第9話 あの日の涙を、海に還せば 1/2

『カマガミ』の暴露動画が投稿されてから、二日が経った。


 和泉いずみゆうなのスキャンダルが世に出たことも、クラスメートに綿苗わたなえ結花ゆうか=和泉ゆうなだと知られてしまったことも……ショックは大きかったけど。


 鉢川はちかわさんに励まされて、俺も結花も、どうにか気持ちは持ち直せた。


 ありがとうございます、鉢川さん。

 なんて思いつつ。今日の俺と結花は、絶賛――。



 ――――学校をサボってる。




「…………」


「ぐてー」


「……あの、結花さん?」


「なんですか、ゆうくんさん?」



 自室のリビング。ソファに腰掛けた、俺の膝の上。

 そこで結花は、うつ伏せの体勢のまま――ご機嫌に寝そべっていた。


 ……なんですか、じゃないよね?

 どっちかっていうと、こっちのセリフだと思うわ。それ。



「えっと、結花。そんなにずっと、乗っかられてるとですね……」


「乗っかられてると、なんでしょーか?」


「重……くはない。うん、重くはないよ? むしろ軽すぎて、紙かな? ってびっくりした! びっくりしたんだけど……脚が疲れたんで、ちょっと休け――」


「ぶー! 遠回しに重いって言ってるじゃんよー!! 乙女心が傷ついたー!」


「……じゃあ、ストレートに『重いからどけてほしい』って言えばよかった?」


「あー、ストレートに重いって言った! ばーか! 遊くんの、ばぁか、ばぁか! もう、怒ったもんねー!! 怒ったから……ちゅーしろー」



 などと申しており。


 どう足掻こうが、ずっと結花の甘えるターン。トラップ問題だよ、こんなの。


 許嫁歴も一年近くになると、自由自在な甘え方になるもんだなぁ……いや、結花はもともと、甘え方のプロだったか。


 ……まぁ、色々と思うところはあるけど。

 ここ数日、結花も気疲ればっかりだったと思うしな。


 今日は素直に甘やかしてあげよう。



 というわけで俺は――仰向けに体勢を変えた結花に、キスをした。



「……んっ。ふへへっ……大好き、遊くん」

「そんなニコニコしないでってば……照れるでしょ、もぉ」



 顔を離しつつ、俺は結花の頭を、わしゃわしゃっと撫でる。


 すると結花は、俺の手をガシッと掴んで、頭頂部をギュッと押し当てたまま……ふるふる左右に頭を振りだした。


 俺が撫でる力と、結花が頭を振る力で、二倍のなでなでパワー。



「ふっへっへっ♪ 気持ちいーなー♪」

「今日はいつにも増して、甘えっ子全開だね……っていうか結花、元気じゃない? 学校を休みたいって言った割には」



 そう。

 今日、学校を休もうって言い出したのは、結花の方だ。


 だから、また気落ちしちゃってるんじゃないかって心配してたんだけど……杞憂だったみたい。


 今の結花は、何かを思い詰めた感じじゃない。

 むしろ、なんだか……憑き物が落ちたような。


 そんな顔をしている。



「んー……元気はまだ、八十%くらいかな?」


 セルフなでなでを続けつつ、結花はにっこりと笑った。



「でも、もうちょっとで元気百%になると思う。遊くんのちゅーと、なでなでマジックでね! 今日はそのための、お休みだもんっ」


「どういうこと?」


「遊くんに甘え放題して、弱気とかネガティブとか、そういうのぜーんぶ吹っ飛ばしちゃって――それからもう一度、頑張るんだ。和泉ゆうなとして」



 ――――和泉ゆうなとして。



『カマガミ』の一件を受けて、和泉ゆうなとして活動を続けることを、諦めそうになっていた結花。


 そんな結花が、また立ち上がったんだって思うと。


 ……思わず涙が出そうになる。



「ということで、遊くーん? 今日はめちゃくちゃに、甘やかしてほしいなぁー?」


「……うん。分かったよ、結花。俺がめちゃくちゃに甘やかす。俺が結花に、全力で元気を注いでみせるから」


「え、えへへっ……そんなに見つめられたら、恥ずかしいよぉ。ばーか……遊くんのことを、好きにさせすぎだってば」



「――ふふっ。結花もいつの間にか、大人になっていたんだね? 子猫ちゃんだとばかり思っていたけど。もうすっかり、成熟したレディだ」


「うきゃあああああああ!?」



 結花の絶叫が、響き渡ったかと思うと。

 リビングにいつの間にか侵入していた不審者が……結花によって突き飛ばされた。


 そして結花は、ぜぇぜぇと肩で息をしながら叫ぶ。



「い、勇海いさみぃ! あんた、なんで突然、我が家に現れてんのよ!? っていうか、学校はどーしたのよ!?」


「学校は休ませてもらったよ。どうも重い病みたいなんだ……そう。結花を想うがゆえの、恋の病ならぬ、結花の病。その特効薬は――結花。君なんだよ?」


「うっさい、ばーか! 帰れ、帰れー!!」



 歯の浮くような軽口と、結花の子どもじみた罵声。


 そんな感じで、結花といつもどおりな小競り合いを繰り広げているのは、結花の妹――綿苗勇海だった。


 黒く長い髪の毛を、首の後ろで一本に結って。

 白いワイシャツと黒い礼装をあわせた、執事のような格好をした勇海。

 カラーコンタクトを入れた瞳は、海のように澄んだ青色をしている。


 相も変わらず、男装の麗人な風体だな。うちの義妹は。



「遊くん! この子、勝手に家に入ってきてるよ!! 大変、不法侵入だ! 警察に突きだしちゃおう!!」


「不法じゃないよ? ちゃんと那由なゆちゃんから受け取った合鍵を使って、入ってきたんだもの」


「それは合法の鍵じゃねぇ! ったく……二人まとめて警察に連れてくぞ?」



 たとえ親族だろうと、何も言わずに家に入ってくるのはやめろよ。

 プライバシーって概念を知らんのか、こいつらは。



「だけど正直、びっくりしましたよ。結花と遊にいさんって、ここまで関係が進んでたんですね? 那由ちゃんが、焼きもち焼きそうだなぁ」


「ここまで……って。どこまでのこと言ってんの、お前?」


「え。どこまでって、そりゃあ――」



 勇海はあっけらかんとしながら、言い放った。



「結花が『今日はめちゃくちゃに、してほしい』って言って。遊にいさんが『めちゃくちゃに、注いでみせる』って返して。結花が『遊くんの、好きに』って。なので……どこまでと言われたら、最後までとしか」


「なんで中途半端にセリフを抜粋するんだよ!? 悪意ある編集だぞ、それ!」



 セリフをうまく切り貼りすれば、普通の会話があっという間に、18禁に早変わり。


 那由といい勇海といい、うちの妹二人はなんでいつも、話を捻じ曲げるんだよ……。



「とにかく! めちゃくちゃに甘やかすって、そういうアダルトな意味は、全然含んでないから。健全でしかないから。なぁ、結花?」


「え!? え、えーと……んーと…………」



 ん? なんで言い淀むの結花?

 疑問に思う俺に対して、結花は上目遣いになって。



「ち…………違った、んだ?」

「…………え?」



 結花の顔が、トマトみたいに赤く染まっていく。

 そんな結花の反応に、俺はフリーズしちゃって、何も言えやしない。


 しばしの間、黙って見つめあう俺と結花。



 そんな俺たちに対して、勇海は言った。



「なるほど。それじゃあ、逆に考えましょう二人とも? 僕が指摘したことで、結花が淫靡なロマンスを期待していた事実が、遊にいさんに伝わった。その結果、二人は今晩……お楽しみですよね? つまりこれは、僕のお手柄ということでは?」




 ――――その後。


 俺と結花によって、勇海がめちゃくちゃに叱られたのは、言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る