第22話 いつだって頑張り屋な許嫁だから、支えてあげたいって思うんだ 2/2

 鉢川はちかわさんから連絡をもらって、すぐに家を出発した俺は。


 四十分ほど掛けて、RINEで教えてもらった鉢川さんのマンションに到着した。



遊一ゆういちくん。わざわざ来てもらって、ごめんね」



 毛先に緩くパーマの掛かった、茶髪のショートボブ。


 女性にしては高身長で、まるでモデルさんのようにスレンダーなプロポーション。



 多分だけど……鉢川さん、だよね?



 疑問形なのは、いつもばっちりメイクを決めている鉢川さんと違って、目の前の女性は――メイクを落としてるから。


 あとは、いつもの黒いジャケットにタイトスカートという、社会人然とした格好と違って――胸元の緩いTシャツにショートパンツなんて、ラフな格好をしてるから。


 いつもの鉢川さんが『できるOL』風だとしたら、目の前にいる人は『女子大生』って感じだ。



「……なんでそんな、じろじろ見てるの? 遊一くん」


「あ、いえ……いつもと雰囲気が違ったので。すみません……」


「あ……そっか、そういえば化粧とか落としちゃったわ。ごめんね、こんなお見苦しいところ見せちゃって。大人なのに、お恥ずかしい限り……」


「い、いえ、とんでもないです……」



 お見苦しいどころか。


 いつもの大人びた鉢川さんと打って変わった、どこかあどけなさの残る『素』の鉢川さんは――年上だけど、可愛らしくって。


 ほどよい大きさをした胸元が、緩いTシャツの隙間からちらちらしていて……とにかく無防備で。


 刺激が強すぎる以外のコメントがない。



「散らかってて申し訳ないけど、どうぞ上がっていって。ゆうな……家に連れてきたのはいいけど、全然起きる気配もないんだよね」



 ――一人暮らしの女性の家に、こんな夜遅くに上がる?


 何それ。三次元女子とほとんど関わらない俺からしたら、めちゃくちゃドキドキするイベントなんですけど。



 とはいえ……結花ゆうかへの心配が、一番大きいから。四の五の言ってられないか。


 そんなわけで、俺はおそるおそる――鉢川さんの家に、お邪魔した。



「くー……」



 ――すると、そこには。


 ワンルームの部屋の隅っこに敷かれた布団の中で、猫みたいに身体を丸くして。


 なんだか気持ちよさそうに眠りこけてる、許嫁の姿があった。



「なんだ……爆睡してるときの顔ですね、これ。全然起きないっていうから、実は倒れたんじゃないかとか、そういう心配をしてたんで……取りあえず安心しました」



 最近ずっと、疲れきってた結花を見てたから。


 気絶したとか、危ない感じだったらどうしようとか、内心焦っていたもんだから――なんかドッと疲れた。いや、杞憂でよかったんだけどね。



「そっか。ごめんね、心配させちゃったね。まったく――こんな健気な婚約者が迎えに来たっていうのに、この子ったら呑気に寝ちゃってさ」



 からかい交じりにそんな風に言うと、鉢川さんは冷蔵庫の方へ移動した。


 そして、座卓の前に座った俺に向かって、ペットボトルのコーラを手渡してくれた。


 ちなみにご自身は……缶ビールを片手に、上目遣いで吞みたそうな顔をしている。



「えっと、ご心配掛けた手前、失礼かと思うんだけど……一杯呑んでも、いいかな?」


「なんでそんな、あざとい感じで聞いてくるんですか!? いいですよ、ここ鉢川さんの家ですし! 結花……ゆうなも、一仕事終えて爆睡してるだけみたいですし」


「ふふー……じゃ、遊一くん? 乾杯しよっ」



 学生か。


 仕事でオンオフ切り替えるタイプなのかな……なんかいつもと全然ノリが違う。


 俺の前でスイッチをオフされても、どう対応したらいいのか分かんないんだけど。



「――ぷはぁ! やっぱ、仕事の後の一杯は最高だわぁ~」


「……そうなんですね。お酒呑んだことないから、分かんないですけど」


「ねぇねぇ、遊一くん! 遊一くんは、ゆうなのどんなとこが好きなの!?」


「急に学生の恋バナみたいなノリですね!? 唐突なキャラ変更は、やめてくださいよ!?」


「だって、仕事中じゃないもーん」



 あざといな!? 唇を尖らせないで!?


 普段のしっかり者っぽい鉢川さんとのギャップが、尋常じゃない。



「ほらほらー。お姉さんに話してよー。二人の……いちゃいちゃエピソードを!」


「何その、マネージャーにあるまじき話の振り!? っていうか、酒のペース速いな!? ひょっとして、もう酔ってきてません!?」


「酔ってないですー。久留実くるみちゃんは、お酒つよいんでー」



 あー……駄目だこれ。酔いはじめてる人のセリフだわ。


 っていうか久留実ちゃんて。


『久留実って名前は、可愛いから似合わない』とか、そんなニュアンスのこと、前に言ってなかったっけ? 確かに今のテンション、『久留実ちゃん』って感じだけど……。



「……わたしはさぁ。遊一くんに――んーん。『恋する死神』さんに、すっごい感謝してるんだよ。ゆうなの、マネージャーとしてさ」



 三本目の缶ビールをぐびぐび呑みながら、鉢川さんはほわっとした顔になる。



「いやいや。自分で言うのもなんですけど、めちゃくちゃ気持ち悪いファンだと思いますよ――『恋する死神』。ゆうなちゃんを愛してるんで、やめる気はさらさらないですけど……本人やマネージャーさんに持ち上げられるほどの存在じゃ、ないですってば」


「前にも言ったけど……『60Pプロダクション』に入ってすぐの頃のゆうなは、もうめちゃくちゃ自分に自信がなくってね。失敗しては落ち込んで、よく泣いてて。こんな風に言ったらなんだけど……すぐに辞めちゃうんじゃないかって、心配してたんだ」



 でもね……と。


 鉢川さんは缶ビールを持った手で俺を指差すと、ウインクするように笑った。



「『恋する死神』さんと巡り会って、ゆうなは変わったんだよ。だから、ゆうなにとっての『恋する死神』さんは、『死神』なんかじゃなくって……明るい世界に導いてくれる『神様』だったんだと思う。ありがとうね――『恋する死神』さん?」


「いやいや、買いかぶりすぎですって。感謝するのは、俺の方ですよ。人生で一番どん底だったとき……ゆうなちゃんが、明るい世界に連れ出してくれたから。『神様』はむしろ――和泉いずみゆうなちゃんの方ですよ」



 そうだよ。


 和泉ゆうなちゃんが……結花が、ゆうなちゃんに命を吹き込んでくれて。


 俺はそんな、ゆうなちゃんに出逢って――『恋する死神』になったんだ。



 ゆうなちゃんがいなかったら、『恋する死神』はこの世に存在しなかった。


 だから、感謝するのは本当に……俺の方なんだ。



「出逢う前から、二人はそうやって……支えあってきたんだね。それって、すっごく素敵なことだと思うなぁ、わたしは」



 四本目は、ビールじゃないお酒に手を伸ばすと。


 鉢川さんは楽しそうにそれを呑みながら……無邪気な笑顔で言った。



「あなたじゃなかったら……マネージャーとして、絶対反対してたよ。声優とファンが同棲とか、やばすぎるもの。だから今、わたしが応援してるのは……声優とかファンとか、そういう概念を超えて、マネージャーの立場も置いといて。それでも応援したいって思えるほど、ゆうな――ううん、『綿苗わたなえ結花』と『遊一くん』が、お互いにとって必要な存在なんだって思うからだよ」


「……鉢川さん」



 何度でも繰り返すけど――『恋する死神』は、たいした存在じゃない。


 俺と結花が許嫁になったのだって、そもそもは親同士が勝手に決めたのがきっかけで。


『声優とファン』だったことも、実は『クラスメート』だったことも――すべては偶然でしかない。



 だけど、ただの偶然の出逢いだったとしても。


 こうして毎日が楽しくて、結花が……笑顔でいられるんだったら。


 この偶然が、ずっと続いていけばいいなって――そう思う。



「鉢川さん、ありがとうございます。たくさん迷惑掛けると思いますけど、俺も結花を支えていきます。だから、今後も――」


「……うんっ! めっちゃおーえん、してるよぉ? でさぁ、遊一くんはさぁ……ゆうなの、どんなとこが好きなのぉ?」



 ――――ん?


 おや、鉢川さんの様子が……?



「えっと、あの……ひょっとして、かなり泥酔してらっしゃるのでは……」


「よってないしー、ぜーんぜんふつー、だしー?」


「いやいや!? って、書いてあるアルコール度数が二桁じゃないですか、それ!? 二桁って、呑みすぎたらやばい度数なんじゃあ……」


「やばくないしー。しらふだしー」



 おめでとう! 鉢川さんは、酔っ払いに進化した!!


 そして……完全に酔っ払った鉢川さんは、へらへらっと笑って俺の隣に寄ってくると。


 腕にギューッとしがみついて、ぶんぶん揺すりはじめた!



「はぁ、いいないいなー、ゆうなは! わたしも、彼氏ほしいー!!」


「待って待って!? 鉢川さん、近い、近いですって!! お水飲んで!」


「うるちゃいなぁ……いーから、おねーさんに、二人のいちゃらぶ話をおしえてよぉぉ」


「やめてやめて!? そんなに前屈みにならないでくださいって! そのTシャツだと見える、見えちゃいますから!!」



「…………ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」



 そんな、考えうる限り最悪なタイミングで。


 布団からむくっと起き上がった結花が――俺と鉢川さんの方を見て、叫び声を上げた。



「私のマネージャーさんが、私の婚約者と、週刊誌沙汰ぁぁ!? 誰かー! 助けてー!!」


「待って待って、落ち着いて結花! 鉢川さんは離れて……って、寝落ちてるし!! あー、もう……助けてほしいのは、こっちなんだけど!?」




 ――――それから、大騒ぎする結花をなだめようと、事情を説明しているうちに。


『ゆらゆら★革命』大阪公演後の夜は、更けていった……。

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