救いの手
「お待たせしましたー……って、あれ? 夕君、どこですか?」
本屋で夕から教えてもらったオススメを購入して店を出たところ、待っていると思っていた夕の姿はどこにもなかった。
もしかして、私、見捨てられた!? うん、ありえる……夕、結構面倒くさそうにしてたし。ちょっと無理やり過ぎたかなあ……気晴らしにくらい、なるかと思ったのに。
「電話番号かLINEくらい貰っておくんだった……! 夕、結構心に闇抱えてるし、今のまま放っておいたら自殺してもおかしくない」
考え過ぎかもしれないけど、可能性としては考慮した方がいいのかもしれない。
手提げのカバンを肩にかけ、エスカレーターを使って階下に降りる。そして、綾川駅の方へと向かう出口からイオンを出て、周囲を見回す。
身長百七十五センチくらいの真っ黒い服に身を包んだひと……いない。やっぱり、もう駅に行ったかな? 電車乗っちゃった? それとも……ううん、それはないと思っておこう。
駅へと向けて走る。周囲を見回しながらのため、少し遅くなるけど、入れ違っても困る。注意はしっかりと全方位に向けながら駆ける。
途中で、交通の整備案内をしている人を見掛けた。走ってその人に近付き、尋ねてみる。
「あ、あの……っ。全身黒い服の、こんくらいのポシェットを肩から提げた、身長百七十五センチくらいの男の子見ませんでしたか?」
「ああ……駅の方に行ってたよ。事故に遭いそうになってて注意したから、覚えてるよ」
「ありがとうございます!」
やっぱり、駅に向かったらしい。
無理に連れ出したからか、夕は余計に心の闇を深くしたかもしれない。事故に遭いそうになるくらい、周囲への注意力が散漫していたらしい。
信号を渡り、踏み切りを超える。長方形の穴から駅の中を覗く。右左と視線を何度も移動させるが、夕は見当たらない。
「……どこ行ったの」
本気で心配になってきた。
確かに、夕とは今日会ったばかりの相手だ。夕からすれば、私はどこの誰とも知らない女だろう。
でも、私にとってはそうじゃない。
会ったのこそ今日が初めてだが、私は彼のことをずっと前から知っていた。だから、こうして夕の支えになろうとしたのに……
「……これじゃ、私が、苦しめてるよ」
探さなきゃ。
その気持ちが強く私を支配した。
走り出そうと視線を上げた瞬間、視界に人影が入り込んだ。
♢
あーあ。まさかちょうど電車が行っちまうなんて。ついてないなあ。
待っているのも怠くて、ちょっと近くのコンビニに寄ってたけど……これだったら、自販機で水でも買えばよかった。徒労だよ。
盛大に溜息が溢れる。
コンビニで買った水のペットボトルの蓋を開け、ひんやりと冷たい液体を口に含む。
もちろん、味なんてものはない。ただ、冷たいものが口の中を満たし、喉を潤し、食道を通っていくだけ。まあ、それが目的で買ったんだから、別にそれ以上は求めていないけど。
ペットボトルの蓋を閉めて、右手に持ったまま駅へと歩く。
さっきはちょっと注意力が散漫し過ぎて、事故に遭いそうになったが、今は一応周囲に意識は向けている。
あの女……天水さん、どうしてるだろうか。多分、俺の事なんて気にせずに本を選んで、のんびりと一人遊んでから帰るんだろう。
そうだ。俺をいきなり連れ出したのだって、特に深い理由はないはずだ。俺の事を気にかける奴なんて、いないから。
もういっそ、ここで車にでも轢かれて異世界転生しないだろうか。生きてる理由も、自分の存在価値も分からない今、生きていてもいいことなんて無い。人に迷惑ばかりかけて、世界にマイナスしかもたらさない。
ああ、そうだ。俺の存在はマイナスだ。世界の損失でしかない。こんな俺はいない方がいいんだ。
日暮は、悲しんでくれるだろうか。いつも夕飯作ってもらって、迷惑ばかりかけて……いなくなって清々するかもしれない。
……だとしたら、俺の死を悲しむ人は一人もいない。
「……死ぬのも、いいかもな」
なあ、涼。お前は俺が死んだとしたら、なんて言う? もしあの日、立場が逆だったなら、お前はどうする? 俺みたいに、心を閉ざすか?
……いや、あいつはそんな風にはならないか。きっと、あいつは俺と違ってこの苦しみから自力で抜け出して、自分の道を進むだろう。あいつはそういう奴だ、強くて、優しくて……いつも、俺の手を取ってくれる。
それに対して俺はどうだ。いつまでも部屋の中に引き篭って、皆に迷惑をかけて、初めて会った人にまであの態度だ。半年間学校に行っていないし、留年してもおかしくない。テストは受けて順位も上位だったけど、それも出席日数が足りなければ無意味だ。
「……死ねば、そんなこと気にしなくていいんだろうな」
最近になって考えるようになったが、死んだ後俺の意識はどうなるのだろうか。本当に異世界や天界というものがあって、非科学的な存在である魂がそこに送られるのだろうか。それとも、俺の意識はその瞬間に途絶え、無へと還るのだろうか。
多分、後者が正しいのだろう。実際は体験してみないと分からないが、人間の意識など神経細胞の集まりである脳の中で作り上げられているだけだ。感情なんかも体の中で作られる、アドレナリンとかのホルモンで左右されているもんだろう。専門知識がないから、事実は分からないが。
もし、魂などという概念的でオカルトな存在があるのだとすれば、どんなものなのだろうか。まさか、物質に左右される一次世界と物質の影響を受けない二次世界があるとも思えない。
どうなるのかは分からないが、死んでしまえばこんな苦しみを味わわなくて済むことは、違いないだろう。
「……死ぬか学校に行って元の生活に戻るか。二つに一つか」
どのみち、これ以上休んでしまえば、進級すら危ぶまれる。そろそろ登校を再開しなければいけない。親が毎日連絡してくれているから、無断欠席ということにはなっていない。そのお陰で停学や退学の恐れはないのだが、やはりこれ以上はもう厳しい。大抵の高校は六十日ほど休むと留年になるそうだが、俺はもう既にその殆どを使ってしまっていた。
……そんな覚悟があるならば、とっくにどっちかを選んでいるんだろうけどな。
高校を休み始めたのが、五月に入る頃だ。ゴールデンウィークが始まるくらいだったか。夏休み前は試しに何日か行ったこともあるが、結局昼休みまでに毎回限界を迎えている。
それから七月までずっと休んでいるから、もう九割方の猶予が無くなっている。後は十日もないか。
視線を上げると、いつの間にか駅の目の前へとやって来ていた。そして、入口前に見覚えのある姿が目に入る。
「……飽きて出てきたのか」
別に気にする事はないだろうと、気にせずに駅へと向かう。無意識に、右手に持つペットボトルがクシャリと音を立てていた。
信号を通って車道を横断する。そして、駅の敷地内へと入った。
見覚えのある人──天水さんは、心配そうな表情を浮かべて胸の位置の服を強く握りしめていた。不意に、もしかしたら俺を探していたのか、という疑問が浮かび、胸がキュッと苦しくなる。
……いや、考え過ぎだ。電車を乗り過ごさないように急いだだけだ。そうだ、俺の為なわけないじゃないか。
深呼吸をして、胸の苦しみを抑え込む。
駅の入口の前に立った瞬間、天水さんが俺の方に向きを変えた。顔には汗が流れ、驚愕の表情を浮かべた直後、薄らと涙を浮かべながら安堵の表情に変えた。
やめてくれよ、そんな顔……まるで俺を心配してるような……
「……夕……君?」
落ち着け。いつも通りになれ。どうせ俺の為なんかじゃない。
「……そんなに汗かいて、どうした。ダイエットか?」
胸が苦しくなる。呼吸が早くなる。やめてくれよ、俺まで。これ以上、俺に勘違いさせないでくれ。俺に希望を抱かせないでくれ。
「……よかった、まだいて。夕君、自殺しちゃうんじゃないかと思ったよ」
……ああ、もうダメだ。こいつに関わり過ぎると、今の俺が俺じゃ無くなってしまう。
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