【1話】何故か雨の日が好きだった。


 1.




 何故か雨の日が好きだった。灰色の大きい雨雲は太陽を隠し、降り注いだ雨で地面はぬかるんでいるというのに。


 たぶん、この規則的に聞こえる雨音が私の心を落ち着かせているのだと思う。


 学校の二階から見渡す景色は、見慣れた当たり前の町並み。


 それでも、飽きるまで見とかないといつか大人になった時にこの景色を思い出せなくなってしまうかもしれない。


 窓際の席は気分がいい。授業中に誰も視界に入ることがなく外を一望できる。


 窓に触れる。字が書けるほどに結露し、サッシには水が溜まっていた。


 いつしか、外の景色よりも窓に張り付いた煌めくガラス玉のような雨粒を見ていた。新しく増えたり流れ落ちていったりと見ていて何故か飽きさせなかった。


「月望つきのちゃんったら、なにぼーっと外なんか見てるのさ、早く帰ろうよー。あたし置いてっちゃうよー」


 その声の主は、机に突っ伏し窓を呆けて眺めていた私の前に座り込み。顔を覗き込んできた。 子犬のような愛らしい眼差しで私の帰りを促してくるは、同じクラスの戸矢京華とや きょうか。


 いきなりくる目線で私の頬が驚きのあまり赤く染めあがりそうになる。


 気取られないように目線を外し視線を泳がすと、目に映り込むのは京華の清麗な髪。すべらかに美しく流れるような長い黒髪を腰まで伸ばしている。手入れがとても大変そうだ。私は少し、くせっ毛で面倒だからいつも髪は可愛さを残したいと思いながらも、そこそこ短めに切ってしまう。


 京華は綺麗だと思う。同じ女として少し嫉妬してしまうほどに。肌は白くてぱっちり目で黒目がち、そのつぶらな瞳には、ありがちかもしれないが本当に吸い込まれてしまいそうになる。


 自分とは比べ物にならない京華の麗しさに恥ずかしさを憶える。二人で街に遊びに出かけたりすると時々考えてしまうのだ。こんな子が私と一緒に歩いていいのだろうかと、私なんかとなんで遊んでくれているのだろうと。かっこいい彼氏とでも並んで歩いたほうがいいのではないかと。そう思ってしまうほど京華は自慢の友達だ。


 京華と私が仲良くなったのはここ一年ほど。中学三年生頃からよく遊ぶようになり、今では私としては一番の親友だと思っている。京華も私をそう思っているかは分からないが、そう思っていてくれたら嬉しい。


「あれ、もうそんな時間なの?」


「もしかして寝てた? もうとっくに下校の時間だよ」


 窓に水滴が伝うのを見つめていて気付かなかったなんて少し笑えてきてしまった。


「なに笑ってんのさ、ほらぁ~早く早く~雨が強くなる前に帰ろうよ~」


「はいはい……すぐ帰りの準備するからちょっと待ってて」


「は~い」


 そんな猫撫で声で私に愛想を振りまいたって何も生まれないのに……というか、京華はこれで素だから怖いのか。


 私は立ち上がり、帰路に就こうと学生カバンを持ち上げた。その瞬間、鼻孔をくすぐられた。


 これは京華にいつも漂っている匂い。あまり自己主張することのないシャンプーなのか香水なのか分からないけど、清潔な心安らぐ香り。


 って、あー、なに考えてるんだ私は、雨が強くなる前に帰らなくては。


 京華と二人、昇降口までやってきて下履きに履き替え、外にでる。傘を差しているにも関わらず雨が肩や髪を濡らしてきた。もっと早く帰っておけば良かったな。


 だけど、おかげでいいものが見れた。それは、濡れた京華の髪。髪は水を含み色を濃くしている。


 友人という間ながらもこの髪の黒より綺麗な黒などこの世には無いんじゃないとすら思えてくる。その、さっきから京華のことをこれでもかと持ち上げているが、別に私と京華はただの友達だ。ただ私は一番の友達だとは思ってるけど。


 しとしと雨が降る中を二人きりで帰る。一緒に帰るのはいつものこと。それ以前に高校で私には京華以外の友達と呼べる友達がいない。ゴールデンウィークが目前に迫ってきているというのに、まだクラスのみんなとも打ち解けられずにいる。


「高校生になったら、世界が少しは変わるのかなぁ……とか思ったけど全然変わんないね」


 少し歩いて、校門を出た所で急に京華がそんなことを言い始めた。確かに拍子抜けするほど、取り巻く環境は変わらない。やってることは中学の延長線上のものだ。


「けど、変わらないことって一番なのかも……」


「そうだね。別に私は変わらなくていいかなぁ」


 せっかく私には京華という友達ができたのに、また一から友達をつくるなんて私にはできそうにない。それに私は京華さえ居れば他に何もいらなかった。


「あ、ていうかさ、変わらない理由が分かっちゃったかも」


 彼女ははにかんで私にそう言い告げる。


「なになに? またいつもみたいにくだらないこと言わないでよね」


「月望ちゃんとこうして、毎日一緒に帰ってさ、昔と全然変わってないじゃん?」


「あー、まぁ、確かに……」


 ――って、ちょっと言ってること恥ずかしくないか、それ。


 雨が降りしきる中でも自分の顔が火照っていくのが手に取るように分かってしまった。


 そうか、何故私が雨を好きなのか分かった気がする。この冷たい雨が京華の恥ずかしげもなく出す恥ずかしい言葉で火照った顔を冷ましてくれるのが心地良いからだ。




 ◯




「起きなさ~~い! 月望~~!」


 一階のリビングで朝食を作っているであろう母が声を張り上げて私の眠りを妨げてくる。


 私はしぶしぶ重い体を起こして、二階の自分の部屋から一階のリビングに行くために階段を降りていく。


「月望、あんた明日からゴールデンウィークでしょ。連休前なんだからしっかり学校行きなさい」


 睡魔という悪魔が私を夢へ引きずり込もうと誘いざなう手を母が払い除けた。


 そうか。明日からゴールデンウィークなんだ……ていうか、連休前だからしっかり学校行けっていうのは、よくわからない。私はいつも怠けていたいのだ。


 さぁ、気を取り直して連休前最後の登校。朝が弱いとはいえ、気を引き締めていかなきゃ。


 そうこう考えながら階段を降りていくと、食欲をそそる味噌汁のやわらかい和風の香りと焼き魚の芳ばしさがリビングから漂ってきていた。


 リビングの扉を開けると、妹の陽見ひみちゃんが私より一足先に湯気上がる朝食を頬張っていた。朝早いにも関わらず、陽見ちゃんは私と同じお母さんからの遺伝であろう茶色がかった髪を丁寧に梳いて、頭頂部の付近で結って短いポニーテールを作っている。


「おねえちゃん、おそよー」


「はいはい、陽見ちゃんおはよう。いっつも朝早いよねー陽見ちゃんは」


「学生なんだから、当たり前です」


 妹の陽見ちゃんは純粋無垢で健気で可愛い可愛い自慢の妹だ。この春、小学二年生に上がったのだが……なんだか最近、大人びてきたような気が。ていうか厳密に言えば学生ではなく。生徒なんだけど。


「そういえば、おねえちゃんはずっとカレシ連れて来ませんね」


「ブフッ!!」


 いきなり何てことを言うんだ陽見ちゃんは……危うく口に含んでいた味噌汁を盛大に噴き出しそうになった。てか、ちょっと漏れた。


「うわっ! おねえちゃん汚いですよー。これだからカレシができないんですよ」


「陽見ちゃんが変なこと言うからでしょ!」


「どうして、おねえちゃんはカレシいないんですか?」


 本当になんてことを聞いてくれるんだこの子は、小学校で何かあったのかな?


 気取られないように陽見ちゃんの顔色を窺う、いつもの愛らしい幼い笑顔が私を和ませる。まるで、さっきまでのやりとりが無かったかのように。


「いやいや、そのうちできるよ。そんなの……」


「うゆー。華のじぇいけーになってもカレシはできないんですか……陽見は落胆を隠せません……」


「いつの間にそんなにませたの!? ていうか、そういうこと恋人のいない人に言う言葉じゃなくない?」


 彼氏ができないなんて余計なお世話だってば、なんで小学生に気にしてもらわなきゃいけないんだ。しかも妹に。


「ませてる? よく分かりませんが、おねえちゃん早く恋人の一人や二人見せてくださいね」


「はいはいって……二人はダメでしょ?」


 男子に今までちやほやされたことなんてない。もちろん今まで彼氏なんてできたことは一度もなく。威張って言うことじゃないんだけど、学校で男子と話す機会があっても一言や二言しか喋れないし、男の人はお父さんぐらいしかまともに喋れない。全然免疫ないな、私。


「月望、ご飯食べ終わったんならとっとと学校に行きなさい」


 キッチンで洗い物をする母が私を急かす。考え事をしていたら、そろそろ家を出なくてはいけない時間だ。早くしないと学校に間に合わなくなる。私は急いで残りの味噌汁とご飯を食べ終えると、ある事に気付いた。


「あれ、陽見ちゃんは?」


「陽見なら、もう学校へ向かったわよ」


「陽見ちゃんったらいつの間に!? 私も急がなきゃ」


 私は急いで身支度を整えると、勢い良く玄関を飛び出した。




 今日も遅刻ギリギリで明影高校の門前までようやく着いた。


 本当、なんでこんな遠いんだろう。京華も明影高校ここにするって言ったからここにしたけど無事三年間この通学路を通いきれるのだろうか。


 自転車通学は骨が折れるなぁ。電車で通学したかったものだ。


 私は頭の中でボソボソと愚痴を吐きつつも駐輪場に自転車を置いた。


 昇降口までたどり着くと上履きに履き替えている京華の姿はそこにはあった。


「おはよう、月望ちゃん今日もギリギリだね」


 京華は私を見やると、屈託のない笑顔で私に挨拶をしてきた。なんだか、その挨拶だけで今日も一日頑張るぞーって気分にさせられる。京華は本当に魔性の女だ。


「京華だって、こんな時間に来てるじゃん。親に送迎してもらってるんでしょ?」


「まぁねー。てかさ、月望ちゃんも一緒にあたしの親の車で送ってってあげるよ」


「迷惑になっちゃうからいいよ。いつも私寝坊してるしさ」


 京華は毎朝、親に学校まで送迎してもらっている。そりゃまぁ学校までの距離を考えたら大事な娘を長距離通学させるのは忍びないだろう。


 京華の家族は県議会議員の堅いお父さんと主婦のお母さんに小学生の妹。過保護になるのもなんだか分かる。


 学校の帰りに迎えに来ている京華のお母さんに会うと「家まで送るよ?」といつも言ってくれるのだが、一回お世話になってしまったらずっと甘えてしまいそうで私は遠慮している。


「まぁ、いつでも言ってよ。月望ちゃんが学校に遅刻するようになっちゃったら、強制連行だけどね」


「あはは、そうなった時はお願いします」


 できるだけこの街の風景を憶えていたい。周りは田んぼだけで面白いものはあまりない通学路かも知れないけど、それでもいつかこの街を去って、大学へ行ってお嫁さんに行くことになってもこの街をいつまでも憶えていたいから。


「さぁ、話していたら朝の授業に間に合わないよ」


「そうだね、教室行こっか」


 私と京華は昇降口を後にし、教室へと向かった。




 四時間目の授業がようやく終わって、待ちに待ったお昼休みの時間。


「あーお腹へったよー」


「今日も京華はお弁当?」


「ううん」


 京華は首を横に振り、長い髪を遊ばせた。


「実はさ、あたし今日寝坊しちゃってさ、うっかりお弁当家に忘れてきちゃった……てへへ」


「てへへって言葉に出すなよー。あざといなー。京華も学校ギリギリだったのって寝坊だったんじゃん!」


「すいませーん」


 京華は悪びれた様子もなくはにかんだような笑顔を見せた。


 私はクラスで窓際の一番後ろの席がお昼寝できるから良いなーって思ったんだけど。窓際は窓際でも一番前の席で、授業中はちゃんと真面目に先生の話を聞かざるを得ない状況である。


 ともかく、私の席とその後ろの席で京華と一緒にお昼を食べるのがいつもの日課なのだ。


「じゃあ、購買でパンでも買いに行く?」


「うん、そうする」


 私はお弁当を持ってきているけど、京華一人だけを購買に行かせるのも寂しがるだろうなと思い付いていくことにした。


 実を言うと、私も京華も購買には行ったことがない。


 私たち一年生にはちょっと行きづらい空気が購買あそこには流れている。何故ならいつもお昼時となると物凄い人だかりができていて、その中を先輩方たちを跳ね除けてまで買おうなんて気は、入学して一ヶ月にも満たないか弱い女子高生の私たちには修羅の道だ。


 学食があればこんなことにはならなかったのに、一年生は弁当持参がほぼ前提だなんて。


「さて、じゃあ行こうか戦場へ……」


「怖いこと言わないでよ! 京華に付いて行ってあげないよ?」


「ごめんごめん! 付いて来てくださいよ月望さま~」


「分かったから、早く行こうよ。早くしないと先輩たちが全部買ってっちゃうんだから」


「了解です! 月望さま!」


「お願いだから、さま付けはやめて」


 暗く低いトーンでそう言い放つと、京華は「はい」と短く元気良い返事をした。素直な子は好きですよ。


 購買から漂うパンなどの芳ばしい匂いとは裏腹に買い求める先輩たちの声で喧騒に満ちている。


 とてもじゃないけど、この中に入ってパンを買うのは至難の技だろう。


「京華、あそこ見てよ。あれって同じクラスの阿座上あざかみさんと丹生谷にゅうのやさんじゃない?」


 購買に群がる先輩たちをよそに端っこであっちを見たりこっちを見たりとキョロキョロ辺りを見渡している小動物のような女の子。丹生谷にゅうのやののかさんだ。


 肩先まで伸びる綺麗なクリーム色の髪が光を反射し天使の輪が見える。遠目でも分かるその濡れたようなまつ毛が艶かしく映る。


 そして、慌てた様子もなく昼食を買おうと最前列に向かうのは阿座上彩葉あざかみあやはさん。


 鮮やかな赤に純白の水玉模様のシュシュで澄んだ黒髪を一つにまとめたポニーテール。端正な顔立ちで気品のある佇まいの彼女は私たちクラス、一年四組の学級委員を務めている。


 高雅な人格の彼女だが、クラスから浮いている存在な訳ではなく、むしろみんなに親しみやすい存在である。


「よし、私たちも行くよ! 京華!」


「いやー、こわいこわい。私には無理だよー。今日はあたしお昼食べないでもいいー」


「そんなこと言ってないで、ほら!」


「ひえ~」


 京華の情けない声をよそに私は滑らかな細い腕を掴んでぐいぐいと引っ張って行く。


 購買の前にはまともな列など無く。我先にと先輩たちはお金を右手に掴み商品の名前を連呼している。それを捌き切っている購買のおばさんには尊敬の念すら抱いてしまう。たった数人でこの生徒の量を相手にするなんて、この人たち只者ではないな。


 前に進もうと足を進めるのだが、全然購買所との距離は縮まらない。それどころか体勢を崩して私と京華は今にも倒れそうだ。


「このままじゃパンなんて買えないよー」


 京華は早くも諦めムード。そうなってもしまうのも無理もない。


「それでも買わないとお昼抜きなんて午後の授業が頭に入らないでしょ!」


 本当にこのままではお昼休みが終わってしまう。


 どうにか昼食を買う方法はないだろうか。購買を利用するなんて初めてのことだし、周りの人は男子の先輩たちばかり。女子の先輩はちらほらいるけど、一年生は見当たらず、どうしていいか聞くに聞けない。


 一年生が私たち以外いない……そうだ! 今は購買のおばさんは私たちに気付いていない様子だけど、もし気付いてくれたら買えるかもしれない。だって、一年生の女子がお腹を空かせてるんだから、それを見過ごす購買のおばさんではないはず。


 今の一年生は赤の上履きに、胸元には赤のネクタイ。二年生は青で、三年生は緑と学年ごとに色が分かれている。


 見知っていない一年生の私たちを見かけたらなんらかのアクションを起こしてくれるかもしれない。


「京華、丹生谷さんを呼んできて! 私は阿座上さんを呼んでくるから」


「え、なんで?」


「協力し合えば買えるかもしれない! 急いで!」


 京華は私の目を見やると丹生谷さんを呼びに隊列の後ろの方へと向かった。その時、ボソッと呟いた京華の言葉を私は聞き逃さなかった。


「……やっぱ、月望ちゃんって変わったね」


「……京華のおかげだよ」


 私も彼女に届くか届かないような微量な声量で呟いた。私が明るく変われたことは京華なしでは語れない。協調性の欠片もなかった私が誰かと協力しようなんてこと今までなら思いつかなかった。


 気を引き締め私も周りの人に押されながらも阿座上さんを呼びに行く。


 先輩達の間を縫いあと数メートルと言うところで私は阿座上さんの名前を呼んだ。


「阿座上さん! 私同じクラスの遠近なんだけどさ、協力し合わない?」


「え、遠近さん!? んー、よく分からないけど協力するよ!」


 凛とした透き通る声で阿座上さんは快諾してくれた。


「じゃあ、あっちで京華と丹生谷さんがいるから、そっちに行こう」


 そう言うと阿座上さんは頷いて私の後に付いてきた。人混みをかき分け二人の元へと向かう。


 京華と丹生谷さんの元へとたどり着くと、二人は体力も底を尽いたようでクタクタで、一歩も動けないよーオーラを漂わせていた。


「月望ー、いい作戦があるんでしょ?」


「うん。たぶん、この方法ならパンを買えるはず」


「あの……わたし何かも混ぜてもらっていいんですか……?」


「もちろんだよ、丹生谷さん。それに阿座上さんがいなくちゃ成功しないかも」


「私と、ののかちゃんが?」


「うん!」


 三人に作戦内容を教えると、私たちはすぐさまそれを実行に移した。そんな大層なものではないのだけれど。


 私たち四人は購買より少し距離を取り、人だかりの後ろで購買のおばさんに目立つようアピールをした。


 私たちはおばさんを上目遣いの甘えているような表情で見つめ続け、京華と阿座上さんが欲しいものを叫んだ。同じ女性に対してこのような甘え方でいいのかな……?


「おばさーん! あたしはいちご牛乳と焼きそばパンね!」


 と京華。


「ウチは、メロンオレと、から揚げパンお願いします!」


 と阿座上さん。


 私たちは購買のおばさんを、崇あがめ奉たてまつるかの如く手を合わせお願いをする。すると、購買のおばさんは私たちに気付いたのかにっこりと笑顔を返してきてくれた。


「やった! これで買えるかも月望ちゃん!」


「はぁ~良かった。もし駄目だったら私、どうしようかと」


「彩葉さん……みなさん……ありがとうございます……」


「ののかちゃん気にしないで、これも私の役目だから」


 そう言うと阿座上さんは笑顔を丹生谷さんに向けるが、満面の笑みだった丹生谷さんの笑顔に陰りが見えたような気がした。


 そして、私たちは念願の昼食を買った。おばさんが私たちの声を聞いてとっておいてくれたのだ。


「あなたたち一年生女子じゃ、購買戦争は厳しいと思ってね。今回は特別だけど、次回からは戦って勝利するんだよ」と購買のおばさんになんだか壮大なことを言われながら激励されてしまった。お願いだからみんな次回からはお弁当忘れないでね。


 買った昼食を京華と丹生谷さんは大事そうに抱えている。その様子を私と阿座上さんは微笑みながら見つめ教室まで戻った。


 教室に戻ると私は自分の席に座った。他の三人も自然と私の周りの空いている席に座る。私の後ろが京華で右隣が阿座上さん。そしてその後ろに丹生谷さんが座った。


「ところでさ、阿座上さんは何も買わないの?」


 京華が私も疑問に思っていたことを阿座上さんに問いかける。


「私はいいの。お弁当持ってきてるから」


「ってことは、丹生谷さんの為に?」


 阿座上さんはわざわざ丹生谷さんの為に買いに行ってあげたのか、何て優しい子なんだろう。とても私には真似できないなーって、あれ? 私もそうなっちゃうのか? いや、だけど、私はただ一緒に付いて行ってあげただけだし。


「それよりもさ、二人とも苗字にさん付けはやめてよ。私たち一緒のクラスじゃない?」


 高校に入ってから初めて京華以外の友達ができそう。いや、できたと感じた。


 中学の頃から人見知りをしてしまう性格の私には友達ができなくて……なにをするにもいつも一人でいた。このまま友達がいないで中学を卒業してしまうんじゃないかと脳裏をよぎった三年生の春。




 ――私の前に京華があらわれたんだ。




 そこから私のこの世界を見る目は変わり始めた。モノクロだった世界に色が付いていくような感覚。私の世界を変えたのは他の誰でもない彼女だった。今でもこうして彼女と一緒にいられて、クラス替えで京華と私を一緒にしてくれた人にはとても頭が上がりそうにないな。


 そして、ののかちゃんの場合、世界の色を持っているのは、おそらく彩葉ちゃんなんだと思う。ののかちゃんの世界を、これから彩葉ちゃんが彩いろどっていく。そんな気がする。


 お昼休みは残り半分ほどに差し掛かっており。長かったように思える購買での昼食争奪戦はそれほど時間はかかっていなかったようだ。


 私たち四人は各々お弁当や、さきほど購買で買ってきた昼食を広げ、和気あいあいと談笑ムード。


「そういう訳でよろしくね、月望ちゃん、京華」


 彩葉ちゃんはにこっと人柄の良さがにじみ出る素直な笑顔を見せてきた。


「なんであたしはちゃん付けじゃないの!?」


「だってさ京華は何か、京華ーって感じがするんだもん」


「なんだそれー! まぁ、いいや。ののかちゃんもよろしくね」


 ののかちゃんを見やると、小動物のように両手を使い、から揚げパンを小さなお口でちょこちょこと頬張っていた。あー、なんて可愛らしいのだろう。家で飼ってみたくなるぅ。なんて衝動を抑えつつ、言葉を発しようと口を開いたので私は耳を傾ける。


「はい……わたしなんかで良ければ、その……よろしくお願いします……」


 気弱そうなか細い声。だけど、とても魅力的だった声に私の脳は揺れ、蕩けるような錯覚に陥る。


「かっわいいなあ、ののかちゃん! ああ、家に持ち帰りたいよぉ~」


 後ろの席にいる京華も完全に魅了されちゃったみたいだ。同じ気持ちになるのも無理もない。


「まだ会って間もないし、ここで少し自己紹介しよっか」


 阿座上さんの声に応じて私たちは他愛のない中学時代の話を始めた。どこの中学校で部活は何をしていたかなどと本当に当たり障りのない話。だけど、ののかちゃんだけが下を向いて口を開こうとしない。


 ののかちゃんと仲良くなりたい。私はその率直な意思に従いおそるおそる聞いてみることにした。


「ののかちゃんは中学校どこに行ってたの?」


「あ、あのわたしは……その……」と言いながらうつむき口に運ぼうと持っていたパンを見つめ始めた。あれ、もしかしてなんかまずいこと聞いちゃったかな。


「ののかちゃんは高校の入学と同時に東京からこっちに引っ越してきたんだって」


 すかさずフォローを入れてきたのは彩葉ちゃんだ。


「あ、はい。そうなんです……」


「へぇ、知らなかった。彩葉ちゃんはののかちゃんと仲良いんだね」


「えへへ~羨ましいでしょ~」


 機嫌が良いのか、振り子のようにポニーテールを左右に揺らし始める彩葉ちゃん。本当に馬の尻尾みたいに見えて少しクスッときてしまう。


 一方ののかちゃんは、熟したリンゴのように顔を赤面させ、先程とは違うであろう意味でパンを見つめ始めた。


「ウチってさ、学級委員だしクラスのまとめ役でしょ? だから、先生に『面倒見てあげてね』って言われてたの」


 彩葉ちゃんがそう言い出すとののかちゃんは顔を暗くし、薄っすらだが、涙を滲ませているようにも見えた。


 これは、ちょっとマズイかな? 空気が悪くならなければいいけど。


「まぁ、そんなの先生に言われるまでもなく。ののかちゃんみたいな可愛い子とは仲良くしたいよ~仲良くしちゃうよ~」


 さっきまで危惧していたことは杞憂に終わったみたいだ。ののかちゃんは彩葉ちゃんに抱きつかれて、照れて顔を赤らめている。ころころ表情を変える感情豊かな面差しが少し羨ましくなるほどに。




 その後、何気ない会話をしながら私たちは昼食を食べ終わり。ちらほらと他のクラスで食べていた生徒も戻り始めていた。


 それに気付き自分の席に戻ろうとののかちゃんと彩葉ちゃんは席を立つ。そのとき、京華は座ったまま何かひらめいたような顔で口を開いた。


「明日からゴールデンウィークだし、今日はみんなあたしの家に泊まりに来なよ! ていうか、来て! お願い!」


「京華は寂しがり屋だなー。大丈夫、ゴールデンウィーク中も遊んであげるから安心してよ」


「月望ー、なんだそのにやけ顔で上から目線の発言はー。あたしはののかちゃんと彩葉がいればいいもん」


「あはは……」


 物静かで引っ込み思案であろうののかちゃんは嬉しそうな顔をしながら、愛想笑いをしている。そんな笑い方や手の動きなどの仕草、雰囲気からいいところのお嬢様なのが見て取れる。


 ののかちゃんの家は広そうだなぁ。


 京華以外に友達の家になど行ったことがないから、友達の家に行くということに強い願望があったりする。ここは田舎で遊ぶところが少ないから自然と友達と家で遊ぶことが多くなり、色々な友達の家に行くことがステータスのように思えた。でも、そんなのは抜きにして、いつかはののかちゃんや彩葉ちゃんの家に行ってみたいという気持ちがある。


「じゃあ、家に帰って用意ができたら駅に集合ね。集合時間は後で決まったらみんなに連絡するから」


 私たちが京華のお泊り会の提案を快諾すると同時に、お昼休みの終わりを報せるチャイムが鳴った。自分の席に戻ろうと三人は席を立つ。その様子を見ながら、私は次の授業である国語の教科書を机から取り出していると、なぜだか感慨深くなってしまった。そういえば最近、京華の家に行ってなかったな……。


 それに、友達が全然いなかった私が京華の家で友達を交えてお泊り会だなんて心が踊らないわけがない。


 楽しみで仕方がないのだが、今は次の授業に集中することを考えなくては。それにもし京華が今の私を見たら気取られるかも。あんまりウキウキしてるところを見られたら恥ずかしい。


 お昼休みの余韻でざわついていた教室が先生のドアを開く音で一斉に静まり返った。周りのみんなは授業に必要な教科書やノート、筆記用具などを机の上にきちんと出し姿勢を整えている。


 そんな静寂の中でも私の心臓は笑って弾んでいて、周りの人にこの鼓動が聞こえないか心配になってしまった。




 長い帰り道を終え、私が帰宅すると何やらリビングの方が騒がしい。玄関にはサイズの小さい健康的な運動靴が見える。


 リビングのドアを開けると、京華の妹である歩華あゆかちゃんが陽見ちゃんと仲良くくっついてソファに座り楽しげにお喋りをしていた。


 陽見ちゃんと比べると身長は歩華ちゃんのほうが頭一つ分ほど高く、お姉さんって感じがする。


 歩華ちゃんは私に気が付いたのか、すっと立ち上がり丁寧におじぎをしてきた。


 姉譲りの清麗な黒髪が揺れる。その髪は左右で結っており、肩に掛かる長さまで垂らしている。


 ツインテールだと歳相応に幼く見えそうだが、秋水のように澄み切ったどんぐり眼が、まだまだ幼い小学六年生だということを忘れさせた。


「やっぱり、歩華ちゃん来てたんだ」


「お邪魔しています。月望さん」


 なんて礼儀正しい子なんだろう。姉の京華とは大違いだ。京華ももう少し大人しくしていれば、清楚な美人さんなのに。


「別にそんなに堅苦しくならなくてもいいよ」


 歩華ちゃんがあれからも度々、陽見ちゃんと遊ぶため家に来ていたのは知っていた。


 だけども、いつも私の帰宅と同時に歩華ちゃんが帰る時間だったり、玄関に靴が置かれていたから来ているのは分かっていた。


 陽見ちゃんの部屋で楽しく遊んでいる二人の邪魔をしないようにしていたため、最近はあまり挨拶することもなかった。


「いえいえ、先輩ですから」


 本心から出た言葉みたいだ。それでも昔みたいに「月望ちゃん!」とハツラツした声で呼んでほしいな。


「今日、歩華ちゃんは陽見の家にお泊りなのです」


 陽見ちゃんは顔をぷく~と膨らませながら、自慢気にお泊りアピールをしてきた。私と歩華ちゃんがほんの少し挨拶をしていただけで嫉妬とは、実は結構嫉妬深いのかな?


「そうなんだ、私は今日、京華の家で友達と四人でお泊り会なんだぁ~いいでしょ~」


 私も負けじと張り合ってしまった。大人げなかったかな。


「よかったぁ。おねえちゃんにも京華さん以外のお友達できたんだ!」


 うぅ……陽見ちゃん言うね~。だけど、本当に友達ができて嬉しいし。張り合うのはこんぐらいにしとおいてあげよう。ふっふ。


「そうですか、姉さんの部屋だけだと四人では狭いかもしれないので、私の部屋も自由に使ってください」


「ありがとー使わせてもらうね」


 こころ優しい歩華ちゃんのおかげで足を広げて寝れそうだ。こう言ってくれなかったら、今日は寝る時どうなっていたことか……。


「そういえば、聞いてください歩華ちゃん。おねえちゃんは華のじぇいけーにもなって恋人がいないんですよー。妹としてほんと心配です!」


 なに余計なこと言ってんだ陽見ちゃんのやつー! そういうことは言わないでいいから!


「そうなんですか……大丈夫ですよ、そのうちできますよ月望さん」


「うわーん、小学六年生に同情されてるよ」


「お、落ち込まないでくださいよ、月望さん! 私の姉さんも恋人いないみたいなんで大丈夫です!」


「京華さんも恋人いないんですか!? 先行きが不安です……」


「…………」


さてと、そろそろ私はお泊まりの準備をしますか。




 待ち合わせ場所の駅で私たちは落ち合った。ここから京華の家まで徒歩では遠いし、どうするのかなと疑問に思っていたのだが、京華のお母さんが車で迎えに来てくれた。田舎は長閑で良いところではあるが、やはりどうしても不便だ。私と彩葉ちゃんとののかちゃんは感謝を述べつつ申し訳なさそうに車に乗り込んだ。


 大きい家が連なる田舎町でも一際大きくそびえ立つ京華の家。庭は広く、池もあり、中では鯉が悠々と泳いでいる。最初に来た時はさすがに腰が引けてしまった。


 びっくりした様子の彩葉ちゃんを横目に、ののかちゃんは普通そうだ。やっぱり家は大きいのかな?


「そういえば、結構久しぶりじゃない? あたしの家に月望ちゃんが来るのは」


 京華がそんなことを言い出すからついつい思い出してしまった。


「そうだね。あの日以来かな」




 〇




 あの日――それは、今見渡しているこの田園風景に雪が舞い落ちて白く染め上がった日。今年の一月のことだ。


 記録的な大雪の日で、その日の朝目覚めた時、私は嬉しかった。ここまで降り積もれば今日の学校も休みになるだろうと思って。


 ところが、学校から休校の連絡網は回ってくることはなく私は渋々登校した。午後からもっと雪が降るという予報なのに、先生方は何を考えているのやら。


 そのまま校庭に降り積もる雪を見ながら下校の時間に。


 私は中学校まで自転車で通学していて、京華はお母さんが車で送迎していた。京華のお母さんが大雪の影響で学校までの迎えが遅くなると連絡が入り、私はある決心をした。


「お母さん迎え遅くなるってさ。この寒い中、学校で何時まで待機していればいいんだろ。まぁ仕方ないけどね、事故に遭わなければいいけど……」


「京華のこと、私が自転車で送って行くよ」


「え」


「だーかーらー。私が京華のこと家まで送っていくって!」


「けど、こんな雪じゃ自転車なんか乗れないよ」


 私には恩があった。寝坊しそうな時に車で送迎してもらったこともそうだけど。人見知りだった私に手を差し伸べてくれた京華に、少しでも恩返しがしたくて。いつまでも友達で居て欲しくて。


 京華は得にならない友達じゃないと付き合ってくれないような人じゃないのは私が一番良く知っている。だけど、協調性がなかった私がこんなに京華の為なら協力的になれるなんて、なぜだか胸が高鳴っていた。


 遠慮しがちな京華に私は再度お願いをした。


「お願いします! 京華を家まで送らせて下さい!」


 すると、冬の校舎に似つかわしくない元気な笑い声が木霊した。


「あはは、月望ちゃんって、やっぱり面白いね」


「なにをー。私は心配なの! ……もしさ、縁起でもないことかもしれないけど。自分を迎えに来る途中で家族や誰かが事故に遭ったりしたら、それって一生後悔すると思うの」


「確かに、こんな日ぐらい家でゆっくりさせたいかも。けどさ、それは月望ちゃんにも言えることじゃないの?」


「うん。だからね、私にもたまには京華に恩返しをさせてよ」


 京華はお母さんに送迎の断りの電話を入れた。京華のお母さんは心配をしながら、何かあったらすぐに連絡をしてねと念を押していた。


 私たちは京華の家へと歩き出す。決して歩きで帰れない距離ではない。


 学校から出ると想像を上回る寒さで、早く帰って温かいお風呂に肩まで浸かっていたい衝動に駆られた。


 冷たい風にさらされ続けて、肌の水分はもうどこかに行ってしまったのだろう。乾燥で肌はカサカサだ。吐く息はとても白くて寒さを助長させてくる。だけど、とても楽しかった。この時間を私は欲していたのかもしれない。


 京華とする他愛のない話。学校などでの次の時間に迫られる短い会話などではなく、時間を忘れてじっくり話していられる。


 京華の話は私を全く飽きさせない。どこまで会話の引き出しがあるのか探るためにいつまでも聞き手に回りたい気持ちになるが、それはちょっと酷かな。


 吐く息は白い。だけどそれは会話の証。私たち二人の間には絶え間なく白い息が飛び交った。


 少し時間はかかったけど、京華の家に無事着いた。すると、京華のお母さんは夕食とお風呂を用意してくれていた。


 私もいつもだったら遠慮してしまうのだが、今回ばかりはそうはいかなかった。帰りの道中は京華の話で夢中でいて気付かなかったが、疲労はピークに達していた。


 その後、私と京華は交代でお風呂に入った後、京華と京華のお母さん、そして京華の妹の歩華ちゃんと一緒に夕食を食べることに、その日の夕食はすき焼きで、こんなの私がご馳走になっていいのだろうかと心配になってしまった。


 女四人での楽しい夕食が終わったのもつかの間。外の景色は真っ暗。雪はちょうど私たちが京華宅に着いたころに止んだらしく。時間も遅いということで結局、京華のお母さんに車で送ってもらうことになった。


 後部座席には、私と京華が座り。運転は京華のお母さん。とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「これじゃあ、意味ないかもね」


「うぅ……すいません。ご迷惑をお掛けします」


「あはは、冗談冗談。月望ちゃんと一緒に帰れたし、とっても楽しかったよ」


「ありがと……」


「そんな落ち込まないでよ。雪だって止んだしさ、除雪作業もされているみたいで車は大分安全になったよ」


「ふぅ、良かったぁ……」


「てかさ、こっちこそありがとね! 月望ちゃん! 月望ちゃんがいなかったら寂しくて死んじゃうとこだったよぉ」


その言葉を聞いただけで、迷惑を掛けちゃったけどこの行動がやっぱり正解であったと感じた。




 ◯




 前に京華の家に来た時もそうだったが、その荘厳な内装に目を奪われた。


 大きなシャンデリアが辺りをきらびやかに照らし、二階に続く中央の階段は一度に大人四人は悠々に通れそうだ。


「ちょっと凄すぎて何も言葉が出ないんだけど」


「わぁ、入場料とか取られたりしないですよね……」


 彩葉ちゃんもののかちゃんも私が最初に来た時と同じようなリアクションを取っている。まぁ、無理もないけど。


「あはは、だいじょーぶ、だいじょーぶ! 入場料とかそんなの取らないから、取り敢えず二階のあたしの部屋で待っててよ、お茶とお菓子用意して持って行くからさ」


「私も手伝おうか? 一人じゃ大変でしょ?」


「いいっていいって月望ちゃんはお客さんなんだから先に行ってくつろいでいてちょうだいな」


 お言葉に甘えて私たちは先に京華の部屋へと向かった。


 部屋に入るとアロマやせっけんなどの清潔感のあるいい香りが漂ってきた。


 内装は京華っぽいような。京華っぽくないような、なんだか不思議な部屋。


 壁紙や家具は白に統一されていて、可愛らしい雑貨や観葉植物。間接照明もあって女子力が高い女の子の部屋という感じだ。


 京華の外見的にはこういう部屋に住んでいそうだが、内面的には結構ボーイッシュだから、ちょっとこれには予想外。


 そして何よりも目を引いたのが華美な装飾のなされた、とても大きい本棚。私の身長なんか軽く超えている。


 本棚を覗いてみると少年漫画や少女漫画が半々ぐらい置いてあり、小説も数は少ないが映画化された有名作品などが置いてあった。豪華な本棚の割には中身が漫画だらけなあたり京華らしくてなんかちょっと安心した。


「お待たせ~」


 少しすると京華が紅茶と見たことのない高そうなお菓子をトレーに乗せて運んできた。


「これはなんてお菓子?」


 私の女子力では、ちょっとわかんない。ちっちゃいハンバーガーみたいなもの。


「これはねぇマカロンっていうんだよ」


「ほへぇ~」


 どこかで聞いたことあるなー。マカロン。


 さっそく食べてみる。うーむ。お、おいしい。少しアーモンドの風味がする。なんかちょっと不思議な食感だ。ふかふかのふにゃふにゃでお布団みたいな。お布団みたいな?


 なんて覚えたてのマカロンを食べながら、私たちは時間を忘れて話し込んだ。


「そろそろ何かしよっか」


 京華はそう言うとクローゼットを開きガサゴソと探し始める。


 ファッション雑誌で見たモデルしか着こなせないような服がずらりとかけてある。すらりと綺麗な京華によく似合いそう。


「うおー、ゲームいっぱいあるなぁいいなぁ~」


 彩葉ちゃんは興味津々に京華の様子を覗きこんでいる。


「これやろっか、ボードゲームならみんなで楽しめるっしょ」


 京華が取り出したのは、ルーレットを回して人生になぞらえたイベントをこなしていく双六ゲーム。友達の少ない私には今まで遊ぶ機会のなかった代物。ゴクリ。


「うん、ウチもサンセー」


「わぁ……わたしやったことないです……やってみたいです……」


「まぁ、あたしもあんまりやったことないんだけどさ、親戚の子が遊びに来た時にね。月望はどう?」


「え、もちろんやるよー」


 こういう運要素の強いゲームのが私には合いそう。テレビゲームはあまり触ったことないし。


 京華が簡単にルールの説明をし、順番を決めて早速始めた。なんだかちょっと緊張してきてしまう。大勢でわいわいとゲームをすることなんて今までなかったからかな。


 お互いルーレットを回して順調に進んでいく。


「次はののかちゃんの番だよー」


「あっ、はい。わたしでしたね……」


 彩葉ちゃんに促され我に返るののかちゃん。何だか緊張しているご様子。隣に座る彩葉ちゃんのことをきょろきょろと伺っている。


 ののかちゃんはルーレットを勢い良く回す。


「それー」


 かわいい。思わず掛け声に萌えてしまった。楽しんでいるようでなにより。


「あっ……うう」


 ぷくーっと頬を膨らませるののかちゃん。止まったマスには『置き引きに遭った。二〇〇〇万円失った』と書かれている。


 ちょっとこのゲーム突っ込みどころ多すぎない? 他のイベントもそうだけど何でののかちゃんが二〇〇〇万円もバッグに入れてるの? 金額が大きすぎるって。


「あちゃー、あと一マス先に止まれればアイドルになれたのにー」


 京華がそう言うので次のマスを見ると。『駅前を通っていたら芸能事務所にスカウトされアイドルになる』と書かれている。


「人生って、そんなに甘くないよね。もしかしてそういうのを痛感させられるゲームなのかなこれって。私だってアイドルになれるんだったらなりたいなー」


「恥ずかしがり屋の月望ちゃんがホントになれるのー?」


「な……なれますとも!」


 京華のいじりにもめげず私は堂々とアイドル宣言。よし、次の私の番で止まってやるんだからね。


「ののかちゃんドンマイ! よし、じゃああたしの番だね。気を付けないとあたしも置き引きマスに行きそう」


 彩葉ちゃんの番。ルーレットを元気よく盛大に回し、手を合わせると目を瞑り拝み始めた。


「あっ」


 コマを進ませると止まったのは、私が予約(?)を入れていたアイドルになれるマス。


「やったー! あたしアイドル!」


「うー、先を越されてしまった。だが、だが私にもチャンスはあるんだから!」


 私もーっと彩葉ちゃんに続こうと勢い良くルーレットを回したのだが……。


「け、結婚マス?」


 着いたマスには結婚と書かれている。『結婚マス。このマスにプレイヤー二人が一緒に止まると二人は結ばれる』ふむ、そんなのあるんだ……。


「うおー遂に月望ちゃんも結婚かぁ、お母さんは感慨深いよ。うるうる」


「いつから、京華は私のママになったんだ」


「月望さん、おめでとうございます……」


「おめでとう! 月望ちゃん! あたしから少ないけど結婚の御祝儀」


「嬉しくないよー。ていうか私まだ結婚してないし! 同じマスに誰かが止まらないと駄目みたいだしさ。それより彩葉ちゃんはアイドルなんだからもっと御祝儀ちょうだいよー!」


 突っ込みどころが多すぎて疲れてきた。まぁ結婚は女の夢とも言うけどさ、そもそもここにいるみんな女の子だし。実際には結婚できるわけないじゃん……。


 私より後ろのマスにいるのは京華一人……ってことは何か嫌な予感がしてきた……。


「うおおおお月望ちゃんと結婚だー!!」


「えぇーーー!?」


 京華の大声にビックリして私はボードゲームに視線を移す。


 すると、あろうことか私が少し目を離しているうちに、予感が的中してしまったらしい。おおぅ私と京華は結婚していた。


「えっ、ほんとに京華はルーレットを回して同じマスに止まったの!?」


「はい……止まりましたよ。それに子供まで生まれるらしいです……」


 ののかちゃんがマスの横に書いてある小さな文字を指差す。そこには『結婚と同時に二人の間に子供が生まれる』とまで書いてある。えぇーもしかして、できちゃった結婚なの!?


「なになにー、月望ちゃんはあたしと結婚するのが嬉しくないのかー?」


「嬉しいも嬉しくないも私たち女同士なのにどうして子供が生まれちゃうの」


 彩葉ちゃんが何か閃いた様子で嬉々として話してくる。


「たぶんあれだよ! なんちゃら細胞がどうたらこうたらーってやつ」


 なんか聞いたことあるぞ。それで本当に子供ができたら救われる人もいるのかも知れないけど。実際本当にできるのだろうか。科学の発展は凄まじい。


「あはは、ねぇねぇ子供の名前はどうする月望ちゃん?」


 目をキラキラとさせながら京華はゲームを楽しんでいるご様子。


「そもそもこれどっちが産むのさ?」


 ゲームにはどちらが産んだのかという詳細な記載はない。そもそもこれは女同士や男同士でプレイする層のことを考えているのだろうか。まあ面白ければいいのか。


「二人一緒に産んだんじゃないかな? あはは、やばー笑いすぎてお腹痛い」


 たぶん、こういう現状になって笑いを生むという算段。ゲームの方からボケてツッコミ待ちしてる感じ。


 その後も私たち四人の間には笑い声が止めどなく続いた。ゲームの結果は、最下位だったののかちゃんが宝くじに当って逆転勝利というもの。実に運要素の多いゲームならではの終わり方。クイズ番組で最後の問題に正解すると桁外れの点数が貰えて逆転勝利みたいなお約束と一緒。だけど、その方が盛り上がるし最後まで白熱できるというもの。何よりののかちゃんがみんなに打ち解けて笑顔になっている姿を見れて私も笑顔になれた。




「そろそろ月望ちゃんも入っちゃいなよ」


 私は京華に急かされて入る支度を始めたが、何か恥ずかしい。というか恥ずかしいに決まっているじゃないか。


 他人の家のお風呂に入るというのは緊張する。いつもの見慣れた浴室ならいつも通りリラックスできるのに。


 そういえば京華の家のお風呂には一度入ったことがあった。そう今年の一月。雪の降った登校日。あの時は寒くて寒くて、体の芯まで冷えてたから何の躊躇も疑問もなくお風呂に入ったのだが、今日は何だか入りづらい。


 こんなことなら家で入ってくれば良かったのだが、家には歩華ちゃんがいたから入りづらかったし。歩華ちゃんとはいえ、自宅に家族以外の人がいると何だかソワソワと落ち着かないのだ。


 私はおかしいのだろうか。普通の人だったらこうはならないんじゃないだろうかと色々と考えだすと頭の中が纏まらない。


「月望ちゃーん。バスタオル新しいの置いてくね……って」


「え」


 ――京華と目が合った。


 私は脱衣所とはいえ、何故裸で考え事をしていたのだろう。こんなことになるなら、さっさと湯船に浸かりながらゆっくりと考え事をしとけばぁ。


「あれ? 月望ちゃんまだ入ってなかったのかーごめんね」


「ふひゃあ」


「ふ、ふひゃあ? って何さ、女同士なんだし恥ずかしいわけでもないでしょ?」


 今までに上げたことのない悲鳴と共に急いで浴室へ入る。


「なんて早さだ!? ご、ごめんね。月望ちゃん恥ずかしがり屋だもんねー……ごゆっくり~……」


「うう……」


 み、みられた~。


 女同士だからと言って恥ずかしいのが普通だと思うんですけど……。


 こうして私の議題はまた一つ増えてしまったのである。『普通は同性同士だからだと言って裸を見られたら恥ずかしいのではないのか』なんていう考え事が増えて、長いお風呂タイムになりそう。


「ふぅ……」


 体を洗ってから、ゆっくりと湯船に浸かっていたらどうにか落ち着いた。


 とりあえず、京華に体を見られたことは忘れよう。普通の人は恥ずかしくないのかも知れないが。少なくとも私は恥かしいのだから。だから忘れよう。うん。


「………………」


 いつもなら鼻歌でも歌いながら湯船に浸かったりするけど、今日はそうもいかない。この一つ同じ屋根の下にみんながいるのだから、もしかしたら聞こえてしまうかも。


 浴室は静かだ。何一つ聞こえてこない。静寂に包まれてるこの浴室で私はふと、さっきまでのボードゲームについて考えていた。


 私と京華が結婚。ゲーム内だからできちゃったけど、現実では絶対にありえない。私が京華のことを恋愛として好きではないからだとか、そんなことではなく。結婚はできない。何故ならそれは法律で決められているから。


 それでも、もし京華と結婚したらなんか退屈はしなさそう。美人で優しい京華となら結婚してもいいかも。


『月望ちゃんおっかえりー! ご飯にする? お風呂にする? それともぉー……』


 って、うやぁーー何考えてるんだ私。何で京華との結婚生活を思い浮かべてるの!?


「うう……頭がクラクラしてきた」


 長時間湯船に浸かっていたから、のぼせたっぽいな。何だか今日は調子がおかしい。


「また忘れることが増えてしまったぁ」


 忘れよう忘れようと思っても、かえって忘れられなくなるのだから、考える事を止めてみよう。


 私はそう決意をすると、急いで浴室を出てパジャマに着替え、京華の部屋へと戻った。


「月望ちゃんって長風呂なんだねー、さてとあたしも入ってこようっと。ふんふんふふふーん」


 京華は鼻歌を歌いながら、すたすたとお風呂に向かっていった。さっきのことはあまり気にしてないみたい。まあ私もその方がいいけどさ。


「おっ、月望ちゃんお帰りー。京華に裸見られたんだって?」


「…………もしかして京華から聞いたの?」


「え、あ、いやー、別にウチは聞きたかった訳じゃないんだけどさ、さっき京華が戻ってきたときに『月望ちゃんの裸見ちゃったよー! ラッキー! 結構いい胸してたよ~うんうん』とか言いながら頷いてたからさ」


「ううう。京華のヤツ~」


「わわわ……どうしたんですか月望さん……」


「もう怒った! 私も京華の裸を見る~!!」


 このままだと私が損をした気分になるだけだ。何としても京華の裸を見てやるんだから。


 見に行こうと息巻く私を彩葉ちゃんとののかちゃんが一応京華の為に止めに入るが、私はそれを押し切って脱衣所の扉を思い切って開けた。


「ん? どうしたの月望ちゃん。またお風呂入りたくなっちゃった? それともあたしと一緒に入りたいのかなぁ?」


 京華は脱衣所には居なかった。浴室のライトが点いていてシルエットだけがすりガラスに映っている。流石にこれをわざわざ開けて見るのはおかしい気がする。そもそも私がもたもたして浴室に入らなかったのが悪い訳だし。と一度冷静になる。


 そう考えると何だか恥ずかしくなってきた。京華は新しいバスタオルを持ってきてくれただけなのに。


「別に入りたい訳じゃないよ。たださっきの私の裸を忘れて欲しいなーって」


「えー、忘れてとか言われたら、逆に忘れなさそうな気がする」


「だよねー」


 もう諦めよう。実際女同士なのだし裸を見らてたとかで追求していたら、温泉とか行けなくなってしまう。


「忘れるのは無理かもしれないけどさ……裸を見られたのが嫌なら、あたしの裸でも見る?」


「ええぇぇー!?」


 何でそうなるのー!? 別に京華の裸なんか、京華の裸なんか。


「京華の裸なんか興味ないんだからーーーっ!」




 ついさっきまで京華の裸を見るつもりではいたんだけど、実際見るとなると恥ずかしさのあまり私は顔を真赤にして逃げ出してしまていた。


 とりあえず、彩葉ちゃんとののかちゃんの居る京華の部屋へと戻ることにしよう。


 部屋に戻ってみると、ののかちゃんが目を擦って首をカクンカクンと今にも眠りにつきそうにしていた。それに釣られて京華ちゃんも眠たそうに寝転がりながら頬杖をついてテレビを見ていた。


 時刻は一〇時。高校生が眠るには少し早い時間に思える。私は緊張しているのか目が冴えて当分眠れそうにない。それに、京華がお風呂から戻ってくる前にみんな寝ていたら京華が寂しがりそうだ。


 お泊り会の夜というのはお喋りで夜更かしするというイベントがあるものだと楽しみにしていたのだが、今日のところはちょっとできそうにないかもしれないな。


「お二人はお眠ですかー?」


「う……うん」


「眠いですぅ……」


「だよねー」


 睡魔で動けない二人が風邪を引かないように私はそっと毛布をかけた。


「それにしても暇だなー」


 まさか友達四人でお泊り会をするとなって暇になってしまうとは思わなかった。そりゃまぁ眠いんだったら仕方ないけどさ。


 京華が戻る気配もないので、暇つぶしに本棚を漁ることにした。


「ん? そういえばこの本棚」


 私はあることに気付いた。それはこの本棚の奥行きが本と合わないということ。


 最初は気付かなかったが、この本棚は可動式だ。横にスライドして奥にも本が置けるのだ。


 スライドして奥の本を読もうとしたのだが、何故か動かない。可動式であるのは確かなのに。


 この本棚壊れているのかな? 痛んでいるようには見えないし、結構真新しい本棚なのに。


 諦めて一番下の棚の本を取ろうと、しゃがんで見るとスライドのローラー部分がロックされていることに気づいた。


 なんだ動かないようにロックしてたのか、それじゃあ動かないわけだ。


 ロックを解除し本棚をスライドさせると、先程までとは雰囲気の違う本が出てきた。


 どの本も普通の漫画より一回り大きく。タイトルも打って変わって知らないものばかり。


 う~ん。これは他人に見られないように京華が意図的に本棚の奥に置いたのだろうか、あまり見られたくない本なら読まないであげるべきなのだが、私の興味はそれを超えた。


 それにしてもこの異常なまでのタイトルに百合が入る率は何なのだろう。百合というのは何かを指し示しているのかな。普通に百合を思い浮かべるなら、白くて綺麗な花なんだけど。


 それもこれもすべてはこの本を読んでみれば分かること。私は適当に本棚から一冊本を抜き取った。


「えっ、何これ」


 つい驚いてしまった。本の表紙には女の子二人が仲の良い雰囲気で抱き合っている。友達というよりは恋人の距離のように感じる。


 何だか心臓がバクバクする。一度本を戻して私はこの動揺を落ち着かせようとしてみた。そうだ! この本がそうであっただけで他は普通の本かも知れない。そう思い。他の本も見てみようと本を取り出して表紙を見ると。


「キ、キキキ、キス!?」


 おおぅ、びっくりして声を出してしまった。それも無理ないって、だって二人の女の子がベッドで抱き合いながらキスをしてるんだから。


 表紙からして、やっぱり普通じゃない。たぶん百合というのは女の子同士の恋愛ということなのかなぁ。


 うぬ。けど、もしかしたら違う可能性もあるかも知れないので、一応その本を最後まで読んでみることにした。


 ……京華がこういう本を好きだということ、こういう世界を見るのは初めてだということもあってか好奇心から三冊ほど読んでしまった……。うーん。やはり女の子同士の恋愛ということで間違いはなさそうだ。


 それにしても京華が百合を好きだなんて今まで知らなかった。京華はミーハーで映像化された作品の原作ばかり読んでいるイメージだったのに。ってちょっとそれはひどいかな。


 私の知らない京華を見れて嬉しいような寂しいような。人に言えない趣味という訳ではないけど、京華は百合好きだということを隠そうとしているのかも知れないし誰にも言わないでおこう。うん。少なくとも京華からこの話題を出すまでは。


「あれ? 月望ちゃん何してるのー?」


「ひゃっ」


 振り向いた先には彩葉ちゃんがテレビを見ながらゴロゴロしていた。いつの間に起きだしたんだ。


 私は慌てて読んでいた本を本棚に戻すと、何事も無かったのように振る舞って、その場をどうにか凌いだ。




 京華がお風呂から戻ってくると、ののかちゃんは私たちの話し声からか起き出してきた。


 部屋で四人が寝るのはちょっと狭いため、京華の妹の歩華ちゃんの部屋も借りて寝ようという話に。


「歩華のヤツどこ行ったんだろう? まぁ部屋使わしてもらえるからいいけどね」


「京華の妹の歩華ちゃんって、何歳なの?」


 眠い目を擦りながら彩葉ちゃんが質問する。


「小学六年生だから一二歳かな」


「わぁ、すごいですね……小学六年生でお泊り……おませさんなのですね」


 確かに最近の小さい子は結構みんなませているように感じる。私の妹も然り。というか京華は歩華ちゃんが何処に行ってるのか知らないのか。そういう話を姉妹でしないのかな。


「そういえば歩華ちゃん。家に来てたけど」


「なんだ歩華、陽見ちゃんのところに行ってたのか、彼氏でも出来たのかと思ったよ」


 いやー小学六年生で彼氏の家にお泊りは流石におませさん過ぎやしないかい? それに歩華ちゃんはそんな子に見えないけど。


「そろそろ寝よっか、とりあえず部屋割りは私と月望ちゃんで私の部屋で寝て、彩葉ちゃんとののかちゃんは歩華の部屋で寝るって感じでいいかな。流石に一部屋で四人寝るには狭いからさ」


「うん、私はそれでいいと思う」


「わたしも賛成です……」


「ウチもサンセーだけど、京華の家なら他にも部屋たくさんあるんじゃないの?」


 彩葉ちゃんの言う通り。何故わざわざ歩華ちゃんの部屋なのだろう。他の部屋なら広くて四人同じ部屋で寝れそうな気もするのだけど。


「ああ、それはさ。他の部屋はもう色々使っちゃってるんだよね。客室とかも議員のお父さんが仕事で使うものだからさ。ちょうど歩華がお泊りで居ないわけだし、歩華の部屋のが寝やすそうかなって」


「なるほどね。まあ京華と違って歩華ちゃんは可愛らしいみたいですしなー。これは部屋を見たくなるというもの……」


「いやいや、あたしも可愛いでしょ!」


 自分で自分を可愛いというのはナルシストっぽいが、京華なら許せる。


「それは見た目の話でしょー。性格にも可愛げあるけど、京華はちょっと小悪魔っぽいから、純粋無垢な歩華ちゃんとはちょっと違うってわけよ」


 分かる分かる。京華の小悪魔さをもう見抜くとは彩葉ちゃんは結構鋭いかも。まあそこが京華の可愛いらしいところなのだから、京華はすべて可愛いらしいと言っても過言ではない。


「ああー、分かった分かった。あたしは小悪魔ですよー。それより時間遅くなっちゃうでしょ?」


 その言葉を聞いて私は時計を見ようと視線を動かすと、目についたのが今にも眠りそうにウトウトしているののかちゃんの姿。


「あれ、ののかちゃん寝ちゃった?」


「…………ふぁい? まだ全然起きてます……」


 いやいや、完全に寝落ちしそうだよののかちゃん!


 もう半分寝てるって感じの、ののかちゃんを歩華ちゃんの部屋に寝かしつけて私と京華も寝る準備へと取り掛かった。




 私は今、京華のベッドで寝ている。


 京華が「月望ちゃんベッド使ってよ」そう言うものだから、私はありがたく使わせてもらっているのだが、なんだか落ち着かない。いつもの自分の部屋じゃないからかな。


 わざわざ私のためにソファで寝ている京華には悪いけど、すぐには寝付けそうになさそうだ。


 眠れないのに早く起きないといけない時の焦燥感に似たようなものを感じる。こういう時は無理せずホットミルクなどを飲んで気持ちを落ち着かせるのが良いと聞くが、京華の家だし、そういう対処も取れない。そもそも京華の家にお泊りしているからこそ私は落ち着かないのだ。別に明日は休みなのだから無理せず床に就かなくてもいいのだが、これだけみんな早く眠りに就いて私だけ目の下に隈を作っていたら恥ずかしい。


 部屋は静寂に包まれている。寝ようとしているのだからお互い無言なのは当たり前なのだけど。


 ソファの方からガサガサと物音が聞こえ出した。人の動く気配がする。京華がトイレにでも行こうとしているのだろうか。


 そしてまた静寂に帰った。物音がしなくなるのと同時に部屋にはとても心地よい香りが舞い始めた。


「京華、この匂いは?」


「あたしアロマキャンドルにハマっててさ、すごい落ち着くよね。これ大好きなんだ」


 確かに私の心は落ち着いた。さっきまでの謎の焦燥感は何処に行ったのやら。


 私が眠りに就けないと思って京華は気を利かしてくれたのだろうか。それとも、京華も眠れないでいるのだろうか。


「いい匂いだね。このアロマキャンドル何ていう名前なの? 私も買いたいな」


 京華が好きなこの匂いを私も共有したい。私には知らない京華の一面がまだまだあるのだと今日で実感した。実感せざる終えなかった。だからこそ少しでも京華を知りたい。京華にもっと近づきたい。


「確かフィーリアっていう名前かな」


「フィーリアなるほど……」


 この柑橘系の匂いはレモンかな。それと他にも混じっている気がするのだが、こういうのに疎い私には検討が付かない。


 香水にも一時期興味があったのだが、高くて買ったことがない。そもそも学校にはつけて行きづらいし、休みの日は家にいるので実際使う場面なんてないのだ。


「この香りは何の匂いなのかな?」


「レモンとラベンダーだね」


この清楚で魅力的な香りの正体はレモンともうひとつはラベンダーだったのか。


「気に入ったのなら、一つあげるよ?」


「え、いいの? ありがとう!」


 貰ってしまった。おいくらぐらいする代物なのだろう。何か後でお返ししないといけないな。


「じゃあ、そろそろ寝よっか。お休み月望ちゃん」


「うん、おやすみ京華」


「……………………………………」


 あれ、眠れない。一度は落ち着いたと思った鼓動も収まっていない。


 なぜ? 思い当たるのは本棚にあったあの百合本。


 よくよく考えてみるとこういう本を読んでいる京華は女性が好きなのだろうか? いやいや、発想が飛躍しすぎてる。そんな訳ないって。


 ……でも、京華の浮ついた話など今まで聞いたことがない。彼氏だって出来たことがないはずだし、好きな人がいるなんて話も聞かない。


 あーもう、考え事したら余計眠れないじゃん! 無心無心。


 私は考えるのを止め、しばらくするとまぶたが重くなってきた。おぉ、ようやく眠れる……。


おやすみ、京華……。






 もぞもぞ。


 もぞもぞ。


 布団の中で何かが、もぞもぞと動いている。


 ようやく寝れたと思ったのに、このうごめくものはいったい何?


 うごめくものが足に触れた。氷のように冷たくすべすべしている。


 ――もしかして京華の足!?


 京華ったら、どうしたんだろう。寝ぼけているのかな。それともソファで寝るのが窮屈すぎたのかな。


 うーん、全く状況が把握できない。京華が私の布団に入り込もうとしているのは確かだ。


「ねぇ、月望起きてる?」


 蚊の鳴くような小さい声。もし寝てたらって起こさないように気を使っているみたいだけど、京華のせいで私は起きちゃったよ。


 ベッドが軋む。さわっと布団が擦れる音に反応して心臓は早鐘のように胸を突き続けた。


「……寒くて眠れないから」


 起きていることに気づいているのだろうか。それにしても、こんな京華は初めてだ。なんだかいつもと様子が違う。本当は怖い夢でも見たのかな。


 頑なに目を閉ざした。開けて京華と視線が合うのを恐れた。


 京華の手が私の手に触れる。握られる手に私は握り返すことも、解くこともできなかった。 もしかしたら、手汗で起きているのがバレているかもしれない。


 京華の冷たい足が私の火照った足にしがみつく。絡み合う足。冷たい手足を擦り合う。京華のひんやりしたツルツルな肌が気持ち良い。


 これは京華が冷え性だから? もしかして本当に女の子が好きなの? それとも……わ、わたしのことが、ス、スキナノ?


 京華の気持ちは分からない。それでも今は早急に寝てしまわなくては私の心臓がもちそうにない。


「月望……」


 不意に優しい声をかけられ、つい京華の方を向いてしまうところだった。


 それから、いつの間にやら京華は静かに寝息を立てていた。こんな状況を作っといて勝手に先に寝るなんて。


 目を開けると、彼女の安らかな寝顔が眼前にあった。目に焼き付いてしまったこの寝顔を私は決して忘れられないだろう。


 眠れない。ベッドの幅には余裕があり、狭くて眠れないとかそういうわけじゃない。ただ……私の心には余裕がない。


 高鳴る心臓の音がはっきり聞こえる。彼女が私の心の中に引き起こしたこの感情は何だろう。


これはもう今日は徹夜かな。眠気なんてすっかりない。


 じっと瞼を閉じたまま眠れずに夜を明かしていた。朝日が重い瞼越しに眩しかった。


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