第四章 疫病と薬の行方

1

 学校も元の世界と同じ場所にあった。

 コンビニも同じ場所にあった。

 駅も……。

 全てが同じ。

 たった一つ。

 天音に関わる人たちだけ存在しない。

 いっそ学校も無くなっていればよかったのに、学校の名前まで一緒だった。

 多分、あの学校には天音の名前は存在しないだろうと思った。

 行き場もなく、駅前の広場で途方に暮れるしかなかった。

 時計を見ると九時を指している。

 このままここにいるのは、何か面倒なことになるかも知れない。

 女子高生が一人で夜の駅前をうろうろしていたら、警察だって見逃してはくれないだろう。

 かといって、どこに行けばいいと言うこともわからない。

 電車に乗って、もっと都会に行こうか。

 幸いと言っていいのかわからないが、駅名も路線図も全て元の世界と同じだった。

 薬を買うのにほとんど使ってしまったけど、まだ数百円残っている。

 券売機の前で迷っていると、何やら駅舎の外が騒がしくなってきた。

 お祭りはすでに終わってしまっているというのに、何があるというのか。

 天音は人が慌てて走ってくる西口の階段を降りた。

 人の流れに逆走しているわけだから、避けるのが大変だった。

 向かってくる人たちはみんな焦りと驚き、それから怯えているように見えた。

 階段を降りると、すでに広場にはほとんど人は残っていない。

 たった一人だけ、妙な人が広場の真ん中に佇んでいた。

 夜とはいえまだまだ二十五度は下回らないほどの熱帯夜だというのに、黒いコートのような物を着ている。

 その人は、天音の姿を見つけて振り返った。

「え……?」

 天音は、それを人だと思っていたが、人ではなかった。

 いやいや、遠目に見える姿は人そのものだけど、顔がというか……頭がカラスのようだった。

 人間のようなカラス、もしくはカラスのような人間。

 わかりやすくいえば、幼い頃テレビの特撮番組かなんかで見たことがあるような怪人のよう。

 しかし、辺りにはテレビカメラもスタッフも見当たらない。

「……この俺の姿を見て、まだ逃げ出さない人間がいるとはな。丁度良い、お前を獲物に決めたぞ」

 言葉は人間の――それも日本語だった。

「……あなたは、何者なの?」

「何!? この俺のことを知らないだと? いいだろう、教えてやる」

 黒衣のマントを翻し、カラス人間? は言った。

「闇の国ディープダークの幹部、マルファス様だ! 覚えておくがいい!」

 ……やっぱり、特撮番組の撮影だろう。

 どこにカメラはあるのだろうか。

 っていうか、番組と関係のない天音が出演者とこうして話すのはまずいのでは。

「……何を探している?」

「いえ、あの……良いんですか? 私と話していて。スタッフに怒られますよ」

 未だに現れないスタッフの影に怯えながら、一応忠告しておいた。

 後で怒られたとき、言い訳はさせてもらおう。

「貴様……馬鹿にしているのか?」

 そう言ってわなわなと体を震わせながらカラス人間――ではなく、マルファスは懐から藁人形を取り出した。

「見るがいいディープダークの力を!」 

 そう言うと、藁人形を強く握り締めた。

 すると、マルファスの全身が黒い霧のようなもので覆われ、その黒い霧が徐々に藁人形へと流れていく。

 最新の特撮技術って、CGを使わなくてもこんなことまでできるのだろうか。

 そう思って見ていると、黒い霧に包まれた藁人形がグニャグニャと形を変える。

 ……嫌な汗が背中を流れるのがわかった。

 これは、もしかして、特撮番組なんかじゃない……?

 元々は掌サイズだった藁人形が、天音の倍はあるんじゃないかと思われるくらい巨大なばい菌の化け物に変わった。

「それが貴様の心配の種らしいな。行け! カースドール! 人々の心を闇に染めるのだ!」

 ばい菌の化け物は、天音に飛びかかってきた。

 さすがに、これで逃げないほど危機感が無いわけでは無い。

 っていうか、これはもはや特撮番組などでは無い。もちろん、夢でもない。

 ここは間違いなく――異世界だ!

「グゲゲッ!」

「きゃあ!」

 最初の一撃こそ避けたが、振り払われた手に天音の鞄が引っかかって奪われてしまった。

 まずい。あの鞄にはリンデート王国の人たちを救うための薬がたくさんつまっている。

 それをこんなわけのわからない連中に奪われるわけにはいかない。

「返して!」

 相手が本物の化け物だとわかっても、恐怖心より薬を取り戻すことの方が優先された。

 ばい菌の化け物の前に立ち塞がる。

「グガアッ!」

 その事に怒ったのか、ばい菌の化け物は鞄を持っていない方の手で殴りつけてきた。

 思わず体が避ける。

 ばい菌の化け物の拳は重い風斬り音を立てながら天音の横の地面を抉った。

 アスファルトは割れ、地面がむき出しになる。

 まともに受けたら、天音の体はバラバラになってしまうかも知れない。

 ……心がすくむ。

 ここが異世界なら『異世界跳躍』をすれば逃げられる。

 しかし、もう一度あの薬を自分の世界で同じだけ用意するのは簡単ではない。

 なんとしてでも、取り戻さなければならない。

 クルスさんや、死んでしまったクヴィスタを思い出す。

 あの国で苦しんでいる人たちを助けたい。その想いだけで、天音は心を奮い立たせるしかない。

「返してよ!」

 天音の叫び声が虚しく響く。

 ばい菌の化け物は天音から奪った鞄をマルファスに渡した。

「返せと言われて、返すと思うか? そう言われたら余計に返したくなくなるのが俺たちの性分だからなぁ」

 ニヤニヤと笑うマルファスに、天音は歯ぎしりするしかなかった。

 特別な能力を持っていても、天音自身は特別な人間ではない。

 ごく普通の女子高生に過ぎなかった。

「……それは、別にあなたたちが持っていても特に意味がある物じゃないわ」

 力尽くでどうにかできる相手ではない。それなら、交渉するしかなかった。

 幸い、言葉は通じるし。

「……それはお前が決めることじゃない。俺が決めることだ」

「――あ!」

 マルファスは天音の言葉に耳を貸すことはなく、鞄を開けた。

「なんだこりゃ? 風邪薬? それもこんなに?」

「だ、だから言ったでしょ。それは本当にただの風邪薬よ。そこら辺の薬局にいくらでも売ってるわ。だから、私からそれっぽっち奪う意味なんてないのよ」

「確かに、意味がある物じゃなさそうだな……」

 鞄のチャックを閉めたので、返してくれるのかと思った。

「大事そうにしていやがったから、たいそう価値がある物かと思いきや、ただの風邪薬だもんなぁ……」

「そ、そうよ。だから……」

「風邪薬には確かにそれほどの価値は無い。だがな、貴様が大事にしている物には壊すだけの価値がある」

「まさか――」

 天音が気付いたことに、マルファスは満足そうに笑みを浮かべた。

「止めて!」

「こいつを壊せば、お前の心は闇に染まるのかもな!」

 そう言って、天音の鞄を空へ投げた。

「やれ! カースドール!」

「グギャギャギャ!」

 ばい菌の化け物が笑いながら、放り投げられた天音の鞄めがけて飛び上がる。

 ――ダメだ!

 鞄とばい菌の化け物が衝突する。

 わかっていても、何もできない。目を逸らすこともできなかった。

 だから――鞄が避けるようにして横に移動した瞬間を見逃さなかった。

 ばい菌の化け物は体勢を崩しながら地上へ降りてくる。

「き、貴様は……!?」

 マルファスが苦虫を噛みつぶしたような表情をさせた。

 鞄は、もちろん勝手に移動したわけではない。

 横から飛んできた何かが――いや、杖のような物にまたがった人間? が飛んできて横からかすめ取ったのだ。

 疑問に思ったのは、本当に人間なのかと言うこと。

 目の前に怪人がいるから、余計に不信感を抱いていた。

 何しろ、空を飛ぶ人間なんて信じられなかったから。

 天音の鞄を救ってくれた空飛ぶ人間は流れるように空を旋回して天音の前に降り立った。

「これ、大事な物なんでしょ。無事に済んでよかったわ」

 そう言って鞄を差し出したのは、少女だった。

 マジマジと確認してしまうのは、その少女の格好があまりにこう――この場の雰囲気にそぐわなかったから。

 背は天音よりも小さい。

 年は恐らく、中学生くらいだろう。

 くりくりとした瞳が愛らしい。

 髪は真っ赤でピンクの大きなリボンでポニーテールにしている。

 服装はピンクのフリフリドレス。スカートが短いから動き回ったらパンツが見えてしまいそうだが、赤いスパッツを穿いていた。

 胸には赤いリボン。それと同じデザインがブーツの足首辺りにもあしらわれている。

 なんて言うか……まるでコスプレのよう。

「あ、ありがとう。あの……ところであなたは?」

「え? 私のこと知らないのー?」

 少女は「コホン」と咳払いをしてから、杖をくるくると回しポーズを取り始めた。

「未来を導く光――魔法少女シャイニーグリム!」

 天音に杖を向けてウィンクを一つ。

 その姿が可愛らしいことは十分伝わってはいるが、気が抜ける。

 まるで、元の世界で見たアニメのようだった。

 でも、あの怪人たちが本物であるように、この少女も本物の魔法少女なのだろう。


 ここは――魔法少女が存在する異世界だ。


「おのれシャイニーグリムめ。今日こそ貴様を葬ってやる!」

 ……やっぱり、どこかにカメラがないのかな、と探してしまいたくなる。

 アニメとかであまりに見慣れている世界なせいか、言っていることももはやセリフにしか聞こえない。

 さっきまでの緊張感は全くなくなってしまった。

「それはこっちのセリフ! あなたは隠れてて、ちょっと危ないから」

 シャイニーグリムはそう言ってばい菌の化け物の前に立つ。

 天音は一応、駅舎の太い柱の陰に隠れた。

 ばい菌の化け物が襲いかかる。

 シャイニーグリムはばい菌の化け物の攻撃を紙一重のところで躱していた。

 あしらっている姿から、随分と力に差があるように見える。

「危ないなぁ。あんなやつもっと簡単に倒せるんだから、遊ばなくても良いのに」

 天音の頭の上から声が聞こえてきた。

 見上げると、そこには見たこともない生き物が飛んでいた。

 いや、生き物と言っていいものか。

 まるでぬいぐるみだった。

 雪だるまのように丸々とした頭と体。背中には小さな羽根が映えていて、それがパタパタと動いている。

 思わず手を伸ばすと、柔らかな感触が優しく手を包み込む。

「うわっ! 急に何するんだ!?」

 天音の腕の中でぬいぐるみのような何かが抗議した。手をジタバタさせて逃げようとする。

「あなたも、あの魔法少女の知り合いなの?」

「当たり前だろ。僕は光の妖精ティンクル。彼女をシャイニーグリムとして目覚めさせたんだ……っていうか、なんで君には僕が見えるんだ?」

 異世界の人間だからだろうか。

 そう思ったけど、何となくそのことを話す気にはならなかった。

「ハッ!」

 シャイニーグリムの声にティンクルの視線が向く。天音もそちらを見ると、彼女はばい菌の化け物と距離を取っていた。

「シャイニングロッド、ステージワン!」

 シャイニーグリムの声が響くと、彼女の手にした杖が淡い光に包まれる。

 そして、杖は弓矢へと変化した。

「闇を撃ち抜く一筋の光、シャイニングアロー!!」

「グゲゲゲッ!?」

 掛け声と共に放たれた光の矢が、逃げるばい菌の化け物を追いかける。

 物陰に隠れようとしたばい菌の化け物を横から光の矢が貫いた。

「ギャアアアアアアア!!」

 断末魔と共に光に包まれたばい菌の化け物は、光の中で元の藁人形へと戻っていった。

「ば、馬鹿な!? 一撃だと!?」

「次はあなたの番よ」

 そういったときには、すでにシャイニーグリムの杖は元の形に戻っていた。

「クソがっ!」

 マルファスはマントを翻し、翼を出した。

 そして、シャイニーグリムに向かって飛びかかる。

 彼女は杖にまたがって空へと逃げた。

 マルファスは追撃するのかと思いきや、そのままシャイニーグリムと距離を取る。

「逃がさない! シャイニングロッド、ステージスリー!」

 地上へ降りたシャイニーグリムが叫ぶ。

 今度は杖の先が二股に分かれて槍のような形になる。

 その真ん中には杖の宝石が浮いていた。

 杖を両手で持ち、二股に分かれた先をマルファスに向ける。

「未来に届く一条の光! シャイニング……バスター!!」

 宝石の部分に光が集まる。

 それは辺りが夜だというのにまるで昼間のような輝きを放っていた。

 やがて光が全て宝石に飲み込まれると、空に向かって一気に解き放たれる。

「ぐおああああああああ!!」

 それはマルファスを飲み込み、空の彼方へと吸い込まれていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る