「……勇海。大好きだよ。いつもありがとうね。それから……ごめんね、だめだめなお姉ちゃんで」


「……こっちこそだよ。ごめんね、厄介な妹で。それから……ありがとう。大好きだよ。どんなときも、ずっと」



 結花が勇海のことを、優しく抱き寄せる。

 勇海もまた、素直に結花に身を委ねた。



「勇海。そうだよね。私はもう……泣いてばっかりだった綿苗結花じゃ、ないんだもんね? ここで逃げちゃったら、昔の私とおんなじだもんね? 分かってるよ。だから私は――もう、前にしか進まない」



 結花の瞳が、星空のように煌めく。

 そして、女神のようにたおやかに、微笑んで。



「遊くん。勇海。和泉いずみゆうなを、辞めた方がいいのかなぁなんて……思ってもないことは、もうぜーったい、言わないっ! だって私は、遊くんが大好きで。家族が大好きで。友達が大好きで。それから――ファンのみんなのことも大好きな、綿苗結花で和泉ゆうな、なんだもんっ!!」


「……うん。それでこそ、お姉ちゃん……だよ」



 そう言いながら、ぽろぽろと。

 勇海の目から、涙が零れ落ちていく。


 慌てて目元を拭いつつ、勇海は結花から身を離した。



「あははっ。らしくないよね? 泣いたら、コンタクトが外れちゃったよ……ちょっと待ってね」



 そして勇海は、御用達のカラーコンタクトの代わりに、眼鏡を掛けた。

 それにあわせて――一本に結っていた髪も、おもむろにほどく。



 男装の格好のまま、首から上だけはオフの状態になった勇海。



 眼鏡の下の潤んだ瞳は、透き通るように綺麗で。

 さらさらの黒髪が、腰のあたりまでストレートに流れ落ちてる。



 そんな勇海の顔は、やっぱり――。


 ――――結花に、そっくりだった。



「遊にいさん。ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」


「内容によるな。勇海と那由なゆの場合は」


「信用がないなぁ。姉妹の感動の場面に、水を差さないでくださいよ」


「普段の行いのせいだろ」



 そんな軽口を言いあってから。

 勇海は、俺のことをまっすぐに見て。

 無邪気な笑みを浮かべながら、言ったんだ。



「遊にいさん。たとえ世界中を敵に回しても……結花とずっと、手を繋いでいてください。結花がもう、泣かないで済むように。そして、ずっと――笑っていられるように」


「……言われるまでもないっての」



 結花が、学校のみんなと向き合うこと。

 和泉ゆうなが、ファンと向き合うこと。


 どっちもきっと、一筋縄じゃいかないと思う。


 それでも俺は、何があろうと絶対に、結花のことを支え続ける。


 結花が笑ってるときも。泣きそうなときも。繋いだ手は離さない。




 そうじゃないと、『夫』だなんて――胸を張って言えないからな。

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