★太陽と月は、それぞれに輝く★

「……それじゃあお先に、失礼します」


 厚手のコートを羽織り、ハット状の帽子を目深に被り。

 私――紫ノ宮しのみやらんむは、楽屋の椅子から立ち上がった。



「あ、らんむ。ゆうなちゃんも……たまには三人でご飯食べてかない? 先輩らしく、わたしが奢るからさ」

「わっ! ほんとですか、掘田ほったさん!! 行きたいですっ、三人でご飯!」



 掘田さんが食事に誘っただけで、やたらとハイテンションになっているゆうな。

 相変わらず無邪気というか、純粋な子だなと思う。



 だからこそ――今日は少し、距離を置かせてほしい。


「すみません。今日は遠慮しておきます……また、違う機会にでも」



 二人と別れて、私はスタジオを後にする。


 外に出ると、二月の空気は冷たくて、いっそ痛いとすら感じるほどだった。



 ――昨日の自分は、どうかしていたな。



 ゆうなと話した流れで、柄にもなくお参りでもしてみようかと訪れた、近所の神社。

 そこで私は、なんの運命のいたずらか――遊一ゆういちとゆうなに会った。


 もちろん、驚きはした。

 けれど、その程度で『来夢らいむ』の演技を崩すような私ではない。


 当たり障りのないやり取りをしたら、その場を去ろう……そう思っていたんだ。



 ――ファンレターに書かれた、『恋する死神』の名前を見るまでは。



「演者とファンが交際するのって――あんまり好きじゃないから、か。我ながら……なかなかに最低な発言よね」


 敢えて声に出してみると、あまりの失態具合に、笑えてすらくる。


 あの瞬間――私は確かに、演技を乱した。

 いつもニコニコと愛想が良くて、誰とでも穏やかに接する――そんな『来夢』の仮面がわずかに外れて、私が顔を覗かせてしまった。


 演技で頂点を目指すなどと言っておきながら、自身の未熟さが恥ずかしい。


 その上、吐き出した言葉がこれなのだから……まったくもって愚かなことだ。



「……告白を断った女が、今の恋人との関係に口出しをするなんて、遊一からすれば不愉快極まりないことだわ。まったくもって、私は――悪い女ね」



 ――沖縄公演のときも、後からこうして反省したんだったな。


 一目見ようと近づいた、ゆうなの『弟』が、遊一なのだと分かって。


 私はつい……紫ノ宮らんむとして、遊一に話し掛けてしまった。



 遊一が元気でいることが。

 遊一がゆうなという大切な存在に出逢えていたことが。

 嬉しかったからなんて……実に軽率な理由で。



 ――分かっているのに。


 中三の頃、遊一の気持ちに応えられなくて。

 結果的にクラス中に噂が広まってしまい、遊一の心を深く傷つけた。


 そんな自分は、もう二度と――遊一に近づくべきじゃ、ないんだということは。



「遊一、貴方が……『恋する死神』でさえなければ、良かったのに」



 身勝手なのは承知している。だけど、どうしても吐き出さずにはいられなかった。


 遊一にはもう傷つかないで、幸せになってほしい。


 この思いは本当だし、ゆうなという大切な存在ができたのなら、それは喜ばしいことだと思っていた。



 だけど、私はどうしても――和泉いずみゆうなの今後を、考えてしまうんだ。



 和泉ゆうなは、天然なのか突拍子もない発言が多くて。

 思い立ったときには、平気で無茶な行動を起こしてしまうところもあって。

 本当に手の掛かる後輩だ。


 だけど……同時に、眩いばかりの魅力も持っていると思う。


 だからこそ、私は彼女に……声優とファンの恋愛なんて、危険な橋を渡ってほしくない。


 独善的だとは、理解しているけれど。




 ――――野々花ののはな来夢は、人に自分の夢を語ることが苦手だった。



 中学生になって演劇部に入ってから、「芝居や歌で幸せを届けたい」という夢は、どんどん膨らんでいった。


 けれど、野々花来夢は……それを隠した。


 叶えたい夢を語ったとき。

 誰かはそれを嘲笑う。誰かはその道に反対する。誰かはその希望を否定する。


 それが嫌だった。そんな世界が不快だった。



 そうして、本音を晒して生きることから逃げた、弱いだけの私は……現実でも演技をするようになった。


 ――――『来夢』という、仮面をかぶったんだ。



 それからの私は、いつもニコニコして過ごすようになった。


 誰とでも自然に話して、すぐに打ち解けられるし。

 どんなグループと一緒にいても、その場の空気に調和して過ごせる。


 ふわふわした雰囲気の、コミュニケーション上手な女の子……そういう『演技』をしながら、私は日々を生きてきた。


 誰とも夢を共有することなく、一人で黙々と努力するだけの毎日。


 そんな私の心を唯一救ってくれたのは――『トップに立つということは、自分のすべてを捨てる覚悟を持ち、人生のすべてを捧げること』という、真伽まとぎケイの言葉だった。



 そうして、孤独に研鑽を続けていた紫ノ宮らんむは。

 あるとき――和泉ゆうなに出逢った。



「は、ははは初めまして! よろ、よりゅしくお願いしますっ!!」

「……そんなに緊張しなくても、大丈夫よ」


 初対面のときは、なんて落ち着きのない子なんだろうって思った。



「えっと、らんむ先輩はどんなお菓子が好きですかっ!? ちなみに私はパフェですっ!」

「……パフェって、お菓子に入るの?」


 なんて自然体な子なんだろうとも思った。


 私のように、演技で固めてなんかいなくて……すべてが本気で、すべてが素直なこの子の気持ちなんだなって思った。



 ――和泉ゆうなは、私とは違う。


 最初に出逢ったときから、今に至るまで、この考えが変わったことはない。


 けれど、ゆうなを知っていく中で――彼女なりの輝き方があることも、分かったんだ。



 いくつもの夢があって。いくつも大事にしているものがあって。

 だけど、何ひとつ諦めたりしないで――全部の夢を叶えようと努力する、和泉ゆうな。



 ひとつの夢を追い求めて。自分がどんな犠牲を払うことも厭わなくて。

 唯ひとつの夢だけは、誰にも負けないと誓い――全力で輝こうとする、紫ノ宮らんむ。



 和泉ゆうなは、紫ノ宮らんむとは違う。


 たとえるなら、そう……太陽と月のように。

 輝き方も、目指すものも、まるで異なっている。


 けれど――太陽が月になれないように、月が太陽になれないように。

 自分には真似できない、和泉ゆうなという光もあるのだと思う。



 だからこそ、私は柄にもなく――。



 私は――和泉ゆうなという後輩を、とても大事に思ってしまうのだろう。



          ◆



「…………?」


 感傷に耽りながら、夜道を急いでいたところ。


 私はふいに、誰かの視線を感じて――大通りから路地裏へと方向を転換した。

 そして、早足に路地裏の奥へと移動して、身を潜める。



 ――――バタバタバタッ!



 数秒遅れて、誰かが相当な勢いで走っていく音が聞こえた。



「……まったく。タイムリーなことね」


 ひとけのない路地裏に佇んだまま、私は――紫ノ宮らんむは、自嘲的に笑った。


 果たして今のがマスコミだったのか、はたまた無関係な不審者だったのか、定かではないけれど。


 ゆうなのスキャンダルを心配しておきながら、自分がこんなリスクに見舞われているようでは、世話がないな。




 だけど、まぁ……仕方のないことだ。


 こうしたリスクを背負うのは、高みを目指す上での代償だと思うから。



 それが、私自身が選んだ――生き方なのだから。

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