第28話 泣きそうな夜でも、手を繋げば、きっと笑顔の虹が架かる 2/2

 ――――来夢らいむの言葉を聞いて。

 俺はふいに……中学生の頃の自分を、思い返した。



 学校では笑って過ごしてたけど。あの頃の我が家はゴタゴタしてて、落ち着かない時期が続いていた。


 中一になった頃から、劇的に仕事が忙しくなった母さん。

 そんな変化の中で、親父と母さんがすれ違っていく空気をひしひしと感じて……次第に家の中が、居心地悪くなっていった。


 そんな矢先、小学校で嫌な目に遭わされた那由なゆが、少しだけ不登校になった。

 元気をなくした妹を見て、俺は心を強く持たなきゃって……そう思うようになった。



 そして、中一が終わる頃。

 母さんが、家を出ることになった。

 それ以来、俺も那由も、母さんとは会ってない。



 ――母さんは仕事を取って、俺と那由を捨てたんだ。

 ――自分のやりたい仕事が、子どもより大事だったんだ。



 そんな風に、思ったこともあったっけ。

 恨んでるって、自分に言い聞かせてたことも……あった。



 だけど――本当は覚えてるんだ。



 一緒に暮らしていた頃。母さんはいつも、優しく笑っていて。

 俺のことも那由のことも、いつだって大事にしてくれてたってことを。


 だから正直……泣きたくなるときもあった。


 でも、そんな弱い自分を見せないようにって。

 ――――人前では明るく振る舞って、日常を楽しもうってしてたんだ。



 それが……『笑顔』の仮面をかぶって生きてきた来夢と、似ていると言われたら。


 確かに――そうなのかもしれないな。



          ◆



ゆうくんと来夢さんって、確かに似てますよね」


 来夢の言葉に対して、結花ゆうかは特に驚いた様子もなく、そう返した。



「覚えてます、来夢さん? 遊くんの心の奥の方に、『寂しい子ども』がいる気がするんだーって。そんな話をしたのを」

「……ええ。覚えているわ。だって――そのとおりだなって、思ったから」



『寂しい子ども』?

 なんのことだか分からずにいると、結花が話を続ける。



「遊くんはいつだって頑張り屋さんで、格好いいけど……ちっちゃい遊くんが、心のどこかでときどき、泣いてる気がするんです。寂しい気持ちを堪えて、一人でうずくまってる、そんなちっちゃな遊くんを――私はいっぱい笑顔にしたい」


「…………ええ。分かるわ。だからこそ、私も……遊一ゆういちを好きになったんだもの」



 来夢がギュッと唇を噛んで、下を向いた。

 そんな来夢に、結花は穏やかに笑い掛ける。



「自分に似てる、そんな遊くんを――信じたかったんですよね、来夢さんは?」


「……信じたかったんじゃない。信じていたわ。私と同じように、心の中に閉じ込めた自分がいて。それでも、みんなに優しくて。そんな遊一なら――誰かの夢を馬鹿にしたり、誰かの想いを踏みにじったり、絶対しない。そう信じていたからこそ……好きだった」



 そして来夢は、深く深く、ため息を吐いた。



「そうね、貴方の言うとおりよ。両親を侮辱した連中を見て、幼かった私は傷ついた。だから――もう誰も信じないと言い聞かせることで、私は自分を護ってきた。そして、真伽まとぎケイさんの言葉だけを道しるべに……ここまで来たわ」



 来夢の瞳が、ゆらりと揺れた。


 今にも零れ落ちそうな、大粒の雫を湛えながら。

 来夢は震える声で――想いを綴っていく。



「遊一に告白されたとき……本当に嬉しかったんだ。この人になら、素顔を見せても大丈夫かもしれない。本当の自分の姿で、笑えるのかもしれない。そう思ったからこそ――怖くなったのよ」


「怖いって……何がだよ?」



 今にも壊れそうな来夢に、少しだけ躊躇したけど。

 俺は勇気を出して、尋ねた。


 すると来夢は――寂しそうに笑った。



「一度でも仮面を脱いだら、もう二度と……『来夢』にも紫ノ宮しのみやらんむにも、戻れなくなる気がしたんだ。だから――本当の自分を遊一に見せることは、できなかった」


「……野々花ののはな来夢の顔だけになるんじゃ、駄目だったのか?」


「ええ。だってそれが……私の夢、だったから」



 ――――芝居や歌で幸せを届けたい。

 それが来夢の、夢だっけ。


 そうか、来夢にとっての仮面は……自分を隠すためだけのものじゃなくて。

 自分の夢を叶えるための――武器でもあったんだな。


 そんなことを、ぼんやりと考えているそばで。

 来夢は両手を広げて、芝居掛かった口調で語った。



「……あははっ。どうだったかなぁ二人とも? 他のすべてを捨ててでも、夢に向かって全力を尽くす――そんな信念をお題目にして。本当は弱い自分を隠していただけの、愚かな少女の物語。そして、柄にもないお節介をして――二人を傷つけてしまった、無様な少女の物語……駄作でしかなかったね、本当に」


「――そんなこと、絶対ありませんっ!!」



 そんな来夢に対して、毅然とした態度でそう返すと。

 結花は……ギュッと、来夢のことを抱き締めた。



「……なんのつもり、結花さん?」

「私の大好きな先輩のことを……もう悪く言わないでください。来夢さん」



 来夢を抱いたまま、結花は続ける。



「私は……らんむ先輩のことが大好きで、いつだって尊敬してます。そんな、らんむ先輩が、私のことを――助けようってしてくれたのに。結果がどうとか、そんなことで……嫌ったり怒ったりできるわけ、ないじゃんよ……」



 最後の方は声が上擦りすぎて、聞き取りづらかったけれど。

 結花の想いが籠もった――温かい言葉だった。


 そんな結花と、来夢を見て。

 俺も黙っていられないなって、思った。



「なぁ、来夢。俺の友達の推しを悪く言う奴は……たとえ昔好きだった相手だとしても、許さないからな?」


 泣くのを堪えていた来夢が、驚いたように目を丸くした。



「誰も傷つけずにとか、誰にも傷つけられずにとか――そんな生き方、三次元の世界じゃできないんだよ。だから、そんなに……一人で気負うなよ」



 ――去年のクリスマスのことを思い出す。


 結花という婚約者ができたことで、一緒にクリスマスを祝えないんじゃないかって……那由には寂しい思いを、させちゃったよな。



 ――もっと前。

 母さんがいなくなった頃を、思い出す。


 …………優しい人だった。

 そして、真面目な人だった。


 だから、忙しくなった仕事を、投げ出したりできず――親父とすれ違ってしまって。

 結果的に、俺と那由は……寂しい思いを、してきたんだよな。



「人と関わることで、傷つけあうときだってあるけど。人と一緒にいることで……笑顔になれるときも、たくさんある。俺はそれを――結花に教えてもらったんだ」



 結花がいるから。


 俺はもう、夜に孤独を感じることは、なくなった。


 一緒にご飯を食べたり、話したりしてるうちに、あっという間に時間が過ぎていくようになった。


 笑ったり。ドキドキしたり。温かくなったり。

 結花と一緒だと……悲しいことよりも、幸せなことの方が、よっぽど多くなったんだ。



 だから――――。



「そんな結花を。太陽みたいに、みんなに笑顔を届ける結花を――俺は一生支えていくって、誓ったんだ。だから、結花が大事に思ってる人は……俺も大事にしていきたい。家族とか、二原にはらさんやマサや久留実くるみさん。ファン……は、俺がなんかするのは変だけど、大切な存在だって思う。それから――来夢。もちろん、お前もだよ」



「……私も?」


「そりゃあ、そうですよっ!」



 俺の言葉に戸惑っている来夢に対して、結花は涙を拭ってから、言い放った。


「一人で抱え込まないでください、来夢さん! 頼りない後輩かもしれないけど、頼ってほしいです。それで一緒に……笑いましょう?」



 そして結花は、来夢の頭を――優しく撫でる。

 まるで子どもをあやす、母親のように。



「…………優しくしないでよ」


「嫌でーす。だって……来夢さんは、ずっと一人で頑張ってきたんだから。少しくらい、甘やかされてくださーい」


「……私も遊一に、甘やかされたかったな」


「うっ! ご、ごめんなさい!! で、ででも、遊くんだけはさすがに譲れなくって……」


「……あははっ。引っ掛かったね。冗談よ、冗談。私だって、そこまで悪い女じゃないってば……馬鹿ね」



 来夢の頬を、一筋の涙が伝った。

 それは間違いなく、演技じゃない――来夢が流した、本当の涙。




「――ありがとう、結花さん」

「どういたしまして、来夢さん」



          ◆



「…………二人は婚約していて? もう一年近く同棲してる? 本気で言っているの?」



 俺と結花がすべての事情を打ち明けると――来夢は訝しむような顔をした。

 それから、深くため息を吐き出して。



「そんな関係性にありながら、ラジオで『弟』がどうとか言っていたとか……貴方のリスクマネージメント、どうなってるのよ」


「ふへぇ……面目ないです」


「まったく……芯が通っているかと思えば、とんでもなく天然だったり。本当に困った後輩ね、結花さんは」



 ぼやくように言いながら、来夢は優しく微笑んだ。

『来夢』でも、紫ノ宮らんむでもない――月光のように穏やかな、その笑顔。



「ラジオでの振る舞いは、いったん置いておくとして――遊一。貴方のそばに、貴方を誰よりも愛してる人がいて、本当に嬉しいわ。だから、どうか……幸せになってね」


「ああ。幸せになるって、約束する。だから来夢。もう――自分を責めないでくれよ」


「…………うん、分かった。善処するわ」



 その返事は、いつもの演技とは違う気がしたから。

 俺と結花の気持ちが、少しは来夢に届いたんじゃないかって、そんな風に思った。



「とはいえ――『カマガミ』の件は、なにかしら手を打たないとね」


 そう言って、紫ノ宮らんむのような厳しい顔つきになると。

 来夢は淡々と、俺たちに告げる。



「この間の炎上騒動を見ても、『カマガミ』が情けを掛けるなんて、到底思えないわ」


「……そう、ですよね」


「ええ。だから、そう遠くないうちに――和泉いずみゆうなと『恋する死神』のスキャンダルは、ネット上に暴露される。それはおそらく、避けられない」



 来夢の放つ正論に、結花が少しだけ表情を曇らせる。

 そんな結花の肩を、ポンッと叩くと――来夢は穏やかに微笑んだ。



「『60Pプロダクション』に頼るほか、ないわ。頭を下げる必要があるなら、私も一緒に下げる。貴方が――和泉ゆうなが、声優の舞台から降りずに済むのなら。だから……笑いなさいって。貴方らしくないわよ、ゆうな?」


「…………はいっ! らんむ先輩!!」





 ――暴露系MeTuber『カマガミ』に対する不安は、正直大きい。


 けれど、今こうして……来夢と分かりあうことができたように。

 結花の笑顔の力は、奇跡だって起こせるから。


 あんな悪意に負けるはずがないって信じてる。

 信じているから、俺も最後まで……結花と一緒に、全力を尽くしてみせる。



 そうじゃないと、未来の『夫』だなんて――胸を張って、言えないから。

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