第8話 透明な鉢でいつか、苗が花を咲かせるまで 2/2

「『恋する死神』さんは――私のファンで、私の彼氏ですっ!!」

「告白は私からしました! 私が『恋する死神』さんを大好きすぎたので!!」

「いえーい、ぴーす」



 結花ゆうかたっての希望もあり。

 俺たちはパソコンを使って、アップされた切り抜き動画を観ることにした。



 そこに映っているのは、モザイクも一切かけられてない、綿苗わたなえ結花そのもの。


 切り抜いた箇所によって、眼鏡&ポニーテールという学校結花のときもあれば。

 眼鏡を外して髪をほどいた、家結花のときもあるけれど。


 いずれも『声優:和泉いずみゆうな』とテロップをつけられた――そんな動画ばかりだった。



「…………」


 結花が無言のまま、コメント欄を開く。

 投稿されたコメントの数は、思ったよりも多い。



■ やばくね? こんなの、完璧な盗撮だろ

■ 通報しました

■ ぴーすwww むしろ可愛い

■ 声優だって人間だぞ? 彼氏がいたくらいで、叩く奴の気がしれない



 そんな、どちらかというと和泉ゆうな側を擁護するコメントもあれば。



■ 声優ファン、息してる? この子はお前らのことなんか、興味ないんだってww

■ 自分たちが気持ち悪がられてたって、ようやく分かった?

■ マジかよ……彼氏いるなら、もう推すのやめるわ

■ 彼氏とのエロい動画もアップして



 和泉ゆうなやファンのことを、不快にさせるようなコメントも散見される。


 あとはたまに、よく分かんないコメントも。



■ 【悲報】くるみん、担当声優に恋愛で先を越されて涙目wwww



「……こいつ、古参の奴ね」


 鉢川はちかわさんがぼそっと、冷え切った声で言った。

 俺はおそるおそる、鉢川さんに尋ねる。



「くるみんって、ひょっとして……鉢川さんのことですか?」


「ええ。わたし、ゆうなやらんむのマネージャーになる前――でるのマネージャーだったんだけどね。その頃スタートした『でるラジ』で、リスナーがわたしの彼氏いないネタを弄るっていう、定番の流れがあったのよ。そのせいで、今でもたまに、こういうふざけたコメントをする奴がいるわけ。でる……絶対に許さない」



 目がマジだった。


 自分とは無関係なスキャンダルで、殺意を向けられる掘田ほったでる……いつもそういう役回りの人だな、本当に。



「……興味ないなんて、思ったことないのになぁ」


 マウスを握り締めたまま、結花がぽそっと呟いた。



「気持ち悪くなんかないよ……応援してくれてありがとうって、いつだって思ってるよ……ごめんね。私のせいで、傷つくこと言われちゃったね……」



 そして結花は。

 ぐしぐしっと、目元を袖で拭った。



久留実くるみさん。やっぱり私、第二回『八人のアリス』お披露目イベントは辞退します。私のせいで、楽しいイベントが台無しになっちゃうのは……嫌だから」


「それでいいの?」


「……はい。スキャンダルのせいで、傷つくことを言われてるファンもいて。イベントに飛び火したら、他のキャストも悲しい思いをしちゃう。そんなの嫌だから……イベントは辞退したいです。それに、もしもこんなことが続くんだったら……和泉ゆうなとしての他の活動だって……」


「――――あぁぁぁぁ! もぉぉぉぉ我慢できないわ!!」



 結花の言葉をかき消すように、そう叫ぶと。

 鉢川さんはバッと、ジャケットを脱ぎ捨てた。


 そして、ボタンをすべて外すと、ワイシャツから腕を抜いて――。



「きゃああああああ!? ゆうくん、見ちゃ駄目ええええ!? 久留実さんが、えっちな誘惑してるぅぅぅ!!」


「ぎゃああああああ!? 強い、強い! 結花、目を隠すにしても力加減がおかし――ひぃぃぃぃ、目が潰れるぅぅぅぅ!!」


「……何してんの、二人とも? 下にTシャツ着てるわよ。痴女じゃないんだから」


「だったら、そう言ってから脱ぎましょうよ!? 行動だけ切り取ったら、痴女まっしぐらでしたからね鉢川さん!?」



 結花がパッと、目元から手を離すと。


 白地に変な文字が書かれたTシャツ、下はタイトスカートのままという――仕事とオフの狭間みたいな格好をした鉢川さんが、ソファに座っていた。


 そして鉢川さんは、カバンから透明な液体の入ったビンを取り出すと。

 ぐびぐびっと……その液体を呑みはじめた。


 あちゃー。



「ついにやっちゃいましたね、鉢川さん……スキャンダル対応に疲れて、昼間からやけ酒……肝臓とか気を付けた方がいいですよ? あ、まさか車で来てないですよね?」


「仕事中に呑むわけないでしょ! これはお酒に見せかけた、ただの水!! 遊一ゆういちくん、わたしのことをなんだと思ってるの?」


「酔ったらやばい人」


「うるさいなぁ!」



 即答したら怒られた。事実なのに。


 そして鉢川さんは――隣に座ってる結花の方へと、向き直る。



「……わたし、仕事のオンオフのスイッチ、がっつり入れてるタイプなのよね。オフが自堕落だから、モードを切り替えないとヤバいっていうか……だから、服装とかお酒の代わりの水とか、これくらいやらないとオフに戻れないの。ごめんね、いきなり騒いで」


「だ、大丈夫ですっ! よかった……みだらな格好になって、お酒を呑みながら男子高生を誘惑する久留実さんは、いなかったんだ……」


「……ゆうなも、わたしをなんだと思ってるの?」



 げんなりした顔でそう言ってから。

 鉢川さんは――「ぷっ」と吹き出した。


 そして、微笑みを湛えたまま……鉢川さんは、結花の腰に手を回した。



「にゃっ!? く、久留実さん?」


「じゃ、そーいうわけで。オフのわたしとして、言わせてもらうわよ? ゆうな――ふざけんなぁ、このー!!」


「んにゃああああ!? あはははははっ! く、久留実さん、くすぐった……あははははっ! やめてくぢゃさっ……あははははははっ!!」


「……ほら。やっぱ、ゆうなはさ。笑ってる顔が、一番素敵だよ」



 結花の腰あたりを、めちゃくちゃにくすぐってから。

 鉢川さんはふいに、そんなことを言った。


 そして、結花の頭へ手を伸ばして――ゆっくりと撫ではじめる。



「……事務所に入ったばっかの頃の、ゆうなはさぁ。いっつも泣きそうな顔してたよね。自信がなくって、周囲にビクビクしてて……今みたいな笑顔は、なかったな」


「……そうですね。全然だめだめでした……」


「でもさ。ゆうなは変わったよ。どんなときだって全力で、どんなことにも負けないぞって立ち向かう、そんな子になった。沖縄公演のときとか、なんて無茶言ってんのさー!! って感じだったわよ。本当に、もぉ……大好きよ、ゆうな」



 結花の頭を撫でながら。

 鉢川さんは笑った。


 笑いながら――頬を一筋の涙が、伝っていく。



「あははっ。マネージャーがこんなこと言っちゃ、駄目なんだろうけどさ……手の掛かる妹みたいなんだよね、ゆうなって。ハラハラさせられることも、めちゃくちゃあるけどさ。成長していくあなたを、近くで見ていられることが、本当に嬉しいんだ。あなたの笑顔が――いつだってわたしに、元気をくれるんだよ? ……ありがとね、ゆうな」


「……久留実さん」



 鉢川さんの口から溢れ出た、結花への想い。

 そんな言葉を聞いた結花は、瞳にじんわりと涙を滲ませる。


 そして、鉢川さんは――ギュッと強く、結花を抱き締めた。



「……いつかあなたが、笑って和泉ゆうなを引退するときがきたら。わたしは笑顔で、あなたを送り出すわ。だけど、あなたが泣き顔で、和泉ゆうなを辞めることだけは――絶対にさせたくない。マネージャーとしてじゃない。鉢川久留実として――最後まであなたのために、足掻きたい。だから……笑って、ゆうな?」


「……ごめ、んなさい……久留実、さん……ごめ、んね……遊くん……」



 鉢川さんの胸の中に、顔を埋めたまま。

 結花はしゃくり上げながら、言葉を紡いでいく。



「みんなにも傷ついてほしくないし……私もこれ以上、傷つきたくないって思って……イベントに出ることにも、声優を続けることにも、弱気になっちゃってた。辞めちゃおうかなって、悩んじゃってた。だけど……本当はそんなの、嫌なの。私はまだ……和泉ゆうなでいたいから……」


「――ファンを名乗るからには。和泉ゆうなの日々が幸せであることを、一番に願うべきだ。推しを泣かせる言葉を吐く奴は……俺に言わせりゃ、ファンじゃない」



 俺は迷うことなく、そう言った。


 結花が――和泉ゆうなが。笑顔でいてくれることが。


 俺たちファンにとって、一番の幸せに決まっているから。



「結花が一番やりたい道を選んでくれ。そして、その場所で……みんなで一緒に笑おう」



 そう告げた途端、結花は鉢川さんから離れて――俺の胸の中に飛び込んできた。


 そんな結花のことを、俺は強く抱き締める。



「……ねぇ、遊一くん」



 そんな俺たち二人を、優しく見守りながら。

 鉢川さんは、言ったんだ。



「ゆうなが変われたのは、『恋する死神』のおかげよ。だから……ね? 遊一くん。これからもずっと――ゆうなの手を、繋いでいてあげてね」

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