第21話 新学期になったら、俺の許嫁が変わると思った人、挙手 1/2

「んじゃ、兄さん。そろそろあたし、向こうに帰るわ」



 夏休みも残り数日で終わりという頃。


 風呂上がりの俺をバルコニーに連れ出した那由なゆは、夜空を見上げながら言った。


 今日は天気がいいからか、やけに月が綺麗に見える。



「ん。身体に気を付けろよ、那由」


「けっ。当然だし」



 普通の気遣いをしただけなのに、舌打ちとかある?


 そんな愚妹は、俺から視線を外したまま、独り言みたいに呟いた。



「あたしさ。結花ゆうかちゃんが『お義姉ねえちゃん』で、良かったって思うわけ。勇海いさみは……うざいけど。それでもやっぱ、兄さんのそばにいるのは、結花ちゃんがいい」


「安心しろよ。お前に言われなくても、結花と離れる予定とかないから」


「……兄さんさ。中三で不登校になったとき、辛かったっしょ? 今でもまだ、三次元女子に抵抗あるくらいだし」



 なんで急に昔の話?


 疑問に思いつつも、俺は那由に答える。



「もうだいぶ忘れたけどな、その頃の気持ちとか。結花と過ごしたこの数か月が……濃すぎたから」


「ま、確かに。兄さん、一時期よりは笑うようになったしね。マジで」



 そう言って、微笑んだかと思うと。


 那由は眉をひそめて、少し声のトーンを落とした。



「……あたし、あんま詳しくは知んないけど。結花ちゃんにも、その……学校行けない時期が、あったんでしょ?」


「結花に聞いたのか?」


「ちらっとね。具体的なことは、全然だけど。でも……結花ちゃんにも、兄さんくらい深い傷があるんじゃないかって、なんか思ったわけ。だから――」


「言われなくても、分かってるよ」



 那由に言われるまでもない。


 結花の過去を詳しく聞いたわけじゃないけれど。



 結花が俺を支えてくれてるように――俺も結花を支えてあげたい。


 そう、思ってるから。



「『笑わせちゃおっかな。寂しいのなんて、吹っ飛ばせるように』――結花ちゃん、前にそう言ってたじゃん?」



 那由はぽつりと呟くと、俺のことをまっすぐに見てきた。



「あたしは、その言葉を信じてる。結花ちゃんが、兄さんをずっと笑顔でいさせてくれるって。だから、兄さんも……ぜってー忘れんなし」


「何をだよ?」


「はぁ、うざ……兄さんも、結花ちゃんを笑顔にさせるってことだし。夫婦は支え合いっしょ? 結花ちゃんに甘えてばっかだったら……爪はぐから、マジで」



 怖いな、表現が!?


 相変わらず毒舌が過ぎる那由だけど……俺はゆっくりと頷いた。



「分かってるって。支え合っていくよ……仮にも、夫婦だからな」


「……けっ。末永く爆発してろ」


「あ、あとさ。那由」


「は? なに?」



 相変わらず、つっけんどんな態度を取る那由だけど。


 俺はそんな可愛い妹の頭を、そっと撫でて……なだめるように言った。



「最近、結花や勇海と絡むことばっかで、ちゃんとかまってやれてなかったなって。その……ごめんな。結花だけじゃなくって、実の妹のお前も……俺にとって、大切な存在だから。ってことで……これからもよろしくな、那由」



 我ながら恥ずかしくなるような、感謝の言葉を述べたところで。


 言われた側の那由は。



「…………死ね!」



 ゴスッと。


 俺の鳩尾目掛けて、絶対にやっちゃいけない速度で肘鉄を食らわせてきた。



「おま……一瞬、呼吸止まったぞ、マジで……」


「に、兄さんが変なこと言うからっしょ! ばーか、ばーか! そ、そういうのは結花ちゃんにだけ言えし――勘違いされるよ? 兄さんの……女ったらし」




 そんなこんなで。


 俺たち兄妹らしい会話を交わした翌日――那由は父さんのいる海外へと帰っていった。



 そして、残りわずかだった夏休みも、あっという間に過ぎて――。



 明日はいよいよ、二学期の始業式だ。



          ◆



「ふふふーん♪ 遊くんとー、一緒に登校ー♪」



 制服姿の結花が洗面所で、鼻唄を歌いながら髪の毛を結んでる。


 夏休み明けの初登校なんて、ただただ面倒なだけなのに……やたら上機嫌だな。



「なんでそんなに楽しそうなの、結花は?」


「え? だって、学校に行けばももちゃんに会えるし。それに……久しぶりの、遊くんとのドキドキ登校タイムだもん! テンション上がるしかないじゃんよ!!」


「えっと……一応聞いとくけど。バレないようにするつもり、あるよね?」


「……それは当然よ」



 洗面台に置いてあった眼鏡をカチャッと掛けると。


 結花は一気に、学校仕様のクールな声色に変化した。



「なんのために、夏休み中に学校シミュレーションをしたと思っているの? 学校でこれまでどおり振る舞えるよう、完璧な練習を積んだのよ」


「あのぐだぐだシミュレーションを、よくもまぁ完璧な練習なんて言えたもんだね……」



 正直あれ、やばいプレイだったとしか思ってないけど。



佐方さかたくんにとっては、そうなのね。だけど私にとっては、実のある訓練だったわ。これで何があっても、私が学校で動じることは……」


「結花、可愛いね」


「えへへ~、なぁに、遊くんってばぁ~……恥ずかしいじゃんよー」


「駄目じゃん」


「今のは卑怯よ」



 くいっと眼鏡を指先で持ち上げながら、結花はじっと俺のことを睨んだ。


 そして、学校仕様の無表情でもって、俺に向かって淡々と告げる。



「一応、言っておくけれど。今のようなトラップを仕掛けられたら、アドリブが利かないから。くれぐれも、佐方くんも気を付けるように」


「アドリブ利かないにも、ほどがあるでしょ……まぁクラスに自分の恋愛事情を知られるとひどい目に遭うってのは身に染みてるから、気を付けるけどさ」


「それなら、いいのだけど」


「じゃあ、そろそろ行こうか」


「ええ」



 そんな約束を交わして、俺と結花は靴を履き、家を出る。


 そして、いつもの通学路を歩き出したところで……。



「あ、あの……」



 眼鏡姿の結花は、上目遣いに言った。



「大通りに出るまでは、さっきの約束……なしでお願いしたいでーす……」



 小声で言いつつ、ギュッと俺の手を握ってくる結花。


 ……まぁ確かに。このあたりは人通りがないから、一学期も並んで歩いてたからいいんだけどさ。



 こんな調子で、果たして結花が学校でボロを出さないか――心配でしかない。

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