3

「テルヒさん。起きてください」

 肩が揺さぶられる。優しげな手の温もりは、その人の人柄を表しているかのよう。

「参ったな……まさか、君に疫病をうつしてしまったのか?」

 いや、それはない。

 自分の体調は自分がよくわかっている。疲れてはいるが、健康であることは間違いなかった。

 それよりも、クルスさんの様子を見ないと――。

「――ハッ、ク、クルスさん!?」

 寝惚け眼が一気に覚醒する。クルスさんを看病しながらいつの間にか眠ってしまったらしい。

 すぐにタオルを替えないと――。

 ベッドを見ると、そこで寝ているはずのクルスさんがいない。

「え? あれ? クルスさん!?」

「はい、なにかな?」

 急に背後から声が聞こえて背筋が真っ直ぐになった。

 振り返ると、そこにはすでに布の服の上下にマントを羽織った、魔道士姿のクルスさんが立っていた。

「……ク、クルスさん?」

「ええ、まあ。そうだけど、さっきから僕の名前しか言っていないね。大丈夫かな?」

 それはこっちのセリフだ。

 でも、何をどう言ったらいいのかわからない。

 ただ、クルスさんの病気が治ったことにホッとして、その場にへたり込んだ。

「テルヒさん!?」

 天音に駆け寄るクルスさんの足取りは実にしっかりしていて、本当に治療は成功したのだと実感させられた。

「……疲れているところ、悪いけど……テルヒさんには聞かなければならないことがたくさんある」

 天音の肩を抱いたまま、クルスさんは真剣な表情をさせた。

 吸い込まれそうな瞳に危うく心が奪われそうになるところだったが、天音は大事なことを思い出した。

 クルスさんが救えたと言うことは、天音の世界の風邪薬が効果があったと言うこと。

 つまり――この疫病は治せる。

 後の問題は、天音なりにがんばったものの薬の数は限られる。

 それをどう使うかだ。

「クルスさん。私がこの街から消えてから何日経ちましたか?」

「……何日と言うほどでもないよ。一日も経っていないから」

「え? たった、一日も……?」

「まあ、僕もあの人身売買の犯人の家で疫病がうつってしまって、急に症状が重くなってしまったからね。あなたが消えた後役所があなたのことを探していたのか、それともそれすら把握できていなかったのか、いずれにしても詳しい話は僕もよくわかっていないんだ」

 ……時間の流れ方が違う。

 暦ちゃんはそう言っていた。

 少しだけ感覚的にわかったことがある。

 この世界は天音の住む世界よりも時間の流れがゆっくりなんだ。

 だから、ここ以外の世界で一日以上過ごしてもここでは数時間しか経っていない。

 逆に、ここで丸一日以上過ごしてしまうと、他の世界のことは行ってみなければわからないが、元の世界では数日過ぎてしまう。

 この世界には長く留まれない。

「それじゃ、疫病はまだそれほど広がってはいませんか?」

「それに関しては、今から一緒に役所……いや、ベルン国王に直接聞こう。なぜ僕が助かったのか、テルヒさんからベルン国王へ説明もして欲しいし」

「はい。急ぎましょう」

 天音は薬の入った鞄を持ち、クルスさんと共に再び城へ向かった。

 道ばたでタクシーのように馬車を拾い、城へと駆け込む。

 門番はクルスさんを見るなり驚きの声を上げた。

「ク、クルスさん! あなたも疫病に冒されて寝込んでいると窺っていますが……大丈夫なのですか!?」

「僕の疫病は治りました。それに関して早急にベルン国王にお話があります」

「まさか、治療魔法を発見された!?」

「時間が惜しいのです。申し訳ありませんがここであなたに説明している余裕はありません」

「あ、こちらこそ申し訳ありません。どうぞ、お通りください」

 門番は深々と頭を下げてクルスさんと天音を通した。

 城に入ると、近衛兵や国王の親衛隊がやはり門番と同じ反応をしたが、足早に階段を駆け上がって謁見の間へ向かった。

 玉座には難しい表情のベルン国王が座っていた。

「ベルン国王!」

「何!? そ、そなたはクルスではないか! そなたも疫病に冒されて重病だと聞いたが……間違った情報だったのか!?」

 驚きと喜びと不安。ベルン国王はいくつもの表情をさせてクルスさんを出迎えた。

「いえ、確かに僕は重病でした。魔法でなんとか体力を向上させて命を繋いでいただけで、とても治せる気はしませんでした」

「むぅ、そなたをしてそう言わしめる疫病とは……。魔法研究所も思うように治療魔法の研究は進んでいないようだし、実に厄介な疫病だな……。おまけにこんな時に隣国は宣戦布告する始末。一体、どうしたらよいものか……」

 ベルン国王は頭を抱えて愚痴をこぼした。

「宣戦布告ですって!? あのゲルハルトとかいう男の言っていたことは本当だったのか……」

 それは、天音も聞いていた。ゲルハルトが死ぬ間際、疫病は隣国の仕事でこの国にばらまいた、と。それでゲルハルト自身も死ぬことになったのだから自業自得だった。

「そなた、何か知っておるのか?」

「その話はひとまず置いておきましょう。それよりも、ベルン国王は相当に混乱されているようですね。重病だった僕が今ここでピンピンしているというのに、その事に気付いておられない」

「……ん……? うむ、そ、そうだ! そなたなぜ疫病が治っておるのだ!?」

「実のところ僕にもわからないのです。目覚めたら治っていました。そして、僕の側には彼女――テルヒさんがいたのです」

 ベルン国王はそこで初めて天音をマジマジと見つめた。

「お主、クルスと共に疫病の調査へ行ったまま姿が消えたと報告にあったが……着替えにでも行っていたのか? 先日も妙な格好をしておったが、今日も一段と不可思議な格好をしておるな」

 Tシャツに短パンとレギンスって、それほどおかしな格好ではないが、ここだとやっぱり目立ってしまうらしい。

「気を遣っていただいているのはわかりますが、今はそのような話をしている場合ではないと思います」

 たとえ相手が国王であっても、今の天音は物怖じせずにはっきりと伝えられた。

「うむ。ならば単刀直入に聞こう。お主がクルスの疫病を治したのか?」

「はい」

「それは、一体どのような魔法だ? できればクルスや我が国の魔法医にも使い方を教えてくれぬか? 褒美は望むものを与えよう」

 それは、魅力的な提案だった。でも、この世界の人間ではない天音には必要のないものでもあった。

「褒美は、必要ありません。私はみんなを救いたいと思ったから、ここへもう一度戻ってきたのです。もう誰もこんなことで死なせたくない。クヴィスタのように……!」

「テルヒさん……」

 クルスさんが泣きそうになる天音の顔を抱きしめた。

「クヴィスタという子は、確か人身売買の被害者だった……?」

「ゲルハルトと一緒にいたために、彼女も疫病にかかってしまい、見つけたときにはすでに……」

「そうか……」

「クルスさん。ありがとうございます。もう大丈夫ですから」

 悲しみに泣いているばかりでは、意味がない。

「ベルン国王。私は魔道士ではありません。だから、私には治療魔法は使えません」

「何? それじゃ、どうやってクルスを……」

「これです」

 そう言って天音は肩から提げた鞄を開け、中から薬のビンを一つ取りだした。

「それは、一体……?」

「病気を治すために私の世界――いえ、国で使っている薬というものです」

 すでに一度ここに来たときに異世界から来たことは話していたが、今その話を蒸し返すと厄介なことになると思ったので言い方を変えた。

「薬? それを、どう使うのだ?」

「薬によって使い方が違いますが、だいたい一日三回食後に飲みます」

「飲む? これを、口にするのか……? 大丈夫なのか?」

 ベルン国王は訝しげな表情をさせてビンの中身を見た。

「ベルン国王、実際に助かった僕がここにいるわけですから、それで十分効果は証明していると思います」

「それもそうか。いや、すまぬ」

「ただ、一つ問題が……」

 天音は鞄の中身を見ながら聞く。

「なんだ?」

「今疫病にかかっている人はどれくらいいるのでしょうか?」

「……実は、すでに城の中でも疫病に罹っている者が出始めてな。城下町には患者が千人を超えているという報告も上がってきている」

 千人……。

 その数字は、天音の心を沈ませた。

 クルスさんは一晩看病しただけで治った。

 つまり、一人にだいたい三回分配ればいい。

 それでも、千人分はない。せいぜい百人分くらいだろう。

 重い患者だけ優先して配るべきだろうが、それは天音だけではどうしようもない。

「薬は、この鞄にあるだけしかありません。疫病に罹っている人たちを全員救うにはとても足りないんです」

「それが、問題か?」

「はい」

 天音が真剣に悩んでいるというのに、ベルン国王とクルスさんは顔を見合わせたままキョトンとしていた。

「お主は本当に魔法が使えぬのだな。それは我々にとってはそれほどの問題ではない」

「ベルン国王、まだ疫病に罹っていない魔道士を集めましょう。いや、今から魔法研究所に行きます。できれば、協力の要請をベルン国王自ら書面にしていただきたいのですが」

「そうだな。ことは一刻を争う」

 言うが早いか、ベルン国王は紙にペンを走らせた。

 それをクルスさんに渡す。

「テルヒさん。一緒に来てくれないか」

「あの、私には話がよく見えてこないんですけど……」

「その薬という物が足りないなら、増やせばいい。ということだよ」

「増やす? どうやってですか?」

 この世界に薬を精製する施設があるとは思えない。そもそも病気の治療に薬を使ってこなかった世界だ。薬の意味も正しく理解しているかわからないのに。

 クルスさんは天音の質問に事も無げに答えた。

「決まってるじゃないか。魔法で増やすんだよ」

 それは、とても納得いく答えではあったが、つくづく天音の世界の常識が通用しない世界だと思い知った。

 魔法研究所に入るなり、クルスさんはベルン国王からの手紙をそこにいた魔道士に見せた。

 すると、彼らは誰一人何を聞くこともなく忙しなく動き回り、何かの準備を始めた。

「テルヒさん。こっちへ」

 クルスさんは天音の手を引いて屋上へ向かった。

 そこには巨大な円形の魔法陣が描かれている。

「ここは?」

「物を複製する魔法は、簡単じゃない。場所と事前準備、それから魔力の強い魔道士が複数人必要なんだ」

「私がいたら邪魔じゃないですか?」

「いや、魔法陣の外にいてもらえば、問題はない」

 クルスさんと一緒に屋上入り口の壁により掛かる。

 そして、より真剣な顔つきでクルスさんは言葉を続けた。

「……さっき、ベルン国王にはあなたの国で病気には薬を使うと言っていたね」

「はい」

「本当のことを教えてくれないか。あなたは、不要な情報で混乱させないために、あえて言い方を変えた」

 クルスさんがベルン国王に信頼されているのは魔道士としての能力だけじゃない。きっと、こういう抜け目ないところが信頼されているんだろう。

「これは、私の世界の薬なんです。私の世界に魔法はありません。ですが、私の世界には科学があります。これはその力で作り出された物」

「テルヒさんの世界……つまり、異世界ということだね? 確かこの前も同じようなことを言っていたけど……。テルヒさんの世界から持ってきた、ということは異世界を行き来する魔法がわかったということなのかい?」

「クルスさん! 準備は整いました! 始めましょう!」

 話しているうちに、いつの間にか屋上には十人以上の魔道士が集まっていた。

 みんな魔法陣の中に入っている。

「テルヒさん、その話はまた後にさせてもらうね。それよりも、その鞄の中身を全て魔法陣の中心に置いてもらえるかな」

「あ、はい」

 天音は魔法陣の真ん中で腰を降ろし、鞄から薬を取り出して並べた。

 そして、邪魔にならないように空になった鞄を肩からかけて魔法陣の外へ出る。

 それが始まりの合図と同じだった。

「ハッ!」

 魔道士たちはみな薬に向かって手を突き出す。

 魔法陣が魔道士の立っているところから輝き始める。その光は天を貫くほど。

 魔道士の人数分、光の柱が屋上には出来上がっていた。

 天音が並べた薬の周りにバチバチと雷のようなものが纏わり付く。

「『万物複印(ばんぶつふくいん)』!」

 クルスさんと他の魔道士たちの声が重なる。

 すると、さっき並べた薬たちの影が二つに、いや……瞬きをする回数分、次々に増えていく。

 やがて魔法陣からの光が消えて辺りが静かになると、その中心には薬が山のように増えていた。

「クルスさん。ところでこれは、何に使う物なんですか? ベルン国王からの書簡にはクルスさんの指示に従うように、とだけ書かれてありましたが……」

「これは疫病を治すためのものです」

「なんですって!? しかし、これでどうやって治すのですか?」

「使い方は……」

 それは自分の出番だと思ったので天音は説明した。

「瓶に入っている錠剤――粒は一人につき一日三回二粒を食後に飲ませてください。それから小さな袋に入っている粉の薬はこちらも一人につき一日三回一袋を飲ませてください。ただし、必ず一種類の薬だけ与えてください。別の種類の薬を大量に飲ませても効果はありません。むしろ副作用で体調を悪くさせてしまう可能性があります」

 魔道士たちはベルン国王と同じくやはり少し戸惑っていた。

 それをクルスさんが一喝する。

「見ての通り、僕もこの薬のお陰で助かった! 早くこれを疫病で苦しんでいる人たちのところへ届けてください!」

「は、はい! 『飛翔風(ひしょうふう)』!」

 風が魔道士を空へと運ぶ。

 魔道士たちは持てるだけの薬を持って空へと散っていった。

 空飛ぶ魔法少女を見た後だったので、さすがにそれくらいの魔法では驚きはなかった。

「テルヒさん。僕もこれを持って助けに行きますが、君はどうする?」

「……クルスさんの家で待っていても良いですか? ここから先は私では役に立てそうにありませんし」

「それは、構わない。ただ、何時に帰れるかはちょっと……」

「気にしないでください。みんなを助けに行ってあげて。もう、クヴィスタのような悲しい想いは誰にもさせたくありませんから」

「……ありがとう。僕も、同じ気持ちだ」

 そう言ってクルスさんも薬を持って城下町の空へ飛んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る