#2-5「出たぞクソ歌!」
外観に劣らず豪奢な室内に入ると、わたしたちは階段を上がり、二階にあるという
果たしてそれが、本当に茉莉百合紗さんなのかは分からないけど……。
――とかなんとか考えてると。
「あーあー、ただいまマイクのテスト中っす」
廊下の一番奥の部屋から、声が漏れ聞こえてきた。
「うん、今日も問題なしっすね。それじゃ、今度は歌の練習っすよ」
独り言のようにそんなことを言って、声の主はおもむろに歌を歌いはじめた。
『 豚肉 豚肉 ぶーぶーぶー♪
牛の肉なら もーもーもー♪
鷄になったら どうしよう♪
こけこここっこー こけこっこー♪ 』
出たぞクソ歌!
しかも今度は肉系かよ!! 食べ物以外のネタはねーのかよ!?
そしてその意味不明な歌詞を乗せた歌声は、まるで悪魔の呻き声。
音程はガタガタにずれてるし、聴いてるこっちが息苦しくなってくるほどだ。
「なぁにこの、お肉屋さんで流れてそうな歌は?」
「女子高生に大人気、カリスマ歌い手『ジャスミン』の曲よ」
「カリスマ? この、どっかのガキ大将みたいな歌声でか?」
ああ――雪姫。
やっぱりあんたたちは魔法少女。わたしと同じく、一般人の感覚とはズレてしまっているのね。
わたしは頭を抱えながら、「神曲、神曲……」と自分に言い聞かせる。
頑張れ、ほのり。普通の感覚を取り戻すんだ!
「何をやっているのですか、ほのり先輩!」
もゆが爛々と瞳を輝かせながら、わたしの腕を掴んでくる。
「これが『ジャスミン』の歌ということならば、つまりそういうことなのでしょう? あの部屋の向こうにいるのが――」
「……ええ、そうね。あんたのご期待通りの人よ。間違いなくね」
わたしは鳴り止まないクソ歌……じゃなかった神曲に頭痛を覚えながら、足早に声のする部屋へと歩を進めた。
そして、ガチャリとドアノブを回して。
「こんにちは、茉莉百合紗さん」
デスクトップパソコンの前に座ってマイクを握っている少女に向かって、うやうやしく挨拶をした。
突然の出来事に、少女はヘッドフォンをつけた姿勢のままで、ピタリと固まる。
濃い青色に染まった、ストレートのショートヘア。おろしたら瞳を完全に隠してしまうであろう長い前髪は、ちょんまげのようにぴょこんと縛られている。
小柄な身体に纏っているのは、白いTシャツとデニムのショートパンツ。
そこから覗く手脚は透けるように白く、触れれば折れてしまいそうなほどに細い。羨ましい。
そしてそれとはアンバランスに、妙に胸元だけは発育がよかったりする。羨ましいな、こんちくしょう!
「な、なんなんすか……!?」
そんなラフな格好をしたプロポーション抜群な少女は、眠たげな瞳を今にも泣きそうに歪ませて、叫んだ。
まぁそりゃ、知らない人間が大挙して部屋に押しかけてきたら、そう反応したくもなるわよね。
変な蛇とワニも後ろにくっついてきてるし。ごめんね。
わたしは心底申し訳ないと思いつつ、できるだけ丁寧な物腰で挨拶をする。
「初めまして。私立雪姫高等学園三年一組の、
鼓動が早くなるのを感じる。
わたしは気持ちを落ち着けようと、ひとつ深呼吸をした。
そして……思い切って、その名を口にする。
「ジャスミン、って呼んだ方がいいかしら?」
茉莉百合紗ことジャスミンは、ヘッドフォンを耳にしたまま、ガタリと椅子から立ち上がった。
そしてそのまま部屋の片隅のベッドまで移動すると、頭から布団をかぶってガタガタと肩を震わせはじめる。
「すいません、すいません。命だけは……どうか命だけは勘弁してほしいっすぅ!」
その捨て犬のようなビクビクっぷりは、ミーチューブで自信満々に歌っている彼女とは程遠くって、わたしはどうしたもんかと頬を掻く。
「そんなに怖がらなくってもだいじょぶ★ ゆっきーたちはきちんとお母さんに招き入れてもらった、お客さんだから★」
「ひぃぃ……なんて余計なことを……」
「おめでとうがぶ! お前さんこそが、次世代魔法少――」
「ぎゃああああああ! ワニが喋ったあああああああ!?」
「ガブリコ、相手はまだ状況が呑み込めず怯えているにょろよ? そこで魔法少女宣言とはフライングもいいところ、恥を知れにょろ! ……お嬢さん、うちのガブリコが驚かせてすまなかったにょ――」
「ぎゃああああああ! ヘビも喋ったあああああああ!?」
ガブリコとニョロンのせいで大パニックな茉莉さん。
そうだよね、人間大の爬虫類が話しかけてきたら怖いよね。もう黙ってろよこいつら。
わたしは嘆息して、ガブリコとニョロンを順次、薙子の方に投げつける。
「いやあああああああ!? 爬虫類ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
予想通り大絶叫した爬虫類嫌いの薙子は、どこから取り出したのか金属バットを思いっきり振るって、二匹の妖精を野球選手もびっくりな勢いでぶん殴った!
「がぶぅぅぅぅぅぅ!?」
「にょろぉぉぉぉぉ!?」
――――ガシャンッ!!
小気味よい破砕音とともに、ガブリコとニョロンは場外ホームラン。
室内には爬虫類特有の生臭い臭いだけが残される。
「ほのりぃ! お前、わざとあたしの方に投げただろ!! あたしがあの怪物爬虫類どもを、嫌いだって知ってるくせに!!」
「だってあいつらがいると話が進まないんだもん。わたしは茉莉さんと、じっくりお話がしたいの」
「ひぃぃ……自分は全然話したくないっすよぉ……」
布団の隙間からちょんまげみたいな前髪だけを覗かせて、茉莉さんはアルマジロみたいに丸まっている。
わたしはおそるおそる彼女に近づいて、こほんと咳払いをした。
「えーと、改めて……三年の有絵田ほのりです。よろしくお願いします」
「同じく、三年の雪姫でーすっ。ゆっきーって呼んでねっ★」
「
「
「その名前、ネットで見たことあるっすよ。確か四人とも魔法少女じゃないっすかぁ……魔法少女が、一体なんの用なんすか? 自分、悪いことなんてしてないっすよぉ……」
こんなところでも売れてるのか、魔法少女としての名前は。
軽く絶望を覚えつつ、わたしは話を繋ごうと必死に頭を回転させる。
「茉莉さんも雪姫高等学園の生徒なんだよね? 何年生?」
「一年っす。けど、行ったことないから、よく知らないっすね」
ん? 行ったことない?
「行ったことないって、入学式の日から学校に一度も来てないってこと?」
「そうっす。学校も行かないし、外にも出ないっす」
「外にも!?」
「ええ。一歩も」
これはあれか。いわゆる引きこもり系女子ってやつか。
わたしは初めて接するタイプの相手に、ちょっと身構える。
「まぁどんな事情があるのか知らないけどさ。せっかく入学したんだし、取りあえず一回顔出してみたら? 来てみたら意外と楽しいかもしれないわよ。このまま休んでたら留年だか退学だかになっちゃうわけだし」
「嫌っす」
布団から腕だけ突き出すと、茉莉さんは大きく『×』を作った。
「学校に行ってる暇なんて、ないっす」
「はぁ?」
「自分は今、音楽活動で忙しいっすから」
茉莉さんは腕を再び布団の中にしまうと、唯一表に出たちょんまげをぴょこぴょこと揺らしながら、語りはじめる。
「自分は小さい頃から、歌を歌うのが好きだったっす。アイドルの真似をして歌ったり、録画した番組を何度も再生して踊ってみたり……でも人前に出るのは怖かったから、ずっと一人で頑張ってたっす。髪も青く染めたりなんかして、形からミュージシャンらしさを取り入れたりとか」
ミュージシャンが青髪とか、どんな偏見だよ。
黒染めしろよ、不良生徒め。
「そんなとき、自分はミーチューブをはじめたっす。顔さえ出さなきゃ、誰かに歌を届けられるんじゃないかって。そして生まれたのが『ジャスミン』。最初は、全然人気なんてなかったっす。けど……プロデューサーと出会って、変わった」
「プロデューサー?」
「そう。そしたら再生数が伸びまくって、嬉しかったっす。自分の歌が、努力が、ようやく認められたんだって思って。だから自分は、歌に生きるって決めたっす」
「……それはまぁ、立派なサクセスストーリーだと思うけど。それと引きこもってるのが、どう関係あるの?」
判然としない茉莉さんの話に、わたしは眉をひそめる。
布団の奥から「分かってないっすね……」と、ため息が聞こえてくる。
「音楽を志す以上、中途半端は許されないっす。人生の全てを音楽に捧げる……それはつまり、他の全てを捨てるということ。何かを得るためには何かを犠牲にしないといけないっす。だから自分は、学校を捨てた。外の世界を捨てた。全ては……音楽のためっす」
いや、そのりくつはおかしい。
頭がくらくらするような極論に、わたしは整理がつかなくって頭を抱えた。
つまり何か?
この子はいじめとか勉強の悩みとかそういうのじゃなくって、音楽をやるためだけに引きこもったっていうのか? あのへんてこりんな歌のために?
なんなの、バカなのこの子?
「んー、でもさぁ。経験って大事だと思うよっ? 色んな体験をして、それが音楽の糧になっていくんじゃないかなぁ」
「今の時代、インターネットがあれば情報収集なんてお茶の子さいさいっす」
「外に出て運動しないと、腹から声が出ないんじゃないか?」
「ご安心あれ。毎日腹筋千回はやってるし、室内も百周は走ってるっす。他にも腕立て、背筋、スクワット……歌い手の常識っすね」
随分とアクティブな引きこもりだな。
「ったく。そんだけ動き回ってるんなら、外に出りゃいいじゃないのよ」
「時間の無駄っす。情報収集も運動も家でできるのに、それ以上は音楽活動の妨げになるだけっす。それにそもそも、自分は人前に出るのが嫌いなんす。リアルで人と触れ合うとか、正直ハードル高すぎっすよ。今こうして話してるだけで、お腹痛いのに」
なんという引きこもり体質。
いや、わたしも人のことは言えないけどさぁ。
この子のコミュニケーション不全は、ちょっと常軌を逸してる気がする……。
これは魔法少女に説得するとか、それ以前の問題だよなぁとか頭を痛めていると。
「ああ、ユリーシャ……」
これまで黙っていた三つ編みおさげのおちびちゃんが、胸元を押さえて恍惚とした表情で一歩前に出た。
茉莉さんが布団をかぶったまま、警戒して後ずさる。
「なんすか、ユリーシャって?」
「百合紗。その魂は天界ではこう呼ばれるのです。孤高を好み、この世を俯瞰する貴き使者……すなわち、ユリーシャと」
ああ、はじまった。
こうしてスイッチが入ると、もゆはもう日本語を話してくれない。
「ユリーシャ。ついに見つけました、我が血の盟友よ。幾久しく待っていたのですよ? 共に手を取り合うもゆのパートナー……お会いできて嬉しいのです」
「……あのー。このおちびちゃんが何を言ってるのか、よく分かんないんすけど」
いや、あんたも大概だよ。
そう思ったけど、口には出さない大人なわたし。
「さぁ、犀は投げられた……天の示したあなたの道は、さしずめ禁断の果実。かじれば二度とは戻れない、茨の彩り。けれど安心して。あなたのそばには、もゆがいるのですから。天使の心に悪魔の力を宿して……共に歩みましょう、魔天の道を!」
「……おちびちゃん。悪いけど、中二病ごっこなら別なところでやってほしいっす。音楽活動と関係ないから、興味ないんすよ」
やってることは五十歩百歩なくせに、もゆのことを軽くあしらうと、茉莉さんはおもむろに布団から出てきた。
そして、前髪をおろして目元を見えないように隠すと。
「もう話すことはないっす。帰ってください」
「あ、ちょっと待って。もゆの説明じゃ分かりづらかったと思うけど、あなたは次世代魔法少――」
「い・い・か・ら! お引き取りくださいっす!! このあとプロデューサーと打ち合わせがあるんす、邪魔っす!!」
そう捲し立てると、茉莉さんはわたしたちの背中を押して、部屋から追い出した。
そして勢いよく扉を閉めたかと思うと、ガチャリと内鍵を掛ける。
「……よく分からんが、あれが二人目の次世代魔法少女なのか?」
「そうなのです! もゆのパートナー、なのです!!」
もゆはピョンピョンと飛び跳ねて喜んでいるが、残るわたしたち三人は、ずーんと重苦しい空気で閉じられた扉を見つめている。
「ねぇ、ほのりん。あの子を仲間にするのってさぁ……」
「みなまで言わなくても、分かってるわよ」
雪姫の言葉を遮って、わたしはガリガリと頭を掻き毟る。
そうだよ。言われなくても分かってるんだよ。
茉莉百合紗は、ノリノリで魔法少女になったもゆとは違う。
そもそも家から一歩も出ようとしない奴が、魔法少女なんて進んでやりたがるわけないんだから。
「一筋縄じゃあいかなそうね……二人目を仲間にするのは」
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