episode56 エリサの連れ
街を出た後は道に沿って歩き始めた。
辺りを見渡すと、雨粒の残った草原が陽光を反射して光り輝いていた。この地域は雨があまり降らないので、景色がいつもと違っているような感じがして新鮮だ。
「ミストグリフォンを呼び出さなくても良いのか?」
歩き始めたは良いものの、ミストグリフォンを呼び出せばわざわざ歩く必要も無い。
「あまり人に見られると面倒だから、街から離れてから呼ぶわ。それまでは歩きよ」
「そうか。それで、どこまで歩くんだ?」
「近くの森までは歩くわ。ついでにそこで彼女が待っているから、そこで合流して一緒に帰るわ」
彼女というのは連れだと言っていた人物のことだろう。
今のところ一度も姿を見せていないが、今回こそはその姿を見せてくれるのだろうか。少し気になるところだ。
「ところで、エリサの住んでいるところはどこなんだ?」
エリサのところで世話になるのは良いが、彼女の住んでいる場所をまだ聞いていない。
なので、ここでそのことを聞いておくことにする。
「東の方よ」
しかし、返って来た答えはかなりざっくりとしたものだった。
「そう言われてもだな……」
これだとどこなのかがさっぱり分からない。
「行けば分かることよ」
「それはそうだが……」
確かに、それはそうなのだが、そういうことではない。
「さっさと行くわよ」
「おい、待て……」
すぐにエリサを止めようとしたが、早歩きで先に行ってしまった。
どうやら、俺の質問に答える気は無いらしい。
「……置いて行かれないように急ぐぞ」
「分かったよ」
そして、エリサを追って駆け足で近くの森まで向かった。
「……どこまで行くんだ?」
森に入ってから十分ほどが経過した。今のところ人の気配は無く、視線も感じられない。
「そろそろのはずよ。……来たわね」
「む?」
そう言われて周りに注意を向けてみると、何かの気配が近付いて来ているのが分かった。
この気配は間違い無い。エリサが連れだと言っていた人物だ。
「言い忘れていたけど、驚かないでね」
「……? それはどういう……」
その意味が理解できず聞き返そうとしたが、俺が言い切る前に彼女は不敵な笑いを浮かべながら木々の間から現れた。
「来たようじゃな……ニシシ……」
「っ!?」
その姿を見てすぐに短剣に手を据えて警戒する。
「大丈夫よ」
だが、それを制止するかのようにエリサが俺の前に左手をばっと伸ばした。
「…………」
確かに、敵意は無いようなので大丈夫そうだ。短剣から手を離して警戒を解く。
そして、改めて彼女のその姿を見て回す。
「悪魔か……」
エリサの連れだと言っていた人物(?)は悪魔だった。
筋肉質の体躯は赤黒い皮膚に覆われている。黒い
また、こちらを見る眼光は鋭く、それだけで威圧されてしまいそうなほどだ。
「悪魔を見るのは初めてのようじゃな」
「ああ」
悪魔はかなり高位な魔物で、数が少ないので目撃されることは少ない。戦闘能力は個体によってかなりの差があり、冒険者ランクで言うとBランクからAランク推奨だったはずだ。
それはそうと、そんなこととは関係無く気になることが一つ。
「その手袋は何なんだ?」
悪魔は何故か手袋をしていた。手袋は薄手の皮製だが、指の部分は金属製だ。
「これか? これが無いと不便じゃから着けているだけじゃ」
「不便?」
「ああ、そうじゃ」
そう言うと、悪魔は着けている手袋を取った。
「……鋭いな」
すると、そこには黒い鋭い爪があった。陽光が当たってその爪が黒く輝く。
「簡単に物が斬れそうだね」
シオンがその爪を興味深そうに見ながら言う。
「そうじゃの」
そう言うと、悪魔は近くにあった木に向かって薙ぎ払うように爪を横に振った。
すると、その木が切断されてゆっくりと倒れた。
「……かなりの切れ味だな」
「そうじゃろう? ニシシ……」
俺にはそのつもりは無かったのだが、その一言を賞賛と取ったらしく彼女は気分を良くした。
「無駄に鋭いからそれを着けていないと危ないのよね」
「無駄にとは何じゃ! 無駄にとは!」
悪魔は手袋を着け直してからエリサの肩を掴んで前後に揺さぶる。
「……仲が良いみたいだな」
「だね」
悪魔と言うともっとヤバそうなのを想像していたが、彼女の場合はそうでは無さそうだった。何と言うか子供っぽいという印象だ。
そして、落ち着いたところで改めて挨拶をする。
「これからしばらくの間世話になる。えっと……?」
名前を呼ぼうとしたところで気付いたが、まだ彼女の名前を聞いていなかった。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったの。妾の名はフェルメットじゃ。覚えておくが
「フェルメットか。しばらく世話になる」
「よろしくね、フェルメット」
「ニシシ……歓迎するぞえ」
そう言うと、その場で少し浮いてからくるりと横に一回転して、空中に浮いたまま腕と足を組んだ。
どうやら、かなり気分が良いらしい。
「……どうした、シオン?」
ここで何故かは知らないがシオンがフェルメットの様子を気にしているようだった。
「いや、ちょっとね」
そう言うとフェルメットを見て頭頂部から足下へとゆっくりと視線を動かした。
そして、それが終わったところで今度は逆に足下から頭頂部へとゆっくりと視線を動かす。
「どうしたのじゃ?」
フェルメットもその様子に気付いて何用かを尋ねる。
「何と言うか……むぐっ!?」
シオンが何かを言おうとしたが、エリサが口を押さえてそれを止めた。
そして、そのままの状態でシオンを連れて離れて小声で何かを話し始めた。
何を話しているのかが気になるので、そこに集中的に意識を向けて会話の内容を聞き取ってみる。
「……今彼女のことを小さいって言おうとしなかった?」
「そうだけど?」
見たところ、フェルメットの身長は角を除くと百三十センチメートルほどで、確かに小さい。
「彼女に対してそれだけは禁句よ」
「そうなの?」
「ええ。うっかり口にしたら命の保証はできないから気を付けて」
「……分かったよ」
どうやら、フェルメットに対してそれだけは禁句らしい。俺も気を付けないとな。
「二人とも何の話をしておるのじゃ? 妾にも聞かせるのじゃ!」
フェルメットが興味津々な様子で宙に浮いたまま二人に近付く。
「何でも無いわ。少々話し込んじゃったしそろそろ行くわよ」
そう言うと、エリサはすぐさまミストグリフォンを呼び出した。
「キィィーーッ!」
魔法陣から元気良く飛び出したミストグリフォンはインサイドループで一回転した後着地した。
「今日もお願いね」
「キィッ♪」
ミストグリフォンは翼をバサバサッと二回はためかせて、嬉しそうな鳴き声を上げる。改めて見てみると、意外と愛らしいな。
「二人とも乗って。行くわよ」
「分かった」
「分かったよ」
そして、エリサに続いてミストグリフォンに乗った。
「フェルメットは良いのか?」
「妾は飛べるからの。乗る必要は無い」
「そうか」
「それじゃあ行くわよ」
「ああ」
そして、エリサがミストグリフォンに指示を出すと垂直に上昇した。あっという間にかなりの高度にまで達する。
「今回は飛ばすから、振り落とされないようにしっかりと掴まっていてくれるかしら?」
「分かった」
「分かったよ」
そして、言われた通りに鞍の取っ手をしっかりと掴むと、その直後にとてつもない速度で発進した。
「おわっと!?」
「うわっ!?」
想定を遥かに超える速度に驚きの声を上げる。
「……大丈夫?」
「ああ」
想定外の速度ではあるが、振り落とされるほどでは無いので問題無い。
と言うより、明らかに速度の割には風が弱い。
「速度の割には風が弱い気がするのは気のせいか?」
「いえ、気のせいではないわよ。結界を張って風を弱めているわ」
「そうだったのか」
それで風が弱かったのか。
「ねえねえ、結界で風を完全には遮断できないの?」
と、ここでシオンがそんなことを言い出した。
確かに、シオンの言う通りそうできれば楽になるのだが……。
「一応できるけど、そうすると風の流れが悪くなって飛行速度が落ちるのよ」
「そうなんだ」
残念ながらそう都合良くは行かないようだ。
まあこのぐらいの風であれば振り落とされることは無いので問題は無いだろう。
「聞きたいことはそれだけかしら?」
「ああ」
そして、そのまま上空から地上の景色を眺めながら到着するのを待った。
「……さて、そろそろ警戒する必要があるわね」
それから一時間半ほどが経過したところで、エリサが呟くようにそう言った。
「警戒? 何をだ?」
今のところ特に何も起きておらず平和そのものだが、この先に何かあるのだろうか。
「すぐに分かるわ。もうじき見えてくるはずよ」
そう言われて前方を見ていると、遠くの方が白く霞んでいるのが確認できた。
「あれは霧か?」
「ええ、そうよ」
やはり、思った通り霧のようだ。
だが、気になったのはそこではない。俺が気になったのはエリサが霧が発生していることを分かっていたかのように言ったことだ。
(この霧は常に発生している?)
仮にそうだとすれば霧が発生していたことが分かっていたことにも納得できる。
と、ここまで考えたところで一つの可能性に行き着いた。
「この先は特殊魔力地帯か?」
この国の東側には特殊な霧が発生する特殊魔力地帯があったはずだ。
盗賊を討伐しに行くために乗せてもらったときに掛かった時間と、そのときにエリサが言っていたことから察するに、今回は余裕で時速三百キロメートルは超える速度は出ている。
なので、飛行時間から察するに国の東端にまで来ていてもおかしくない。
「そうよ」
思った通り、この先は特殊魔力地帯のようだ。
それは分かったのだが……。
「大丈夫なのか? 特殊魔力地帯はかなり危険な場所と聞いたが」
特殊魔力地帯はかなり危険な場所で、基本的には立ち入り禁止の場所だ。
別に強制では無く、何か罰則があるわけでも無いが、立ち入れば命の保証はできないとのことだったはずだ。
「そうね。この先にいる魔物はそれなりに強いわ。それに、飛行する魔物も多いからここまでのようにこのまま飛んで行けば安全というわけでもないわね」
「……改めて聞くが、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。私もある程度戦えるし、何よりフェルメットがいるから問題無いわ」
フェルメットの戦闘能力がどの程度なのかは不明だが、仮にも悪魔なのでそれなりの実力はあるのだろう。
「ねえねえ。強い魔物がいるって言うけど、例えばどんな魔物がいるの?」
シオンが興味本位にエリサに魔物について尋ねる。
「魔物は色々といるけどそうね……昼間に出現するのは飛行する魔物だとミストグリフォンやワイバーン、クリスタドラゴンがメインね。全部の魔物を挙げるのは面倒だから、暇なときに各自で調べると良いわ」
「そうなんだ」
聞いている感じからすると、最低でもBランク冒険者クラス、できればAランククラスの実力は欲しいといったところか。
「他に聞きたいことはある?」
「俺は特に無いな。シオンはどうだ?」
「ボクも特に無いよ」
「そう、分かったわ。比較的安全なルートを通るから高めに飛んだり、低空飛行したりもするから振り落とされないように気を付けると良いわ」
「分かった」
「分かったよ」
忠告通りに今までよりも強めに力を入れて鞍に掴まる。
「それじゃあ頼んだわよ、フェルメット」
「ああ。妾に任せておくが
そして、周囲への警戒を強めながら特殊魔力地帯へと突入した。
特殊魔力地帯に突入してから三十分ほどが経過した。今は地表すれすれを低空飛行しているところだ。
「意外と視界は悪くないんだな」
霧はそんなに濃くはないので視界にあまり影響は無く、意外と遠くまで見渡すことができた。
そのおかげで今のところは魔物を避けながら進むことができている。
「そうね。まあこの霧の厄介なところは視界を遮られることではないのだけど」
「確か、魔力の流れを乱すような効果があって、魔力のコントロールがしにくくなるんだったよな?」
この話は以前に聞いたことがあるので知っている。
「そうよ。折角なら試してみる?」
「……良いのか?」
放った魔法のせいで見付かると面倒なことになるが、大丈夫なのだろうか。
「大丈夫よ。どうせあなた達の場合だとまともに魔法が発動できないでしょうから」
「む……。流石にそこまでではないと思うぞ?」
試しに魔法を行使しようと詠唱して魔力を集約させる。いや、させようとした。
「む……」
しかし、魔力のコントロールがうまく行かず、術式が霧散してしまった。
「思った通り、上手く行かなかったようね」
「…………」
もう一度試してみるが、結果は同じだった。
何と言うか、魔力を流そうとしても真っ直ぐと流れてくれないといったような感じだ。
「まあ普通はそんなものね。多分、魔力強化すらうまく行かないんじゃないかしら?」
そう言われて試しに魔力を纏って魔力強化をしようとしてみるが、それすらもうまく行かなかった。
どうやら、思ったよりも霧による影響が大きいらしい。
「むぅ……ホントだね」
シオンも試したようだが、俺と同様にうまく行かなかったらしい。
「エリサは大丈夫なのか?」
「私達は大丈夫よ。現に結界を維持しているでしょう?」
確かに、風を抑えるための結界は特殊魔力地帯に入ってからも維持したままだ。
そのおかげで風のことを気にせずに進むことができている。
そもそも、特殊魔力地帯に入ってからは速度を落としているというのもあるが。
「どうやったらこの霧の中でも魔法を使えるようになるの?」
「魔力のコントロールの精度を上げれば普通に使えるようになるわ」
「そうなんだ」
魔力のコントロールの精度、か。結局、それが何かと重要になることが多いので、やはり集中的に魔力のコントロールの練習をするのが良さそうだな。
「……右じゃ」
と、ここで突然フェルメットがそんなことを言い出した。
そして、何かと思って右方向を見ると、上空に何かの影が見えた。
「あれは……何だ?」
何かがいることは確かなのだが、それが何なのかまでは分からない。
「っ! 掴まって!」
それを見てエリサが声を上げて指示を出す。
俺達はそれを受けてすぐに指示通りに鞍に強く掴まる。
すると、その直後にミストグリフォンが急上昇して、先程までいた場所が大きな音を立てて爆発した。
「うわっ!? なになに!?」
シオンが慌てた様子で声を上げる。
「ワイバーンの雷魔法による雷撃よ」
どうやら、今のはワイバーンの魔法によるものらしい。
爆発した場所を見てみると地面が軽く凹んでいて、雷撃が直撃した三メートルほどの大きさの岩は跡形も無く消え去っていた。
「とてつもなく弾速が速い上にこの威力か……」
弾速はほとんど見えないほどの速度で、威力も相当なものだ。直撃すれば下手すると塵すら残らないだろう。
「私が防ぐから大丈夫よ。……フェルメット!」
「分かっておる。妾に任せるが
そう言ってフェルメットが空間魔法で鎌を取り出して俺達の前に出る。
その直後、上空にいたワイバーンがフェルメットに向けて急降下して来た。
「おわっ!?」
「うわわっ!?」
すると、爆音と共に突風が巻き起こり、砂埃が上がった。
そして、辺りに静寂が訪れる。
「……終わったぞえ」
ここで静寂を破るように砂埃の中からフェルメットの声がした。
砂埃が晴れると、そこには真っ二つに切断されたワイバーンの死体があった。
どうやら、すれ違い様に一撃で倒したようだ。
「……あれを一撃で倒したのか」
「当然じゃ。この程度の奴に遅れなど取らぬぞ? ニシシ……」
何が起こったのかは分からなかったが、フェルメットはかなり余裕そうだ。
「他の魔物に見つからない内にさっさと行くわよ」
「そうだな」
今の戦闘音で他の魔物が集まってくる可能性もあるので、急いでこの場を離れた方が良いだろう。
そして、ワイバーンの死体を空間魔法で片付けて先を急いだ。
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