2

「よっしゃあ!」

 ティンクルは喜んでシャイニーグリムの元へ駆け寄る。

 天音もちゃんとお礼をしておこうと思った。

「やったな。これで後はディープダークの王――ソロネシアを倒すだけだ」

「うん。……でも、そう簡単にはいかないんじゃないかな」

「大丈夫だって、今の君は伝説の魔法少女と同じ。ううん。それ以上の力を身につけてるんだから」

「楽観はできないわよ。取り敢えず今日はもう帰ろう。せっかくの夏休みなのに、ちっとも遊べないし」

 杖にまたがって飛ぼうとしたシャイニーグリムを天音は呼び止めた。

「あの、ちょっと待って」

「ん? あなたはさっき助けた。何? どうしたの?」

 杖から降りて向かい合う。しかし、光の妖精と言ったティンクルはシャイニーグリムの肩に掴まったまま少し睨んでいるように見えた。

「……気をつけたほうがいいぞ。こいつ普通の人間なのに、僕が見えるんだ」

 ティンクルはシャイニーグリムに耳打ちしているが、その声はわざと天音にも聞こえるように言っているみたいだった。

「本当に? それじゃあ、この人も魔法少女の資格があるってことじゃないの?」

「そんなはずはないよ。伝説の魔法少女は世界に一人だって女神様がおっしゃっていたもの」

 このままじゃいつまで経っても話が進まない。

「あの、助けてくれてありがとう。さっきはバタバタしていたからちゃんと伝えられなかったし、それだけ言いたかったの」

 二人の話を遮るように言いたいことだけを言った。

「……どういたしまして。でも、お礼を言われるようなことじゃないわ。私は魔法少女だからね。正義の味方が困ってる人を助けるのは当たり前じゃない」

「本当にこいつがただの人ならそれでいいんだけどさ……」

「もう、ティンクルうるさいよ。ディープダークの連中に襲われてた人が怪しいわけないじゃん」

「あいりはそういうところが素直すぎて危なっかしいんだよ」

「それ、どういう意味?」

「さっきの戦い方だって、カースドールなんかもっと簡単に倒せただろ? 強くなったのは良いけど、それで敵を見くびるのはよくないよ」

「あのねぇ、それじゃ私が好きで遊んでいたみたいじゃない」

 ……遂に二人はケンカを始めてしまった。

 っていうか、魔法少女は正体を明かさないってのが決まりだろうに、ティンクルは思いきり名前を言っていた。

 あいりちゃんか、中学生くらいにしてはしっかりとした女の子だった。

 明るくて前向きで素直。天音とは正反対のような性格だった。

 だからこそ、魔法少女として相応しいんだろうなと思った。

「あのさ。申し訳ないけど……私これから行かなきゃいけないところがあるの」

「――あ、ご……ごめんね。妙なところを見せちゃって」

「いいえ。それよりもティンクルだっけ? 私以外の人には見られないからって魔法少女の名前を軽々しく呼んじゃいけないと思うな。誰が聞いてるかわからないんだから」

「え? あ!」

 ティンクルはバツが悪そうに口を手で押さえた。

「それじゃ、あいりちゃん。ティンクル。さよなら。もし気が向いたら、またこの世界にも来るかも知れない。あなたのような魔法少女がいる世界に、私は不要だろうけど」

「え? それってどういう……」

「やっぱり、君は普通の人間じゃないんだな」

 悪いけど、説明している時間が惜しい。

 すでに余計に時間を使ってしまっているのだ。

 もう一度、リンデート王国をイメージする。

 クルスさんと、クヴィスタ、ベルン国王。あの世界で知り合った人たちの顔を思い浮かべる。

 体が浮遊感に包まれる。

「か、体が……」

 あいりちゃんは初めて驚いた表情をさせた。そして、あの真っ直ぐな眼差しで見つめる。

「あなた、名前は!?」

「照日天音!」

 魔法少女の世界で天音が最後に口にしたのは自分の名前だった。


 今度は意識を失わなかった。

 ようやく『異世界跳躍』の能力が使いこなせるようになってきたのかも知れない。

 そこは、見たこともない世界だった。

 どこまでも続く真っ白な空間。

 地平線なんて見えない。

 あるのはいくつもの長方形の穴。

 いや、それらは全て異なる世界への入り口だった。

 どこがどこの世界なのか、覗こうと思っても覗けない。

 これだけ入り口があったら、どこがリンデート王国の入り口なのかわからない。

 しかし、慌てる必要はなかった。天音はすでにその世界の歩き方も知っていた。

 今一度リンデート王国を、クルスさんたちを強く想う。

 すると、入り口の一つが光を放つ。

 迷うことなく天音はその入り口の中へ足を踏み入れた。

 暗闇の中を歩いているうちに、徐々に光がはっきりとしてくる。

 天音はいつの間にか、城下町の外れ。クヴィスタと共にゲルハルトに監禁されたあの家の前に立っていた。

「……ここは……」

 脳裏に焼きついているのは、自分が監禁されたことよりも、その中で命を落としたクヴィスタのこと。

 中に入ってみるが、もちろんクヴィスタの遺体はなかった。

 もう一度外に出て確認するが、ゲルハルトの死体もない。

 すでに誰かが運んだのか。

 ここにいても仕方がない。

 天音はなんとか記憶を掘り起こしてそこから城へ向かう中央道路を目指した。

 あの時は、馬車を使っていたから楽だったけど、実際に歩いたらずいぶんかかってしまった。

 まず確認しなければならないのは、今日があの日から何日経ってしまったのか。

 あの時見た限りだと疫病の症状は風邪とそっくりだったけど進行速度が速かった。

 とにかく急がなければならない。

 ……でも、どこへ行ったら良いんだ?

 クルスさんの家は結局行かなかったから知らない。

 役所に行って教えてもらえるだろうか。

 それよりも、国王にこの薬のことを教えた方が良いか。

 ……いや、クルスさんがいなければ、会ってもらえないだろう。

 考えてる時間がもったいない。

 天音は一度役所へ向かうことにした。

 城門の手前。左側のシンプルな建物はさすがに覚えている。

 入り口に立っている役人は幸いなことにあの日立っていた人と同じだった。

「あの、すみません」

「あれ? 君は確か……クルスさんが助けた人身売買事件の……でも、行方不明になったって話だったんじゃ……?」

 こっちでも天音は行方不明扱いになっていたらしい。

「クルスさんは今どこで何をしているか知っていますか?」

「ん……それは……」

 役人は困ったような顔をさせた。

 こっちは少しでも早く情報が欲しいのに。

「やっぱり、クルスさんも疫病にかかってしまったんですね? 今どこで療養してますか? まさかもう――」

 最悪の予想が頭を駆け巡る。

「いやいや、まだ生きてます。それよりも、どうしてクルスさんが疫病にかかってしまったとご存じなんですか?」

「一緒に街外れを調査していたからです」

 クルスさんまで疫病がうつってしまったことに強いショックを覚えて『異世界跳躍』を使ってしまった。

 あの時のクルスさんの苦しそうな表情は、忘れられるものじゃない。

「それじゃ、あなたも危ないんじゃ……」

「そんなことより、クルスさんは今どこにいるんですか!?」

 埒が明かないことにイラついてつい声を荒げた。

「あ、えーと。クルスさんはご自宅で療養されてますよ」

 役人の方が年上だろうに、天音の勢いに押されていた。

「クルスさんの家ってどこですか?」

「魔法研究所がある通りの奥。庭の広い二階建ての白い建物ですが……どうするつもりですか?」

「決まってます。私が疫病から救って見せます」

「無茶だ! 国中の魔法医が治せない疫病ですよ? あなたに何ができるんですか?」

「病気は、科学的治療で治ります。魔法は万能かも知れないけど、科学だって負けてないと思いますから」

 言うが早いか天音は駆けだした。

 本当は馬車でも使いたいところだけど、この世界のお金は持っていない。

 走って行くのが一番早かった。

 見覚えのある魔法研究所を横切り、さらに先へと進む。

 すると、役人が言っていたようにレンガの壁に囲まれた広い庭が見えてきた。

 城の近くにある建物で庭付きの家なんてここくらいなものだった。

 王様から直接仕事を受けていたからただ者じゃないと思っていたけど、クルスさんは凄い魔道士なんだと改めてそう思った。

「失礼しまーす!」

 これだけの家なら使用人くらいいても良さそうだと思ったので大きな声で呼びかけてみるが、反応は返ってこなかった。

 一刻を争う事態に、このままここで待っているなんてできない。

 とにかくクルスさんに薬を届けなければ。

 天音は後で怒られることも覚悟の上でクルスさんの家に上がることにした。

 白いレンガ造りの家。扉は真新しい木のようにピカピカ。手入れが行き届いている。

 一応二回ノックしてから扉を開けた。

「お邪魔します」

 といっても、やはり返事はない。

 玄関はちょっとした広間になっている。そこから見えるだけでも部屋は三つあり、さらに右奥には階段があった。

 天音は一階の部屋から探してみる。

 右側の部屋はソファーとテーブルがあるだけ。シンプルだけど質の良さそうな家具。恐らくここは客間か応接室だろう。

 真ん中の扉の先は台所だった。

 そして、左側の部屋はテーブルと椅子だけ。ダイニングかリビングと言ったところか。さっき見た客間と違って、ここの家具は頑丈そうではあるものの、それほど質が良さそうには見えなかった。

 どこにもクルスさんの姿は見えない。

 階段に向かうと階段の左横の短い廊下にもう一つ扉があることに気がついた。

 そこにはトイレと浴槽があった。

 この世界にもユニットバスって言葉があるのかな。

 浴槽には水が張ってあるのだが、湯沸かし器なんて物はない。

 そもそも蛇口だってないから水道だって通っていないだろう。どうやって使うというのか。

 ――って、考えてる場合じゃないか。早くクルスさんを探さないと。

 二階に上がると、左右に伸びた廊下に扉が一つずつ。

 まずは右側の部屋から確認する。

 そこは、クルスさんの寝室だった。

 クルスさんがベッドの上で仰向けになって寝ている。

「クルスさん!」

 天音は慌てて駆け寄る。

 呼吸が荒く、額には玉のような汗をかいていた。

 時折咳き込んではいるが、意識がないのか天音の言葉にはまったく反応しなかった。

「すみません。ちょっと失礼します」

 聞こえてはいないかも知れないがそう言って額に手を当てた。

 ――熱い。

 天音の手でそれがわかるくらい熱が出ているということは三十八度くらいはあるかも知れない。

 今さらだけど、薬だけじゃなくて体温計くらい持ってくればよかった。

 取りに戻っている時間が惜しい。

 まずは、汗を拭かないと。

 クルスさんの寝室も他の部屋と同様、必要な物しか置かれていなかった。

 壁際にタンスが二つ並べておいてあるだけ。

 家の大きさに対して、あまりに質素な部屋だった。

 右のタンスにはクルスさんの服があった。シルクの手触りのような上下セットの服を用意する。

 左のタンスには下着やタオルがあった。

 薄いシャツを用意し……下はさすがに、良いよね。

 取り敢えずこれで準備は整った。

 天音はタオルだけ持って一階に降りて台所に向かった。

「……あれ? やっぱりここも流しはあるのに水道の蛇口がない」

 これでここの人たちはどうやって生活しているのか。

 台所のテーブルには水差しがあったが、これは後でクルスさんに飲んでもらうために使いたいし……。

 ……仕方ない、天音は浴槽へ向かった。

 タオルを水で濡らしてよく絞る。

 水差しとコップ、それから濡れタオルと浴槽に置かれた桶に水を汲んでクルスさんの寝室に運んだ。

「えーと、クルスさん。起きて着替えられますか?」

 耳元で話しかけるが、問いかけに答えられる雰囲気ではない。

 ここで恥ずかしがっていても始まらない。

 天音はクルスさんの体を抱き起こして服を脱がせた。

「う……き、君は……?」

 さすがにそこで少し意識が戻ったみたい。でも、目がうつろで朦朧としている様子は見て取れた。

 きっと、起きたら覚えてはいないだろう。

「今から体を拭きます。ちょっと冷たいかも知れませんが」

 外の気温が暖かいのは幸いだった。

 これが冬だったら、さすがに温めたタオルじゃないと風邪を進行させてしまうだけだ。

 天音は丁寧に汗でびっしょりの体を拭いた。

 そして、用意した新しい服に着替えさせる。

 そこでようやく元の世界から持ってきた鞄を開ける。

 中にはたくさんの風邪薬。どれも似たような物だろうが……熱がひどいので解熱効果を謳った市販薬を出した。

「……毎食後三十分以内の服用か……」

 さっき台所を見たとき、食料が備蓄してあることは知っていた。

 パンと米のような物はある。

 しかし、あの台所の水と火の使い方がまったくわからなかった。

 せめて使い方さえわかればおかゆくらいは作ってあげられるが……。

 かといって、この状態ではパンを口にすることは難しだろう。

「まあでも、食後じゃなければ効果がないってわけでもないだろうし」

 天音は錠剤を二粒出して、クルスの口に入れた。

 コップに注いだ水を口元に運ぶ。

「なんとかそれを水で流し込んでください。必ず、病気は治りますから」

「ん……」

 苦しげな表情だったが、コクリとうなずき、水を飲み干した。

 天音はクルスの体を再び横にさせた。

 さっき浴槽から持ってきた桶に体を拭いたのとは別の小さいタオルを沈ませる。

 水をたっぷり含ませてからぎゅっと絞った。

 それでクルスさんの額を冷やす。

 薬の効果がそう簡単に現れるとは思わないが、体を拭いたことと水を飲ませたことがよかったのか、少しだけ呼吸が穏やかになった気がした。

 この薬は毎食後と言っていたから、何時間か間を置いてもう何回か飲ませた方が良いだろう。

 天音はそれから一晩中、額のタオルを替え、汗を拭き、薬を飲ませた。

 そして――いつの間にかクルスさんのベッドに上半身だけ突っ伏すように眠ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る