第34話 【開場】文化祭中の許嫁、心配しかない 2/2
「……お帰りなさいませ」
無愛想にそう言って、そのメイド少女は、バサッとメニュー表をテーブルに置いた。
ポニーテールに結った艶やかな黒髪を、小さく揺らして。
細いフレームの眼鏡を、カチャッと直しながら。
スカート丈の長い黒のメイド服に、白いエプロンドレスを纏ったクラシカルなメイドこと――
「……ご注文は?」
「あ、え、えっと……コーヒーで」
「ホットで?」
「あ、はい……」
そうして注文を取り終えた結花は、ぎこちない動きで設営されたキッチンの方に来ると。
「コーヒー。ホットで」
淡々と無表情に告げて、次のお客さんのもとへと向かっていく。
そんな結花の姿を見て……キッチンのシフトに入ってる俺は、内心ハラハラしていた。
いや、だってさ? 他のクラスメートを見てみなよ。
バレー部の名前も覚えてない女子は、ハロウィンで見かけるようなミニスカ魔女の格好で、お客さんの目を惹いてるし。
二原さんは――教室の外で怪獣の着ぐるみを着て、めちゃくちゃ注目を浴びてるけど、あれは別枠だな。
とにかく……みんなコスプレ衣装を活かして、喜んでもらえる接客をしてるわけだよ。
なのに、メイド服の結花ときたら。
「あ、すみませーん。そこのメイドさーん」
「…………何?」
お客さんの呼び掛けに、愛想の欠片もない返事をして。
「眼鏡とメイド服のコラボ……これこそまさに、伝統的なメイドそのもの! すごく似合ってるよ、君!!」
「別に」
お客さんが熱弁を振るっても、さらっと流して。
……こりゃあ、あれだな。
学校結花の――いつもの塩対応、絶賛発動中だわ。
「うぅぅぅぅ……全然、だめだめだったよぉ……
俺も結花もシフトに入ってない時間帯。
ひとけのない校舎裏に移動すると、結花は目に見えてしょんぼりした。
まぁ、言っちゃなんだけど……すごい空気だったもんね。接客してるとき。
「はぁ……どうしよう? 私ってば、
「中学の頃の綿苗結花は、もういないよ――だっけ?」
「ぎゃああああ!? なんでわざわざ復唱すんのー!! 遊くんの、ばーか!」
落ち込んだり怒ったり、忙しいな。
その感じが接客でも出せればいいんだろうけど……自分も似たタイプだから分かる。そういうの、意識してできるもんじゃないよね。
そんなやり取りをしているさなか――ポケットの中で、スマホが振動した。
画面を見ると、
「もしもし、那由?」
『ワンコールで出ろし。世の中を、なんだと思ってんの? ……はぁ』
「お前こそ世の中をなんだと思ってんだよ……文化祭中なんだから、そんなすぐ出られるとは限らないだろ」
『は? なに言い訳してんの? 政治家だったら、今ので辞任じゃね?』
「極論だな!? そこまでの失言はしてないだろ!」
電話の開始と同時に、斬り掛かってくる那由。
これが通常運転なの、いい加減どうにかなんないかな……まったく。
「で、もう学校か? 勇海は?」
『いるよ。ほれ、勇海。なんか喋んなって』
『あ……えっと。あははっ……』
ぎこちない笑い声が、那由の隣から聞こえてきた。
いつもだったら、出店の女子生徒にイケメンゼリフでも吐いてそうなもんなのに……結花への心配で、それどころじゃないって感じか。
『ま、勇海はこんな感じ。で? 兄さんと結花ちゃんが二人ともシフトに入ってんの、何時なわけ?』
「ん? えっと……十二時からのシフトだと、俺も結花も、接客してる予定だな」
『十二時か、もうすぐじゃん。ほら勇海、行くよ――って、逃げんな!』
『ぐぇぇ!? な……那由ちゃん、首! 首が、絞ま……ってる、からっ!!』
『ビビって逃げ帰ろうとするからっしょ。あのさ、結花ちゃんが頑張るって言ったんだけど? 妹のくせに、それを確かめもせずに逃げ出すとか、馬鹿じゃん?』
「…………うぅ」
電話の向こうに聞こえないくらいの呻き声を漏らして、結花がお腹を押さえる。
那由……お前のそれ、思いのほかプレッシャーになってるからな?
『遊にいさん……結花は本当に、ちゃんとやれてますか?』
電話口から聞こえる勇海の声は、いつもと違って、か細いものだった。
『結花がいつも以上に、本気なんだってことは……分かってるんですけど。実際にやってみたらだめだめで、自己嫌悪で凹んだりしてないかなって……心配で』
うん、大当たり。さすが実の妹、よく姉の特徴を掴んでる。
横で聞いてた結花なんか、的確すぎてずーんって、さらに落ち込んでるからな?
『シスコンすぎ。ウケる。結花ちゃんはあんたの、所有物かっつーの』
そんな勇海に向かって、那由がひどい煽り文句を口にした。
『ぐだぐだ言わずに、目で見て確かめろし。ぜってー、うまくいくって。もしうまくいかなかったら……兄さんを死刑にするし』
「なんで俺なんだよ!?」
『うっさいな。とにかく、兄さんは結花ちゃんを、しっかり支えろし。それくらいできるって信じてんだから……マジで』
それだけ言い残して――プツッと。
那由は一方的に、通話を切りやがった。
まったく、言いたいことだけ言って……相変わらず勝手な妹だな。
「遊くん」
スマホをポケットにしまってから、顔を上げると。
ポニーテールに眼鏡な、学校仕様の結花が……まっすぐに俺を見つめていた。
学校で眼鏡をしてるとつり目で、家で眼鏡をしてないと垂れ目に見える結花だけど……今は、どっちでもない感じ。
まるで――炎が燃えているみたいな。
決意のこもった瞳をした結花が、そこにはいた。
「文化祭はまだ、これからだもんね……泣き言なんて、言ってる場合じゃないや。中学の頃の綿苗結花は、もういないんだって――勇海に見せてあげないとだねっ!」
「……ああ、そうだな。一緒に最後まで頑張ろうな、結花」
声優になることを、選んだみたいに。
馴れ初めはともかく、許嫁同士としてやっていこうって、選んだみたいに。
結花は、過去を振り切って……学校で一歩を踏み出そうって、選んだ。
そして、そんな自分を勇海に見せたいって――そう願ったんだ。
だから俺は、それを全力で支える。
折れないように、絶対に支えきってみせる。
そうじゃないと……『夫』だなんて、とても言えないからな。
◆
「おぉー! いいじゃん、
バックヤードで着替えた俺を、二原さんがにやにやと見てる。
絶対からかってるでしょ、二原さん。
俺が着てるのは――いわゆるタキシード。しかも純白の。
ワックスを塗られた髪の毛は、オールバック仕様で……どこのホストだよって感じ。
正直、まるで似合ってる気がしない。
「ほらほら、綿苗さん。こっちおいでー!!」
「……何?」
二原さんに呼ばれて、結花がバックヤードに入ってくる。
結花の衣装は先ほどまでと同じく、クラシカルなメイド服。
長袖にロングスカートで、露出は控えめの清楚系な装いだけど――ポニーテールに眼鏡な学校結花が着ると、なんだか本物のメイドって感じで、よく似合ってる。
「ねぇ、綿苗さん。佐方の衣装、似合ってるよねぇ?」
「……別に」
「
「……好きー!! きゃー、格好良くって目が潰れちゃうー!! きゃーきゃー!!」
シャッとカーテンが開いて、バックヤードにマサが入ってくる。
「なんだ!? なんか今、変な声がしなかったか、
「変なのは、
結花がさらっと、ひどいことを言った。
っていうか、今の一瞬で、よく学校モードに切り替えられたね?
「あははっ! 倉井、何それー。めっちゃ、ウケるんだけどー!!」
「一人だけ、お化け屋敷かしら」
そんなマサの格好は――ドラキュラだった。
ひらひらした真っ赤なワイシャツの上に、襟の大きな黒いマントを羽織って。
口元にはご丁寧に、模造品の牙まで付けている。
「へっ……分かってねぇな。二原も、綿苗さんも」
そんなドラキュラに扮したマサは、なぜかふっと得意げな顔をした。
「俺の愛する、らんむ様はな。そのクールビューティさに合わせて、ライブステージに十字架やコウモリといった、ホラーチックなデザインを多用するんだ。だから俺は、ドラキュラになった! すごい一体感を感じる……今までにない何か熱い一体感を……っ!!」
結構マジで、俺はお前のこと、オタクとして尊敬するよ。
「んじゃ、うちもいい加減……着ぐるみ以外で、張り切っちゃおっかね!」
話してるうちにテンションが上がってきたらしい二原さんは。
着ていた制服を……バサッと脱ぎ捨てた。
「な……二原さん!?」
と言いつつも、俺の視線は限界を超えた速度で、二原さんの胸元へと移動した。
二原さんがワイシャツの下に着ていたのは――ピンクのレオタードだった。
両腕まで覆うタイプの、ぴっちりとしたレオタード。
太ももあたりにはスカート代わりに、ひらひらとした布地が付いていて……胸元はラテックスの生地の下から、たわわな実りが凄まじい主張をしている。
俺とマサは、同時に「ほぉ……」と変な声を出してしまう。
「どうよ、これ? 格好良くない?」
「か、格好いい……? いや、まぁ、そうかな? なぁ、マサ?」
「あ、ああ。なんつーか、エロ……いや、いいと思うぜ! 俺はとても、いいと思う!!」
二原さん的には、戦隊のバトルスーツ的な感覚で、マジで格好いいって思って着てるんだろうな。さすがは特撮ガチ勢。
いや、いいと思うよ? 二原さんのニュアンスとは別な意味で、いいと思う。
「…………いつまで遊んでいるの? ふざけないで、男子」
ドスの利いた声でそう言って、結花がバックヤードのカーテンを、シャッと開けた。
そんな結花に怯えたのか、マサはそそくさとカーテンをくぐって、外に出やがった。
ぴっちりレオタードの二原さんも、それに続く。
そして――唯一残った俺の方に、結花はくるっと向き直って。
「……ばーか。遊くんの、すけべ」
「ごめんなさい」
「……帰ったら、覚悟してよね? き、きわどい格好で攻めて……私でドキドキ、させちゃうんだからっ」
怒られてるんだか、ご褒美の説明をされたんだか分かんないけど。
とにもかくにも、俺と結花は――揃ってバックヤードから歩み出た。
時刻はちょうど十二時。那由と勇海も、おそらく来店するだろう。
――どうか、勇海の前で結花が、頑張ってるところを見せられますように。
心の中で、そう願ってはいるけれど……。
虫の知らせなのか――なんだか胸のざわつきが止まらない、俺だった。
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