【2話】もし、京華が女の子のことが好きだったとしたら……とか漠然と考えてみる。


 2.




「月望起きなさ~い! いつまで寝てるのよ。明日から学校なんだから、ちゃんと今日の夜は眠れるように起きとかないと」


 開け放たれる窓から、初夏のような光が眩しく輝いた。重い瞼をこじ開けられ、私は眠りから覚めた。


 昨夜もゴールデンウィーク前日にあった、あのお泊り会のことを考えていた。このモヤモヤした気持ちと私の気持ちとの折り合いがつかないのだ。


 この気持ちは一体何なのだろう。自分自身分からないのだから、困ったものだ。


 なぜ、自分の感情にまで疑問を持つことがあるのだろう。この気持ちは誰のものでもない自分の感情なのだから自分で解を得なくてはいけない。いつかこの感情の在処を突き止めた時、私は何を思うのだろうか。


「早起きは三文の徳って言うでしょ。寝てばっかりいたら人間、損をするのよ」


 そういえば母がいつまでも寝ている私を起こしに来たのだった。木目の壁掛け時計が短針長針仲良く一二時を指していた。もうお昼じゃないか。母にしては案外、優しさを見せた時間だ。


 微風が草木の匂いを運び、夏の訪れを告げる。カーテンが風に膨らみふわりと揺れた。このまま二度寝したら気持ちがいいだろうなあ。


「二度寝したら、お昼抜きだから」


「むにゃ……あ、起きます起きます!」


 そうそう、母が起こしに来ていた。よくあることわざを使っても私には無駄。母が出掛けたら二度寝しよう。こんなに気持ちいい日に寝れないなんて、拷問だ! 明日は学校だからこそ寝させて欲しいというもの。


 それに早起きは三文の徳というが、三文は現在の貨幣価値で約七五円だという。それだけしか徳しないというのなら私は寝るのを迷わず選ぶ。


「あんた、三文しか徳しないなら寝てようっかなー。みたいな屁理屈考えてるんじゃないでしょうね?」


 ギクリ。


「いやいや、そんなそんな七五円あればねー。お菓子買えちゃうし……」


「そうそう、塵も積もれば山となるってことさ」


 おお、確かに三〇日早起きすれば、二二五〇円もお得じゃないか! いやいや、そんな訳ないじゃん!


「けど、実際七五円もお得なことってあるの? ねぇ七五円ちょうだい! そしたら起きれるような気がする!」


 母は悪鬼のような形相で口を開いた。


「それは早起きした人のセリフ」鬼が淡々と呟いた。


「そうでした」冷水を顔にかけられたが如く真顔で応えた。


 反省の色が伝わったのか母は私の部屋を後にした。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。


 別に早起きで得をするのなら、夜更かしでも得をすることがあるのではないだろうか。早朝にやっているニュース番組より、深夜にやっているバラエティ番組のが面白いじゃないか。


 こういう屁理屈を考えるから、母に怒られたんだろうな。よし、お昼のニュース番組を見ながら、遅くなった朝食を食べよう。


 二階の部屋から、一階のリビングへと足を運ぶ。妹の陽見がお腹を出しながらソファで寝ていた。さっきまで見ていたのだろうか、テレビにはドラマの再放送が流れている。


「陽見ちゃんはいいなあお昼寝できて、私もお昼寝ということにして寝ちゃおうかな」


 陽見のお腹を服で隠し、タオルケットをかけておいた。


「二束三文にしかならないか……」


 テレビに目を向けると、ギターの弾き語りを終えたらしい少女が数枚の小銭が入ったハードケースを虚ろな目をして眺めていた。


「大変そうだなぁ……」


 いくらドラマでフィクションの話とはいえ、こういう女の子がこの世界の何処かに居るのかもしれないと考えを巡らせ、同情してしまう。


 そして、テレビの中の少女はクタクタになりながらも、ギターの入ったハードケースを強く握り家路に就いたようだった。目尻に涙を貯めるとまではいかないが、なんだか悲しい話だ。 陽見ちゃんはこういう話を見てたのか、いつの間にか妹も大人に近づいたのかな。


「よし、今日はこのお菓子にしよう!」


 テレビに映る少女は何やら、コンビニでお菓子を買っている。恐らく、頑張った自分へのご褒美というやつなのかな。そのまま帰宅した少女の家は立派な佇まいをしていた。


「あれ?」


 主人公は貧乏で一人暮らしの夢を追う少女ではないのか?


 家族が少女を出迎え、みんなで楽しく晩御飯らしい。会話の様子から察するに自分の実力を知らしめたくて駅前で路上ライブをしたが、うまくいかずに帰ってきたみたいだった。


 良かった。可哀想な女の子はフィクションとはいえいなかったんだね。


 そうだよね、三文稼ぐだけでも大変だよね……。


 二束三文だとか、早起きは三文の徳とかいうけど、早起きしたところで三文も得はできないんじゃないかな。そりゃたまに近所のおばあちゃんが回覧板を回すついでに、お菓子とかくれる時が来るかも知れないけど。


 なんか今日はお金の重さや大切さを知れた気がする。七五円だって、大変価値のあるものだ。


 さて、そろそろご飯を食べよう。


「お母さんお昼はなにー?」


「もやし炒め」


「え?」


 もやし炒めって……いやいや、もうちょっと何かないの。


「今から買い物に行くのよ。冷蔵庫に余ってたものがそれだけだったの。挽き肉も入ってるし、ワガママ言わないで食べなさい」


 女子高生がもやし炒めだけでご飯を食べるって、どういうこと。だけど……。


「分かった。わがまま言わないで食べる!」


「うんうん、えらいえらい」


 母は私の頭を撫でると、買い物に出掛けた。もやしは安いけど栄養価も高いし、お、おいしいし。素晴らしい食材だよね。


「月望、何か買ってきて欲しいものある?」


 そんなことを言うなんて、今日は雹でも降らないといいけど。


「デザートの杏仁豆腐を買ってきて欲しい!」


 大好物である杏仁豆腐をチョイスした。あの香りととろける舌触りは堪らない。


「分かったわよ。杏仁豆腐ね。月望は本当に好きね」


 母は笑顔で買い物に出掛けた。今日はラッキーだ。早起きしてないのに、三文以上得しそうだ。


 遅い朝食であるもやし炒めを食べ終えてテレビを眺めていた、時刻は午後二時に差し掛かろうとしていた。


「お母さんまだかな~杏仁豆腐食べたいな~あんにんあんにん食べたいな~」


 杏仁豆腐の歌ってあるのかな? ないなら私が作詞作曲していいよね。


「あんにんあんにん~うぉううぉう~おいしいおいしいあんにん~ふわふわとろろあんにん~」


 それから歌いながら待っているが、母が帰ってくる様子もなく待ち疲れてしまった。


「あんにん~ねむい~あんにん~にんにん~にんじゃ~ねむいんじゃ~」


 私が歌う最中、陽見はすやすやとお昼寝中だった。それに釣られて私も待ち疲れ果ていつの間にか意識は夢とうつつの間を行ったり来たりと……あんにん……。




 何かが弾けたように不意に目覚めた。


 陽見に釣られて眠ってしまっていたのか。辺りを見渡すと横で寝ていた陽見がいない。


 ソファの後ろを見やるとテーブルには杏仁豆腐。そしてそれをお行儀よくスプーンで頬張る陽見がいた。


「陽見ちゃん先に起きてたんだ……」


「そだよー。おねえちゃんおそよー」


 時計を見ると時刻は午後三時。おやつにはとてもいい時間だ。そういえば母が帰ってきてるはずだ。杏仁豆腐がある訳だし。


「月望あんたどんだけ寝るのよ」


 母は私を呆れた様子で眺めていた。手には杏仁豆腐を携えて。


「えへへ、寝る子は育つと言うじゃないですかぁ……それより、私の分の杏仁豆腐は?」


「寝る子は育つって……月望の場合は寝過ぎ。あんたの杏仁豆腐はこれよ」


 そう言うと母は左手に持っている杏仁豆腐を右手のスプーンで指し示した。


「…………お願いします。杏仁だけは、杏仁だけはお助けを……」


 杏仁の安全を請願したが、母は大きく口を開けるとパクリと一口頬張った。


「やっぱり杏仁豆腐は美味しいわね」


「あああああんにん……」


 杏仁の安否確認の為に急いで母に駆け寄ると杏仁は半分ほど、鬼の腹に向かったようだった。


「うう……私の杏仁豆腐」


「半分は残しといたわよ、だから泣かないの」


 大の杏仁豆腐ファンなのを知る母は泣きだした私を見て優しくなったようだ。鬼の目にも涙というやつか。


「おねーねはまだまだ子供ですね~陽見の杏仁も少しあげます」


 陽見が私の口へと白いプルプルをのせたスプーンを運んだ。


「ありがとう陽見ちゃん! いいえ、陽見お嬢様!」


 鬼がいれば天使もいる。人生は山あり谷ありとはこのことか。


「月望あんた明日の準備しときなさいよ」


「へっ?」


「学校でしょ」


 私は母の小言を物ともせず、連休を外出せずに終わってしまうことを危惧し。母に食べられた分の杏仁豆腐を買いに行こうと決意した。


「そういえば宿題はやったの?」


「あ……忘れてた」


 京華とのことや、杏仁豆腐のことを考えていたから、すっかり忘れていた。


「じゃあやりましょうね」


 圧力に押され部屋へと戻る。


 宿題に取り掛かりしばらくすると、何故かあの日の出来事が頭の中をチラついた。


 お泊り会の日、小一時間も眠れなかった私は結局寝不足で何も出来ずに家に帰り、眠りに就いた。


 みんな寝不足の私を気遣ってくれたが、別段普段通りの様子だった。京華もいつも通りで、私との会話に一切ぎこちなさはなかった。


 彼女のあの夜の行動はなんだったのだろう。


 彼女にとってはスキンシップの延長、ただそれだけのことだったのだろうか。何でもないことだったのだろうか。私だけが特別に感じていただけだったのだろうか。


 なぜ、彼女のあの仕草一つ一つに私の心は一喜一憂してしまったんだろう。


 宿題を解いている机上の隅には、アロマキャンドルが灯りを宿すことなく置いてあった。




 〇




 連休が明け憂鬱な気分に押し潰されそうになる心をどうにか奮い立たせ、私は学校へと向かう決意を胸に家を飛び出した。


 自転車のカゴに重い学生カバンを置く。朝、寝ぼけ眼で運転するとカゴに置いてあるカバンの重みでよく振らついてしまうのだが、安全第一。余計なことは考えないで今日も漕ぎ出そう。


 通学路には新緑が芽吹き、木々が緑の葉をつけている。さわやかな色づきと高く昇った太陽が夏を感じさせる。


 明影高校の最寄り駅を過ぎると辺りにはちらほらと学生服姿の人達が見え始めた。最寄り駅と言ってもここからもう少し歩くことになるのだが。


 私も高校は電車で通いたかったなぁ。なんか大人っぽくてかっこいい感じがする。中学と同じで自転車通学というのは、なんだか味気ない。


 ようやく高校前にあるコンビニまで着いた。今日は時間まで余裕がある。何か飲み物でも買っていこうかと思ったが、早くもコンビニは学生たちで賑わいだしていだ。レジの前に長蛇の列が伸びているのが、通り沿いからも目に映る。


 別に入用でもないし、飲み物は自販機で買おっかな。この横断歩道渡ればすぐ学校だし。けど、学校の自動販売機には紅茶の紙パック置いてないんだよね。無性にあれが飲みたくなるんだけど。


 額に滲む汗を拭いながら自転車を降り信号が変わるのを待つ。まだそこまでの暑さではないのだが、結構な距離を自転車で漕いで来たため、うっすらと汗をかいている。


「月望ちゃんおっはよ~!」


 後方から京華のご機嫌な声が聞こえたと同時、挨拶のように抱きつかれ、私はバランスを崩し前のめりになる。そんな私に構わず京華に後ろからぎゅーっとされた。京華の過激なスキンシップにはいつまで経っても慣れる気がしない。


「京華~危ないからやめてって言ったじゃん」


 本当は別に嫌じゃないんだけど、人の目もあるし、何よりやっぱり危ないから一応言ってみる。


「ごめんごめん。月望ちゃんを見たら抱きつきたくなっちゃってぇ……」


「んーもう」


 私が満更でもない態度なのは京華にはお見通しなのかもしれない。


 抱きついてくる京華からは清潔感溢れる石鹸の匂いがしてくる。女の子ってなんでいい匂いするの? 私も発してたりしてるのかな? できてるのかな? それ以前に汗の匂いとかしてないよね私。大丈夫だよね?


「月望ちゃんのこと見かけたからつい、追っかけて来ちゃった」


 そう言って私の火照った頬に冷たい紙パックの紅茶を押し当ててきた。


「ちべたっ!」


「反応かわいい~」


 京華は嬉しそうにそのまま紅茶を私の手に無理やり置いた。


「これあげる」


「え、貰っちゃっていいの?」


「いいの~いいの~月望ちゃんの為に買ったんだから。それになんだか汗かいてるみたいだし」


 あわわ。やっぱりそう見えちゃうんだ。


「汗かいてる月望ちゃんもかっこかわいいよ!」


「う~ありがと……」


「自転車通学ごくろうさま」


 信号が青に変わるとそのまま私は自転車に乗らず京華と学校までの道を並んで歩き出す。


 京華の方を見やると優しい眼差しがこちらに向いた。少し気恥ずかしくなって、ごまかしたくなって、不自然に伏し目がちに前を見る。なんだか最近、挙動不審になっているような気がする。面と向かって京華が見れない。私どうかしちゃったのかな。




 駐輪場に自転車を置き、昇降口に向かう。汗をかく私に何故か京華は腕を組んでくる。この汗は一体何の汗なんだろ、暑いとか運動したからとかじゃなくなってきた。手に汗をかいてるあたり緊張のせいなのかな。京華に緊張しているってどういうことなの。


「月望ちゃんと腕を組んで登校とか、あたし、ぶるじょわだぁ」


 私と歩くと何故ブルジョワ? フランス人なの? お金持ちなの? まあお金持ちかもしれないけど、ブルジョワだとなんだか古臭いので、できればセレブと言ってください。いや、私と歩くとセレブって全然意味分かんないけど。


「……なんで、ブルジョワなの?」


「可愛い女の子を侍らせているからだよ、男子の憧れだろうなー」


 ふふんと、鼻を鳴らし京華は息巻く。なんでそんなに得意気なのこの人は。


「なんでそうなるの。私可愛くないし、高校に入学してから男子と一度も喋ったことないような人なんだけど」


 ……自分で言ってて悲しくなってきた。


「いやぁ~月望ちゃんには隠れファンがいっぱいいそうだけどな~」


「ないない。それを言うなら京華の方がいっぱいファンいそうだけど」


「う~ん。まぁ、高校入ってから男子に告白されたことはあったね。案外いるのかな」


「え…………」


 気軽に話す京華をよそに、私は面を食らう。やっぱりそうだよね。京華はモテるんだ。


 何で今まで私にその話をしてくれなかったんだろう。


 京華とはいつも一緒に居たつもりだったのに、いつの間にか私の知らないとこでそんなことがあったんだ。


 京華がどこか遠い場所に行ってしまったようなそんな気がしてしまった。


「まだ高校生活一年目の五月だっていうのにね。話したこともない人に告白されたって全然響かないよ。見てくれだけでそういうことを言われてもさ……あたしの中身なんて全然知らないのに」


「…………」


 つい黙ってしまった。考えたら私は京華のことをどれほど知っているのだろう。


 私が知らない京華の中身などいっぱいあるのだろう。事実、先程までの話がそうだ。私は京華が誰かに告白されたことなど知らなかった。気付けなかった。


 恐らく、私にその話をしなかったのは、こういう話が外部に漏れたら、その男子生徒が傷付くことがあるかも知れないから。誰が誰に告白したなど気軽に他人に言うべき話ではない。そうだと分かっているけど。何故か苦しかった。悔しかった。私の知らない京華が居たのだと気付かされて。


 このままだったら、本当に京華が他の男子と付き合ったとして、私は知らずにのうのうと日々を過ごして行くことになる。


 そしたら、その男子は私が知らない京華の一面を見てしまう。そんなのは嫌だ。上手く説明できないけど、とにかく嫌なのだ。


 もし、そういう時が来て、京華が私に彼氏の相談事をしてくることがあった時、言ってしまうだろう。


『そんな男、早く別れた方がいいよ』って。


 どんなにその男子が良い人だとしても、私は私のために言ってしまうだろう。意地でもその人の嫌な部分を見つけて。


 京華の幸せは願っている。だが、だからこそ、誰かと付き合ってなど欲しくない。


 別に誰かと付き合わなくては幸せは得られない訳ではない。


 友達がいれば、私や、彩葉ちゃんやののかちゃんが居れば別に彼氏など欲しくないと京華の口から言わせるようじゃないと。


 よし、頑張ろう。京華を退屈させないようにしないと。


「もしもーし、月望ちゃん?」


「うぉお、ごめんごめん。まだ高校生活始まったばかりだって言うのに気が早い人だね……」


「だよねー。どうしてあたしなんだし。他にも可愛い子いっぱい居るじゃんね」


「そうかな……。京華黙ってればすっごく美人だし、しょうがないかもね。美人税だと思ってさ」


「美人税? そしたら月望ちゃんは高額納税者番付に載るねぇ」


「あはは……なんでだし。それでさ、ちゃんと断ったの?」


 肝心なことをまだ聞いていない。話の流れから断ったようだけど、一応確認しておかないと。


「もちろん断ったよ。今は彼氏とか考えてないって。この今の環境があたしは好きなんだよ」


「だよね!! 私も別に彼氏なんていらないなー」


 ホッとした。けれど、“今は”か、そうだよね。いつか京華に彼氏ができる日が来るかも知れないんだよね。


 だらだらと話しながら歩いていたから朝のホームルームまで時間はあまりないみたい。廊下にいた生徒たちはタンタンと上履きを鳴らしながら足早に教室に滑り込んで行く。


 ふと、いつもとは違う距離感を感じる。それは私が京華よりも一歩早く歩いていたから。


 いつも京華の後ろを付いていた私が無意識に距離を取りたがっているのだろうか。




 ――なぜ、自分の感情にまで疑問を持つことがあるのだろう。


 この感情の在処はそう遠くない未来に気付いてしまうのだと、自分自身薄々気付いていた。


 しかし、それに気付いたらいけないのだと分かっていた。だから、私は無心で歩く。


 無心で歩けていないことは理解していた。無心になろうと考えている時点で無心ではないのだから。




 授業も終わり晴れ晴れとした日差しの下、私は意を決して京華をパフェへと誘うとタイミングを見計らっていた。


 この前のお泊り会のとき京華と駅前に開店したパフェのお店が話題になり、今度行こうという話をした。今度行こうと行って時間が経つと誘いづらくなるので思い立ったが吉日。今日中にその話を切り出そうとしたのに、言い出せずにこんな時間に。


 校門を出て、少し歩く。京華は普段母の送迎で登校しているのだから、今ここで言うのは躊躇いがあった。ここにきてまた明日でもいいんじゃないかな。そう思ったけれど、今ここで言えないようじゃいつまで経っても言えない気がした。


 どうしてもこうも慎重になってしまうのだろう。私の悪い癖だ。


 私は京華に気取られぬよう、ゆっくり深呼吸し一拍置き、意を決して口を開いた。


「今日って、この後空いてるかな? パフェ一緒に行かない?」


 京華の表情に珍しく陰りが見えた。次に何を言われるか嫌でも分かってしまう。


「ごめん! この後予定があってさ。また、今度でいいかな……」


 申し訳なさそうに言葉を紡ぐなど彼女には似合わない。その彼女に似合わない行動をさせてしまったのは私のせい。困らしたくなんかないのに。


「うん……ごめんね。突然誘っちゃって」


「また誘って! 今度は予定空けとくからさ。じゃあ、また明日学校で!」


「うん。また明日……」


 虚無感とはこういう感覚をいうのだろうか。こういうことがあってめげてしまうから私は受け身になってしまったのだろう。


 視界の端に京華が映る。同じクラスの女子と二人並んで買い物にでも出掛けるようだ。


 その子はスラっと身長が高く、赤ぶちメガネが良く似合っていて大人っぽい。京華と二人で並ぶとまるでモデル仲間のようにも見えた。


 私はなぜ、気付かなかったのだろう。いや、思い出したくなかったんだ。京華には私以外に友達が大勢いる。私は京華の中では大勢いる友達の内の一人に過ぎないと。


 ――だけど私には京華しかいない。


 彩葉ちゃんや、ののかちゃんという友達もできたが、まだ日は浅い。学年が上がってクラスが別々になったら、そのまま私たちの仲はなかったことになるかも知れない。なかったことは言い過ぎにしても、たまに出会ったらちょっと挨拶するだけで終わる仲にはなってしまうかも。


 色々考えるほど、悲しくなるから考えるのはやめよう。あーもう、私は京華の一番の友達になるって決めたのに。なんでこう重く深く考えこんでしまうのだろう。私という人間は嫌な意味で思慮深い。


 気を取り直してなにも考えないでみる。頭をすっからかんにしてみる。今日の晩御飯はなんだろなーぐらいのことしか考えないでみる。


 校門を過ぎると、塀の脇には見知った二人がいた。可愛らしい少女が二人私の帰りを待っていたかのように。


「月望ちゃん! パフェ……食べに行かない? ウチ甘いモノを食べないと頭回らなくて死んじゃいそうだよ。授業でこれほどかってほど使ったからさ」


「わたしもスイーツには目がないんですよ……だから、月望さん付き合ってください」


 私と京華の話を聞いていたのだろう、優しい二人だ。


 クラスが別々になっても、この関係は続いていくんじゃないだろうか。そう思うと、さっきまで自分が考えていたことに嫌気が差して恥ずかしかった。


「うん、行こ行こ」


「よし、じゃあ行こうー」


「はい、行きましょう」


 私たち三人は評判のパフェを食べに行く。駅前のパフェ屋さんへは、明影高校最寄り駅から二駅先だ。あまり乗ることがないから、たまに乗る電車というのはなんだかちょっとわくわくする。このまま乗ってどこまでも遠くまで行きたくなる。海とか見たくなっちゃう。そんな魔力が電車にはある。


 電車内は時間も時間ということで会社帰りや学校帰りの乗客で混み合っていた。私たち三人は並んで座ったのだが、特に会話もなく時間は過ぎ去っていく。


 まだ入学して一ヶ月ほどの付き合いだとはいえ、無言はちょっとさみしい。のどの上の方まで話題は出かかっているのだけれど、そこから楽しい会話を弾ませられるのか不安で話題を胃の中へ押し戻す。一言二言で終わるような会話ならしない方がいい。その方がお互い気が楽だ。


 どんなに仲の良い親友同士だって、いつかは会話は途切れるし、話すネタもなくなる。本当に中身のある会話があるときは自然と口を開くものだ。


 そのまま電車に揺られ、ぼんやり景色を眺めていたら目的の駅に着いた。田舎の二駅とはいえさほど遠くはない。


 彩葉ちゃんは電車内での抑圧された空気からの開放を目一杯楽しむようにピンと大きく背伸びをし、口を開いた。


「おーし着いた。パフェ食べた後は駅ビルの雑貨屋さんでも見に行く?」


 彩葉ちゃんはもう食後の話をしている。私のために来た節もあるだろうから、彩葉ちゃん的にはパフェは一緒に出かけるきっかけに過ぎないようだ。


「……そういえば、わたしこの間初めて駅ビル行ったんですけど、中々いい品揃えの楽器屋さんがありました」


「へぇ、ののかちゃんは楽器やってるんだ」


 私もなにか弾けたらいいんだけど音楽の才能はからっきしで、音楽の成績はいつも微妙。


 ステータスになるような取り柄になるようなものが私にも欲しいな。


「わたし、幼いときからクラシックギターやってるんです……」


「なるほど~クラシックギターねぇ……」


 うーん。イマイチ分からない。もちろんギターは分かるんだけど、クラシックってなんだろう。中学の時に授業で習った気がする。あー、これだから音楽の成績ダメなのか。


「いいねぇ。ウチもギターやるんだ。エレキだけど」


 え、彩葉ちゃんも分かるの? 後でこっそりスマホで調べとこ。


「……カッコイイですね。今度、わたし彩葉ちゃんのギターき、聴きたいです」


「うん、バッチリ聴かしてあげる! それよりまずはパフェでしょパフェ。早く行こ!」


 二人の共通の趣味が見つかったところで私たちは店先まで着いた。


 開店して間もないお店は小奇麗で落ち着いた佇まいだった。店に入ると可愛らしいウェイトレスさんが出迎えてくれた。服装はなんとなくメイド服っぽい。エプロンドレスっていうのかな。


 店内を見渡すと案外落ち着いた雰囲気で小洒落た感じ。間接照明にシックな色合いの家具。真新しい観葉植物が目に映る。客層はやはり中高生のお客さんが多いようだ。そんな私も高校生だけど。


 案内された席に着きメニューを開く。パフェの他にも豊富な種類のサンデーやクレープが写真にのっている。ん? そういえば、パフェとサンデーの違いってなんだろう。見た目じゃ判断がつかないんだけど。


 ここの一番のオススメはイチゴのアイスクリームパフェらしい。薄いメニュー表の中でも一ページ丸々使っているので一際目を引く。


 だが、それは私が今度京華と一緒に来た時に食べようと思う。だからそれまで取っておくのだ。


 私が注文したのはチョコバナナサンデー。上層には冷たいバニラアイス、チョコアイスにバナナその上にチョコレートソースとクリームがこれほどかとかけられている。下層にはコーンフレークがびっしり入っていて中々お腹が膨れそうだ。


 今日私の脳内で使った糖分もここまでじゃないと思う。過剰摂取じゃないのかな。まあ明日甘いもの食べるか分からないし。ここは一つ、甘いもの貯金ということで。


「うん、イケるイケる!」


「はい……あまあまで美味しいです」


 二人が言うように味は美味しかった。


 甘いものを食べる。美味しいものをたべる。それは人の心を満たすはず。だが、私はどうも満たされない。


 私は知っていた。判っていた。別にパフェが食べたくて来たわけじゃなかったということが。


 ただ……ただ私は彼女と一緒にここへ来たかった。お店までの道のりで他愛のない話をしたかった。彼女が美味しそうに笑顔でパフェを食べる姿が見たかった。ただそれだけなのだ。


 彩葉ちゃんとののかちゃんには申し訳ない。だけど、自分に嘘はつけない。


 決して二人と来たのが間違いだったわけではないし。嫌なわけではない。楽しかったし心の清涼剤になった。


 だけど、どうしても気になってしまう。


 京華は今、誰と居て何を話しているのだろう。


 ことあるごとにこうして考えこんでいるようでは、私はこの先、生きていけるのだろうかと少々不安になる。


 今はもう、昔の私じゃない。高校の入学式、京華の後ろをついて回るようなことは止めようと決心したはずなのにそう出来ずにいる。


 こうやって、友達と一緒にパフェを食べに行くのも私のちょっとした夢だったはず。


 いつもいつでも京華がいるわけじゃないんだ。京華のいない日々も悪くない。そう考えよう。また明日も会えるのだから。




 ◯




 もし、京華が女の子のことが好きだったとしたら……とか漠然と考えてみる。


 なぜ、こんなことを考えだしたのかは分からない。たぶん、そういう考えをしちゃう材料はあの日に見た百合本だと思う。


 いつも寝る前になぜか変な考えごとをしてしまう。そのお題が今日はそれだったという。ただ、それだけのこと。


 もし、京華が女の子が好きだとしても私はどうもしないだろう。けど、女の子が好きということはそのきっかけになった人がいるってことだよね。そうだとしたら、それは気になるな。


 想像を並べても不毛でしかない。事実あの部屋には百合本があった。


 だから私は、ただ純粋な興味。知的好奇心。京華がなぜ百合好きになったのか気になる。


 京華も趣味の共有ができなくてさみしい想いをしているかもしれないし、私も今度一冊買ってみようかな。ちゃんと読んでみたら面白いかも。恥ずかしくて途中で投げ出しちゃうかもしれないけど。




 お昼休みの時間になると、京華は私の側にとてとてとやってきて私の首に腕を回した。人懐っこいだけなのか、はたまたそっちの気があるのか判断に困る。


「やあやあ、お昼を食べましょうぞつきのん」


「う、うん、食べよ」


 なんでそんな口調なのかと突っ込んだらなんだか負けな気がするので無難に返事をしとく。それにしても、腕を回してくるとは私にはできない芸当である。


 白く柔らかい肌が首筋に当たる。ぽわんとかぽよんとか擬音がなりそう。すべすべで気持ちいいんだけど、しっかり気をつけなくては京華を疑う前にまず私がそっちになってしまいそう。


 私は決してそっちではないし、男子にも女子にも恋心を抱いたことがないんだけど。いつかそういう人が現れたときのために私は自分を磨こう。


 そう、まずはコミュ力。京華を見て見習うべきことである。


 京華にあって、私にはないもの……そんなものはいっぱいある。だけどコミュ力だけは私のこれから先の長い人生の中で流石に必要になるため身につけておきたいと思っている。


 コミュ力がある人はどういう風に思考を巡らせているのだろうと疑問に思う。単に思ったことをすぐ口に出すわけでもないだろうし、こう声をかけられたらこう返事をしようなどと事前に準備しているのかもしれないなぁ。ボディタッチは流石にハードルが高いし……うーん。これ、ネットで検索したら出てくるかな。


「あれ、食べないの? ダイエットは体に悪いぞお」


 すでに京華は私の机に弁当を広げて食べる体勢に入っていた。


「いやいや、そんなんじゃないよ。ただ人とコミュニケーションをとるにはどうすればいいかなぁって」


「うーん。そりゃ誰にだって苦手な人は居るし。無理に話そうとしなくていいんじゃないかな。頑張って友達とか作らなくていいわけよ。友達になりたいなーって人とはいつの間にか友達になっているんだから。んで、そういう人とは自然に話せるわけ」


 いやぁ、もうこれ完全にコミュ力のある人の考え方だよね。ちょっと私には着いて行けそうにないし私から振っといてなんだけど、話題を変えよう。私のコミュ力上達の道終わり!


「なるほどー。そうすればいいのかー。ところでいつものお二人は?」


 彩葉ちゃんとののかちゃんの姿が見えない。どこ行っちゃたんだろ。


「ん? あー、二人なら屋上でお昼食べるって言ってたね」


「そうなんだ。私たちも行こうよ」


「いやー、あたしは行かない」


「どうして?」


「寒いから。屋上。風がピューピューしてる」


「そなんだ。ていうか私知らなかったよこの学校屋上開放してるんだ。行ってみたいなぁ」


 小学校も中学校も屋上には出入りできなかった。そもそも屋上へと続く道が分からなかったし。どういう構造してたんだろ。


「行っても、アレだよー。お昼はたくさん人が居て、ロマンチックだったり感傷に浸れるわけでもないんだよー。ただ寒~いだけなの」


「まぁそうだろうけどさ。行きたいなぁ屋上。憧れだよ憧れ」


「…………」


 おっ京華が珍しく黙っている。確かに夏は日差しで暑くて冬は寒くて行けそうにないし。今日は風が強いらしいし。けど、そんなこと行ってたらいつまでも行けないままだし。ちょっと覗いてこよう。


「お昼食べ終わったらちょっと覗いてきてもいいかな?」


「…………やだ」


「えー、ちょっと覗いてくるだけだってば」


「……行っちゃやだよ」


 寂しそうにぽつり呟く。潤む瞳が私に向けられる。それを見て胸がキューっとなった。私の方こそ寂しさを感じずにはいられない。これは反則でしょ。


「私が悪かった。京華と一緒にここにいるよ」


「えへへぇ」


 京華はとっても嬉しそうにはにかんだ。この笑顔を見ると心の底からほっと安心する。


 その後、私たちは食事を済ませた。時間もいい頃合いだし、そろそろあの二人も教室に戻ってくるだろう。


「今日は、月望ちゃんと二人きりで久しぶりにご飯食べたね」


「そだね、高校に上がってからは四人で食べること多かったからね。なんだか昔に戻ったみたいで懐かしいかも」


「うんうん。ところでさ、食べ終わったら屋上に行きたかったんだよね」


「うん? ……けど、今日は寒いし教室がいいんでしょ?」


「そうなんだけどさ、屋上にいる気分だけでも味わおうと思って」


 え、どうやったら屋上気分を味わえるのでしょうか。


「つきのんひざ借りるね」


「え、え!?」


 そういうと彼女は私を床に座らせようとする。ななな、なんで。


「とりあえずつきのん座って」


「う、うん」


 私の席である窓際の席で食べていたから、とりあえず壁に寄りかかるようにして座り足を伸ばした。


「うん、やっぱり気持ちよさそう」


 そう言うと京華は私のひざを手で優しくぽんぽんなでなですると枕がわりにして頭を置き寝転んだ。


「ちょ、ちょっと恥ずかしいんだけど」


「大丈夫だって、誰も見てないから」


 教室内は案外人が少ない、他のクラスや空き教室、外のベンチにあと屋上と食事をとる場所には困らない。だから教室のが静かだったりする。人が少ないからってプライベートな空間というのはちょっと難しいけど。


 京華が喋ると頭が揺れる。頭が揺れると京華の綺麗で長い黒髪もそれに伴い流れるように私の太ももをくすぐる。京華のほっぺたが太ももに触れる。


「やっぱり恥ずかしいよ。それよりなんでひざ枕が屋上っぽいの?」


「屋上と言えば、ひざ枕でお昼寝でしょー」


「えー、そうかな。それよりやっぱやめない?」


「もしかして、あたしの頭重い?」


 そう言うと私の太ももから柔らかいほっぺは離れる。けど、京華が起き上がる様子はない。 気にして浮かしているのだろう。その体勢キツくない? そこまでしてひざ枕して欲しいのかな。ていうか今のこの状況はひざ枕なのだろうか。エアひざ枕とでも言うのだろうか。


「そうじゃなくてさっきから言ってるけどさ恥ずかしい……んだよね」


「お願い。このままで居させて」


 真剣な眼差しでそう言われたらそれに従うしかない。やっぱり京華には勝てないな。


「屋上に行こうとして、あたしを寂しがらせた罰」


「えぇ、屋上に行ってないじゃーん」


 そんなやりとりをしながら、時間は進む。甘えん坊の京華を見ていたらなんだか頭を撫でたくなって、無意識のうちに髪を梳くように頭を撫でていた。


 いつの間にか大人しくなった京華を見やると、瞼は閉じられスゥースゥーと静かに寝息を立てていた。


「くっ可愛いなコイツ……」


 眠たくなったからひざ枕して欲しかったのかな。それとも私を困らせるためなのかな。本当に屋上気分を味わいたかったとか……いや、それはないな。


 それにしても愛らしい寝顔だ。誰にも見せたくない。私が独り占めしていたい。


 京華はやっぱり女の子にベタベタするよね。そっちってこともあるのかもなー。だけど、女の子同士だったらこれが案外普通なのかもなー。うーん。よく分からん。


「……そろそろチャイムなるよ?」


「わぁっ!?」


 そこにののかちゃんがひょこっと顔を出してきた。物珍しそうに私と京華を見つめている。


「ふふっ、可愛いね京華さん」


「うん。そだねー。なんだか私がお姉ちゃんみたい」


 にこにこしているののかちゃんの後ろから彩葉ちゃんも今しがた戻ってきたご様子で京華の寝顔を覗いている。


「なになに、ウチらが屋上行ってる間京華寝ちゃってたの?」


「寝ちゃったみたいだね……」


 可愛い京華の寝顔。独り占めしたいところだったけど、二人にならいっか。


 いつまでも見ていたかった寝顔もここまで。チャイムの音に目を覚ました京華は自分が寝ちゃっていたことに驚きながらも自分の席に戻ろうと立ち上がった。


「また月望ちゃんのひざ借してね」


「今度は誰も見てないところでね」


 そう耳打ちすると京華は顔を赤らげ席へと向かった。


 私の太ももには京華の温もりがまだしっかりと残っていて、足には少し痺れがあった。


 その痺れは全然嫌な痺れじゃなくて、その痺れがなぜか心地よくて、いつまでもこの余韻に浸ってすらいたいと思った。




 〇




 玄関には小さく可愛らしい靴があった。妹の陽見ちゃんは帰宅しているようだ。


「ただいまー」


 間延びした声で帰宅を告げる。どうにも疲れで気だるげな感じになってしまう。


「おねえちゃん、おかー」


 リビングでは陽見がソファに横たわりテレビを見ていた。小学二年生らしく夕方のアニメに釘付けらしい。


「今日もお母さんとお父さんは遅いのかな」


「うん。おねえちゃんなんかつくってー」


「はいはい」


 これも姉である私のつとめ。可愛い妹に料理を振る舞おうではないか。


 とは、言ったもののできたものは。


「またいつものだー。おねえちゃんは高校生になってもレパートリーが増えませんねぇ」


「今から買い物に行くにも疲れたし、家であるものでつくっただけだって」


「むーん。まぁいいですよ。おねえちゃんの玉子焼き好きですから」


 今日の献立は玉子焼きに豚肉の野菜炒めといったシンプルな内容。シンプルイズベストであるのだからこの料理がベストなのである。ごめん。ごめんね陽見ちゃんこんな姉で。


「ありがと」


 陽見ちゃんの優しさには恐れ入る。いつも同じような献立なのに残さず食べてくれるから料理人冥利に尽きるというもの。


 腹を満たした私と陽見は食後のアイスを食べる。ソファで仲睦まじく二人並んで仲良し姉妹。


「やっぱり食後はアイスですなぁ~」


 帰宅途中で買ってきたバニラアイス。妹はいつもこの食後のアイスを楽しみにしている。


「うふふ~おいし~」


 ご満悦の表情。私が食事当番でもこれさえあるからどうにかごきげんを損なわないでいられる。


 ごきげんもとったところで妹に相談を持ちかける。少しばかし気が引けるが他に相談する相手もいないので意を決して話を切り出した。


「陽見ちゃん。ちょっと話聞いてもらえる?」


「ぬっふっふ~いいですよ。なんでもこいです」


 鼻を鳴らし得意気な表情。愚痴ってわけじゃないけどさ。誰かに悩みとか聞いてもらうのはとても効果があるように思える。それが解決に至らないとしても、一緒に悩み考えてくれだけで気が晴れるというものだ。


 相談というのは京華のこと。百合本を見つけたことは流石に言えなかったが、毎日の過剰なるスキンシップの数々を陽見に話す。陽見は案外真面目に話をうんうんと頷いて最後まで聞いてくれた。いつも動揺を隠せない私はどうしたらいいんだろうかと八歳の子に聞くというのは少々憚られたが、最近ませてきた陽見には大丈夫かもしれないだろうと思える根拠のない自信があった。


「それは、おねえちゃんに気があるんだよ~」


 開口一番。笑いながら言われてしまった。


「なんでわからないんですかおねえちゃんは、のろけ話に付き合わされるこっちの身にもなってください」


「え、いやいや確かにね。あの、その、京華が過剰にスキンシップしてくるって話だったわけなのだけれど、そういうことじゃないんじゃない? 女の子同士なら普通なことじゃないの?」


 陽見はニヤリと笑みを浮かべ語調を強め言い放つ。


「陽見にはわかるのです! これはおねえちゃんへのアプローチなのです!」


「ええええええー!」


 京華の百合疑惑どころか私のことがすすすすす、好きとかどういう話になってるのー。


「京華さんはおねえちゃん以外の女の子にそういうことをするのですか?」


「う、うーん確かに言われてみればそういうところは見たことないなぁ」


「そうなんです! 京華さんはおねえちゃん一筋なのです!」


「そう言われてもー……」


 今回陽見ちゃんに話したのは正解だったのであろうか。私の頭の中はぐちゃぐちゃに思考の糸がこんがらがってそれは解けない大きな結び目となっていて……。


 結んでできた瘤は京華への疑惑。確かに思い当たる節がないわけじゃない。あのお泊り会でのできごとは鮮明に思い出せる。あそこでのできごとを繋ぐとそういう答えになったとしても 決して不思議ではない。だからといってその答えが正しいとも思えない。


 私と京華の付き合いは中学から、私以上に付き合いの長い人は高校にはいない。だから私へのスキンシップの理由だって、一番付き合いの長い気の置けない友人だから。そうなんじゃないかな。


 女の子同士の恋愛なんて空想だ。それがあったとしても一時の気の迷いだ。


 いつかはそれが間違いだったと気付き、お互い別々の道を歩んでいく。


 百合本に起こるようなことが現実に起こるわけがない。


 そう自分に言い聞かせた。




 ◯




 教室は授業中で先生の会話以外に音はない。静寂に包まれた室内でも微かに発せられた京華の凛とした澄んだ声音は私の耳へと届く。


 後ろの席の子とどうやらこそこそとお喋りをしていた様子。先生に見つかったら怒られるぞ。


 会話の内容は何やら昨日のテレビの話とかそんな他愛のないもののようである。


 私は暇だった。授業中なのだから暇というのは至極可笑しな話なのだが、他に例えようがない。周りの子と軽くお喋りするなんて授業中とはいえ不自然な話ではない。授業中だからこそ、背徳感や罪悪感からちょっとしたことが面白く感じ吹き出してしまうものである。


 それが私にはなかった。ただ黙々と黒板に書き綴られた文字を目で追い。先生の言葉に耳を傾ける。暇である以前に私にはその選択肢しかなかった。


 ただこの時間が早く過ぎ去ればいいなと常に願う。時間はいつも誰にでも平等で誰かにとっては優しいし、誰かにとっては厳しかった。


 残酷な時はチャイムの音によって終わりを告げた。


 喧騒に満ち始める教室内で私は決心を強く固める。


 この私の胸に巣食う靄を晴らすにはこれしかないのだと決めたから。


 それは京華に百合なのかどうか直接聞いてしまうというもの。


 私は気付くのが遅すぎた。この胸に募る根源の正体。それはあの日に百合本をうっかり見つけてしまったことから始まったのだ。


 あの日、百合本を見つけなければここまで思い悩むことはなかった。あれがいわば決め手となってしまったからである。


 だから今日は偶然とはいえ盗み見てしまったことを謝って事実を聞いてみようと思う。


 そうすれば私に隠しごとなどないし、京華とも秘密の会話もでき。もしかしたら距離も縮まるかもしれない。


 だけど、本当にもし誰にも見られたくないものだった場合口も聞いて貰えなくなるかも。


 京華だからそこまではないにしろ、あそこまで厳重に隠していたのだからそれ相応の反応はされるだろう。


 けれど、それは事実であるのだから言わないといけない。隠しごとをしていては気持ちが晴れない。


 この日の授業はすべて終わった。後はこのまま帰り際にそれとなく会話に出すしかない。


 ところで、どうやって切り出そうか全然考えつかない。女子高生でも百合漫画好きな人はいると気付いたけれど、とにかく隠してる辺り公衆の面前で話しだしてはいけない内容だ。


 授業中あれだけ暇を持て余しながらも考えに考え唸っていたのに浮かばない。


 とにかく声をかけよう。


「京華、あのさ……」


「月望ちゃん……」


 話しかけようとしたところで逆に話しかけられて面喰らってしまう。


「どうしたの京華」


「あたしと今からパフェ食べに行かない?」




 数日前、誘いを断られたあの日にもここへ来た。


 ここに来る道中。電車内での会話はすでにあやふや。憶えていない。


 一緒に来たかった人だというのに緊張で指先が微かに震え、顔も強張っている。


 気取られないようメニューで顔を隠す。隠した先に大きなイチゴの写真が目の前に広がった。


 見ていたメニューはイチゴのアイスクリームパフェ。京華と来た時に食べようと思っていたんだ。


「月望ちゃんは決まった?」


「うん、このイチゴのアイスクリームパフェにする」


「おー、それかぁ。あたしもそれが食べたいと思ってたんだよね」


「じゃあ、一緒にこれにする?」


「けど、それだと食べさせ合いっこができないじゃ~ん」


 京華らしい発想でちょっと和む。緊張も少しはほぐれた気がした。


「食べさせ合いっこなんて恥ずかしくてダメだからね」


「じゃあさ、これはどう?」


 彼女がメニューを指差した先にはイチゴのビックアイスクリームパフェと書いてあった。


 写真に映るのは頼もうとしていたパフェの二倍近くある大きなパフェ。


「これを二人で食べるの?」


「うん!」


 怪訝な顔でうつむく私をよそに京華は元気良く返事をする。やっぱり京華には勝てないな。


「よし、私も決めたよ。それにする!」


 ここまできたら腹をくくるしかない。さっきまでの緊張は嘘のように消えていった。


 注文をし暫し待つと見るからに私たちが頼んだであろうパフェをウェイトレスさんがおどおどと運んできた。


「お待たせしました。こちらがビックアイスクリームパフェになります」


 見るからに圧巻のそれは私の胃をびっくりさせた。こんなの食べたらお腹ぽよんぽよんになっちゃうよ。


「うおー、すごいすごい。これは一人じゃ頼めないなぁ。やっぱり持つべきものは友達だ」


「たぶん実質二人分だからいけるよね……?」


 私たち二人は仲良くパフェをつつく。とはいっても中々に神経がすり減る作業だ。


 京華がスプーンを伸ばすタイミングとかパフェの位置とか変に気を使ってしまう。


 友達なのだから気を使わなくていいような間柄ではありたいのだけど、そこは親しき仲にも礼儀ありである。相手のことを思ってが故の友達であるのだから。


 量に圧倒されたが、やはり味も美味しい。生クリームというのはなぜこんなにも美味しいのだろう。あの容器をちゅーちゅーと吸い続けていたい。


 視線を感じる。なぜか京華が私の顔をじろじろと見だした。もしかして何かついちゃってる?


「もーらいっ」


「わ」


 反応できなかった。京華の指が私のくちびるを掠め口の端をなぞる。その指先にはクリームがついていた。子供みたいに口にクリームつけちゃってた!? 恥ずかしい……。


 そしてそれを京華はペロっと指ごと咥えた。


「ちょ…………それ!」


「えへへ、たべちゃった」


 頬がみるみる紅潮していくのがわかってしまう。恥ずかしさで紡ぐ言葉もない。本当にもう、この子はいつも私を困らせたがる。どうしてそんなことを恥ずかしげもなくできちゃうの。


「…………あ、あんまり私をこ、困らせないでよね……」


「うっふふー。月望ちゃんかわいっ」


 完全に反応を見て遊ばれてるなぁ。仕返ししてやろうかと思ったけど、やっぱりちょっと私にはできそうにない。


 たじろぐ私をよそに今日はニコニコと顔を近づける。前のめりになり、京華の顔は目と鼻の先。ちょ、ちょっとな、なにしてんの。このままだと鼻があたるどころか、キ、キスしちゃうんじゃ。


「可愛いりんごにクリームついてる」


 彼女のくちびるは中心を逸れ、ぴたっとほっぺたへと触れた。


 その瞬間、体中に電気でも走ったのかと錯覚した。


 もう思考回路はぐちゃぐちゃになって破綻。たぶんプスプスとかいびつな音でも立ててるんじゃないかな。あは、あはは。


「赤いほっぺたにまだクリームが残ってたからさ。つい、ね」


「つい……じゃないよ!! 私びっくりしちゃったよ!!」


 骨抜きにされるとはこのことか。手足に力が入らない。本格的に色々と痺れちゃってる。これじゃあ、パフェを食べるどころじゃないってばぁー。


「ごめんってば。ね、ね、パフェの続き食べよ」


「う、うう。食べるけど今度はやめてよね! 体が保たないよ」


 腰でも抜かしたかのような脱力感。京華とはパフェを食べに行くのでさえ楽じゃないな。


 その後、私たちは黙々と食べ続けた。パフェの量と脱力感が相まって一向に食べ終わらないのだ。食べ物を残すのは京華も私もポリシーに反するので会話もせずにそりゃあ黙々と。


 完食したころには体力は底を尽いていた。思った以上に食べるというのは体力がいる。骨抜きにされなかったら、普通に食べれたと思うのに。


 それにしても、京華はちょっとやっぱり他の人と違う。なんというか流石に勘違いされてもおかしくないぞこれは。


 本当に京華が女の子を好きだったら……もし、私を好きでいたらどうしよう。


 そうなった場合私はどう返事をするべきなのだろうか。京華とはそりゃもういつまでも友達で居続けたい。だけども断ったらそれもなくなるかもしれない。


 告白を断った時点で今までの関係には戻れない。そう考えた方が自然だ。


 だからといって、京華の気持ちを無碍むげに出来ず付き合ったとしたら…………付き合ったとしたら私はどうするんだろう。


 付き合うってことはキ、キスとかしなくちゃいけないってことだよね。


 それも京華となら別にできなくもないことだけど……ってこれはあくまでも京華が私を好きでいたらという仮定の話。そう、仮定なのだ。


 別に自惚れてるわけではない。臨機応変に対応できるように考えていただけ。


 波乱を巻き起こしたパフェ屋さんを後にする。まだ肝心なことを話していない。


「いやー、美味しかったけど負傷中の月望ちゃんとだから中々危なかったねー」


「ったくもう。負傷させたのは誰だよ~」


 そこで会話が途切れる。別に京華は嫌な沈黙だとは思ってないだろう。気まずいなんて思ってない。


 だけど、私はこの沈黙をプレッシャーに感じてしまう。それを押しのける勇気を振り絞り。精一杯言葉を紡ぐ。


「そういえばさ、京華に謝らないといけないことがあるんだよね……」


「ん? なになにあたしが月望ちゃんにじゃなくて。月望ちゃんからあたしに?」


「うん……」


 駅へと向かう足を私たちは止めた。空は茜色。夕焼けがあたりを包む。このオレンジ色の中なら私の頬が紅潮してもバレないかな。


「実はさ、京華の家の本棚で……そ、その」


「…………」


 彼女は私のくちびるを見据えて、次の言葉を待っている。それに答えようとゆっくりと口を開く。


「ごめんね。百合本っていうのかな……女の子同士がキスしたりする本見つけちゃってさ。隠してるように見えたから中々見ちゃったこと言い出せずにいてさ……本当にごめん」


「………………」


 京華は案外驚いてないようだ。私がたどたどしく紡いだ言葉も飲み込めた様子。


「え、そんなこと?」


 そんなことって……? 一体どういう。


「月望ちゃんが真面目に言うからびっくりしちゃったよ。そんなことでもしかして悩ませてた? あたしのスキンシップとかも、もしかして勘違いしてた感じ?」


「……う、うーん。別にそんなことじゃないけど」


 いやいや、実際そんなことある。あるある。


「あたしの方こそごめんね! なんだか怖い思いさせちゃったのかな。別にあれはそういう意味ではないから安心して。あくまでファンタジーとしての百合が好きなだけでさ。実際そういう気はないの。現実の女の子には興味ないから安心して」


 気丈に振る舞うようすもなく彼女は笑い声を交えて話していた。な、なんだそういうことだったんだ。隠すように本があったのも……。


「隠すようにしてたのも余計な迷惑というか、心配かけないように隠しといたの。まあ月望ちゃんに見つかっちゃってこうやって心配かけちゃったけどね」


「そうなんだ……」


 そりゃあ、たったそれだけのことだよね。普通の人ならそう考える。なんで私そんなこと気にしてたりしてたんだろ。発想が飛躍しすぎてるって。


 まあアレだ。一応ね、京華がそっちだった場合とかも想定しといて準備万端にしてたのさ。


「あたしは、普通に男子が好きだって~そういえば月望ちゃんと恋話とかあんましないよね。好きな男子とかいないの?」


「いないいない。私恋したこともないし」


「そうなの!? まあ確かにねぇ~。どっかにいい男いないかな~」


 その言葉を聞いて、どうしょうもなく心がざわついた。


 なぜか、なぜか、正体不明の不安感が体の中を駆け巡っている。


 気付きたくない。気付きたくない。気付きたくない。傷付きたくない。この気持ちに気付いたら、私は私でいられなくなる。


 私はなにに失望しているのだろう。京華だって女の子なんだから男が好きなんて当然なのに。


 つらくなるだけだから、理解しようとしなかったんだ。自分の感情にこれ以上嘘はつけない。


 心の中だけでさっき言ったこと訂正するね。


 “私恋したこともないし”って言ったけどさ。実はもう好きな人できたんだ。とっくの昔にできてたんだ。今ようやく気付こうとして、気付いたんだ。


 私は京華が好きだ。


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