第8話 みんな、許嫁をなんて呼んでる?

 学校から家までは、徒歩十五分くらい。

 しばらく歩くと、交差点を渡ってすぐ、右に曲がるところがある。


 この道を通って帰宅する生徒を、俺はこれまで見たことがない。

 そもそも人通りが少ないから、誰とも会わずに家に着くことも多い。


 そんな、穏やかな道を一人歩いていると……。


「――ゆうくーん!」


 おそらく初めて、ここで声を掛けられた。

 しかも、めちゃくちゃ親しい感じのテンションで。


 俺が慌てて振り向くと、結花ゆうかちゃんが息を切らせつつ、こちらに手を振っていた。


「呼び方、呼び方! まだ帰り道だから、大きい声でそれはさぁ……」

「あ、ごめん! えっと……佐方さかたくんに追いつきたかったんだもんっ!」


 いや。呼び方だけ変えればいいって問題じゃないから。


「……バレないようにするつもり、あるよね?」

「もちろんっ! からかわれたり仕事に支障出たら困るって、言ってたからねっ!」

「そうだよね?」


「……でも。走って追い掛けて、一緒に帰るのって……なんかドキドキするね」

「バレないようにするつもり、あるんだよね?」

「もちろんだよっ!」



 思わずため息を吐いてしまう。


 俺の横で、無邪気に笑いまくってる結花は――全然クラスの『綿苗わたなえ結花』じゃない。

 本人は気を付けてるつもりなんだろうけど。行動がまるで伴ってないんだよな。



 さすが、ゆうなちゃんの中の人――キャラと同じく、本物の天然だ。


          ◆


 帰宅してしばらくすると、引っ越し業者がチャイムを鳴らした。


 去年まで那由なゆが使っていた部屋に、結花ちゃんの荷物が運び込まれていく。

 少しずつ、結花ちゃんの色に染まっていく室内。


「んー。これはこっちに置いて、これはあっちで……」


 業者が帰ったあとも、結花ちゃんは自室の整理整頓に夢中になっていた。

 女子の部屋をじろじろ見るのは気が咎めたので、俺は一人リビングに戻る。


 無造作に置かれた、まだ開封されていない段ボール。


 ――いざ荷物が運ばれてくると。

 改めて、今日から同棲生活なんだなぁと、しみじみした気持ちになる。


「遊くん、お待たせー」


 そうこうしていると、片付けを終えたらしい結花ちゃんが、ひょこっと顔を出した。


 学校と違って結われていない、肩甲骨あたりまで伸びた黒髪。

 眼鏡を外すと、なんだか垂れ目っぽく見える瞳。

 水色のワンピースを翻して、結花が子犬のように笑う。


「なんか、荷物が運ばれてくるとさ。今日からここで遊くんと一緒に暮らすんだなぁって、実感が沸いてくるよね」


 そう言ってから照れたように、結花ちゃんが俯く。

 なんか気恥ずかしくなって、俺も思わず目を逸らした。


 テーブルには、コップが二つ。


 ひとつは、いつも使ってる俺の黒いマグカップ。

 もうひとつは、うさぎのキャラクターが目立つ――結花ちゃんのマグカップ。


「遊くん」


 なんの脈絡もなく、結花ちゃんが俺の名前を呼んだ。


「どうしたの、結花ちゃん?」

「ゆーくーん」

「動物の鳴き声みたいだね、それ……」

「……むー」


 結花ちゃんは腕を組むと、何やら難しい顔をして首をかしげはじめた。

 なんか知らないけど、深刻そう。


「『遊くん』『結花ちゃん』――これって許嫁同士の呼び方として、いいのかな?」

「え? 別によくない?」

「いや……アニメとかだと、他にも色んなパターンがあるし。いっちばんしっくりくる呼び方を目指すのも、ありかなって」


 俺の頭が追いつく前に、結花ちゃんは自分の人差し指をくっつけて、もじもじしながら言った。



「んーと……あ、あなた……」



 シンッと、二人っきりのリビングが静まり返った。


 結花ちゃんの顔が、赤く染まってる。

 なんだかいけないものを見ているような気分になって、俺は思わず目を逸らす。


「さ、さすがにそれは恥ずかしいでしょ……」

「じゃ、じゃあ――旦那様、とか?」


 口に含んでいたお茶を、ぶぼっと吹き出しそうになった。


「真面目な顔して、何言ってんの!? そっちの方がもっと恥ずかしいよ!」

「ねぇ。ダーリン?」

「バカップルか」

「つれないなぁ……ご主人様ぁ」

「それはもはや意味が違う!!」


 最初こそ恥ずかしがっていた結花ちゃんだけど。


 掛け合いをしてるうちに、テンションが上がってきたのか。

 はたまた、声優の血が騒ぎ出したのか。


 段々と演技に拍車が掛かっていって――。



「私――結花はぁ。ご主人様のために、今日も頑張ってご奉仕するにゃあ☆」


          ◆


 それから数分後。


 そこには「勢いでやり過ぎた」と、机に突っ伏して落ち込む少女の姿が。


「ったく。調子に乗ってはしゃぐから」

「うぅ……恥ずかし……」


 学校とのギャップが凄まじいな。同一人物とは思えない。


「色々試してみて、満足した?」

「んー……でもぉ……」


 ここまでやって、まだご不満なのか君は。


「俺は別に、『遊くん』でいいよ。それでも特別感あるし」

「――『結花ちゃん』には」

「ん?」

「『結花ちゃん』には……特別感がないもん」


 落ち込んでいたと思われる結花ちゃんが、急にハイテンションで立ち上がった。

 そして、俺のことをビシッと指差して。


「女子でそう呼んでくる子もいるし。なんかすっごい、普通!」

「普通じゃ駄目なの?」

「だめっ! だって、私と遊くんは……いつか結婚するんだから」


 ハイテンションだったかと思えば、今度はか細い声で顔をしかめちゃって。

 まるでジェットコースターみたいに、ころころと変わる表情。


 中の人とは思えないほど、ゆうなちゃんそのもの。


 元気でドジっ子で、やりすぎちゃってからずーんと落ち込んで。


 あー……駄目だな。

 ゆうなちゃんとかぶるから、そういうのを見ると――なんか放っとけないんだよ。



「――『結花』」

「へっ!?」



 目を丸くする結花に、俺は穏やかな気持ちで言った。


「結花、だったらどう? 少しは特別感、出たりしないかな」

「あ、あう! あうあう!!」


 なんか言語を失った結花が、こくこくと凄い速度で頭を振ってる。

 そんな素直で、ちょっと抜けてる結花に、俺は声を出して笑いながら。



「じゃあ改めて……よろしくね、結花」



「遊くん」

「うん?」

「遊くん遊くん」

「なぁに、結花?」

「呼んでるだけだよー。遊くん、遊くん、遊くん……えへへっ」


 繰り返し、繰り返し。

 結花は意味もなく俺の名前を呼んで、楽しそうに笑う。



 ただ、それだけのやり取りなんだけど。


 なんだか意外と――悪くないなって思った。



「遊くん遊くん! 遊くん遊くん! 遊くん? ゆうくーん!! ゆ、遊くん……!?」

「なんで最後、死んだみたいになってんの?」



 やっぱりやり過ぎなのが、玉にきずなんだよな。この子は。

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