奇行

 いきなり尋ねてきた天水さんと別れて、結局そのまま寝たきりで朝を迎えた。多分レトルトとか冷凍物だろうが、夕飯を食わずにそのままにしてしまった日暮には、悪いことをしたと思う。


 今日は月曜だ。天水さんはクラスメイトを名乗っていたし、今日は学校に行っているだろう。俺は、既にこんな時間だし元より行く気もないので、このまま部屋に居座る。


 そのつもりだったが、やはり夕飯も抜いて朝食も食わず、とっくに昼前だ。起きて数分もすれば、胃が収縮して空腹を訴えてくる。


「……飯食って、シャワー浴びるか」


 その後は、今日も勉強を進めたりゲームをしたりして、時間を潰そう。


 進級できなくなるまで、まだ十日ほどはある。どうせ日数がなくなりそうになれば、学校側から連絡でも来るだろう。その時に考えよう。


 そう現実を逃避して、部屋から出る。


 家の中は、物静かだった。当然だ。日暮は学校、親は二人とも仕事だ。家にいるのは、引きこもりの俺くらい。


 心の中では、これが世間一般的に間違っていることは分かっている。学費を工面してくれている両親や、いつも世話をしてくれる妹に迷惑を掛けていることは、重々承知だ。それらを無駄にしていることも。


 分かっているなら、どうして変えようとしないのか……どうして、だろうな。俺が知りたいよ。


 昔から結構論理派な俺は、自分の客観的な意見も持っている。穀潰し、社会不適合者、迷惑ばかりかける奴……そんなところか。少なくとも、プラスな面はほとんどない。強いて言うなら、自分から勉強をしているくらい。これも、時間潰しと小説のネタ探しのため、という社会的に生産性はほとんどない理由だが。


 昨晩、日暮が作ってくれたであろうシチューを冷蔵庫から取り出す。日曜に何故日暮が夕飯を作ったかと言えば、元々両親がそこまで料理が得意ではない、と言うのと、日暮が自分から作りたい、と昔言っていたのが主な理由だ。多分、あまり美味しくない両親の料理に、飽き飽きしていたんだろう。まあ、かく言う日暮も、ほとんどが手抜きだが。不味いものよりは全然いいけど。


 レンジで温める間、スマホを弄る。レンジから出る電磁波のせいで通信が遅くなるが、仕方あるまい。


 アカウントを作って以来投稿はほとんどしていないSNSのアプリを開く。タイムラインを最新のものへと流していき、イラストなんかをたまに表示してはぼーっと眺める、を繰り返す。


 そうこうしているうちに、シチューが温まったのか、レンジから短い音楽が流れる。チンと音が鳴らないから、これはもうレンチンとは言えそうにないな。どうでもいいけど。


 熱いのは分かっているので、分厚い布の手袋を手に填めて持ち運ぶ。途中、食器棚からスプーンを拾い、冷蔵庫から水を、シンクの傍からコップ置きに置かれたコップも回収する。


 両手が塞がった状態で、いつもの食卓の定位置にそれらを置き、椅子に座る。


「……いただきます」


 こんな感想を口にしたら文句を言われそうだが、美味くも不味くもないシチューを口に含み、色々とコロコロ変わる味を感じながら、飲み込む。


 テレビをつけても、この時間だからほとんどが報道だろう。世間のことなど興味が無いから、音のない世界のまま、食事を続ける。


 最中、昨日のことが記憶の底から這い出てきた。


 いきなり尋ねてきた少女──天水なずな。隣に最近引っ越してきたそうで、俺のクラスメイトでもあるらしい。一応進学校らしいうちの学校だ、入学出来たからにはそれなりに頭はいいのだろう。


 しかし、あまりにも謎が多かった。多分、引っ越してきてからの挨拶は、昨日の時点で既に済んでいただろう。少なくとも、娘が一人で来るなんてことはないはずだ。親が余程の低脳でもなければ。


 それに、俺を外に連れ出した理由。何らかの経緯で俺が引きこもっていると聞いて、それを解消させようとしたのかもしれない。でも、それだとあまりにも天水さんは優しすぎた。


 俺の突き放すような言葉に、一切の文句も言わず。それどころか、いきなり姿を消した俺を、必死の様子で探してくれる始末だ。少なくとも、突飛のアイディアで出来るようなことではない。かなりの決意がなければ、あんな真似は無理だろう。


 しかし、天水さんはやってのけた。結局は俺が二度と関わるな、と突き放して終わってしまったが、昨日窓から見た様子だと、本気で俺のことを何とかしようと思っていたように思える。そうでなければ、どうして崩れ落ちるのか。


 昨日は突然のことすぎて、正常な思考が出来ていなかった。思考回路が狂っていたが、今になって思えば、天水さんは何か俺と関係があるのかもしれない。


 でも、本当に俺は昨日初めてあの人と会った。それこそ、天水という苗字の知り合いは、昨日のあの時まで一人もいない。


 だとすれば、一体どういう理由で俺に構ってきたのか。ただ、昨日のことを振り返って思うのは、天水さんは俺を無理矢理更生させようというのではなく、寄り添って手伝おうとしてくれている、ような気がした。


 そこまで親身になる義理がどこにあるのかは不明だ。それに、何が天水さんをあそこまで突き動かしたのか。


 天水さんのことを考えると、疑問しか思い浮かんでこない。情報が少な過ぎた。


 でも、それは仕方ないだろう。関わりは昨日のほんの数時間。それに、俺はあの人のことを一切知ろうともせず、突き放すばかりだった。情報が少ないのは、自業自得以外の言葉が見つからない。


 頭を振って、天水さんのことを一度脳内から追い出す。適当に思い浮かんだアニソンを頭の中で流し、意識を切り替える。


 右手を下におろすと、カツンという音と共に、硬い感触がスプーンを通して手に伝わってきた。


 皿の中を確認してみると、具材ひとつ残らずシチューは消え去っていた。どうやら、考え事をしているうちに、流れ作業の如く全て食べてしまったらしい。せっかくの味のある食事だというのに、無駄にしてしまった気分だ。


 一つ溜息を零して、水を飲み干す。食器と水の入った二リットルペットボトルを運び、食器を洗って水を冷蔵庫に戻す。


 時刻は十二時少し過ぎ。長く寝過ぎた弊害か、頭痛が痛い。あ、今のは日本語としておかしいか。訂正、頭が痛い。


 ただ、中学生の頃からよくあったことなので、無視をする。


 リビングの隣の部屋、音楽が趣味の母親が昔買ったグランドピアノが置かれた部屋で、タンスから寝巻きと替えの下着を収集する。どれも真っ黒で、まさに俺の心の中だ。いえい、中二病真っ最中。


 ……なんて、一人で思考内でテンション上げても、寂しいだけか。寂しいというか、虚しい。


 風呂場は我が家の端っこで、隣家に一番近いと言っても過言ではない。庭と塀を挟んで、すぐ隣の家だ。そして、その隣家というのが、情報からすると天水宅。


 窓を少し開けて、隣の家を見てみる。以前から家自体はあったし、小四の頃に住んでいた人が引っ越すまでは、何度か家にお邪魔したこともある。だから、何となく間取りも覚えている。確か、風呂に面するのはリビングだ。


 元々は二つ上の男の人と、その両親が住んでいて、父親の転勤が理由で、引っ越していったはず。曰く付き、とかのものではないから、地価がどんなものか知らないが、買うのには安くはないだろう。


 隣の家に、人の気配はなかった。まあ、当然と言えば当然だが。


「はあ……」


 不意にバカバカしくなった。今の俺は、どう見ても天水さんを意識しているようにしか見えない。


 窓を閉めて、着ている服を脱ぐ。昨日の私服を洗濯機に入れ、スマホでプレイリストに入れた音楽を流して洗面台の横に置く。


「……馬鹿だな、俺は」


 シャワーのハンドルを回し、少し待ってお湯になったところで頭から被る。


 水の音で耳に入っていた音楽が聞き取りにくくなった。



 色々しているうちに、日も傾き出して夕方になっていた。時刻は午後六時前。そろそろ部活を終えた日暮が帰ってくることだろう。


 進めていた数学のワークを閉じ、一度伸びをする。それと同時に、インターホンが家の中に鳴り響いた。


 可能性は幾つか考えられる。


 ひとつは、配達かそんな感じのもの。可能性としては、これが一番高いか。


 ふたつは、日暮が鍵を持って行くのを忘れて、開けるよう懇願している。これは、多分ないだろう。家を出るのは、俺を除けば日暮がいつも最後だ。だから、家の鍵は日暮が閉める。それに、シャワーの後に確認したが、鍵はちゃんとかかっていた。だから、持って行っていないということはない。


 みっつは、それ以外。これに関しては何も言えない。


 部屋の窓から、カーテンを少し開けてインターホンのある、庭先の塀へと視線を向ける。


「……なんで、あいつが」


 天水さんがいた。部活に入っていなければ、登下校の時間を考えても、既に帰宅から一時間は経っている。その証拠か、天水さんはゆったりとした私服姿だ。


 すると、不意にその視線が俺の方に向く。即座にカーテンを閉め、窓から距離をとる。


 なんだ、今のは。俺の方を見たのか? いや、恐らくそうだろう。今家には俺しかいないし、カーテンが動いたのに気付いて見たのか。


 意図がわからず、僅かに恐怖心を抱きながら、再びカーテンを少し開けて外を見る。


 しかし、天水さんの姿は既になく、丁度のタイミングで日暮が庭へと入ってくる姿が見えた。


「なんだったんだ、今のは……」


 ホラー映画でも見たかのような気分だ。深呼吸をして、動悸を抑える。


「……忘れよう。あんな奇行のする奴のことは」


 頭を振って、思考の中から先程見た奇行を振り落とした。しかし、もちろんそんな上手くいく訳もなく、夕飯の呼び出しをされるまで、ずっと頭の中を先程の光景が占領していた。

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