episode43 温かな今

「む……」


 意識を取り戻してから最初に目に入ったのは見覚えのある天井だった。

 この世界に来てから毎朝見て来た光景なので間違い無い。ここはルミナの店だ。

 意識を失ってからどうなったのかは分からないが、どうやら無事に戻って来れたらしい。


 ひとまず、今の状況を確認してみる。

 今の俺はベッドで寝ている状態のようだ。部屋を見渡してみるが、あるのは左隣にベッドが一つと棚が一つあるだけだ。

 見たところ、空き部屋だった部屋にベッドと棚を設置しただけのようだ。

 そして、そのベッドにはシオンが眠っていた。


「っ! シオン……痛っ……」


 シオンの様子を確認するために起き上がろうとしたが、そのとき全身に痛みが走った。

 あれからどのぐらいの時間が経ったのかは分からないが、どうやら傷はまだ癒えていないらしい。


 ここで自分の姿を確認してみると、右腕を除いた上半身にはしっかりと包帯が巻かれていた。

 この様子だと起き上がることすらできなさそうだ。


 と、そんなことを考えていたところで廊下の方から足音が聞こえて来た。

 そして、その足音が部屋の前まで来たところで勢い良く部屋の扉が開け放たれた。


「目覚めたのね」


 現れたのはルミナだった。そのままこちらに歩いて来て、俺が寝ているベッドの前で屈み込む。

 そして、その右手で俺の頭を優しく撫でて来た。


「運ばれて来たときはどうなるかと思ったけど、何とかなって良かったわ」


 どうやら、俺が目覚めたことに安堵しているようだ。


「悪いな。迷惑を掛けて」

「それぐらいは良いのよ」


 ルミナはそう言って俺のことを優しく抱いて来る。

 それは良いのだが……。


「痛いので離してくれると助かるのだが。特にその……な」


 俺はそう言ってそっとルミナの胸に目線を向ける。

 まだ傷は癒えていないので、触られるだけで身体が痛む。

 特に乗せられている豊満な胸が地味に重く、乗せられているところがかなり痛む。


「あら、悪かったわね」


 そう言うと、ルミナはその胸を退かしてベッドの上に置いた。

 そして、最初と同じように頭を優しく撫でて来る。


 と、そんなことをしていると、部屋の外から慌ただしい足音が近付いて来た。


「ルミナさん、意識が戻ったって……うわっ!」


 急いだ様子で現れたのはミィナだった。

 急いでいたせいで足元が疎かになっていたのか、部屋の入り口で躓いて勢い良く転んでしまう。


「慌てる必要なんて無いのに急ぐからよ」


 続けてリーサも部屋に入って来る。


「派手に転んだわね。大丈夫?」


 ルミナがミィナの方を向いて尋ねる。


「あたしは大丈夫だよ」


 すぐに起き上がってこちらにやって来る。どうやら、無事なようだ。


「もう……心配したんだからね」


 不安そうな様子で目に涙を浮かべながら俺の左腕に強く抱き付いて来る。


「悪かったな」


 ミィナの頭にそっと右手を乗せて、そのまま優しく撫でる。

 すると、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


「落ち着いたか?」

「うん」


 どうやら、だいぶ落ち着いたようだ。


「とりあえず、抱き付くのなら右腕にして欲しいのだが」


 左腕はまだ治っていないので、触られるとかなり痛む。


「あっ、ごめん。痛かった?」


 そう言うと、ミィナはすぐに俺の左腕から手を離した。


「このぐらいは大丈夫だ。気にしないでくれ」


 かなり痛かったが、まあ別に良いだろう。

 と、そんなことをしているとリーサがベッドの前まで歩いて来ていた。


「全く……しぶとく生き残ったみたいね」


 リーサはこちらを見下ろしながら刺すような言い方で言う。こんなときでも相変わらずだな。


「ちょっとリーサ!」


 ミィナがばっとリーサの方を向いて少し怒った様子で声を上げる。


「リーサ、冗談でもそういうことを言うのは止めなさい」


 ルミナが真剣な様子で注意する。


「それに、運び込まれて来たときはあんなに心配そうにしていたじゃない」

「そうなのか?」


 あまりそういう姿は想像できないが、本当なのだろうか。


「別にそうでも無いわよ」


 そう聞かれてリーサはぷいと横を向きながら答える。分かりやすい反応だな。


「もう少し素直になってみたらどうだ?」

「うるさいわね」


 リーサはそう言って腹のあたりを叩いて来る。


「痛ああぁぁーーー!?」


 触られただけで痛むというのに、強い力で叩かれたので激痛が走った。


「大丈夫!?」


 ミィナが心配そうにしながら聞いて来る。


「……あまり大丈夫では無いかもしれない」

「わーー! 死なないでぇぇーーー!」


 もうミィナは大騒ぎだ。そこまで騒がなくても……。


「リーサ、彼は重傷なんだから扱いには気を付けなさい」

「分かったわよ」


 リーサはそう言って素直に了承する。

 彼女はこんな性格だが、基本的にルミナの言うことは聞くからな。これでもう大丈夫だろう。


「そんなことより、シオンは大丈夫なのか?」


 一番気になるのはシオンの容体だ。ルミナにシオンの様子を聞いてみる。


「シオンはあなたより軽傷だし、傷もだいぶ癒えたから大丈夫よ。まだ意識は取り戻していないけど、それも時間の問題ね」

「そうか」


 どうやら、シオンの方は大丈夫のようだ。それを聞いて胸を撫で下ろす。


「来たみたいね」


 ルミナは脈絡も無くそう言うと、部屋のカーテンを開けて窓を開けた。


「どうしたんだ?」


 誰かが来たのだろうか。だが、そうだとすると普通は出迎えに行くだろう。

 窓を開けるという行動を取る理由が分からないので、その理由を聞いてみる。


「すぐに分かるわ。ミィナ、リーサ、窓から離れてて」


 すぐに分かる、か。ミィナとリーサの二人に窓から離れるように言っているがまさかな。

 一つの考えが思い浮かんだが、すぐにそれを否定する。


「どうしたんですか?」

「よく分からないけど、そうさせてもらうわ」


 どうやら、二人も何が起こるのか分かっていないようだ。


 そして、ルミナに言われるまま二人が窓から離れたそのとき、窓から何かが投げ込まれた。それも二つ。

 さらに、それに続いて窓から勢い良く何かが飛び込んで来た。


 どうやら、まさかそんなことは無いだろうと思っていたことが起こってしまったらしい。


「着いたにゃ!」


 そう言って飛び込んで来たのは二十歳前後と思われる女性だった。

 バイオレット色の狼のような耳と尻尾を持っているので、獣人ビーストと見て間違い無いだろう。

 二分の一丈のトップスにショートショーツという軽装で、バイオレット色のショートヘアにグレー色の瞳をしている。


 それは良いのだが気になることが一つ。


(……にゃ?)


 その女性を改めて見てみるが、その耳と尻尾はどう見ても狼のもので猫のものではない。

 別に語尾に何を付けるかなんて個人に自由なので気に留める必要は無いのだろうが、少し気にしてしまう。


「アーニャ、流石に物みたいに投げ込むのはどうかと思うのだけど」


 そう言って起き上がったのはメイルーンだった。服に付いた埃を落とそうと裾のあたりを手で払っている。

 どうやら、最初に投げ込まれたのは彼女だったようだ。


「全く……いつものこととは言え、付き合わされる方の身にもなって欲しいな」


 そう言って立ち上がったのは見覚えの無い黒髪の男性だった。

 どうやら、彼もメイルーンと一緒に投げ込まれていたらしい。

 暗い青色の瞳をしていて、歳は二十代だろうか。グレーのロングパンツにポーチのような形状のポケットがたくさん付いたトップスを着ていて、そのポケットにはポーションと思われるガラス容器が入っている。

 そして、その上から内側に刻印術式の刻まれた白衣のようなものを羽織っていて、その風貌は医者を思わせる。


「大丈夫か? メイルーンさんに……ええっと?」


 メイルーンはもちろん分かるのだが、他の二人のことは面識が無いので分からない。


「彼はレイモンよ。うちのパーティメンバーの一人ね」


 どうやら、彼が話に聞いていたレイモンらしい。


「私はレイモン。レイモン・サックだ。『新緑を繋ぐ意思オリジンガーディア』ではメインのヒーラーをしている」


 レイモンが軽く自己紹介をする。


「彼が治療をしていなかったら二人とも危なかったわね。私も後から治療に加わったけど、彼が居なかったら手遅れになっていた可能性が高いわ」


 やはり、あのとき話し掛けて来た人物はレイモンだったようだ。


「そうなのか。礼を言う」

「当然のことをしたまでだ。そこまで畏まらないでくれ」


 それに対してレイモンは謙遜気味だ。


「あの後どうなったのかを聞いておきたいのだが良いか?」


 レイモンに話し掛けられた後は意識を失ってしまったので、あの後どうなったのかは分からない。

 なので、そのことをメイルーンに聞いてみる。


「そうね……レイモン、私が合流するまでのことを説明してもらっても良いかしら?」

「分かった。合流地点近くまで来たところでアーニャが突然急ぐと言い出してな。それで、馬車を飛び出して問答無用で連れて行かれた先で二人を見付けたといった感じだ」

「問答無用で連れて行かれたって、どんな感じにだ?」


 問答無用で連れて行かれたと言われても想像がつかないので、聞き返してみる。


「私を担ぎ上げて数キロメートルほど跳んで移動しただけだ」

「そ、そうなのか……」


 人を担いで数キロメートルも移動するよりも、普通に馬車で移動した方が速い気がするのだが……。

 まあアーニャはSランク冒険者らしいからな。恐らく、運動能力も桁違いなのだろう。


「それで、メイルーンさんが合流した後はどうだったんだ?」

「私が合流した後はできる限りの処置をしてから、急いで街まで戻ったわ。馬だと遅いから馬を荷台に乗せてアーニャに馬車を曳いてもらってね」

「……アーニャが馬車を曳いたのか?」


 言っていることが理解できなかったわけでは無いのだが、つい聞き返してしまう。


「ええ、そうよ」


 そもそも人力で馬車を曳くこと自体が簡単では無いのに、荷台に馬を乗せた上で馬よりも速く走れるのか……。


「街まで休むこと無く馬車が壊れない程度の速度に抑えて曳いてくれたから、夕方には街に着いたわね」

「え? いや、ん……?」


 まず、街まで休むこと無く曳いたという時点で体力がおかしい。と言うより、最早、別次元だ。

 そして、俺達がレッサーワイバーンと戦闘していたのはちょうど正午頃だった。

 つまり、普通に馬が曳いても一日掛かる距離を四、五時間程度で移動したということになる。

 さらに、馬車が壊れない程度に速度を落としていたと言うことは、出そうと思えばまだ速度を出せたということだ。


「……大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」


 軽く混乱しかけたが、もう整理はついたので大丈夫だ。

 そして、話を理解した上で一つ質問をする。


「Sランク冒険者はこれぐらいが普通なのか?」


 他のSランク冒険者のことは知らないので、Sランク冒険者にとってはこれが普通なのかアーニャが特別なのかが分からない。


「いえ、アーニャが色々と規格外なだけよ」

「そうか」


 まあそれはそうか。このレベルが普通なわけがないよな。


「アーニャ、ちょっと良い……か?」


 俺達が助かったのは彼女の功績も大きい。

 なので、一言礼を言おうと彼女を呼ぼうとしたのだが……。


「ふにゃぁー」


 アーニャはいつの間にかシオンの寝ているベッドに潜り込んで、猫のように丸くなっていた。


「……アーニャさん?」

「にゃー?」


 アーニャはそう言ってこちらを向いて目線を合わせて来る。


「おかげで今回は助かった。礼を言う」

「にゃん♪」


 謝意を伝えるとシオンの寝ているベッドを飛び出して俺の寝ているベッドに潜り込んで来た。

 そして、猫のように丸くなって頬擦りをしてくる。


「ええっと……何をしているんだ?」


 聞いてみるも、そのまま無言で頬擦りを続けて来る。


「随分と懐かれちゃったみたいね」

「聞くがアーニャはいつもこんな感じなのか?」


 普段からこんな感じだと何かと苦労していそうだが、大丈夫なのだろうか。


「まあ大体いつもこんな感じよ」


 メイルーンは小さくため息をつきながら言う。

 どうやら、普段からこんな感じらしい。

 以前、一人で行動させるには性格的に問題があると言っていたが、確かにこの様子だと一人で行動させるわけにはいかなそうだな。


「色々と苦労しているんだな」

「そうね。純粋な戦闘能力で言えばルミナやエルナ、レイより高いぐらいだから、戦闘面では凄く助かっているのだけどね……」


 一応Sランク冒険者なのでそれに見合った戦闘能力はあるのだろう。

 それはそうとして少し気になることを言ったな。


「ルミナやエルナは元Bランクらしいし、アーニャの方が戦闘能力が高いのは当然のことではないのか?」


 レイルーンはアーニャと同じく元Sランク冒険者なので分かるが、元Bランク冒険者だというルミナやエルナが比較対象として挙げられる理由が分からない。


「確かに、ルミナもエルナもBランクだけど、かなりの実力があるわよ」

「そうなのか?」


 ちょうど本人がいるので直接真相を聞いてみる。


「さて、どうなのかしらね」


 しかし、適当にはぐらかされてしまった。


「そろそろお開きにしましょうか。『新緑を繋ぐ意思オリジンガーディア』のみんなは突然呼んで悪かったわね」

「いつも何かとお世話になってるし気にしないで。さて、もう帰りましょうか。二人とも行くわよ」


 そして、メイルーンはそう言い残して扉から部屋を出て行った。


「では私も行かせてもらう。アーニャも行くぞ」

「分かったにゃ」


 それに続いてレイモンとアーニャも部屋を後にする。


「行ったわね。とりあえず、まだ傷は癒えていないから、しばらくの間は安静にしていてね」

「分かった」

「私達は地下にいるから用があるときはこれを使って」


 ルミナはそう言って通信用の魔法道具を渡して来る。


「ミィナ、リーサ行くわよ」

「分かりました」

「分かったわ」


 そして、残った三人も部屋を出て行き、俺と未だに眠っているシオンだけが残された。

 先程まで賑やかだった部屋に静寂が広がる。


「……慣れないな」


 転生前はずっと一人だったのでこういう賑やかで温かな場には慣れていない。

 転生前は俺達のことを気にしてくれる人なんて誰もいなかったからな。

 まあそれも当然と言えば当然なのだが。


(色々と変わったな)


 転生して来てからは全てが変わった。

 だが、これからどうなるのかは分からない。このままここでのんびりと暮らしていくのか、それとも……。


(まあ考えても仕方無いか)


 未来のことなど誰にも分かりはしない。優しくされる度についこういうことを考えてしまうが、考えるだけ無駄だろう。

 そして、傷が癒えていない以上何もできることは無いので、そのまま静かに眠りに就いた。

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