第3話 【誰?】俺の結婚相手、二次元じゃない 2/2

 それから一時間は経ったかな。

 段々と喉がイガイガしてきたのを感じて、俺は入れ直したお茶を一気に飲み干した。


「おー。すごい飲みっぷりですね」

「いや……普段、こんなに喋らないから」


 普段の俺は、家で独り言しか呟かない。学校でも、最低限の会話ばっかりだ。

 マサ以外で、俺がほぼノンストップで話し続けるなんて……。


「こんなに話が合う相手、初めてかもです」


 綿苗わたなえさんがポニーテールを結び直しながら、はにかむように笑った。

 無防備なその仕草に、思わずドキッとする。


「あ、そうだ。佐方さかたくんの部屋、見たいです。どんなマンガとかあるのかなって」

「駄目」


 俺は間髪入れずに、胸の前でバッテンを作った。

 部屋はまずい。

 趣味のトークがいくら楽しかったからって……異性をあの部屋に上げるのは。


「えー!? なんで、駄目なんですか?」

「人様に見せれるもんじゃないし」

「大丈夫ですよ。私だってオタクですし。男の子がそういうの好きなのは……その、理解してます。でも、お互い気まずくなるから……凝視しないようにしますね」

「なんの話してるの!? 一応言っとくけど、十八禁な話はしてないよ!?」

「え、そうなんですか?」


 なんだと思ってんだ、俺の部屋を。


「そういうんじゃなくて……ほら。綿苗さんは、ゆうなちゃんだから」

「私は『結花ゆうか』です!」

「じゃなくって! 『和泉いずみゆうな』ちゃんなんでしょ、綿苗さんは」


 少し冷静になって考える。

 そう、綿苗結花さんは――和泉ゆうなちゃん。

 アリステのゆうなちゃんの、声優だ。


「確かに私は、和泉ゆうな。『ゆうな』を演じてます。ゆうなのことを、世界で一番よく知ってる自信はあります。だけど、それと部屋を見せないことに、どんな関係が――」

「……世界で、一番?」


 綿苗さんの発言の一部が、なんだか物凄く引っ掛かった。


「俺の方が、ゆうなちゃんに詳しいと思うけどな」

「え、そこに食いつくんですか? っていうか、ゆうな本人ですよ私? 私が一番、ゆうなを知ってるし、世界一ゆうなのことが好きですし」

「俺のゆうなちゃんへの愛を、なめないでほしいね」


 我ながら、変なところで意地になっていると理解はしている。

 だけど、これだけは譲れない。


 誰かに傷つけられない。誰かを傷つけない。

 そのために、二次元だけを愛するって決めた俺にとって――ゆうなちゃんは、俺のすべてだから。



「そんなに言うんなら、俺の部屋を見せてやるよ。ゆうなちゃんにすべてを捧げた……漢の部屋を!」


          ◆


 その数分後。

 俺は意を決して、自室のドアを開け放った。


 カーテンの隙間から差し込む、オレンジ色の夕陽。

 遠くから聞こえる、カラスの鳴き声。

 そんな、穏やかな夕暮れの中――綿苗さんが足を踏み入れた、その部屋には。



 ――ゆうなちゃんのグッズが、所狭しと飾られていた。



 綿苗さんが息を呑むのを、真横で感じる。


「すごい。缶バッチに、キーホルダーに……フィギュアまで」

「フィギュアは限定生産だったから。当日中に申し込んで買ったんだ」

「あ。これ、ラジオのやつ」

「そう、『アリステ』のハンドタオル! 五枚買ってある」


「あれ? この『アリステ』のポスター……」

「…………お、おう」

「これ、神イレブンに選ばれたキャラで、発売されたポスターだ」

「いいポスターだよね!」


「んーと。ゆうなはまだ、そこまで人気ないので、こういうポスターには入れてもらえないんですよね」

「知ってる知ってる! でもそんなところも好きだけどね!!」

「けど、ここ……ゆうな、いますよね?」

「…………お、おう」


 核心を突いたその言葉に、俺はうな垂れるしかなかった。


「俺にとって、ゆうなちゃんは唯一無二だから。それで、ネットで拾った画像を印刷して、うまいこと加工して……」

「よく作りましたね……違和感ないくらい紛れてるから、びっくりしました……」


 うん、我ながらやばい人だと自覚はしてる。

 ゆうなちゃんのためだから、後悔はしてないけど。


 そんな俺を一瞥して、綿苗さんはため息を吐いた。

 そして――――。



「ゆうながずーっと、そばにいるよ! だーかーら……一緒に笑お?」



「――――え!?」


 俺は身を震わせながら、綿苗さんを見る。


「い、今っ! ゆうなちゃんの声が聞こえた!?」

「だから、ゆうなの声は私なんですってば!」


 眼鏡をくいっと持ち上げて、綿苗さんは少しだけ得意げに言った。


「いいセリフですよね。ゆうなにとって最初のセリフで……私が一番好きなセリフです」

「……俺も。どんなゆうなちゃんも好きだけど。そのセリフ、本当に大好きなんだ。どんなに辛くたって、どんなに落ち込んだって……立ち上がる勇気をくれるから」


 絶望に打ちひしがれて、部屋にこもっていたあの日。

 俺を奮い立たせてくれた――本当に本当に、大切な言葉。


 そんな俺を見て、綿苗さんはふっと笑った。


「ファンだって言ってくれたから、ちょっとだけサービスでした。そろそろ、おいとましなきゃ……ですし」


 少しずつ、綿苗さんの表情が曇っていく。

 俺はその顔を見て――ああ、と察した。


「そうだね。親同士の決めた結婚とか……今どきね」

「うん。佐方くんと喋るのは、楽しかったけど……」

「それは俺もだけど。でも、やっぱ……結婚はね」


 確かに彼女は、ゆうなちゃんに世界で一番近い存在だけど。

 ゆうなちゃんじゃなくって、あくまでも綿苗結花さん。


 中の人は、二次元キャラじゃなくって――三次元の人間だ。


 親同士の離婚のおかげで、結婚に夢が持てなくって。

 痛々しい過去の出来事から、攻略本のない三次元との恋愛を恐れてる俺には。

 彼女との結婚なんて――無理なんだ。


 綿苗さんは、とてもいい人だ。話してて、そう思った。

 だからこそ彼女には、もっといい人を見つけて……幸せになってほしい。


「これで最後だけど。ゆうなちゃんを産んでくれて、ありがとう。君は本当に――俺の命の恩人だよ」

「そんな……大げさすぎません?」

「大げさなんかじゃないよ。心から愛する、ゆうなちゃん。毎日何回も写真を見て元気をもらってるし、ファンレターだっていくら送ったか分かんないくらいだよ」


 言いながら、思わず苦笑いしてしまう。

 中の人的には、こんなこと言われても気持ち悪いだけか。


 こうして、何気ない言葉で傷つけちゃうかもしれないから――三次元女子とのやり取りは、怖いんだ。


「……ファンレターって、とっても嬉しいんですよ?」


 そんな俺の恐れとは裏腹に、綿苗さんは遠い目をしながら、ポーチの中に手を入れる。

 取り出されたのは、さっき俺が木の枝から取ったピンク色の封筒。

 それに視線を落として、綿苗さんはくしゃっと微笑んだ。


「さっき拾ってもらったこれ――ゆうなの一番のファンの人からもらった、大事なお手紙なんです。その人は、何回も何回もファンレターを送ってくれて。おかげで私は、たくさん笑顔になれたんです」

「そっか……それであんな、一生懸命になってたのか」


 このネット全盛期。

 大半の人が、メール送信で済ませるところを、敢えて手紙を送り続けるなんて……古風な人だな。


 誰だか知らないけど、俺と気が合いそうだ。


「ちなみに佐方くん。ペンネームはなんていうんですか?」

 綿苗さんが、キラキラとした眼差しで俺を見てくる。


「ファンレターって、きっとメールですよね? メールでも、たくさん送ってくれてる人の名前は、ちゃんと覚えてます! だって、みんな大事な大事なファンの方ですから!!」

「あ。い、いや……メールじゃないんだけどね」


 テンションの高い綿苗さんに気圧されて、俺はおそるおそるペンネームを口にした。


「ペンネームは、『恋する死神』。メールだとなんか気持ちがこもらない気がして、いつも手紙なんだけ――」

「『恋する死神』さん!?」


 綿苗さんが、大きな目をさらに丸くする。

 その拍子に、ピンク色の封筒が、ひらりと落ちた。


 そこに書かれている、送り主の名前は。



 ――――『恋する死神』。



 紛れもない……俺だった。

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