第21話 俺の黒歴史には、思いもよらない『秘密』があった 1/2

 喫茶『ライムライト』。


 俺たちの中学時代の同級生で、俺のトラウマの原因になった女子――野々花ののはな来夢らいむの実家である、その場所で。


 来夢は穏やかな声色で言ったんだ。



 ――それじゃあ、話すね?

 ――中三の冬の、すべてのことを。



 テーブル席の向かい側に座ったマサは腕組みをして、いつになく険しい顔をしている。

 その隣の二原にはらさんは、柄にもなく肩をすぼめて、唇を震わせている。


 そして、俺の隣の席にいる結花ゆうかは――。



「来夢さん……お話ししてくれるんですねっ! ありがとうございます!!」



 無邪気な笑顔で、来夢に向かってぺこりとおじぎをした。


 めちゃくちゃ重苦しい空気の俺たち三人とは対照的に――ほんわか柔らかい空気を纏ってる結花。


 その笑顔は、俺の愛する『アリステ』のゆうなちゃんと、まったく同じで。


 どんな暗闇だって照らしてしまいそうなほど、輝いていた。



「あははー。結花さんにお礼を言われたら、なんだか調子狂っちゃうなー」


 そんな結花を見て、来夢もまた、無邪気に微笑んで。


「だってあたしは……遊一ゆういちを傷つけた悪い女だよ?」



 ――ナイフのように鋭い言葉を放った。



「そんな嫌な女が、ありがとうなんて言葉をもらうのは、申し訳ないよ。遊一の彼女さんなら、あたしに対して怒ったり、恨んだりする方が妥当じゃないかな?」


「……怒る? 恨む? なんでですか?」


「だって、結花さんの好きな人をフッた上に、その噂を広めて、不登校になるほど傷つけたんだよ? そんな相手に普通、いい感情は持たないんじゃない?」


「え? でも、多分ですけど、噂を広めたのって――来夢さんじゃないですよね?」



 きょとんとしながら、当たり前みたいにそう言った結花を見て。


 俺も二原さんもマサも、揃って「え?」と声を漏らしてしまった。



 そんな俺たちに一瞥もくれることなく――来夢は。


 微笑を浮かべたまま、小首を傾げた。



「――どうしてそう思ったの?」


「んーと……なんとなく、です。違ってたらごめんなさい。ただ、来夢さんってそういうことしそうな感じ、全然しないなぁって」


「そうかな? あたしってこんな風に、へらへらーってしてる感じだよ? つい言っちゃいそうだなーって思わない?」


「んー……やっぱり思えないです。うまく説明できないんですけど、来夢さんはそういう人に見えないんですよね……あ、でも! そんな悪い性格の人だったとしたら、ヒーローなももちゃんが何か『約束』をしたりなんて、しないと思います! うん、だから絶対違いますね!!」


「……ゆうちゃん」


「――――そっかぁ。すごいんだね、結花さんって」



 そう言って、来夢はふぅっとため息を吐いた。



「あたしが悪い女なのは、嘘じゃないよ? だけど……正解だよ結花さん。噂の件についてはね」

「どういうことだよ? 来夢」



 ――噂を広めたのは、来夢じゃない?


 どういうことだよ……それ。



 いつの間にか、拳を強く握りしめていた自分に気付く。

 ドクンドクンと、鼓動が速くなっていくのも感じる。



 そんな中、来夢は。


 まるで、演劇の舞台に立ったときみたいに――大げさに両腕を広げた。



「それじゃあ、改めて――お話しするね。中三の冬に起きたこと。あたしが桃乃もものにお願いしてた『秘密』。あのときの真実を、すべて……ね?」



          ◆



 むかしむかし……二年ほど前のこと。

 あるところに、来夢という女の子がいました。


 来夢はふわふわーっとしていて、誰とでも気さくに話す子だったので、いつもみんなが集まっている場に溶け込んで、平凡に過ごしていました。


 そんな彼女には、仲のいい男の子がいました。名前を、遊一といいます。



 来夢と遊一は、雅春まさはるや他の大勢の友達と一緒に、楽しく過ごしていました。


 コンビニで買い食いをしたり、集まってゲームをしたり、教室に残ってだべったり。

 みんなで集まっているときも、どこか波長があったのでしょう、来夢と遊一は二人でよく盛り上がっていました。



 だけど、そんな明るい日々は、急に終わりを迎えました。

 忘れもしない――中三の十二月のことです。



 放課後、来夢は遊一に呼ばれて、ひとけのない教室にやってきました。

 来夢は呑気に窓の外を見ながら、綺麗な夕陽だなぁなんて、思っていました。



「なぁ。俺たち……付き合わないか?」



 遊一の言葉に驚いた来夢は、パッと振り返りました。


 頭の中が整理できなくって。俯いて、前髪を指先でくるくる弄って。


 それから――来夢は答えたんです。



「えっと……ごめんね。それは、できないんだ」



 ――――ここまでは、みんなが知っている物語。

 そしてこの物語の続きを、みんなはこう認識しているでしょう。



 遊一が好意を持っていたのとは反対に、来夢にそんな気持ちは一切なくて。


 告白されたという事実を、面白がったのか、あるいは馬鹿にしたのか……周囲に噂話をばら撒いた。



 ですが……このお話には、三つの誤解があります。



 ひとつ目は、来夢は告白されたという事実を、面白がっても馬鹿にしてもいなかったということ。


 ふたつ目は、来夢は噂話を広めようなんて、まったく思っていなかったということ。


 そして、最後のひとつ。それは――。



 ――――本当は来夢も、遊一に好意を抱いていたということです。



―――――――――――――――――――――――――――――――――



 物語でも朗読するような語り口で、来夢はあの日の出来事について話した。


 それが、思いもよらない事実ばかりで溢れてたもんだから。


 とてもじゃないけど、俺は……うまく言葉を紡ぐことができない。



「あははー。なんか演劇の癖で、芝居がかっちゃったね? ごめんごめん。まずはそうだなー……『最後のひとつ』から、説明するね」


 普段どおりのトーンのまま、来夢が話を続ける。



「あたしもね、遊一のことが好きだったんだよ。遊一に告白されるより前から」



 ザクリと。

 心臓のあたりを鋭利な刃物で貫かれたような、そんな衝撃を覚える。



「……だとしたら。どうしてあのとき、来夢は……」


「断ったのか、でしょ? それはねぇ……あたしのアイデンティティみたいな問題になるから、説明が難しいんだよなぁ」



 少しだけ眉をひそめて、来夢は言った。



「あたしが遊一のことを好きだったのは、本当だよ。だけど……たとえ相手が誰だろうと、付き合うつもりがなかったっていうのも、本当。だからね、気持ちは嬉しかったけど、あたしは――『それは、できないんだ』って答えた」



 確かに来夢はあのとき、そう答えていた。


 俺のことを「嫌い」とも、「友達としか見られない」とも、言っていなかった。



 だけどまさか、来夢が俺に対して、そんな想いを持っていたなんて――考えたこともなかった。



「ただ、そうは言ってもね。さすがに、好きな人を傷つけちゃったなぁって思ったら……あたしも、少しこたえちゃって。これからどう、遊一と接したらいいのかなって悩んで。それで、相談をしたんだよ」



 来夢の目線が、すっと二原さんの方へと向けられた。

 俯いたまま来夢の話を聞いていた二原さんは、ゆっくりと顔を上げる。



「そ。その相談相手ってのが……うちってわけ」


「桃乃はね、演劇部の芝居をよく観に来てくれてて、それで親しくなったんだ。桃乃とあたしは、それぞれ別のグループと一緒にいることが多かったから、クラスだとあんまり絡みがなかったけどね」


「そーね……佐方さかたとか倉井くらいとか、来夢と仲良かったメンツとは、中学時代の絡みほぼゼロだったわ」


「……確かに。二原さんとまともに話したのって、高校になってからだったけど……」


「だからこそ、桃乃に相談したんだよね。遊一との接点が少ないし、口が堅い子だってことも知ってたから」



 ――ここまでの説明は正直、筋が通っていた。



 来夢が俺を嫌っていたわけじゃないから、相談相手を共通の友人にしなかったというのも、分かる。


 フッた後、俺とどう接していいか悩んで、誰かに相談したかった気持ちも理解できる。



 だけど、それでも……分からないことがある。



「それじゃあどうして、次の日――俺が来夢にフラれたって噂が、広まってたんだ?」


「あの日はさ。あたしの方が遊一より先に、教室に着いてたでしょ?」


「ああ。だからてっきり、俺がいない間に来夢が――」


「あたしもね。遊一が学校に来る前に、噂話を聞きつけた子たちに囲まれて、あれこれ言われてたんだよね」


「…………来夢も?」


「そーいうこと。来夢は……佐方をフッたなんて、言いふらしちゃいないんだよ。それどころか、みんなに囲まれても……いつもどおり笑って、誤魔化し通そうとしたわけ」



 二原さんがグッと、唇を噛み締める。



「噂を広めたのは――来夢ともうちとも、関係ないグループの男子。来夢がうちに相談してたとこを、そいつが聞いてて……面白おかしく尾ひれを付けて、言いふらしたわけよ。うちらが気付いたときには、もう――どうしようもないくらい広まっててさ」


「……ひどい」



 結花が瞳を潤ませて、ぽつりと呟く。


「なんとなく気に入らない」――そんなくだらない理由で、クラスの女子から嫌がらせを受けた経験のある結花。


 そんな結花にとって、二原さんの語った真実は、重たいものだったんだと思う。



「……この中で一番部外者なのに、俺が口を挟むことじゃねぇかもだけどよ」



 そんな重苦しい空気の中。

 黙って腕組みをしていたマサが、来夢に向かって言った。



「今の話だけじゃ、どうしても分かんねぇんだよ。来夢も遊一のことが好きで? 好きだけどフって? そのことを二原に相談してたら……関係ない馬鹿が、勝手に聞き耳を立てた上に、言いふらしやがったってんだろ?」


「あははー、口が悪いね雅春? だけど内容的には、そんな感じだね」


「で? その話を、なんで遊一や俺たちに『秘密』にする必要があったんだよ。普通に教えてくれりゃ、よかったじゃねーか」


「――桃乃に『秘密』にしてもらった理由はね、簡単だよ」



 少し声を荒らげるマサに対して、来夢は変わらず、ふんわりとした笑顔を向けて。



「遊一に、あたしへの想いを――忘れてほしかったから」



 声のトーンを一切変えることなく、答えた。



「あたしが遊一の気持ちに応えられないっていう事実は変わらないからね。だから噂が広まってしまった以上、あたしが悪者になればいいと思ったんだよ。それで遊一が……あたしを嫌いになって、あたしへの想いを忘れちゃえば、その方がよっぽどいいって」


「来夢が考えるほど……佐方は薄情じゃなかったけどね」


「そうだね。桃乃の言うとおり。あたしは結局、遊一を傷つけることしかできなかった。だから、そう……悪い女なんだよ」



 そこまで言い終わったところで。

 来夢はおもむろに立ち上がると、深々と頭を下げた。



「だけど今はもう、遊一には結花さんがいる。あたしがあの頃、願ったとおり――あたしへの想いを忘れて、結花さんのことを愛せてる。だから、もう『秘密』はおしまい」



 それから、ゆっくりと顔を上げた来夢は。


 中三の頃に好きだった、あの優しくて穏やかな、笑みを浮かべたまま。


 ――――言った。




「今までごめんね遊一。それから――どうか結花さんと、幸せになってね」

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