方法

 天水なずなについて少し考えながら、自殺の方法を調べ続けていると、いつの間にか一時間半が経っていた。日暮はもう帰ってきて、調理を始めているだろうか。


 自殺の方法は、あまり迷惑をかけないよう、それと遺書に気付かれやすいように、首吊りをすることにした。少し苦しいかもしれないが、飛び降りだの飛び込みだのといった、交通などに影響の出る方法は、やめておく。それこそ、家族に多大な金銭面での迷惑を掛けてしまうから。


 パソコンの電源を落とし、折り畳んで閉じる。ふうと息を吐きながら、背もたれにもたれかかると、長年使ってきた椅子からキィと小さく甲高い音が鳴る。


 日暮に自殺のことは、夕飯の時に話すことにした。あまりいいタイミングとも思えないが、それ以外で日暮と会話する機会もあまりないため、やむを得ない。


 窓の外は、まだ赤かった。午後六時近くということもあり、大半は紺に占められているが、僅かな朱色がまだ終わっていないとでも主張するかのように、紺と対立して燃えていた。


「……終わってない、ね。終わってるよ、何もかも。すぐに終わる」


 数分後には、あの朱色は姿を消すだろう。つまり、夕方が終わる──なんとも、俺の人生が終わるかのようで、リアルタイムなものだ。


 そういえば、そろそろあいつが来る頃だろうか。一向にあいつの意図が分からないが、結局分からないまま終わるのだろう。


 思い返してみると、俺の今日までの人生は、ほぼ半分は涼と一緒にいた。


 小学校の入学式で出会い、それから毎日のように遊んで、同じ中学に入り同じ趣味を持ち、他の友達が出来ることもなく、二人でいつも一緒だった。高校も、難易度こそそれなりに高かれど、同じところに合格した。


 俺にとって、河内涼という存在は、切っても切り離すことなど到底できないのだろう。俺にとって、最初の友人であり、親友であり、既に家族のようなものでもあった。


 そして、俺はいつも、涼を引っ張っているようで、本当はただ寄りかかっていただけだったように思う。困った時はいつも涼が助けてくれて、嫌なことがあった時は傍にいてくれて、俺の我儘わがままにも溜息を零しながら付き合ってくれた。きっと、そんな涼がいたから、俺は今日まで楽しくやって来れたのだろう。


 今は、扉が完全に閉ざされ、鍵も閉められたかのように前に進むことができない。未来への扉も、心の扉も完全に閉ざされている。明かりが差し込む隙間すらない。


 でも、もうどうせ数日後には死んでいる。己の手で、己の命を絶つ。過去も、現在も、未来も全て無へと還るのだ。今更、何を気にしようか。


 それに、涼のいない人生など、きっと意味の無いものだ。あいつが俺の生きるかてであり、意味であり、道標みちしるべであり、支えだった。それらが全て亡くなった今、俺が生きていくことなど出来ようもない。


 ああ、もうすぐ死ぬと分かるのは──自分の手で死ぬということが分かっているのは、なんだか気分がいい。辛さから解放される、苦しみから逃れられる、後悔は残るだろうがそんなことも死んでしまえば記憶からも抹消される。清々しさすらある。


 どうしてだろう。今まで怖がっていたのが嘘みたいに、今は死を歓迎しているまである。病むところまで病んで、死を決意した人間の心情とは、このようなものなのだろうか。それとも、俺がおかしいのだろうか。


 もっと、後悔に、自責の念に、生への執着に苦しまされるものと思っていたのに、今はそんなもの残っていない。むしろ、何でも出来るんじゃないか、なんていう自信まで湧いてくる始末だ。死の淵に立つ時こそ、人の本性が出ると聞いたが、俺の本性はこういうものなのだろうか。


「はは……もうどうせ終わる人生だ。最期に、何かでかいことやってやろうか」


 無意識に呟いていたのに気付き、ハッとする。いつもの俺からは不自然なほどに吊り上がった口角を、頭を振ってさっきの思考を捨てると同時に引き絞る。


 なるほど、狂気的犯罪者というのはこういうものなのか。危うく、もうすぐで片足を踏み込むところだった。ここで無意味な犯罪を犯すなど、人としてあってはならない。


 俺はただでさえ、涼を殺してしまったも同義なものなのだ。これ以上罪を被っては、死んだ後にあいつに合わせる顔がない……死んだ後に会えるのかとか、合わせる顔があるのかとか分からないことは置いといて。


 夕飯までもうすぐだろう。することもなくなった俺は、椅子から立ち上がり部屋のドアノブに手をかける。


 内開きのドアを開き、廊下を渡り階段を下る。階段が終わると、すぐそこにリビングに入るスライドドアがある。左へと力を加えると、車輪がガラガラと音を立ててスライドして、扉が開く。


「あれ、珍しいね、お兄ちゃんが呼びに行く前に降りてくるの。もうちょっとで出来るよ」


 キッチンの方からパチパチと油の弾ける音と、日暮の声が聞こえてくる。


 もうすぐ俺は死んで、二度と話すこともなくなる。これまで迷惑ばかり掛けてきたのだから、最後くらい手伝いでもしようか。


「何か手伝うことあるか?」


「何、お兄ちゃんが率先してお手伝いって……明日嵐でも来るのかな」


「別にいいだろ、気分だ」


「それじゃあ、食器の準備とご飯盛って運んでくれる?」


「分かった」


 キッチンへと入り、頭上にある棚から唐揚げを置く用の大きめの皿と、茶碗を二皿取り出し、茶碗に炊飯器の中のご飯を注ぐ。


 大きめの皿を日暮の傍へと置き、「ありがとう」と返事を貰ってから、茶碗二つと箸二膳を食卓へと運ぶ。その後、コップを取り冷蔵庫から二リットルペットボトルに入ったお茶を、その中に注ぐ。これも食卓へ運ぶ。


 そうこうしているうちに、調理の音が止んでいた。食卓を囲むように置かれた椅子のうち、いつも使っているものに座ってしばらく待っていると、大皿を二つ持った日暮が横のものに座った。


「唐揚げ、おかわりもあるからね。サラダは簡単なもの」


 湯気をあげる唐揚げの大皿の横には、洗われたレタスとキュウリ、トマト、そしてアボカドも乗っていた。エプロンのポケットから和風ドレッシングを取り出し、机の上に置く。


「それじゃ、食べよっか。いただきます」


「……いただきます」


 合わせた手を離し、目の前の箸を手に取る。一番手前の唐揚げへと手を伸ばし、箸で掴む。そのまま口まで運んで、サクッと纏わりついた衣の音を立てながら、歯で半分に切る。


 ジュワッと肉汁が口の中に広がり、少し辛めの味付けがそれと混ざり合い、舌を少しピリピリさせる。何を入れているのか忘れたが、唐辛子のようなものが入っていた記憶がある。


「どう?」


「……うまいよ」


「そっかそっか、うまいか。それならよかった」


 安心したように笑顔を浮かべ、「私も食べよー」と箸で唐揚げを一つ取る。それを頬張り、はふはふと熱を逃がす。飲み込むと、「うん、うまい!」と小さく呟いた。


 日暮は、残りの欠片を口に放り込み、それを胃に落とすと、不意に俺の方に向いた。


「お兄ちゃんさ、最近痩せた?」


「そんなことはないと思うけど」


 鏡とか最近見てないから、正直分からない。ただ、最近の生活を鑑みると、痩せる要素は十分にあった気がする。


「そうかな。最近たまにご飯抜いてるし、痩せたと思うんだけどなあ……ちゃんと食べないと、元気出ないよ!」


「……そうだな」


 最近気分があまり良くなかったのも、これのせいやもしれない。しかし、もうどうでもいいのだ、そんな小さなことは。俺は、死ぬのだから。


 箸を置いて、日暮に向き直る。


「日暮、話がある」


 ちょうどのタイミングで齧った唐揚げもそのまま、日暮は動きを止めた。そして、流石にそのまま唐揚げを置くのははばかられたのか、口の中にあった部分を飲み込んで、


「何?」


 そう、俺の話を聞く姿勢へと切り替えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いきなり訪ねてきた謎の少女が、どうしてか必要以上に構ってくる flaiy @flaiy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ